「では秀頼様はお出でにならないと?」
石田三成が大野治長に詰め寄る。
「た、体調がすぐれぬゆえに外には出せないと茶々様が・・・」
三成に詰め寄られている大野治長は冷汗をかいていた。
太閤秀吉の葬儀。当然ながら喪主は幼い秀頼である。当主であり世継ぎなのだから。
秀頼は誰かに抱かれて座っているだけでいい。名代の秀次が他は取り仕切る。それが当然である。
しかし、秀頼は体調が悪いので葬儀には出れないと大野治長は言う。茶々が秀頼を表に出したがらないのだ。
たとえそれが葬儀といえども、秀頼が害される危険があると茶々は癇癪を起こして聞かなかった。
なので大野治長が説明に来ているのだが・・・。
「動くことすら出来ぬほどの重症だと申すのか? それならば法医殿にお見せするのが当然ではないか」
それをしていないのはなぜか、と詰め寄る三成。
元々理屈が通らぬこと、ごまかしや嘘を嫌う男として有名である。
筋が通らぬ事を通すことは、ことこの男の前では不可能であった。
大野治長は必死に弁解するが、元々茶々の癇癪と被害妄想から出た秀頼の仮病である。
三成相手に通るようなものではなかった。
結局もう一度聞いてまいります、と大野治長は慌てて部屋を出て行った。
太閤秀吉が亡くなって、当然まずは葬儀を行わねばならない。
史実では最後まで秀吉の葬儀は行われなかったが、今は李氏朝鮮とも休戦しているので特に問題はない。
つつがなく葬儀は執り行われるべきである。
奉行の前田玄以が高野山など各宗派の名僧ばかりを集め、千人以上の僧が経を上げることになっている。
朝廷からも供養のための僧の派遣が決まっており、天皇陛下自ら葬儀に参列することが発表されていた。
武家、朝廷の貴人だけでどれだけの人数になるであろう。史上最大の葬儀と言える規模になることは間違いなかった。
関白として、秀頼の名代として秀次は悲しみに沈む暇もなく動き回っていた。
朝廷への挨拶だけで百人近くの人に合わねばならず、墓所は決まっているがそこに寺を新たに建立せねばならない。
全国の大名やその配下の武将、大商人などが続々と大坂に集まっておりその応対も秀勝と秀保、秀秋にだけ任してはおけない。
そんな時期に茶々は大野治長を通じて様々な要求をしてきていたが、全て石田三成が拒絶していた。
どんな要求であろうとも三成は筋が通らないことは受け入れない。それは彼の性格と奉行としての責任感でもあった。
結局、葬儀には秀頼は出ることになった。当たり前といえば当たり前だが。
大野治長は茶々を必死に説得。秀頼様がご出席なさらないのであれば、秀次様に名代として喪主になって頂くことになります、と説いたのだ。
秀次が名代として葬儀上とはいえ豊臣の権力者として振舞うのを嫌った茶々が、ようやく秀頼を出席させることに同意したのだ。
大野治長、石田三成共に無駄な労力であった。
大野治長は葬儀には出ない。正しくは出られない。官位もなく秀吉の馬周りの一員でしかなかった彼に参列の権利は無かった。
彼自身はそれを当然と理解しており、他の馬周り衆と共に大坂城や周辺の警備につくつもりであった。
秀頼は出席するが、母の茶々は出席できない。秀頼を抱いて喪主の席に座るのは北の政所である。
この辺りでも茶々の癇癪は爆発したのだが、どうすることも出来なかったので諦めたようだ。
葬式は壮大なものになった。
生前派手好きで通った秀吉の葬儀である。豪華で華麗な葬儀が執り行われた。
喪主の席に座る北の政所、その膝の上に秀頼。
その横には秀次がおり、豊臣家は健在であるということを内外に示していた。
葬儀が終わり、朝廷より神号を賜った豊臣秀吉。
一つの儀式が終わり、豊臣秀吉は豊国大明神となった。
秀次は葬儀の後、北の政所から出家の意向を聞きその手配をした。
太閤の側室だった者は出家するか実家へ帰るか・・・そのどちらかを選択するのが普通である。
北の政所が出家し、その菩提を弔うとした以上、茶々も出家させるべきであった。
形式上は秀頼の母は北の政所である。正室であった女性が世継ぎの母になるのは武家のしきたりでもある。
本来であれば茶々には秀頼の母として振舞う権利もないはずなのだが・・・彼女は決して秀頼を側から離さずにこれからも育てていくと宣言。
筋違いである、と他の側室から陰口を叩かれても彼女はその意を押し通そうとした。
秀次が何を言っても聞き入れられない状態であり、秀頼を引き離そうとしても「病気だ」の一点張りで拒み続ける。
乱心てことにして押し込めてやろうか、と秀次も思ったが自分の関与していなかった秀吉の奥向きのことなので強く出れなかった。
北の政所や大政所が茶々を説得しようと試みるが、大坂城の奥に篭ったまま誰からの面会も拒否してした。
関白である秀次や大老の家康や利家の説得にも耳を貸さずに、利家などは早々に穏便な手段を諦めて「踏み込んで秀頼様をお助けするべきではないか?」とさえ言っていた。
太閤亡き後にすぐに騒ぎを起こすのはよろしくない、と家康が穏便に説得していたが、事態は膠着しようとしていた。
茶々は奥で秀次殿には謀反心がある、秀頼は殺される、彼を切腹させよと騒いでいるようだが、表に聞こえないように大野治長が抑えていた。
大野治長としても茶々には尼となって出家して貰いたい。正直、このままでは茶々は殺されることになりかねない。
尼になれば残りの人生を不自由なく過ごしていけるだろう。彼は茶々からは唯の種として扱われた男だが、彼なりに茶々を理解していた。
彼女は子供なのだ。その内部はわがままな姫の頃から成長していない子供。肌を重ねた彼にはそれがわかっており、それがまた哀れでもあった。
大野治長は栄達などそれほど望んではいない。茶々の侍女である大蔵局、自分の母から秘事を打ち明けられた時、確かに一瞬欲に目が眩んだ。
それも「ゆくゆくは産まれた子の家老としてやる」とそれだけの約束である。母も茶々も自分を買ったのではなく、裏切らない男なら誰でも良かったのだ。
しかし、今は彼女に情愛がある。他から見れば馬鹿な男と見えるだろうが、彼はなんとかして茶々を救いたかった。
そのためには出家して尼になるのが一番良いと毎日説得に訪れているのだが、彼女の目的は豊臣家の権力を手中に収めるのが目的である。
秀吉が死んだ今、秀頼が世継ぎであり天下人のはず。なぜ秀頼を秀次や他のものが自由にできるのか、と怒るのである。
正室の北の政所様が養育を、秀次様は秀頼様の後見人であり元服するまでの間、政事を行うのは太閤様の遺言でございます、と理を尽くして説得しても無駄であった。
しかも茶々の周囲には茶々の意見を後押しするような人々が存在した。
織田信雄など、秀吉の御伽集として捨扶持を貰っていた人々である。
彼らは茶々から秀頼の名が入った御行書を貰っているらしい。信雄などは尾張を貰うなどという約束まであるという。
信雄などはあからさまに「秀頼様は茶々殿が育てるのが筋ではないかな」と言って周囲を呆れさせていた。
信雄などが秀頼様の御行書を持っている。
話を三成に持ち込んだのは信雄と同じ御伽衆だった織田有楽斎であった。
有楽斎は茶々の叔父にあたるが、信雄などとは違い、乱世の流れを読んで渡ってきた男である。
馬鹿な空証文に乗って踊るような男ではなかった。
「多少強引でもよい、茶々を押し込めたほうが良いと思うぞ、三成」
三成を茶席に招待した有楽斎は茶を勧めながらそう切り出した。
「俺は茶々の叔父だが、あの女はいかん。典型的な独裁者・・・いや、それ以下だな。
ただのわがままな餓鬼だ。だからこそ、何をするかわからんぞ」
三成は黙って聞いている。
「秀次様は強く出れまい・・・徳川殿を含めた大老もな。
葬儀の時に秀頼の身柄を押さえておくべきだったな。最もこんな事態になるとは誰も思っていなかったが」
あの女があそこまで馬鹿だったとは、と有楽斎は独白した。
「・・・有楽斎様、茶々殿を押し込めるのは簡単です。しかし、豊臣は今、太閤がお亡くなりになって間もない。
もし茶々殿を押し込めるような真似をすれば、世間は必ず秀次様が政権を奪ったと見るでしょう」
世間とはそういうものです、と三成は言った。
「それに万が一・・・ということもあります」
それだけで有楽斎には分かった。
万が一、茶々を押し込める際にあの女が激情して秀頼を道連れに・・・などとなったらそれこそ一大事である。
つまり、茶々は自分の息子を人質に立てこもっているようなものであった。
「・・・なんとも馬鹿馬鹿しい事態になったものだな、三成」
さすがにそこまでしないだろう、とはまったく言えない有楽斎であった。
「だからと言って放っておくわけにもいくまい。
お前は筆頭奉行なのだぞ」
まあとりあえず報告はしたからな、と有楽斎は言った。
茶室を出て三成は詰め間に戻る間に頭を高速で回転させていた。
今のまま放っておくわけにはいかない。が、現状では手詰まりである。
世間的に見れば茶々が我が子を手元に置いているだけ・・・決して自分の息子を人質に立てこもっているなどとは見ないだろう。
万が一、秀頼様に何かあればどれだけ秀次様が正当な行為を行っただけでも、豊臣政権に傷がつく。
太閤様が亡くなったばかりの今、それは避けねばならない。
茶々殿がどれだけ筋の通らぬことを行っていたとしても、秀頼様を手元に置かれている以上うかつに手は出せない。
大老と奉行を通していない御行書などいくら発行されても無効だが、それに踊らされる輩が出てくると面倒になる。
早くなんとかしなければならない。しかし、力押しが無理であり、大老と関白の命にも従わないとなると難しい。
どうするか。何が手を考えなければならない。
茶々殿を説得するのは不可能と見るべきである。それが可能ならこんな事態にはなっていない。
秀頼様を茶々殿から引き離す。それが出来れば苦労しないが・・・。
それが無理となれば発想を変える必要がある。
秀次様が忍城で見せた時のように。力攻めが無理であり、堤防を築いての水攻めも破綻した状況で自ら堤防を決壊させて城壁を爆破する機会を作った。
城攻めは兵糧攻めや水攻めのように時間をかけて落とすか、力押しなら城門を破るか城壁を乗り越えるしかないと思ってが、あの方は城壁を爆破して降伏させた。
前提条件を覆すやり方は太閤様も得意としたところ・・・豊臣政権の存続と天下泰平のために自分に何が出来るかを考えろ。
そこまで考えて三成にある閃きがあった。
これならいけるかも知れない。茶々殿の妄執を排除して尚且つ豊臣政権に傷がつかないように動ける可能性はある。
しかし問題もある。一歩間違えれば破滅への道、ようやく落ち着いた天下がまた戦乱に戻りかねない。
戦乱の世に戻さないように、秀次様が確実に動けるようにするには・・・。
事態がややこしくなってしまったため、大老や秀次が頭を悩ませている頃。
三成は秀次に一つの案を出した。
「大名達を国へ戻す? 大坂が空になるぞ、三成」
三成が秀次に言ったのは、国の政務が滞っている大名達をいつまでも大坂に置いておくことはできない。
よって一度国へと戻る許可を出すとの事である。
「確かに太閤様が倒れられて以来、ほとんどの大名は国に戻っておらず政務が滞っているが、今はそれどころじゃ・・・」
そもそも、それって家康が史実で関ヶ原の前にやったことじゃん、と思う秀次。
なおも三成は秀次を説得する。
このままずっと大名達を大坂に留めておいても事態が好転することはない。ならば落ち着かせる意味も含めて国に戻すべきだと。
「・・・まあ、確かにそうだが。一度帰国の許可を出さないと自分の領地が安定しないと不安になる奴もいるか」
そう考えて秀次も帰国の許可を出すことにする。
秀次は帰国願いを申し出た者だけ帰すことにしようとするが、それを三成が止めた。
全ての大名を帰国させるべきである、と。それは秀次様も例外ではない。秀次様が大坂にいる限り、遠慮して帰国できない大名が続出するだろうと説得する。
「それは分かるけど、今俺が帰国したら・・・」
茶々が何をするか分からない、と秀次が言うが三成は明確に答えた。
自分の領地は大坂に近いので、自分が大坂に残ります。奉行筆頭として政務を取り仕切り茶々殿の勝手にはさせませぬ。
国許での仕事が片付いたら、私が交代で自分の領土に帰ればいいだけです、と。
それに茶々殿がこの機会に何か事を起こせばそれを理由に今度こそ退かせればよいのです。それで世間にも理由が立ちましょう。
最も、私が残る以上何事も起こさせない所存であります、と三成は言った。
「・・・お前、何か企んでるだろ」
人聞きの悪い事を仰らないで下さい、と三成は苦笑した。
「まあいいけど・・・今の茶々は何するかわからんぞ。
やばくなったら直ぐに大坂から退去しろ。前田殿の領地でも俺の領地でもさっさと逃げ込めよ」
お言葉、ありがたく頂戴いたします、と言って三成は退出した。帰国の許可を出すために自分の詰め間に戻ったのだ。
ほんとに大丈夫かなあいつ、まあ茶々に出し抜かれるような男じゃないか・・・と秀次は思った。
この時許可を出した事を、秀次は後に死ぬまで後悔することになる。
大名に帰国願いが許され、奉行筆頭の石田三成以外の者は各々国へと戻っていった。
秀次もいなくなり、いよいよ我の天下だと喜んだ茶々だが、彼女の要求は全て三成にはね付けられた。
信雄を大名に戻すことや秀次を蟄居させよとの命令があったがそれを恐る恐る伝えに来た大野治長に「茶々殿にそのような権利はない」と伝え、まるで相手にしなかった。
茶々は激怒して奉行の任を解く、これは秀頼様の命令だと言い募るが「秀頼様の命令というが、その下知聞いておらぬ」とこれも相手にしなかった。
三成はこの女はやはり取り除かねばならぬ、と心に改めて誓うのみだった。
ほぼ全ての大名を大坂から送り出した三成は北の政所と朝廷を動かす。
秀次様のご所望です、と京都の聚楽第で天皇主催による茶会を開かせたのだ。
当然嘘だったが、筆頭奉行の彼には秀次の名を使って朝廷に働きかけることくらい、その気になればいくらでも出来た。
招かれる客は大坂に人質として残っている大名の女房達と、北の政所、大政所を含めた豊臣家の女性達である。
当然茶々にも招待が届くが病と称して動かなかった。自分がいない間に三成が秀頼を奪うのではないかと疑ったのだ。
(かかった・・・)
大坂の町から僅か数日とはいえ、大名の女房と豊臣家の女性が消えた。そして、茶々だけが残った。
聚楽第での茶会の警備は腹心の島左近に任せてある。彼ならば安心できる。
(関白、大老の言に耳を貸さないばかりではなく天皇陛下からの招待も断った。もはや天下のためにも茶々殿を討たねばならん・・・。
後は、秀次様と諸大名が動けるだけの大義名分のみ)
よほどの大義名分がなければ、秀次は動けない。茶々だけならどうにでもなるが、世継ぎの秀頼が側にいるのだ。
(その前提条件を覆すほどの変事ならば秀次様も動ける。そう、秀頼様を排斥するのではなく天下のために討つ大義名分があればよいのだ)
幼児である秀頼を人質に取られていると考えるなら、その人質の価値を失くすことで前提条件は覆る。
秀頼を討つのもやむなし、との世の流れを作ればよいのだ。
(大名達が秀次様に味方するのは間違いないが、それでも妻が大坂に人質に取られればまずいことになるかもしれない。
秀次様に従って大坂を討っても、自分の家族が殺されれば恨みが残りかねない)
だからこそ、天皇陛下を動かしたのだ。
その日、まだ日が頂点に届かぬ頃。
三成は大野治長ではなく、それ以外の茶々の近侍の者を呼びつけた。
やってきた者に三成は要件だけを伝えた。
「今すぐに秀頼殿を引渡し、茶々殿は剃髪して尼になるべし。これは筆頭奉行としての命令である」
強い命令口調で伝える三成。呼びつけられた者は慌てて茶々に伝えに走った。
(これでいい)
大野治長では言葉をそのまま伝えずに手元で握りつぶしてしまうかもしれない。しかし、あの者ならそのまま茶々に伝えるだろう。
果たして報告を聞いた茶々と周囲の者は激昂した。
大老や秀次ではなく三成という彼らから見れば小物にそのように命令されたことも怒りに拍車をかけていた。
茶々は怒り狂い――いつものように切腹を申しつけよ、切腹じゃ、これは秀頼様の命ぞと叫ぶ。
近侍の者は急ぎ戻って三成にその件を伝えた。
いつもの癇癪だ、とその近侍の者は思って言葉を伝えてさっさと退出した。
三成は側にいた茶坊主にひどく落ち着いた声で言った。
「我はこれより切腹する」
茶坊主が眼を見開いた。
いつもの茶々様の癇癪でございます。お聞きになることはありませぬ、と言ったが三成はそれに答えずに言った。
「ついては、この書状を持って走れ。城下の関白様の屋敷には風間家の者がいる。その者に渡すのだ」
急げ、と茶坊主を追い出す三成。
一人になった詰め間で彼は置いてあった脇差を引き寄せ、ゆっくりと抜いた。
かつて秀吉から拝領した正宗である。
「秀次様、勝手ながら後を頼みました。
清正、正則、すまぬが先に太閤様に拝謁しに行くぞ」
大野治長は近侍の者から事の次第を聞いて走っていた。
筆頭奉行の三成殿に弁解せねばまずい。はっきりとした命令を、その権利もなく拒絶したのだ。
なんとか弁解してとりなさねば・・・。
「大野治長でございます。石田殿、失礼いたしまする」
返事がない。この時間なら詰め間にいるはずである。
石田殿がいなくても茶坊主くらいいるはずであるが・・・。
「失礼・・・」
不審に思いふすまを開ける。
そこには、短刀で腹を切った三成が倒れていた。
大野治長の視界が絶望に染まった。