鈴木源三郎編2日目
「さて、みなさんお待ちかね。『ディテクティヴ・ヴァケーション』次なる対戦はブラジル代表ランキング5位。その名も『至高の天才』アル・カンターラ!」
「対する挑戦者はクラスCランキング1位!保険外交員と二足の草鞋を履くベテラン探偵、『ミスター・ダンディ』鈴木源三郎!」
「格上とのバトルをどう制するのか、まさに注目の下剋上が始まろうとしているのです!それでは、ディテクティブ・ヴァケーション!ヒア・ウィー・ゴー!!」
モナコという国に空港は存在しない。
それでは日本からのアクセスはどうなっているのかと言うと、まず羽田からトランジットで中東のドバイを経由し、そこからフランスのニースにあるコート・ダジュール国際空港へと乗り継ぎ、さらにそこから鉄道やタクシー、ヘリコプターなどでモナコへ入国する。
空港の入国審査場で女性審査官のチェックを受ける。
「May I see your passport?」
審査官は当然、英語を使う。
「Here you are.」
英語で返す。ここ最近、英語学習にハマっていた成果だ。差し出したパスポートを審査官が確認する。
「日本の方ですね。日本語で話せますよ」
「おお、それは助かる」
「お名前は…鈴木源三郎さん?ご職業は?」
「保険のセールスマンですよ。サンプラス生命保険という小さな保険代理店でして」
「あの、申し訳ございません。空港内は基本、禁煙ですので、その手にしている葉巻は吸えません。喫煙所でお願い致します」
「おお、申し訳ない。これは癖で持ち歩いていまして、当然ここで吸うような事はしません」
ドバイ国際空港からエルディア共和国の首都アル・バサまでは格安航空便で2時間だ。ドバイではトランジットの為に12時間程の滞在時間が発生するらしい。
その後の審査はつつがなく無事終了した。
「しかし、さすがはドバイ。どこもかしこも成金趣味だ…屋内なのにヤシの木が並んでいるぞ…植え込みまであるとは」
「私は植え込みにはうるさい男でな…この踏み心地は確かに金の掛かり具合が違う」
ラウンジのソファに座ろうとした時に、何やら急いで歩く女性とぶつかりそうになった。
「おっと失礼」
「ごめんなさい。急いでいますので」
日本人だった。
年の頃は20代半ばから後半、髪の長さはロングボブ相当、スーツスカート姿のキャリアウーマン風の美人だ。
「探し物ですかな?」
思わず声をかける。
「急いでいますので」
「まあ、お待ちなさい。見たところ、手荷物が税関を通過しなかったのではありませんか?」
「……どうして分かるのですか?」
「ふむ、これはまあ探偵の性と言いますか。あなたは今、手ぶらだ。到着ロビーで手荷物を持たない人が、出発時間はまだ先であるにも関わらず、急いでいるという。待機時間を過ごさねばならぬ以上、時間を潰す為には手ぶらは考えにくい。と、まあこういった推理を立てた訳でして。不自然な点を見つけると、どうしても気になってしまう性分なんですな」
「探偵?もしかして、アイドラーのディテクティブなのですか?」
「ええ、まあ。本業は保険外交員なのですがね。仕事柄、調査が主になるものですから、アイドラーのライセンスも持っているのです。ランクはCですがね」
「……Cランクのディテクティブは世界でも500名程しかいないと言われていますわね。よろしければ、お名前をいただいてもよろしいかしら?私は一条美月と申します」
「鈴木源三郎です。サンプラス保険会社という弱小保険会社の外交員をしております。こちら、私の名刺になります」
「これはご丁寧に。では私の名刺もどうぞ」
「……史料編纂所・助教?助教授とは違うのですかな」
「それは2007年法律改正前の職位ですわね。現在は准教授と呼ばれています。助教は法律改正前は助手とされていました。おおざっぱに言えば、教員の最高職位が教授で、その下に准教授、さらにその下が助教です。研究職三種の一つです」
「うむむ、実は私はそこそこの年齢でして、改正後の大学の職位というものには、てんで疎いのです。昭和のおじさんには助教というワードがいまいち聞き慣れないものでして」
「無理もありませんわ。まだまだ助教という役職は知名度が低いですし」
「ところで、あなたが急いでいたという原因。預けてある筈の荷物が受け取れなかったようですな。俗に言う『ロストバゲッジ』というヤツですな。受付は済ませたのですかな?」
「え、ええ。荷物を受け取ろうとターンテーブルで待っていたんですけど、荷物が一向に流れて来ない。ですから、空港の職員に問い合わせたんですけど、どうも別の便に割り振られてしまったようで。ですから、今から別の便が到着する別のターミナルに探しに行こうと思って急いでいたのです」
「なるほど……しかし、どうにも腑に落ちませんな」
「…何故?」
「最近の国際空港では荷物の重量でID登録され、ほぼ確実にトラッキング出来る対策が取られている。世界一金をかけているドバイ国際空港なら猶更。それがこうも簡単にロストするとは思えませんな」
「ですが、空港職員は届いていないと言うのです」
「で、あれば。空港職員が虚偽の報告をしている可能性がある」
「嘘、だと?」
「可能性の一つとしては。こうしてあなたが走り回る手間を掛けさせる事自体、公共施設の対応としては明らかに不誠実でしょう。まあ、もう一つの可能性もあるのですが」
「もう一つ?教えて下さらないかしら」
「密輸、の可能性ですかな」
「……私が、密輸をしていると?」
「いえ、そういう可能性の話です。もしも荷物がX線検査に引っかかり、ご禁制の品が紛れているのを発見されてしまったとする。そうなれば中身を改める為、時間稼ぎをしたいと考え、敢えてあなたに不誠実な対応をして走り回るよう仕向けた、というのは如何ですかな」
「……もしかすると、持ち込んだ手荷物に宝石類があるからかも」
「宝石類にような高価な品物は身に着けておかないといけませんな」
「それが、そんなに貴金属としての価値はあまり無いんですよね。合成サファイアですから」
「科学的に作られた模造品ですな。確かに合成サファイアと鑑定されれば価値は大幅に下がる。しかし、それが原因で足止めされる理屈というものを如何に説明するか。それが探偵の洞察力というもの」
「面白い言い回しですわね。推理では無いのですね」
「裏付けがありませんからな。ですから、一方向から捜査方針を決めるのです。例えば、合成サファイアがアタッシュケースにぎっしりと詰まっていたらどうですかな?その中に、本物のサファイアが隠されている可能性を考えてしまうでしょう」
「……驚きました。100%ではありませんが、かなり正解に近いですね」
「おや。まさかお認めになるとは、思いませんでしたな」
「さすがクラスCディテクティブ。下手に隠し事をしても容易く見透かされてしまいそうですから。それに正直にお話する事で、鈴木さんのお力をお借り出来ればと」
「私の力ですか。それは正式な依頼と受け止めてもよろしいのですかな?」
「ええ。そう考えていただいて構いません。まずは『本物のサファイア』があるかどうかなのですが、本物以上に価値のあるサファイアなのです。しかし、同時に合成されたサファイアでもあります」
「……サファイア以上のサファイアと言えば、イスラエルから産出された『カルメルサファイア』というものがありますな」
カルメルサファイアとはイスラエルで発見された新種のサファイアである。以前にその名は聞いた事があった。
「よくご存じで。実はそのカルメルサファイアを人工的に作り出す事に成功した企業があるのです。1969年メキシコのチワワ州に落下した『アエンデ隕石』を研究していた企業が日本にあるのです。ジオ・テクニクス社という企業です」
「ジオ・テクニクス…プラントエンジニアリング大手ですな。LNGプラント開発や原子力発電所施設の開発など、特に海外事業で強い。ドバイでその名を聞くのはむしろ自然なところですかな」
「よくご存じで。ジオ・テクニクスの開発部門ファインセラミックス事業部が超高圧力下における合成カルメルサファイア半導体の開発に成功したのです」
「合成サファイアの半導体利用というのは聞いた事がありますな。しかし、カルメルサファイアとなるとこれはまたコストが高そうだ」
「まだ試作段階ですから、製造装置の開発がようやく本格化したとか。私が持ち運んでいたのは、そんな試作品の一つだったのです」
「ふうむ、何に使うおつもりでしたかな?」
「カルメルサファイアはダイヤモンド以上の硬度があります。つまり、原子配列がダイヤモンドより密であるという特徴があります。パワー半導体で応用されているダイヤモンド半導体は、放熱性や耐電圧性に優れ、従来型の半導体よりも大きな電力を扱う事が可能となりました。カルメルサファイア半導体は、さらにそれを上回るのです」
「なるほど。次世代の技術ですな。しかしそうであるならば、価値が低いとは思えませんが。特許関連などいくらでも欲しい企業が出てくるでしょうな」
「そうですね。特に次世代エネルギーシフトに関わる重要な技術と目されているようです。現在のリチウムイオンバッテリーでは限界がきていますから、次世代バッテリー技術として全固体電池が注目されています。その中でも人工ダイヤモンド電池という技術があります。電池寿命は実に二千年以上。これよりもさらに大きな電力を扱えるのが、人工カルメルサファイア電池です」
「そんなものをどうして手荷物として持ち込んでいたのですかな?割とリスクの高い方法ですな」
「それには理由があるのです」
「いや推理をしましょう。例えば、あなたには敵がいる。しかし、それが誰か分からない。だから、敵を誘き出す為に、敢えてリスクの高い方法を執った。もしもあなたの手から合法的に一時的に離れた時、その隙を敵は逃さない。敵に気取られずにあなたは罠を張った……という線ではいかがですかな?」
「仰る通りです。素晴らしい洞察力ですわ……敵の正体が分からない状態です。なのでこのドバイでの受け渡し時が狙われるだろうと踏んでいたのです」
「ほう。つまり、本来は受取人がいるのですか」
「ええ。このカルメルサファイア半導体を、有効に役立ててくれるであろう研究者に提供するのが目的なのです。当初の予定では、このドバイ空港で受け渡しをする筈でした。合成サファイアに紛れて一つだけ、合成カルメルサファイアを忍ばせていたのです」
「ふむ。しかし、ほんの数グラムでも手荷物の重量が変わってしまうと、不審を招きますぞ」
「受け渡し人が普通の合成サファイアを持ってくるので、それと交換するのです。大きさは変わりますが、重さが同じであれば疑われる可能性は低いでしょう」
「イミテーションにすり替える訳ですな。しかし、もしもこの宝石を狙う者が、宝石鑑定のスペシャリストであったなら、見破られてしまうでしょうな」
「このカルメルサファイアは人工物ですから、宝石としての価値はたいして高くはありませんよ」
「現時点での市場価値、という意味ではそうでしょうな。しかし、将来性を考えれば、今後値段が吊り上がる可能性がある。例え人工物であろうとも、希少性が価値を押し上げる。そう考える者が敵とやらの正体ではないかと思うのですよ。そして、宝石に狙いを定める泥棒、『大怪盗』という人種がこの世界には存在している。我々アイドラーのディテクティブに対となる犯罪シンジケート『ブラック・ロッジ』の大怪盗たち『バーグラー』が暗躍している」
「さて、実はその『バーグラー』連中の次席に近年見られなかった異変が起きている。バーグラーの一人として第十二次席『怪盗サファイア』の名が消えた。後釜に誰が座ったのかは裏の組織である為、さすがに知られていない」
「ですが、この『怪盗サファイア』の最後の仕事が、ある宝石の窃盗事件であったのですよ。『貴婦人シリーズ』と呼ばれる宝飾品コレクションです」
「これが最後の仕事になった理由は、窃盗が失敗に終わったからです。アイドラーのクラスAディテクティブがこの事件を未然に防いだ。結果、怪盗サファイアはブラック・ロッジでの地位を失った」
貴婦人シリーズと呼ばれるジュエリーセットには『貴婦人のネックレス』『貴婦人のリング』『貴婦人のイヤリング』『貴婦人のティアラ』『貴婦人のブレスレット』の5点がある。
「その話の文脈からすると、その『バーグラー』か『怪盗サファイア』の仕業でしょうか?」
「かも、知れませんな」
「断言は出来ない?」
「今までのお話は、あくまで推測ですからな。ただ、私は保険外交員でもあります故、盗難保険というものを取り扱っている都合で貴金属の窃盗事件の調査なども行っておりまして。かの『怪盗サファイア』は『貴婦人シリーズ』以外に手を出さないのですよ。ですから、おそらくは『バーグラー』の関与の方が可能性はあるでしょうな」
「なるほど…保険外交員って色々となさるお仕事なのですね」
「仕事の殆どは、実際に足を使って調査をするフィールドワークですからな。さて、おそらくですが、この空港でこれ以上の進展は望めないでしょう。空港の手荷物にトラッキング用のデータタグを付けているなら、逆にそのログを盗み見る事が出来れば、追跡が出来るでしょう」
「そんな事が出来るのですか?今ここで?」
「さすがに私にはそのような素養はありませんので、部下にやらせますよ」
「あら、部下の方がいらっしゃるのですか?おひとりでは無かったのですね」
「部下はここにはいません。リモートで追跡してもらいます。連絡を取りますので、少々お待ちを」
「もしもし、氷室か。ドバイ空港で手荷物の窃盗事件だ。エアタグを追跡して欲しい」
エアタグのログを追跡した結果、ドバイの沖合に造成された人工島群『パーム・アイランド』のうちの一つ『デイラ・アイランド』という島に到着した。地下鉄とバスを乗り継いで1時間半程度という距離だ。
「デイラ・アイランド…完成していたのか」
この島は開発計画が頓挫し、しばらく放置されていたという。
島の入口は一か所、『デイラ・アイランド・ブリッジ』という大橋を車で渡らねばならない。島は北と南で違いがあり、南はリゾートホテルや市場などが形成されており、北には広大な採石場が広がっていた。
かつて採石場であったという北側は、旧市街アル・シンダガのような旧い街並みが広がっていた。
「おかしい…ここは再開発地区だった筈だ。この石造りの旧い建物はわざわざ再現したのか?そこら中に監視カメラが設置されている」
「人がいませんね」
中東によく見られる、昔ながらの日干し煉瓦による建築様式。ある種、無味乾燥な印象の街並みは、およそ人の生活の気配というものが欠落している。
そんな殺伐とした風景の中、街並みの中央に一つだけ聳え立つ塔が見えた。
「あれは…『風の塔(バードギール)』と呼ばれる換気施設ですね。地下貯水施設と繋げて室内温度を下げる仕組みです」
「ふむ…地下か…ん?」
そこまで言った時、『風の塔』がきらりと光を反射したように見えた。
「あぶない!」
「きゃっ!?」
咄嗟に美月の肩を突き飛ばし、すぐさま自分も横へ飛ぶ。
ーーーーーーズガァァアアン!!ーーーーーーー
「狙撃だ!遮蔽物に隠れなさい!」
「え!?は、はい!」
間一髪避けた銃弾は、乾いた大地を抉って土煙を巻き上げた。
「追跡を警戒していたようですな…このまま諦めて帰るか、それとも危険を承知で相手を確かめるべきか。これは依頼主であるあなた次第です」
「サファイアだけは取り返して欲しいです。ですが、無理だと思えば地元警察にお任せしましょう」
「では、もう少し頑張ってみましょう。あなたはここで待機していて下さい」
「分かりました。お気をつけて。素敵なおじさま」
「むほほ……綺麗なお嬢さんにそう言っていただけるのは、男冥利に尽きますなぁ…では!」
美月と別れ、身を屈めながら建物の壁伝いに移動する。
しかし『風の塔』の周辺は広場になっており、遮蔽物が何一つ無い。
「……地下貯水施設があると言っていたな」
『風の塔』の足元には先の尖った半円のドーム状の構造物があり、その下に地下貯水槽が設けられていると考えられる。『風の塔』の1階部分には、地階に降りる階段があるようだ。
「塔の上に登れるようには見えないが…しかし地下は気になる」
他に地下へ降りれるルートは無いかと周辺を探索すると、側溝の用水路から地下水路の入口を発見した。灌漑水路ファラジが地下水路の洞窟と繋がっているようだ。
水位は膝下くらいまである。
「このまま地下へ降りられるようだが…こういう時の為にLEDフラッシュライトを持っているが、明確に敵がいる状況では、安易に使うべきではない。こちらの存在を気取られるからな」
「しかし、今はスマホという便利な道具がある。このスマホのカメラ機能を使い、ナイトモードにする。さらに露出を限界まで上げる。これでナイトヴィジョンの代わりになる。欠点は、まるでギリシャ神話のペルセウスが怪物メドゥーサを倒した逸話の如く、鏡で相手を見るような不便さがあるという事か」
スマホのナイトモード画面を見ながら、地下水路へと降りて行く。画面には地下水路の暗闇も、問題無く明るく映っていた。
「さて…セオリー通り行くなら、左壁に手を付きながら左周りで進むべきだが…これは『迷路の左手の法則』などと言われ、中世ヨーロッパから続く基本的な迷宮攻略法だ…む?」
靴とスラックスを濡らしながら地下水路を進むと、前方の暗闇から微風が吹いて頬を撫でた。
次いで、何か機械の作動音のようなものが微かに聞こえて来る。
「……何か、来るな」
ーーーーーーーガシャンーーーーーーー
銀色のロボットが現れた。
「なーーーーーーー」
唐突に世界観を壊すような存在が目の前に現れ、一瞬理解力が追い付かない。赤いマントが左肩を覆っている。
「『私の名は!天才科学者アル・カンターラ!!よくぞ我らが企みを見抜いた!クラスCディテクティブよ!』」
銀色の装甲に覆われた、大柄な中世の甲冑のような姿から、野太い声で朗々と声を出す。兜に覆われている為、顔は分からない。
拡声器を通した音声なのか、地下水路の洞窟の中で音が反響してハウリングを起こしている。単純に音量が大きい。
「企み?では『バーグラー』なのか」
「『ふはははは!違うな!私は取引に応じただけだ。人工カルメルサファイア半導体シリーズ、コードネーム『貴婦人(ドンナ)』の受け渡し場所にここを指定されたのだ!』」
「『貴婦人(ドンナ)』?」
「『AI向け次世代マイクロプロセッサ技術だ!』」
マイクロプロセッサの輸送には航空機が使われる。軽いが、高価だからだ。それを考慮すれば、今回の事件は何ら不思議では無いのかも知れない。
「しかし何故、科学者が一企業の技術を横から掠め取ろうとしている?」
「『それは、私が開発した技術なのだ!私は正当な対価を要求しているに過ぎん!今すぐに、『貴婦人(ドンナ)』が必要なのだ!故に、貴様をここで排除する!』」
一条美月の話と、微妙に食い違いがあるようだ。
甲冑が左腰の鞘から細剣を抜き放つ。刺突剣エストックと呼ばれる剣だ。
「科学者が剣で戦うのか」
膝まで水に浸かっている為、逃げるのは不可能に近い。ここは立ち向かう以外に選択肢が無い。白いスーツの懐に右手を入れ、銃を抜く。
すると突然、地下水路の中に別の声が響く。
「『みなさんお待ちかね!今宵のディテクティブ・ヴァケーション二回戦第三試合!ブラジル代表アイドラークラスAランキング第5位ディテクティブ!『至高の天才』アル・カンターラVS、クラスCランキング1位!『ミスター・ダンディ』こと鈴木源三郎の模様をお送りします!!』」
「……各所の監視カメラはこの実況中継の為か?」
よく観察すれば、水路の中にも監視カメラが光っている。
「『デイラ・アイランドはドバイの各種レース開催の会場として建設された人工島だ、ディテクティブ・ヴァケーションもまた、競馬やF1などと同じく、UAEが誘致して開催されている』」
「ドバイは娯楽に相当飢えている、という事か。やれやれ。金の力で何でも出来ると思ったら大間違いだな」
金持ちだらけのドバイでは、世界中のレースが開催される。競馬やF1グランプリは代表例だが、そのほかにもエアレース、サッカーワールドカップ、テニストーナメント、ゴルフツアーなど、およそ金になりそうな国際大会がよく開かれている。
「『御託は良い!掛かって来い!』」
「それでは遠慮なく」
構えたワルサーP99の引き金を躊躇わずに引く。
ーーーーーーーガン!ガン!ガンーーーーーーー
しかし、銀色の装甲には傷一つ付かない。
「『我が強化外骨格『エクソエスケレート』にそんな豆鉄砲が効くものか!』」
アル・カンターラはフェンシングの構えを取り、刺突剣による突きを放ってくる。
「喰らえッ!ーーーーー『アウト・エストラーダ!』」
全身甲冑姿の巨体に似つかわず、足元を満たす水流の中で滑るように前進し、全身を使って前に伸びるような突き技を繰り出して来る。
「脳筋科学者め!」
どういう原理なのか、鈍重そうな見た目に反して素早い突きが放たれる。突進を紙一重にて躱すが、後方へ突き抜けた甲冑男はくるりと反転し、再び刺突剣を脇に引き寄せて突きの動作へ入る。
「『よく避ける!』」
連続で放たれる突きを紙一重で躱し続けるが、白いスーツの各所が薄皮一枚切り裂かれて血が滲む。このままでは殺られるッ!剣の間合いの内側へと踏み込まなくてはならない。
ーーーーーーーガキン!!ーーーーーーー
「『何?』」
左腕で刺突剣を受け、金属音と共に脇へと受け流す。破れた袖口から薄茶色の何かが見える。
「そこだ!」
突きを放った右腕の肘を、逆関節に極める。柔道における『肘巻込』に相当する。
「『くっ!貴様っ!?』」
「ロボットだかパワードスーツだかは知らんが、人体の構造を模している以上、関節の可動域は限られている。人体特有の欠点は共通する筈だ」
ミシッ
骨格そのものが軋む音。
「『ーーーーー面白いッ!』」
甲冑の面貌のスリットの中、眼に相当する隙間の奥が光を放つ。
「ーーーーちいッ!?」
咄嗟に関節を極めていた両手を放し、甲冑男から飛び退く。眼から放たれた光線が天井の苔を焼いた。
「『ふはははは!貴様の言う通り!人体の構造上の欠点は覆せぬ!しかし!人体には存在しない武器を隠し持つ事は出来る!』」
「どういう原理だ!」
眼にレーザーを仕込むとか漫画じゃあるまいし。しかし距離が再び離れてしまっては、こちらが圧倒的に不利だ。同じ手はそう何度も通じないだろう。
「ではせいぜい、豆鉄砲で抵抗させてもらおうか!」
後退しつつワルサーP99の引き金を引く。装弾数16発のうち既に1発を使っている為、残り15発を全弾、甲冑の頭目掛けて叩きこむ。
ーーーーーーーガン!ガン!ガンーーーーーーー
「『ふはははは!効かぬと言っているだろう!』」
「そうかね」
空になったマガジンを交換しようとするが、その隙に間合いを詰めて再び甲冑男の刺突剣が襲い掛かる。
「『パッサージェン・サブテラーニア!!』」
こちらの足元を狙いすました一撃。動きを封じる為に足を狙うのは常道。
「そこだ!」
しかしそれを跳び上がって躱し、刺突剣の曲線鍔(スウェプト・ヒルト)を狙って踏み付けるような蹴りを打つ。
「『何ッ!?』」
鍔の角度を90度半回転させれば刀身は腹を上に見せる事になり、踏ん付けてもこちらを傷付ける事は無い。
「さすがのパワードスーツでも、人一人の体重が乗った剣を持ち上げる事は難しいだろう?」
半身の姿勢で両足で剣の腹に乗る。これで剣先は床に押し付けられる事になり、アル・カンターラは刺突剣を持ち上げる事が出来なくなった。同時にワルサーの弾倉を入れ替える。
「『まだだ!』」
甲冑のマスクの眼のスリットの奥が再び光を放つ。
「そこだ!」
それを狙って銃口が火を噴く。
ーーーーーーーズドン!!ーーーーーーー
「『ガッーーーーーーーッ!?』」
弾丸は装甲に覆われたマスクを貫き、その奥のミラーを砕き、レーザー発振器を貫通して後ろへ突き抜けた。
「……こいつは『6.5mm高初速弾』というタングステン徹甲弾だ。最初のマガジンの9mmパラを全弾使い切ったのはこいつに交換する為だったのさ」
スウェーデンのCBJ社が開発したという拳銃用の徹甲弾APDS(Armor Piercing Discarding Sabot)は、銃身とリジェクションスプリングの交換のみという簡単な換装で9mmパラベラム弾を使用出来る銃なら殆どが使用可能という特徴がある。
生身の人間相手には貫通力が高くて使い辛い弾丸だが、0mの距離からであればRHA均質圧延鋼装甲(Rolled Homogeneous Armour)換算で対鋼板7mmの貫徹力を持つ。
バチバチの火花を散らしながら、アル・カンターラの重厚な巨体は足元の水面に崩れ落ちた。
「『ーーーーーーーソブル・コレンテ!!』」
膝から崩れ落ちた瞬間、甲冑から放たれた電流が水面を伝ってきた。
「ぐッーーーがあああああっ」
全身が過電流を受けて痙攣し、皮膚が焼ける。
「『ふはははは!最後の詰めを誤ったようだな!』」
アル・カンターラの頭部は弾丸で貫かれた筈だったが、どうやら致命傷では無かったらしい。
ーーーーーーーもしくは、頭脳は頭部には無いのかも知れない。
「ーーー俺の国には『死んだふり』って言葉があってな」
「『何ッ!?』」
しかし、俺は生きていた。
電撃を受けて焼かれた皮膚はボロボロと崩れ、体格を変える為に着込んでいた『ラテックス製肉襦袢』を白スーツごと脱ぎ捨てる。
その下から現れた、黒いタンクトップの痩身。カツラの下から飛び出した長髪。
「そこだ!」
ーーーーーーーズドン!ズドン!ズドン!ーーーーーーー
空中へ躍り出た俺はアル・カンターラの真上に跳び上がり、甲冑の頭頂部目掛けて6.5mm高初速弾を3発叩きこんだ。
「『貴様はッーーーーーーー』」
真上から首を透り、甲冑内部を貫いた弾丸は、アル・カンターラの腰辺りまで貫通した。内部を抉られた事でようやく甲冑の動きが停まった。
「俺の名は天城小次郎ーーーークラスAディテクティブだ」
変装用の装束を脱ぎ捨て、黒タンクトップに白スラックスという何とも心細い恰好になってしまった。
命を狙われているのは分かってた事だからな。
海外渡航用のカバーとして、おやっさんの変装をしていたんだ。その為にアイドラークラスCの実績もわざわざ積んだんだぜ。我ながら随分と手の込んだ事をしたもんだ。
おやっさん…俺の師匠である『桂木源三郎』は、サンプラス保険会社というペーパーカンパニーをでっち上げ、『鈴木源三郎』の偽名をよく使っていた。
ちなみにおやっさんの愛銃はワルサーP38であってP99などという最新のモデルには触った事も無いだろうが、俺の愛銃であるグロック22と同じくポリマーフレーム設計なので選んだ。
P38は設計が古い為、6.5mm高初速弾用の銃身に替えたところで命中率の著しい低下は避けられなかったのだ。
「こいつはどうやらロボットだったらしいな」
改めて破壊された甲冑を調べると、中身は機械だという事が分かった。
しかしその時、何処からか男の高笑いが響き渡った。
「『ふはははは!よくぞ我を倒した!敬意を評してキミに彼女を託そう!この先に進むと良い!』」
「遠隔操縦だったのか?」
「ちなみにこの音声は自動で流れている!機密保全の為、この身体は10秒後に爆破される。急ぎたまえ』」
「なっーーーー馬鹿野郎!お約束か!」
唐突な宣言にさすがに慌てる。こんな地下水路で爆破なぞされたら、逃げ場など無いに等しい。先に進めば何とかなるのかどうか分からないが、それしか無さそうだった。
「ふはははは!勝負には負けたが!しかし一度の敗北に何の意味がある!最後に勝てば良いのだ!ふはははは!また会おう、天城小次郎くん!』」
最後まで顔を知らない相手だったが、この高笑いでムカつく。
「あのスイス名作劇場車椅子少女といい、アイドラーの探偵は頭がおかしい連中ばかりだ!」
水路の中を走る。全力で走る。
10、9、8、7、6ーーーー
「うおおおおおお!!!」
ーーーー5,4、3,2、1ーーーー
「ここかぁ!」
水路の途中に水深の深い雨水貯留槽が床に開いており、俺の身体はそこに飛び込んだ。
同時に襲ってくる爆風。
ーーーーズドドドドドーーーーン!!ーーーー
爆風を水の中に潜る事によって回避した。
「げほっ!げほっ!凄いひどい目に遭ったな…ん?」
全身ずぶ濡れになりながら水路に這い上がると、水路の先に空気の流れを感じた。
「……どうやら大きな空間があるようだな」
相変わらずの暗闇だが、目が暗がりに対し大分慣れてきたのか、薄っすらと視界に入る輪郭がある。
P99を両手で保持しながら、ゆっくりと先を進んだ。
「……これは」
暗がりの先がどんどん明るくなり、次第に大きな空間が目に入ってくる。どうやら目的地である『風の塔』の内部に到達したようだった。
塔の中は単純な四角形の縦長の空間で、十字の仕切り板で風を導く仕組みとなっているらしい。そんな塔の空間は上部から外の光が差し込み、それが鏡で反射されて最下層を照らしていた。
何でわざわざ、そんな面倒臭い上に意味の無さそうな設計をしているのか。そんな疑問を感じる前に、目の前に佇む『彼女』を見て俺は銃を降ろした。
「……誰子ちゃん?」
まず目に飛び込んできたのは、風で舞う流れるような長い金髪だ。額の真ん中で分けたストレートな髪が美しい。
青いツナギのような服を着ている。飛行服のようで、襟元はムートンの毛皮で覆われている。両手は分厚い革手袋、足元も茶色い革のブーツを履いている。
身長は160cmくらいはあるだろうか。年齢はまだ十代半ばから後半ではないか。美しい顔立ちだが、若干の幼さを頬から顎にかけてのラインに感じた。
切れ長で長い睫毛と水のように澄んだ青い瞳が、俺を見た。
「わたし…わたしは?」
「名前は?」
透き通るような白い肌を僅かに震わせ、その少女は少し考えこむように視線を逸らした。
「……わからない。わたしは…わたしの名前は何?」
「なぬ?まさか、記憶が無いのか?」
「記憶……わからない。何も、覚えてないの」
そこまで聞いて、ようやく違和感の正体を俺は自覚した。なるべく考えようとしなかった事実。
ーーーーー耳が、横に長く伸びているのだ。
それは、欧州の民間伝承に伝わる『妖精(エルフ)』によく似ていた。
~二日目終了~