眼下の景色は流動していた。
いつも見ていた家や外壁や電柱が、一体となって流れていて、それが生き物のような感じがして、無意識に龍の背を連想していた。そうだとしたら、頭はどこになるんだろうかと細かなディテールを考え始めた時、体が持ち上げられた感覚があって、周ははっとした。
そうだ、私連行されてるんだった――ほんの数分前なのに遠い過去を思い出すような感覚。
不必要な非日常に圧迫されて思い出すのに時間がかかったのか、それとも思い出すことそのものを拒否しているのか真相は定かではないが、しかし思い出してしまった物は仕方が無いと周は小さくため息を漏らす。
「ねー、まだ着かないの」
頭を持ち上げ丈瑠の方を向く。
「もう少しだ」
丈瑠の返事の中に感情の起伏は無かった。これもその原因かも知れないと周は感じていた。AIのような定型文の答えが返ってくる。この先に何があって誰が待ち構えているのかそのすべてが見えてこないから、尋ねることはやめて流れに身を任せていた――淡々と過ぎる時間の中で脳の動きも鈍くなったのかもと自分を強引に納得させる。
それならば妄想力でも鍛えるかと再び視線を下に落としたとき、途端に流れが止まりがくんと周の体が大きく揺れる。直後、周の体を支えていた腕がのけられ、地面に水平だった体が垂直になる。
「着いたぞ」
「……もうちょっと丁寧にできないの?」
「落とされなくて良かったな」
「答えになってないわよ」
「ま、まあそう怒らずに、そういうアトラクションだと思っちゃえばさ」
フォローのつもりで言葉を掛ける亜門。しかし周の低い声色と正面を向いたまま視線を動かさない丈瑠とのさめた空気に言葉は弾かれた。亜門もそれを察したのか、それ以上喋ることはなく正面をむき直した。ほとんど同時に丈瑠を睨んでいた周も前を向いた。
三人の視線の先にあったのは民家だった。目立った特徴も無い二階建ての民家。鉄筋コンクリート造りの、外壁の白壁にところどころ汚れがあって、ベランダが付いている。家の佇まいを見て拍子抜けする周とは対照的に特段驚く様子もなくドアに手をかける丈瑠と亜門。
「ちょっと、ここでほんとにあってるの?」
当然ともいえる疑問だった。いきなり連れ去られたかと思えば、行き着いた先がただの民家という結末である。例えばこれがビルであるとか、あるいは一目でそれっぽいと思わせるような建物であればまだいくらか状況を飲み込むことも容易かっただろう。
しかし、現実に周の目に映るのは普通の民家である。
「こんな、友達の家に遊びに行くんじゃないんだから――――ってちょっと!」
呆れた様子の感想などには聞く耳も持たず丈瑠と亜門は玄関を開け中に入っていく。慌てて周も後ろをついて行く。扉がかちゃんと閉まる。
部屋の内装も予想通りだった。土間も、二階への階段も、リビングへとつながる廊下と扉でさえもそのどれもが予想の範囲内であり、新鮮味はなかった。三人は靴を脱ぎそろえるとそのままリビングへとつながるドアに向かう。
「え、、この奥に誰かいるってこと?」
「奥にいると言えばいる」
いまいちキレの悪い丈瑠の返答に怪訝な表情を見せる周。続けて
「もしかして、お、お母さんに会わせようとしてる? そんなだったらすぐ帰るからね」
「そんなわけないだろうが!!!」
などと冗談交じりに話しつつ、突然扉の前で二人は歩みを止めた。後ろを付いてきていた周は困惑し、二人の間から様子をのぞき込む。しかし、突然立ち止まるような異変はそこにはなく、それが周の理解を更に苦しめる。
「急にどうしたの? はやく開けなさいよ」
「そのまま開けても意味ないんだよ」
「意味ない? 意味ないってどういうこと?」
丈瑠の言葉が指す意味がよく分からない周は、至極当然の行動として扉のドアに手を掛けそのまま開けた。その先にあったのはリビングで、右手にはソファとテレビが、左手にはキッチンが備え付けられている。生活の気配が感じられないほどに整えられたその空間には、同時に人の気配も感じられなかった。
「あれ……誰もいない」
「だから言っただろ、そのまま開けても意味ないって」
気だるそうな言葉と共に扉を閉める。
「とりあえず、花宮、下がってろ」
「え、あ、うん」
言われた通り最初の位置に戻る周。再び丈瑠がドアノブに手をかける。
「"接続"一番通路」
丈瑠の放った言葉は廊下にこだまして消えた。
「……何か変わったの? これで」
「大丈夫、これが正規の方法だから」
周の気持ちを知ってか補足する亜門。今度はその言葉が届いたのか、周は落ち着いた様子で目も据わっていた。丈瑠は扉を開き、奥へと歩みを進める。残りの二人もそれに着いていく。
扉の先は蛍光灯がまばらに光を放ってはいたが、それでも全体的に薄暗い光景だった。
全体に広がる薄闇と目視できる範囲に出口らしきものが見当たらず、周は生唾を飲み込む。踏み出すのをためらうがしかしここまで来て引き返すわけにもいかず、先行する二人を追いかける。
二人に追いついた周。通路の幅は広く、自然と三人は横並びになる。弾む呼吸を整えて、周は二人に話しかける。
「ここってどこなの?」
「通路」
「……そうじゃなくて! 全体の話をしてるのよ」
「全体って……なあ」
「んー、本丸って言い方がベストかな」
返答に窮する丈瑠の代わりに答える亜門。その返答を受けて、周は改めて周囲を見渡す。まず目に入ったのは剥き出しの配管だった。大きさ、形、長さがてんでバラバラなそれが、上下左右に張り巡らされている。そして迷路のように複雑で入り組んだ配管の、その隙間を縫うように細い線が通っていた。配線だった。蛍光灯の明かりはここから来ていた。
立ち止まって周は壁を伝うそれらに指先を沿わせた。ごつごつとした手触りと入り組んだ配置を眺めていると、ここが巨大な生物の体内なのではないかと錯覚してしまう。手のひらが触れているこれが、ゆっくりと胎動(うご)くのではないかとも思ってしまう。
亜門が言った本丸という言葉を今一度脳内で反芻する。手を離し、駆け足で再び二人のもとへ。