「ああ、茶がうまい・・・さすが古田殿、絶品ですな」
抹茶がこれほどうまいとは。この時代に来て良かったことの一つだな。現代の抹茶とは比べ物にならん。
「お気に召されて恐悦至極です。秀次殿」
この古田織部守が入れるお茶がうまいのなんの。やっぱ名人っているんだな。現代では紅茶の良し悪しすらわからんかったけど。
姫路まで大軍率いてやってきたけど、今は渡海作戦が進行中である。黒田孝高が先に先行部隊を率いてわたってるけど。
黒田さんは先行部隊だけで十分落とせると言ってたな。まあ、なんせあの黒田官兵衛だ。楽勝だろう。
俺は姫路から兵站をしっかりやってればいいらしい。今回は楽だ・・・。黒田さんに感謝だな。
別働隊の総大将なんぞ俺には似合わんっつーの。
ちなみにこの古田織部守は俺が特に言って残って貰った。ゆっくり茶くらい飲みたいのよ、俺だって。
淡路から攻めてる秀長さんは生涯初の大軍の大将に大張り切りらしい。すごい勢いで阿波まで進撃してる。
「いや、古田殿の茶はまことにうまいですな」
同席してる前田利家のおっさんもご満悦だ。北陸切り取り合戦で領地が増えたから機嫌がいい。
しかし、姫路か。現代よりもこの時代のほうがより栄えてる感じがするな。
まあ、この時代は港がある街がやっぱり商業的には発展しやすいな。ここには姫路城があるし、守りも万全だしな。
今の姫路の主は木下家定だが、この四国征伐が終われば諸侯が待ってる論功行賞が行われる。
そうなると、誰かに播磨一国任せてもっと大々的に地域振興を行うのがいいだろうな。秀吉に言っておこう。
「前田殿も佐々の討伐、ご苦労様でした」
「いやいや、秀次殿からの切り取り放題の書状が来てから、家中の者たちが張り切りましてな。特に佐々から降ってきた者たちが旧領をどうにか確保しようと躍起でしたわ」
豪快に笑ってるが、上杉との切り取り争いは熾烈だったようだ。特に、景勝と直江兼続が先頭に立って進撃してきたらしい。
直江兼続に上杉景勝、それに前田利家か・・・ほんとに俺って今、安土桃山時代にいるんだな・・・。
秀吉の話だと、来年の春には九州征伐へと赴くつもりらしいから、四国征伐はさっさと終わらせないとね。
「毛利も伊予へと攻勢をかけているようですね」
古田さんが新たな湯を沸かしながら言う。
「ええ、小早川隆景が総大将となって攻めています。讃岐へは黒田孝高と宇喜田秀家が、淡路から阿波へは秀長様が自ら進軍しています」
動いてる軍の総数はおよそ十万ってとこか? 姫路の俺が持ってるお留守番部隊を合わせると十五万近い数になる。
長宗我部は諜報によると多くて四万ってとこらしい。それを三方から同時に進行してくる部隊の迎撃に当てないといけないとはね。
敵ながらちょっと可愛そうだ。まあ、しょうがないのだが。
秀長さんの部隊には三好の父ちゃんも加わってる。もうあんまり旧領を回復したい気分はなく、京で半隠居生活を送りたいようだが。
まあ、隠居生活の年金を稼ぐと思って頑張って貰おう・・・俺の相談役でもあるわけだし。
「失礼致します」
そう言って茶室に入ってきたのは田中吉政だ。
「吉政か、どうした?」
「小早川殿が金子元宅を討ち、伊予を平定したとの報が届きましてございます」
噂をすれば、だな。
「さすがに毛利の誇る知将じゃ。わしら留守居役の出番はないの」
がはは、と豪快に笑う前田のおっさん。
うーん、黒田さんがそんなに数は必要ないと言ってたから前田のおっさんと細川忠興を後詰に置いておいたんだが、出番はないな、こりゃ。
七本槍は勇んで黒田さんについていったけど、手柄立ててるのかね・・・特に且元とか武則とか地味な連中。
俺の直参連中は姫路でお留守番である。可児は戦場に行きたかったらしいが、俺の護衛でもあるからな。
兵力は温存したまま九州へ行けるな。島津はしゃれにならん。西国最強の兵だし。鬼だし。
俺も今から九州征伐を考えておくか。絶対に俺も行くことになるだろうし・・・。
秀次が姫路でぼんやりと過ごしている内に、小早川に続いて黒田考高率いる別働隊が讃岐を制圧。長宗我部は土佐まで戦線を後退させる。
阿波の白地城まで秀長に落とされた状況では、土佐の国境で食い止めるしか手はないだろう。最も、すでに戦線は決壊しているが・・・。
その後、一月ほどで長宗我部は降伏。史実通り、長宗我部元親の三男を人質に土佐一国のみを安堵されることになる。
長宗我部を降し、諸侯は大坂に集っていた。
大坂城、大広間にてこれから秀吉による論功行賞が行われるのだ。
この時代、主な報酬は三種類ある。すなわち、
・新たな領土(石高が増える。正し石高は増えても国替えにより重要な場所から追いやられる場合もある)
・報奨金
・名物・名刀などの価値ある物での報酬
これらが功績により渡されるわけである。
大きな手柄のあった大名クラスには主に領土が、同じく大きな手柄のあった直臣にも領土が与えられることが多い。
特に名のある将を討ち取った者や調略によって城を開城させた者などには報奨金や名物が送られることが多い。
今回の論功行賞は小牧・長久手から四国征伐までの長い期間でのものになるため、皆色々と期待していた。
「皆のもの、大儀であった。四国も落ち着き、いよいよ来年は九州ぞ。さらに励むがよい」
秀吉の口上により、一人ずつ発表されていく。
秀吉自ら行うことにより、ありがたさを増そうというつもりなのである。
まず、義理の弟であり長年秀吉の補佐を勤め、陰ながら支えてきた羽柴秀長。
紀伊・大和・和泉を与えられ、百万石を超える大名となった。
官位も従三位権中納言となる。
そして、次に評されたのが羽柴秀次。
秀吉の甥であり、長久手の戦いにより東海一の弓取りと言われた徳川家康を撤退に追い込み、その後雑賀・根来攻めを主導し四国征伐では後詰を勤めた。
秀次は史実では俺は近江か~とのんきに構えていたのだが、秀吉の中での秀次の重要性はいよいよ高まっている。
とくに長久手により軍事的名声をも得た秀次は、家中の要となる存在であった。
「秀次には尾張・美濃・伊勢・伊賀を任せる」
なんと、織田家が所有していた尾張や伊勢を含め、四カ国を拝領したのであった。
さらに名物十四種、名刀三振り、名器四種を下賜され、官位は従四位下右近衛権少将となった。
なんかめっちゃ出世した! すげぇよ俺!
尾張と美濃と伊勢と伊賀・・・総石高どれくらいだよ、想像もできん・・・。
てか秀長さんより多いじゃん! いいのかよ。まあ、京周辺三カ国を貰った秀長さんも凄いけど。
そういや今まで無官だったけど、いきなり少将様ですよ。朝廷を抑えてるとはいえ無茶するなぁ。
近江じゃなかったけど、問題なしだな! 少しは贅沢しても怒られなくなりそうだ! 果物とかいっぱい食べよう。
秀次が舞い上がってる間にも論功行賞は続く。
主なところでは、福島正則と加藤清正はそれぞれ五千石の加増。
他の七本槍は三千石の加増となった。
四国征伐にて得た国のうち、伊予は小早川隆景に、讃岐は仙石秀久に、阿波は蜂須賀家政が封じられた。
佐々成政の領地は上杉景勝と前田利家が切り取った分をそのまま領地に組み込み、他の地域は直轄地とした。
宇喜田秀家は備前一国を任される。
播磨は秀吉の直轄地として残った。
なお、信雄は秀吉の御伽衆として捨扶持五千石を与えられた。
思わぬ大封を得た秀次。
ひとしきり舞い上がった後、九州征伐の前に彼は領地経営に乗り出すことになる・・・。
そして、秀吉は一つのことを考えていた。
秀次の正室である。これまで、あえて秀次には嫁を取るように言わなかった。
秀次の才能を見た上で、ある程度政権が安定してからより政権を強化するために政略結婚させようと思っていたのだ。
秀吉にはすでに相手が内心固まっていた。それを秀次が知るのはまだ少し先の事である。