秀吉が倒れた。一時昏睡状態になるほどの重症であった。
日付が翌日に変わる寸前に目覚めたが、法医の言によって絶対安静とされた。
城内も秀吉が目覚めたことによりほっとした空気が流れるが、秀次だけは険しい表情をしていた。
秀吉が史実で亡くなったのは、五年も後のこと。
こんな時期に命にかかわるような倒れ方をするとは、まったくの予想外だった。
朝鮮から入れ替わりで帰ってきた大名に石田三成がいる。
政務が滞らないように三成に指示を出してから、秀次は一旦屋敷へと戻った。
胸の奥に漠然とした不安を抱えたまま。
朝鮮出兵中以外の大名では前田利家が筆頭格である。
息子の利長は出兵中だが、それでも前田利家の威厳と声望はみなを落ち着かせるのに十分であった。
とりあえず大坂は落ち着きを取り戻したが、差し迫っての問題がある。
朝鮮に出兵中の諸将である。
秀吉が倒れ、しばらく動けない以上は一時休戦したほうが良いのでは? との意見が前田利家から出た。
秀次はこれを好機とみて、秀吉に休戦協定を結んで兵を引くことを提案。
秀吉は勝っているほうから、講和を申し出るのはいかがなものか、と渋ったが秀次が考えがある、と言ったのでまかせることにした。
秀吉は名代として秀次を派遣することに決定。
出発前に風魔から「茶々殿の周囲に不穏な気配あり」との報告を受けた秀次は伊賀者と風魔を大政所や北の政所の警備につけておくことにした。
(・・・ひょっとして、茶々の周囲が暴走し始めたのか? 俺が史実より力を持ってるからか?
秀吉を排除して、その後俺が死ねば自分の思い通りとか思ってるんじゃないだろうな、あの女)
そんな予感はあったが、とりあえずまずは朝鮮問題を片付けなければならない。
大坂での秀吉の補佐を前田利家、石田三成へと任せて秀次は名護城へと出発する。
名護城から前線の徳川家康に事情の説明と先の平壌進軍を正式に取り下げて、新たな命を下す。
李氏朝鮮との講和。休戦交渉である。
日本が最初に示したものは、朝鮮南半分の譲渡、朝鮮半島全域における通行の自由、さらに補償金であった。
相手が交渉に応じない要求を出して、秀次は時間を稼いでいた。
当然飲めるわけのない李氏朝鮮は突っぱねるが、李氏朝鮮も落としどころを探っていた。
平壌以北では明からの救援軍への糧食供給のために住民からの搾取が続いており、漢城方面への流民はとまらずそれを押しとどめる朝鮮軍との間に小競り合いが起きていた。
遠からず暴動に発展しかねない状況に、李氏朝鮮もどうにか終結の糸口を探っていた。
秀次が釜山へと渡り、漢城へと入城する。
家康と久しぶりに再会し、共に李氏朝鮮との交渉を行うことにする。
秀次は家康に明とは交渉しないことを明言。あくまでも交渉相手は李氏朝鮮とした。
女真族のヌルハチへ極秘裏に武器を流すことによって、明が後に日本に関わっていられないようにするのだ。
すでにヌルハチの使者は漢城へと訪れており、秀次は大量の火器を渡すことを約束。
頑張って明を倒してくれ、そしたら日本は明が報復に来れないから安全だから、と心の中でエールを送る。
この時期の明は他にも問題を抱えており、とても船団を組んで日本まで報復に来るような余裕はないのだが・・・万が一を考えた措置である。
清が起こるのが早まっても、ヌルハチと貿易で互いに儲ければいいや、と思っていた。
ヌルハチの使者に『近く我々は漢城から撤退することになるだろう。その際に鉄砲を置いていくので女真族が取っていってくれ』と言いつけた。
こうして明への牽制を行う算段をつけた秀次は李氏朝鮮と改めて交渉。
前回とは打って変わって補償金と釜山周辺を求めるのみであった。
領土を削ることに朝鮮側はかなり渋る。結局、釜山周辺を買い戻す、という名目で補償金を上乗せして決着した。
攻めておいて補償金って何だよ、と自分でも思った秀次だったが、まあ現代の戦争も似たようなもんだよね、と納得した。
民主化とか正義のために攻め滅ぼすよりマシだよね、と自分を納得させた。
最も、補償金は分割で支払われることになり、たぶん踏み倒されるだろーなーと想像したが知ったことではない。
ヌルハチに武器を密輸しまくって清王朝さっさと作ってくれねーかな、とさえ思っていた。
領土を取れず褒賞を得られなかった諸将は不満があるだろうが・・・そこは金で解決しようと秀次は思っていた。
実際に出兵した大名は朝鮮滞在中に荒れ果てた地を見て、褒賞としてこの土地は欲しくないと思っていたのでそこを利用しようと思っていたのだ。
最悪、朝鮮じゃなくて南に目を向けてオーストラリアくらいまで行くか? とも思っていたが・・・。
先にアメリカ大陸押さえてやろうか、とかちょっとだけ本気で思い出している秀次であった。今はそれどころじゃないが。
ちなみになぜか朝鮮から引き上げる時に、地元の学者や職人がついてきたが・・・貧乏な国に嫌気がさしたのかもしれない。
この時代の李氏朝鮮王朝なら、確かにまだ日本のほうがマシかもな、と現地の、特に平壌周辺の惨状を知った秀次は思ったので特に止めなかった。
鉄砲二万丁に国崩し二門、抱え鉄砲三百丁を置いて漢城を出る日本軍。
撤退のどさくさにまぎれてそれらを抱えて去っていくヌルハチの手の者。
無事にヌルハチのとこまで辿り着けるかちょっと不安だったが、まあそれくらい出来ないならヌルハチも統一などできないだろう、と忘れることにした秀次。
釜山で待っていた小早川隆景の水軍と合流し、津島級の輸送力を生かして撤退は速やかに行われた。
港での喧騒の中、秀次はまったく気がつかなかったが、彼は銃口に狙われていた。
狙っているのはかつて豊臣政権に征伐された雑賀の者である。
彼はとある者に手引きされ、この朝鮮の釜山にやってきていた。朝鮮侵攻軍の一員として・・・。
運悪く釜山駐留軍の一員になってしまったが、今、彼の目の前には豊臣政権の重鎮、豊臣秀次の姿があった。
物陰から射線を定める。彼にとって外す距離ではなかった。
引き金をひこうとして・・・彼の意識は闇に落ちた。
刺客の意識を刈り取った男は一見して水夫にしか見えなかった。
男は手早く刺客を大きな袋に放り込み、刺客の持っていた鉄砲と石を共に詰めて静かに海に沈めた。
「完了」
そう呟いて男は他の水夫達の仕事に混ざっていった。
当然、風魔の者である。
報告を受けた秀次は騒ぎにならないように処理してくれ、と頼んで対馬への帰路へ着いた。
津島級に徳川家康と共に乗り込んでの帰国である。
周囲は徳川の兵ばかりだったが、特に気にしてはいなかった。家康がここで秀次に何かするような男なら、もっと早くに戦国の波に飲まれていただろう。
事実、家康は秀次と談笑しながら船旅を楽しんでいるようであった。
家康は考える。豊臣家の中で茶々が何かを企んでいるのは間違いないと。
果たしてその混乱に乗じて徳川家が天下を取れるだろうか?
秀次には声望と人望がある。もし茶々が幼児を押し立てて彼を排除しようとすると・・・彼がおとなしく殺されるはずもない。
おそらく兵を挙げるだろう。そうなれば徳川家は秀次につくべきである。縁戚であるだけでなく、茶々についても利益は無に等しい。
そんな軽挙に出るような女に自家の運命を託せはしない。
茶々についたとして、秀次を討てればよい。その後、茶々と幼児を排除して実権を乗っ取るのは不可能ではあるまい。
しかしまず秀次が討てるかどうかである。勝算は低い。その上、仮に討てたとしてその後どうなるか。
茶々と幼児を利用して権力を固める・・・それにはおそらく大きな反発が伴う。
奥州の伊達、九州の島津、関東の上杉、中国の毛利、その他の大名も徳川への反発を理由として領土拡張争いを再開しかねない。
先の四家と徳川の実力は石高だけならそれほど差はない。京に近いのが利点だが、伊達と島津は遠隔地開発が軌道に乗れば徳川だけでは手に負えなくなるだろう。
しかも、伊達などは自分より遥かに若いのだ・・・もう一度戦国時代に戻れば、若さが武器となろう。自分亡き後、秀忠では戦国時代を生き抜けない。
ならばどうするか。このまま座していれば徳川家は豊臣政権の中でも重さを失いかねない。
茶々にはつけない、ならば積極的に秀次を支援し、秀次に豊臣家を継いで貰うほうがよい。
秀次との結びつきは小松姫に嫡男が誕生したことでより強くなっているが、まだ足りない。
より絆を深める必要がある。そう、自分亡き後の徳川家を豊臣政権の中で筆頭格に保つために。
前田家などより先に手を打つべきだ・・・そう考えた家康は秀次に内々に話をする。
秀次の嫡男と秀忠の娘の婚姻はこうして船の上で決まった。
秀次が豊臣家を継げば、その嫡男は当然次の天下人である。
天下人の正妻の座を徳川が占めていれば、徳川家は安泰であろう。
この婚姻がなれば、徳川家にとって邪魔な者は一人。
むしろ積極的に追い込んで激発させるべきか。自分もどれだけ生きられるかわからないのだ。
家康はその夜、船室に本多正信を呼び遅くまで話し合っていた。
秀次が名護城へと戻った頃。
大坂城では秀吉の容態が少し悪化していた。
その様子を冷めた目で見ている女性が一人。
(早く死ぬがよい、猿・・・)
もう待てないのだ。このまま放っておけば、我が子が元服する頃には体制が固まってしまい、自分が権力を握ることなどできなくなる。
(お前が死ねば後は秀次だけだ。当主となったわが子の最初の下知として秀次を殺す。
そうすれば最早我が天下も同然。我はもう誰にも縛られることはないのだ。私が天下人だ!)
冷めた目の中に僅かな炎の色がある。
(だから死ね、猿。私の体を十分に堪能したであろう。それだけでお前は果報者だ)
侍女の大蔵局が入手した南蛮渡来の毒を飲ませたのだ。助かることはないはず。
茶々は自らの勝利を確信していた。