11/ガールズ・アクティビティー ずしん。 拳に響くのは重い衝撃。訓練校に来て二ヶ月半、初めての感触だった。 的確に腹を捉えた打撃は、魔力強化をしていても所詮は九歳児の腕力。大したダメージを与えることはなく、俺が殴った人物は構えを解いて、俺の頭を乱暴に掴んだ。 いやぁ、さすがにここまで堪えた様子が無いとショックだね、わりと。「合格」「……ん」 納得いかねぇ。もう一回やらせろ! なんてことは死んでも言わない。コレで合格とかラッキッキーなら言ってやってもいい。 俺はね、少年漫画の主人公をするにはちょっと中身がおじさん……いやお兄さん過ぎるからな。少年漫画好きだけど、暑苦しくて大好きだけど、自分がやるって言うなら話は別ですよ、別。 んでも、やっぱり気になったりならなかったり。 どう考えても、まぁ、合格“させてくれた”んだろう。だって今までの突撃となんら変わることなかったし、ハンデもらったにしても出来すぎてて。いつもは膝のカチアゲを食らうタイミングで、それを今日はどうにかこうにか避けてやる算段で来たんだけど、こなかったし。膝上がってこなかった。意表を付かれながら、ワンテンポ遅れて拳を突き出したら当たった。……まぁ、勝った気はしないよね。 わっしゃわっしゃと髪の毛をかき乱されて、頭撫でられて。「合格だぞ。嬉しくないのか?」「そりゃ嬉しいけどさ……、情では動かない鉄の女じゃなかった?」「今日の私は情けで動く綿毛の女さ」 そりゃそりゃまた。「……いい女だね、センセ」「最高の褒め言葉だよ、プロダクト」◇◆◇「聞いているとは思うが! 卒業試験を受けるには私に一発くれてやらなければいけない! ……ほらそこ、聞いてるの!? ディフェクト・プロダクト!!」「聞いてると思うがって言ったじゃん。ホントに聞いてんだからそんな説明要らないよー」「それでも説明せねばならんのが教員なの。まぁ黙って聞け」「あいあい」「んーまぁ、魔法使っていいから。それで私に一発当てるように。ああ、一発って言ってもちょこんと触るくらいじゃ駄目だぞ。ちゃんと一発。はいじゃあ張り切っていこうか」「あいあい」 俺さ、この一個前のステップで大分時間消費してっからさ、皆と足並みそろって無いんだよね。だからやられた瞬間『次、ディフェクト・プロダクト』みたいな謎の現象が起こってた訳であります。 けれどもこの なのセンセ、なかなかやり手なのか、俺以外の生徒もここで躓いている様子。今現在卒業試験の受験資格を得たものはたったの四人。 まぁ、なのセンセは本当に情に厚い人らしく、卒業試験が近づいてくるたびに弱くなっていくらしいけど。わざとらしく『おなか痛いなー今日は!』とか『うぅむ、右目の調子がおかしい。今日の死角だな』とか『やる気が出ないな。今日は隙が多い気がする』とか言うらしい。 ……見てみたい。かなぁり見てみたいよコレ。スーパー見てみたいなのセンセだけど、「ハイ次ー、ディフェクト・プロダクト」 魔法使っていいって言われたらさ、こらもう速攻でしょ。「よし、どっからでもかかってこい!」 よし、ホントにどっからでもいっちゃうぞ。「シェル!」『イエス・マスター』 右の拳を前に突き出して、訓練校に入って初めてリンカーコアが騒ぎ始めた。 どくんどくん。というよりも、どかんどかん。 魔力は胸の中で爆発して、腕を通って、シェルへと届いて。金色の、目視は中々難しいけれど、太陽光をキラキラと反射しているシェルの根っこ。腕に絡み付いて、俺の魔力を吸い取って、形作るのはファーストフォーム、「からの!」『セカンドフォーム』 カートリッジロード。 バシャ、バシャ。 二発分の魔力を更に送り込む。最初にファーストフォームを作ったのはアレだね、俺、精神感応性物質変換能力(アルター)のことレアスキルとして申請して無いからね。ばれたら怒られちゃうからね。セカンドはアルターかカートリッジ使わなきゃ出来ないからね。 まぁとにかく。 軋む様に腕は熱を持って、痛みは大分なくなったけれど、圧迫感がヒドイ。ぎゅうぎゅう締め付けてきて、痛気持ちいい感じ。セカンドフォームの形成。顔の右半分に鋭利的な半仮面。右腕を覆うのはごんぶとの手甲。背中からは丸みを帯びた出来損ないの翼を用意。 ゆっくり、回る、ひゅん。背中で。 徐々に、速く、ひゅんひゅん。アクセルホイール。 さらに、回って、ひゅんひゅンヒュン! 風を切るようにヒュンヒュンヒュン! 「なのセンセ! 俺さ、ちょっと急いでるんだよね! 色々考えたい事あって、なんていうの、時間が無いわけ!」「はっは! 面白いことを言う!」「だからさぁ、一発で沈めるけど! 文句は聞かないかんね!」「やってみたまえよ君ィ!」 なのセンセが繰り出したデバイスは、シールドの形をしていた。珍しい。攻撃じゃなくて、防御が好きな人なんだ。こりゃもうドM確定だろコレ。まぁ見た感じMだしね。頭の後退具合もMな感じだし。 左足を前に出してアクセルホイールを宥める。力をためるように、弓を構えるように右の拳を引いて。突き出した左手の人差し指と親指の間になのセンセを……ロックオン! 空気をズパズパ切り裂いて、高音を排出しているホイールが『───Acceleration───』爆発を起こした。 空気の層をぶち破り、超高速の中右の拳を突き出して、バリアもプロテクションもフィールド系の防御術式だってぶち抜いて!「シェルブリットバァストォオ!」『───burst explosion───』 当然、結果は皆様のご想像の通り。 俺を誰だと思っていやがる! ひゃっひゃっひゃ!! ……いや、ちゃんと勝ったよ? ちゃんと勝ったからね? アレだな、ご想像の通りとか言ったらまともに勝ってるイメージねぇな、俺。◇◆◇ りんりんりんと虫がなく。 いやはや、今年はツクツクボーシが鳴く間もなく秋の到来である。毎日毎日暑いなと思っていたら、急に夜の肌寒さが襲ってきた。気が付けば季節は変わり始めていて、もう目の前には冬が待っているではないか。「はやいなぁ」 庭先でお月様を眺めながらはやては呟いた。 ヴォルケンリッターという家族を召喚してからもう数ヶ月がすぎようとしている。相変わらず毎日は楽しいし、幸せ。夏にはバーベキューをしたし、花火もした。もう少し秋が深くなったら紅葉を見に行く計画も立てた。もっと小さな頃から縁がなかった家族旅行である。毎日毎日楽しいし、幸せ。 冬になったら何をしよう。春になったらどこに行こう。 いつも寝る前なんかに妄想しながら、家族五人で、そこにフェイトやアルフや、ディフェクトや。いろんな登場人物。クリスマスパーティーは欠かせまい。お花見だって、重箱持って出かけたい。 月にそんな情景を映し出して、だけれど、そこに はやては居るだろうか。 楽しい考えに耽っていても、結局行き着く先はいつもそこ。 ふる、と身体が震えるのを感じた。 欲が出てしまっている。 いつ死んでもいい。以前はそう考えていた。コレは別に己に悲観していた訳ではなく、人生を斜に構えて過ごしていたわけでもなく、単純に、コレだけ幸せなら後悔は無い。そう考えていて、いつ死んでもいいと思っていたのだ。 けれど今は違っていて、先を望めるのなら、そう考えるようになっている。「あかんなぁ」 あかんことない。生き物として当然のことである。ミジンコだってミドリムシだってきっとそう思ってる。 普段から物事を悲観的に捉えるような、そんなネガティブ感は はやてには無い。無いけれど、今回というか、この足に関してはもうホント、ホントに嫌なのである。 じわじわ広がっている麻痺。触っても薄くなっていく感触。つねっても痛くないところが、少しずつ上に来ていて、正気じゃいられないほど怖いのだ。家族が居なかったら泣き出して逃げ出している。「……」 見上げる月は、今の心情に相まって、何だか悲しそうに見える。 月は静かで、どっちかというとフェイト。太陽はやかましくて、元気で、これはディフェクト。「みんな何してるんやろか」 ぽつりと独り言。 なのに、それに返事が。「……誰の話ですか?」「おろ、シグナム?」「はい、シグナムです。……身体が冷えます、中に入りましょう」「そやな」 ころりころりと車椅子を押されて、あったかい家の中へと。 今日は久しぶりに家族が全員そろっているのだ。夕食のときは絶対にそろっているのだが、昼や、夕食後、いつも誰かがどこかに行ってしまう。誰も居ないなんてことはなく、必ず一人は残っているのだが、それでも寂しいものは寂しい。「あは、珍しいな、今日は全員集合や」「そうだぞー。珍しいのに、はやてってばボケッと月なんか見てるんだもん」「ごめごめ。それでどないしたん、みんな何や用事あるんとちゃう? 気ぃ遣わんでええよー」 言うと、シャマルがにっこりと笑って。「はやてちゃんこそ気を遣わなくていいですよ」「ん?」「最近みんなでそろう事が少なかったから、寂しいんじゃないかなぁって」「そりゃ、まぁ、そやけど……」 けれど、寂しい寂しいと言ってみんなの迷惑になるのは、「主」「うん?」「私たちに、それこそ気を遣う必要はありません。主はもう少しわがままになってください」「そうそう。尽くしがいがねーから、そんなんじゃ」「いや、そうは言うけどな……」「いいんです。ほら、はやてちゃんはもっと子供らしく、もっとわがままにならなきゃ。今日はどうしますか? 徹夜でゲームですか? シグナムのおっぱいですか?」「よせシャマル。本当によせシャマル」 珍しい。本当に珍しい。 気にしないで自分の好きなことをやればいいのに。一緒に居てくれれば、この家で一緒に生活してくれれば、それだけで満足なのに。「……え、と……ほな、お風呂入り行こか?」 何となく、そう答えた。 考えてみたら全員でお風呂に入る事はなかった気がする。「おー、温泉?」 ヴィータが嬉しそうに笑って。「ちゃうちゃう。ちょっと行ったトコにな、スーパー銭湯があってな、家族風呂とかもあるからザフィーラもOK」「……ザフィーラもですか」「うん。何かあかんかった?」「いえ、そんなことはないのですが」 シグナムがちらりと横目にザフィーラを捉えた。ザフィーラは我関せずと言った調子で食卓の下で目を瞑っている。 その様子を見てシャマルがニヤニヤ表情を崩して、はやてにはあまり分からないけれど、まぁ何かあるのだろうな、と。「ザフィーラもか……」「あら、別にいいじゃない。本当に家族みたいなものですし」「いや、そうは言うがな」「今さらなに構えてるのよ。私達がいったい何年連れ添ってると思ってるの」「そうそう。大体犬だしな、ザフィーラ。犬の目気にして何がしたいんだよ」「いくら犬でもな」「……俺は狼だ」 ため息混じりに、小さな声がテーブルの下から聞こえた。 それを聞いたシグナムがカッと目を見開き、「ああ言っているぞ。俺は狼だと主張しているぞ。どうするんだ、襲ってきたら」「ちょん切っちゃえばいいじゃない」「知らないのか? 男は本気を出すと硬くなるんだぞ。どうするんだ、レヴァンティンでも切れなかったら」「シグナム、オメー……。……いや、いい、何でもない……」「何だその目は。その目は何だヴィータ」「別に何でもねーよ。こんだけ長い間生きてるのに随分初心だなって思っただけ」「初心? 私が初心だと? よせ、そういう言い方は。私は大人だ」「あらー、聞いたヴィータちゃん? 大人ですってよ、シグナム」「パプリカ残すくせにな」「そうよ、パプリカ残すくせに」「パプリカを残す事と私が大人な事は関係が無いだろう。そもそもアレ、色が毒々しくはないか? よくもアレを食べようと思ったものだな、この世界の先人達は」「聞いた聞いた? ご先祖様の文句言い始めたわよ。子供よね」「てか、ガキって感じだな。きっとソーセージ食うときに赤くなるタイプだぞ、シグナム」「あっは! 思春期? 咥えちゃったー、とか」「それそれ」「……? なんだ、何を言っている?」「あー、それ以前の話か。それより前か。まだ反抗期も迎えてないか」「遅れてるのね、シグナム」「おっくれってるー! 生理きてるかー? 毛ぇはえてるかー?」「けっ、毛は関係ないだろう、毛は! 生えていようと生えていまいと! 私は大人だ!」 ムキになるシグナムをヴィータとシャマルがケケと笑い、はやてには、いやもうホント九歳児には全然まったく宇宙創生の話を聞いているくらい訳が分からない事だったので、こっそりと顔を赤くしながら着替えの用意をするしかないのだ。 いやもうホント、ホント困っちゃう。ああいうのは男の子の前でしちゃ駄目なのよね。ザフィーラいるからね。テーブルの下で、ぴくぴく耳が動いてるからね。あーはずかしはずかし。 なんてことを思いながら、スーパー銭湯へと。 結局ザフィーラの事はうやむやになって、道中、はやてとザフィーラの間には決まってシグナムが居た。いつもよりも数段鋭い視線はザフィーラに向いていて、それがさくさく刺さり続けている彼は勘弁してくれと小さく呟く。 そしてふと気が付けば、ちょっと前までいやなことを考えていた脳みそは気分が良くなっていて、いつも通りのはやてが帰ってきていた。 自分でも多少情緒不安定かとも思うけれど、今は気分がいいからそういうことは考えないようにしようそうしよう。「あは。うん、幸せっ!」◇◆◇ そしてはやてが眠りに付いて、その寝顔をヴォリケンリッター全員で堪能した。 寝ているときだってにこにこと笑っているように見える口元。いかにも福を呼びそうな人相である。「いい顔してた。かわいい」「お前も寝ているときは似たような顔をしているぞ」 姉妹みたいに、とシグナムが言うと、ヴィータは照れたように頭をかいた。「うるせー、パプリカ食えないくせに」「お前も春菊を残すじゃないか」「うるせー、はえてないくせに」「っ、そ、それも同じだろうっ!」「アタシ子供。シグナムは? あれ? シグナムなんだったっけー?」「お、大人だ。……おとなだもん」 四人で顔を見合わせるように一度だけ笑って、しかし次の瞬間には、その瞳は狩人のものに。 今日はとても楽しかった。最近リンカーコアの蒐集に忙しくて、夕食以外にそろう事が中々なかったのだ。ヴィータが、たまにはちゃんと集まって寝よう。そう提案すると誰もがそうしようと言った。ヴィータはそれが嬉しくって、幸せなのだ。今はとっても幸せだから、この幸せな時間を潰してしまわないためにも。「こないださ、スゲーの見つけたよ。最初はいくらなんでも間違いかと思って、そんでここ最近追ってたんだけど、やっぱり間違いなかった」「……この世界か?」「おう。しかもすぐそば。なんて言うんだっけ、こう言うの。灯台もと暗し?」「正解。ちゃんとお勉強してるのね、ヴィータちゃん」「まーな」 ヴィータは一度お茶で口を湿らせた。ことん。コップがテーブルを鳴らす。しんと静まった深夜。それがやけに大きく聞こえた。「……どうする?」 そう。どうする、である。 遠くから覗いただけで上質だと感じるほどに、力を持っていたようだった。コアを抜いて蒐集するまでは確定とはいえないが、それでも今までの勘が上等だと告げている。きっとアレを取ってしまえば、この先の蒐集がかなり楽になる。 はやる気持ちを抑えてヴィータは冷静に口にした。「蒐集するか?」 三人の視線はシグナムに向いて、少しだけの沈黙の後に、小さく口にした。「いや、今はまずいだろう」「それは……、この世界で騒ぎを起こすのがまずいってことかしら?」「そうだ。幸いにしてここは管理外世界だ。管理局の目はあまり向いていない。この世界で騒ぎを起こすのは……最後にしよう」 シャマルが納得するように頷くのとは反対に、ヴィータは舌打ちをついた。「ヴィータ、短気を起こすなよ」「……わーってるよ」 美味しそうな獲物が目の前にいるのに、それを狩ることは許されない。モヤモヤくるけれど、それで今までの努力をパーにするのは馬鹿らしい。実際にこの世界で騒ぎを起こすのは良くないとヴィータ自身も思っている。あの子供のリンカーコアを蒐集するのは、うん、最後がよさそうだ。 闇の書の頁も今のところ順調に埋まってきているし、管理局は警戒をしているのだろうが、それほど厳しくは感じない。いくらなんでも気が付いていないということはないはずだが、ちょっとだけ生ぬるいとも思う。魔導師の質が下がっているのかもしれないけれど、どうにも上手く行き過ぎているような。罠かもしれないと思うほど簡単な蒐集も。 考えすぎかと軽く頭を振って、ヴィータはもう一度咽喉を潤した。「……じゃあ、とにかく蒐集自体は今までのままでいいのか?」「いや、これからは渡る世界を逐一変えよう。それと、次からは人だけじゃなく魔獣も蒐集対象だ。……少し、ペースを上げる。シャマルとザフィーラはこれからもペアで行動してくれ」「はい」「了解だ」「無理はするなよ」「わかっている。守護獣が最初にリタイアでは話にならん」「まぁ、格好つけちゃって」「では……、今日は寝ようか、主と共に」「りょーかい」「ふふ、了解」「……了解だ」 また明日から はやてには寂しい思いをさせてしまうかもしれない。シグナムもそれを考えて魔獣なんかも対象に入れるのだろうし、本当に今回の主はみんなに愛されているのだ。 頑張らなくてはならない。 ヴィータはきゅ、とテーブルの下で小さな拳を握った。◇◆◇ これは何か分かる? そう聞かれて、フェイトは図鑑で見た写真に自身の記憶を照らし合わせた。 そうだ。勉強した。裁判もさくさくと進み、次第にフェイト自身がすることは無くなっていって、そうなるとやはり何もしないわけにもいかなかくて、だから『地球』の色々を勉強していたのだった。 アルフが指差すものは、昆虫である。昆虫の画像。なのはが住んでいるところにも居る昆虫。「さぁフェイト、コレなぁんだ?」「えと、うんと……」「ほら、黒光りしてて、ほら」「あっ! あれだほら、アレ!」「じゃあどうぞ!」「コオロギ!」「ざんねぇん! これはカブトムシだね。ほら、角が生えてて強そうだろう?」「そっか、カブトムシか……。けど惜しかったよね。おんなじ虫だしね」「そうだねぇ」 アルフがにこにこと表情を崩しながら頭を撫でてきた。至福の時間である。最近頭を撫でてくれるのはアルフしか居ないので、この時間はフェイトにとってとても大切なものになっていた。「それじゃあ……これは?」 指差す先は、「えっと……うんと……」「ほら、黒光りしてて、ほら」「あ!」「どうぞ!」「コオロギ!」「ざんねぇん! これはゴキブリだね。ほら、カサカサ動いて気持ち悪いだろう?」「そっか、ゴキブリかぁ……。……でも惜しかったね。足の数一緒だしね」「そうだねぇ」 アルフがにこにこと表情を崩しながら頭を撫でてきた。至福の時間であ(ry「それじゃあね……、これなぁんだ?」 指差す先は、「えっとね、うんとね……」「ほら、ゲコゲコ鳴いて、トノサマで、ぴょこぴょこ跳ねて、意外と美味しくて、ほら」「あっ! わかった!」「はい、じゃあ答えは?」「コオロギ!」「残念! 正解はトノサマガエルでした」「そっかぁ、トノサマガエルかぁ……。でも惜しかったよね。ぴょこぴょこ跳ねるし、鳴くし」「そうだねぇ」 アルフが(ry なぜコオロギに執着を示すのかはわからないが、とにかく裁判はさくさくと進んでいる。出来すぎているほどに進んでいる。フェイトの拘束もそう長くはないだろう。 もうすぐ会える。自然、口元がだらしなく揺るみ、アルフからよだれよだれ、と。おっといけないとそれを啜り、しかしまたも顔は緩んでしまうのだ。だって、だって、(もうすぐ兄さんに会える……兄さん兄さん兄さんさんっフゥー!) 普段にはないキャラを発揮。フェイトは脳内音頭に合わせて両手を振った。「そうだねぇ。もうすぐだねぇ」 どうやら脳内どころか口に出ていたらしいことを悟った。「えへ。なにしてるのかな、兄さん」「間違いなくナニはしてるだろうけどねぇ」「え? なに?」「いやだからナニ……、ごめんフェイトごめん」「え、なに? どうしたの?」「毒されてることに気がついたよ……。あたしゃ汚れちまったんだね」 そしてほろりと涙を流すアルフに、今度はフェイトがなでなでしてあげる羽目になるのである。 ようするに彼の影響力は、原作? なにそれ美味なの? どうなの? 美味だとしてどのくらい美味なの? くらいの威力を発揮してるとかしてないとかそういうのがあるかもしれないようなないかもしれないようななんたらかんたらうんたらかんたら───。いまさらか、とどこかで誰かがため息をつくのである。◇◆◇ 女がいた。顔を見るなら、若いというほどではない。三十の前半から中ほどか。そのあたりがいいんだよ、という人物ももちろんいるだろう。事実、端末の前に直立する彼女は、綺麗だった。 まず姿勢がよかった。直立とはこのことかと納得させるほどに。背筋は美しく伸び、そしてスタイルがいい。やや筋肉質ながらも程よく膨らんだバストに、シャープに絞られたウエスト。太ももなんか、被りつきたくなるほどジュゥゥウウシィィイイ! そんな彼女は、ウィンドウに写る顔に一度だけ頭を下げ、「言われたとおり、奴を次の過程に送りました」 声に、不機嫌さを隠すようなことは一切なかった。「ご苦労だった」「私としては、まだ教えたいことが山ほどありました。奴はいいセンスを持っています。戦闘自体にはさほど才能は感じませんでしたが、尻を叩かれればどこまでも、それこそ気狂い犬のごとく先へ進むメンタルと、いくら殴っても、蹴っても、潰しても、壊しても一晩たてば何でもないような顔をして訓練を受けるような、死ににくいフィジカルをもっています」「……君の言いたいことは分かっているよ。不満だったかね?」「不満です。奴はもっと訓練をするべきだ。戦闘センスがないのなら、それを経験させるべきだ。努力と経験は才能を上回ります」「だか彼は、我が校の基準を上回っているだろう」「あくまでも基準に過ぎません。ああいう何かに突出したタイプは弱点が丸見えです。距離をとられればそれで終わり。自分より格闘センスを持っているものがいても終わり。長生きできるタイプじゃありません」「そのために魔法があるのではないかね?」「その魔法ですら攻撃一辺倒の爆発だけではありませんか! なにを考えているんです! 奴を、プロダクトをどうしたいのですか!」「……すまんな」「詫びが欲しい訳ではありません。ただ、あいつともっと、訓練がしたかった。あんな子供に前線で戦わせるような、そんな時代にしたくなかった……。なぜ、奴なんですか。なぜ、資質を持ったものを、十分な訓練もせずに───」 彼女がそこまで言うと、通信の相手、訓練校の学長はぎらりと瞳を輝かせた。「聞くな、それ以上は」「……言わないのですか。それとも言えないのですか」「以上。ご苦労だった。それだけだ。何も聞くな。疑問に思うな。そういうこともある。そう考えたまえ」 ぷつり。 画面は何も映さない、黒色のそれに戻ってしまった。 彼女は硬く握っていた手のひらを開き、もう一度握った。 なんとも小さい。力がない。そうしろといわれれば、そうするしかない。唇から血が流れるほどに歯を食いしばり、ここで何か行動を起こせばどうにかなるのかと考えるが、それは、恐らくどうにもならないのだろうと簡単に結論が出た。「この訓練校で私をいい女だといったのは、お前が始めてだぞ……。生き残れよ、プロダクト」 手のひらから離れたひよっ子はつまり、それがどうあれ巣立ったのだ。いつまでも親鳥気分ではいられない。 彼女は静かに目を瞑り、はぁと息をついて、もう一度開いたときには、既にその瞳から弱さは消えていた。鬼とか何とか言われる教官の顔に戻る。 そういえば、と彼女は呟いた。「どストレートに年増も初めてだったな。く、はは……失礼な奴だったよ、まったく」