19/ブレイド 俺は嘱託じゃなくて、きちんとした魔導師として扱われているらしい。 二十二期、たった一人の卒業生。ディフェクト・プロダクト三等陸士。……ヒューッ! 寂しすぎる! 研修期間くらいよこせと何度叫び出したか分からない。あと三等陸士とか前線に出さないでほしい。補給とかやっていたい。補給でいいじゃないか。なんで俺は補給部隊に行かないんだ。なんで武装隊なんかに入れられてるんだ。くそ、下手に訓練校なんかに入ったから嘱託じゃ居られなくなっちゃったんだ。まじグレアムやべぇ。あいつ未だに諦めてなくて実のとこ俺を潰そうとしているのではないでしょうか。 しかも今回展開されてるのって、航空武装隊なんだよね。納得だよね。ヴォルケンが相手だし、管理外世界の事件だし、うみが受け持ってるし。周りが空士とか空尉なのに、そんな中、ディフェクト・プロダクト三等『陸士』。視線が痛いぜ! 何しに来てるのこの子って目がすごいぜ! おかからの間者かって思われてるぜ!「あ~視線が痛い。アウェーだ。アースラまでアウェーだ」『局入りなんか・する・からです』「ちょ、黙ってろお前! 局入りなんかって言うな、なんかって!」『局員・なんて・カスか・チンカスか・ハナクソか。そう・言っていたのは・マスターでは?』「マジやめろって! タマゴ投げつけられたらお前のせいだからな!」『逃げる・局員は・チンカスだ! 逃げない・局員は・醗酵した・チンカスだ!』「臭ぇよッ! 絶対に会いたくねぇよ逃げない局員!!」 ぎゃっはっは! 笑った後で、ハッとして周りを見れば、そりゃもう言葉に出来ない視線の数々。いや、アースラ常駐の人は俺のこと知ってるから良いんだけど、今回違うところからも沢山来てらっしゃるわけで。印象値が最初から大暴落だな。 よし逃げよう。そう思ったとき、「ディフェクト」「おおユーノ! いいタイミングだよお前!」 ぺしーんっ、とユーノの肩をはたいて、「動いたよ」「ヒューッ!」 ついにこの時が来ました。◇◆◇ モブが空を飛んでいた。そりゃもうぽーんっ、と何か玩具みたいな。 そのモブが地面に落ちてくる前に、視線はこちらを向く。 どさり。モブの接地と同時に聞こえる言葉は、「来たか」「おう」 先日会った時の雰囲気はどこにも感じさせない、熱く、それでいて鋭い眼差し。シグナムは見るだけで臨戦態勢だと分かった。 その隣に控えるヴィータなど、スタート前の競走馬のように興奮してる感じ。こちらの面子を見てため息をつくも、その勢いが収まる様子はない。 シャマルがいねぇな、と首を巡らせると、シグナムは早速デバイスを構えた。いや、デバイスというよりも、それはもう、ただの剣で、武器だ。「語るべき言葉は無い。さぁ、始めよう」「俺にはある」「無いと言った」「だけど俺にはあるんだよ」「……言ってみろ」 ユーノとクロノに、頭を掻くことで合図して、「───おっぱい何カップだテメェ!!」 駆け出した。それは確かに効果をあげたのか、流れる視界の端、そこに居るヴィータは若干呆けた顔をしている。 そして、その隙を逃がすようなユーノではなかった。タックルをかますようにヴィータの腰にすがりつくと、「転送ッ!」 二人の姿は掻き消えた。 よくやったユーノ。お前は後で頭を撫でちゃる。まぁ、俺が生きてたらなんだけど。なでなでの為にも、生き残らんとね! どこまでも冷静にシグナムは剣を振りかぶった。吸い込まれないように、全体を見るようにその脇に走りこみながら、ピュンッ、と空気を切断するような音。接近しすぎてるからその軌道は完全に読めるようなことはなく、俺はとりあえず転がってそれを避けた。 セットアップもしてねぇのにあんなの食らったらバラバラになっちゃうよ馬鹿たれが。ちょっとは手加減しろ。 その一合を経て、ただ単純にシグナムとの立ち位置が変わる。上空へ急上昇しているクロノを見て、一応戦力の分断は成功したと確信した。 ああ、よかった。初っ端で誰か死んじゃうんじゃないかとハラハラしてたからな。主に俺が死んじゃうんじゃないかとハラハラしてたからな。 だいたいだよ、セットアップの時間くらいくれてもいいじゃないか。ユーノは作戦を考えるときちっとも優しくない。俺のこと信用しすぎ。『君なら出来る』って学生時代から通算すると何度言われたか分からんぞ。 よかったよかった、と息をついた俺に、シグナムはさらに視線を鋭くさせた。「……なるほどな」「ワリィね」「いや、これも兵法だ。ふむ、なるほどなぁ……」 またまたさらに鋭い視線は尖っていって、「───っく、ふ」「あん?」 シグナムの肩が震えていることに気がついた。 なんじゃらほい、と分からん顔をしていると、あっはっは! とシグナムは豪快に笑う。お、おお、こんな笑い方するのかこいつ。いいね、笑顔。えらい美人は笑ったらえらい可愛いね。「いいな、これは。とてもいい」「そう?」「こんな気持ちはいつ以来だろう。お前が最後の相手で、本当によかった。戦うならお前が良いと、心底思っていた」「最後なんかじゃねぇって」「いいや、これで最後なんだ。私達が勝ってもお前達が勝っても、闇の書は発動するだろう?」「……まぁ、そりゃそうなんだけど」「だったら私は、この気持ちを大切にしたい。まるで主と対面しているような気になってしまう。疼いて、切なくて、腹の奥が熱い。ああ、いい気持ちだ。……さぁ、やろうじゃないか!」 さっさとセットアップしろ、と鼻をふんふん鳴らしながらシグナムは言った。 バトル中毒ここに極まる。こいつ俺なんかじゃ計れないくらいの変態さんだ。俺は嫌だ。これから先、この女の相手は是非ともフェイトに任せてしまおう。 とまれ、こちらの戦闘スタイルに付き合ってくれそうなのは事実。そこにはラッキークッキーバトル好きー。 俺は右手をまっすぐに伸ばし、精神感応性物質変換能力発動。砕けるような音と共に、そばにあったベンチが一つ塵になった。輝くそれは腕の周りに集中し、背中に集中し、ファーストフォーム、セットアップ。「はぁ、やだやだ。バトル厨はこれだから……」「嘘はつかなくていいぞ、プロダクト。お前も私と同じ、どこかおかしい人間だ」 「あはっ」 口角が上がるのを抑え切れなかった。月光を弾くシグナムのブレイドは、どこまでも鋭い。 いいねいいねぇ、堪んないねぇ。人を変態扱いしやがって、とてもじゃないけど許せない。そうに決まってる、俺は戦いに欲情を感じるような変態じゃあない。だからこのわくわくはきっと───、「真ん前から打ち砕く!」「そのときお前の腕は宙を舞っているさ!」 きっと、こんなに楽しそうに笑うシグナムが、馬鹿みたいに可愛いからだ。◇◆◇ 冬の寒さが肌を攻める。前回来た時はぽかぽかと暖かかったくせに、季節はがらりと姿を変えていた。 一度鼻を啜って、クロノは上昇をやめる。眼下で行われる戦闘に意識を持っていかれないよう、瞳に力を入れて辺りを見渡した。 さぁ、どこにいる。デバイスを一回転。 そしてその時、今更ながらに結界の発動を確認した。ドーム状に街を包んでいくそれは広く、強い。通信妨害と、外からの侵入を防ぐような働きを持つもの。逃げるわけではなく、迎え撃とうというのだ、自分達を。 クロノは思わず舌打ちをついた。正直な話、こういうのは好みじゃない。格下とは思わないが、シャマルが自分の相手になるとは思えないのだ。そんな中で、結界。侵入を防ぐというのはいい手だと思うが、ヴォルケンの思惑はクロノの考えるそれとは違っていて、邪魔をされたくないとか、きっとそういうものなのだろう。「馬鹿の周りは馬鹿ばっか、だな」 視認。 結界の発動ポイントを見極め、クロノはその視界にシャマルを捉えた。 デバイスを、もう一回転。周囲の温度がさらに下がっていく。冷えていく。空気すら凍りつかせるそれは、もちろんそのまま凍りつかせて、先が鋭利に尖った氷塊を作り上げた。「行け」 三発の氷塊が宙を駆けた。 不規則に動き回りキュンッ───、軸移動を繰り返しキュンッ───、しかしそれは驚くほどの速さでシャマルに到達する。 首、胸、腹。狙ったとおりのところを、思ったとおりに貫いた。 終わった。はずだった。「……なに?」 当然シャマルの姿は消えうせた。ただ、二人目のシャマルが、その影から歩いてきた。普通に、こちらに視線すら送らないで、まるで買い物でもしているかのようだった。 幻影魔法。クロノの頭に浮かぶ正解。見渡すと、そこらじゅうにシャマルがいるのだ。覆われた結界内の、そこらじゅうに。 「私は───」こちらを見上げるシャマルが口を開いた。「直接戦闘って───」どこからか声が聞こえた。「あんまり得意じゃないし───」それはクロノの背後で。「こういう戦い方しか───」それはクロノの右で。「できないけど───」それはディフェクトの傍で。 その時、後方から飛んできたそれはクロノの足に絡みついた。「クソ!」珍しく声を上げて、クロノは自分の馬鹿さ加減を罵る。 ぐんッ! 引き寄せられる。直接戦闘が出来ないなど、それは何の冗談だといいたくなるような力だった。 投擲武器のように振り回されて、叩きつけられるのはビル壁。窓を粉々に破壊しながら、どこかのオフィスのような場所に錐揉み回転しながら突っ込む。「ぐッ、このッ!」 すぐさまデスクを跳ね除けて立ち上がると、 目の前数センチ。 「そう簡単には、やられないわ」「───!」 デバイスで殴りかかると、それもただの魔力になって消えうせる。 ちくしょう、と声には出さなかったが、クロノは心底そう思った。やっぱり、自分がヴィータの相手をしたかった。なんだこれは。こういうのは、まるっきりあいつの役目じゃないか。そうだというのに、あいつは自分の我侭を通しやがって───。 瞬間、光が爆ぜた。思わず目を覆って身体を丸くしてしまう。 しまった。完全に隙をさらしてしまった。クロノは瞳を閉じたまま、いったいどういった魔法が飛んでくるだろうかとデバイスに魔力を送った。いつでも障壁を張れるようにと。 しかし、十秒たち、二十秒を超えても、一向に来ない攻撃。ただの目くらましにしては上等すぎる。ゆっくりと瞼を開いて辺りを見渡せば、そこには誰もいない。不気味な怖気を感じた。 いったいなにを……。呟きながら大口を開けたビルから飛翔。どこにでもいるシャマルを、その魔力反応で見つけたとき、「な、んで……」 どうにも見覚えのある背中だった。幼いころの、まだまだ何の抵抗もなしに笑顔を振りまけたときの、そんな記憶だった。「クライ、ド……」 クロノの声に反応したようにそれは振り向いた。にこり、とそれが死ぬ前まで大好きだった笑顔を向けてきた。隣を見れば、アリアが居た。ロッテも、グレアムも。 ひゅん。左。聴覚が伝える情報。反射的にクロノは障壁をはり、それを打ち落とした。後に聞いた話では、クラールヴィント。癒しの息吹というらしいそれだが、今のクロノが聞くなら腹を抱えて笑ってしまうだろう。冗談じゃない。人の記憶に干渉して、クソみたいな幻影を見せやがって。 心臓が跳ねた。そう、幻影だ。影だ。お上の方々はどいつもこいつもクライドクライドクライドスクライド。張り裂けそうになって英雄の背中を追えば、それも幻。 振り払うように叫び、クロノは急上昇した。結界反応のあるギリギリのところで停止。「……るんだ」 ぽつりと。「───イライラするんだッ、その顔見てると! どこまでも付いてきやがって! どこまでも先を行きやがって!」 口汚く罵った。もうすぐ十五になる子供の、心からの叫びだった。 思えば、自分に反抗期はあったろうかと考えた。どこまでも魔法に噛り付いて、気が付けば執務官だった自分に、そういうのはあったろうか。 知る者はいうだろう。なかったと。真面目なクロノ。品性と知性にあふれたクロノ。気品を備えた、とてもいい執務官であるクロノ。 それを聞けば言うだろう。おいおい馬鹿をいうな。こっちはいつだって仮面をかぶり続けた。そういう風に、演じてきた。いつだって執務官であろうと。どこだって局員であろうと。 ただ、少し前に出会いがあった。馬鹿をもう一段階進めた馬鹿は、とにもかくにも馬鹿だった。馬鹿はいい。考えないで付き合える。出来うることなら自分も、あんなふうに生きてみたい。誰にでも笑顔で、誰にでも優しくて、果ての無い馬鹿で。 はぁぁ、と気を落ち着けるように長い息をついた。無理だと分かってる。クロノは馬鹿にはなれない。だから───。「失敗なんだよ、ヴォルケンリッター……」 クロノの瞳はすべてを切り裂く刃のような、冷たい輝きを秘めていた。 別に、どちらにしても倒すつもりだったのだから結果は変わらない。ただ、身に潜む感情の、恰好の発散場所を見つけてしまった。 ああ、全部クライドが悪い。この気持ちも、グレアムのことだって、全てクライドが悪いに決まっているんだ。クロノは子供のように考えた。その顔は、父親に不満をぶつける子供そのものだった。 どこまでも付いて来る。どこまでも先に行く。だからクロノはどこまでも───、「正面から撃ち貫く」 やってみろ。 そこらじゅうに居るクライドの笑顔は、クロノにそんなことを語りかけているような気がした。◇◆◇「うわ、っとと!」 戦場にふさわしくない、かわいらしい声だった。 転送ポイントが多少ずれて、ほんの少しだけ地面から離れていたものだから、ユーノは着地で尻餅をついた。ヴィータの腰を抱いたままの姿勢で、彼女は大人しくユーノの膝の中。「……離せよ」「うん」 ユーノは笑顔のままで手を離す。ヴィータがさっさと立ち上がり、転送前と同じくため息をついた。「はっ、なんだテメー、アタシに勝てるつもりかよ」 恐らくヴィータは感じているのだろう。ユーノの魔力資質に。 当然かな、とユーノは苦笑いしながら頬を掻いた。ヴォルケンリッターは肌でリンカーコアの質感を感じる。上等だとか、微妙だとか。ユーノは当然、微妙に位置する。魔力量は多くないし、収めている魔法も補助ばかり。シャマルというエキスパートが居る以上、それはあまり必要性を感じないのだろう。蒐集されたとして、頁も沢山は埋まらないはずである。「そのつもりで連れて来たんだけどね」「ちいせーよ、反応が。お前じゃ無理だ。素直に蒐集されるなら、痛いくらいで済む」 「嫌な話。ちょっと怖いかな」「……なめてんのか?」 ヴィータから剣呑な空気が流れ始めた。 一触即発と言い換えていいこの空気の中、しかしユーノは笑顔である。にこにこ。笑っている。「まぁ、実はけっこう舐めてる」「……もういい」 ヴィータがデバイスを構えた。 相変わらず、ユーノは笑うだけ。怪訝な顔をするヴィータに可愛いなぁ、とユーノは思った。「構えろよ」「来ればいいじゃない」「構えろよッ! ザフィーラをやったテメーらが弱いと話になんねーんだよ!」「そう?」 言われてユーノは構えを取ろうとするが、どういった構えが適切なのか分からない。いや、知識豊富なユーノに分からないことはないが、ユーノは構える事を知らないのだ。今までに一度も経験したことのないそれ。ほんのちょっとだけ、ユーノは戸惑った。 うんうんと、珍しく頭を悩ませて考えて、結局はいつもの通りにただ立つだけ。慣れない事をやろうと思っても、それはなかなか難しい。へっぴり腰になっちゃったりしたら格好悪いし。 もう一度困ったように頬を掻いて、すると、ヴィータから放たれる不機嫌さがさらに増した。「……ふざけてんのかよ……、ニヤニヤしやがってッ、仲間をやられたアタシ達が! そんなに滑稽かよ!!」 なんて事を言うのだろうか。 瞳に怒りを溜め込んだヴィータを目の前にしてそんなことは、「うん! すっごい馬鹿みたい!」 ユーノは笑顔のまま、力強く頷いた。 「ほら、ボクってなかなかそういうの、敵討ち? とにかくそういうのにまったく興味がもてなかったんだよね! もうこれっぽっちも! だってそうじゃない? やったらやり返されるし、やり返したらやられる。そんな煩わしい事にクビ突っ込んでなんか居られないよ。そもそも実感がわかなかったんだよね、敵討ち。どんな気持ちなんだろうっていっつも考えてた。でもさ、それがまたさっぱり分からないわけ。人って難しいよね。考えてることが千差万別でさ、同じ人なんて居ないんだよ? これはもう奇跡だよ。そう思わない? ボクは思う、これって奇跡的で、なんとも馬鹿らしくって、とっても素敵なことなんだって。ボクってさ、人に言わせると冷めてる人間なんだと思う。ああ、当然そんなこと皆が知ってるわけじゃないよ。ボクが珍しくも気を許した人たちがそう言うんだ。初めて言われたときさ、それはないよって思ってた。ボクは冷めてるわけじゃない。現実を見てるだけなんだ。僕は文学も好きだけど、数学のほうが好きでね。ほら、答えがしっかり出るじゃない。文学のほうは、なんだか曖昧だろう? 人それぞれ、思ったことがその答えだ、何てこともあるし。そんな問題にぶつかるとボクはすかさず逃げ惑うね。意味わかんないんだもん。電気信号で動いてるくせに舐めたものでしょ、人間。ボクみたいに機械的な人間には世の中すっごく住みづらいよ。だって、ホントにわかんないんだもん。みんなの感情が。みんなの思いが。適当に周りに合わせることは出来るけど、それもそこまで辛くはないんだけど、ただ楽しくないんだよね。皆が皆、馬鹿みたいだったよ。馬鹿馬鹿、ぜぇ~んぶ馬鹿。なにが楽しいの? なにが悲しいの? なんで怒ってるの? ボクは分からないけど周りに合わせた。笑ってれば笑うし、悲しんでれば悲しむし、怒っていれば怒った。もうホントのホントに機械みたいだったんだ。何もかもをぶち壊してしまいたい、なんて危ない感情も、それはそれは機械的だったね。持て余すわけじゃなくて、しっかりと制御出来てた。そんなときはどうすればいいのか考えるし、自分の慰め方も知ってる。ストレスを受ければ発散させるし、それを数値でまだいけるとか、もう少ししたらまずいとか。おかしいよね? ボクはたぶんおかしい人間だよ。人間のふりしてるって、いっつもそう思ってる。感情がついていかない。皆みたいにはなれないよ。ああでも、これは別に諦めてるとかそういうことでもないんだ。ボクはさ、これでいいって思ってるんだ。さっきも言ったけど、人間なんて千差万別。僕みたいな人間が居ても、それは世界のちょっとしたスパイスでしょう? 住みづらい世界に我慢するだけで、私の頭脳はみんなの役に立てるんだから。……ただね、これは結構前の話になるんだけどさ、もうどうしようもないくらいの馬鹿に出会っちゃってさぁ、これがまた、もうホントにすっごく馬鹿なわけ。馬鹿って言葉を潰して溶かして型にはめたら出来上がりました、みたいな感じ。もう参っちゃうね、馬鹿。人間なんて電気信号で動いてる肉の塊に過ぎないくせに、馬鹿だけはきっと別の物で動いてるに決まってるんだ。出会ったときは、それこそ天変地異の前触れかと思ったね。青天の霹靂とか、地面と空が居場所を交代したとか、とにかくそれくらいの衝撃だった。分かる? わかんないよねぇ……。まぁなに、とにかく私は馬鹿と出会ってね、それがもう、なんて言ったらいいのかなぁ、すっごく気持ちよかったんだ。スカッとするって言うのかな? 分かるよね、スカッとする感じ。もう踊りだしたい気分だったし、なんだか嬉しかった。柄にもなく泣いちゃったりしたなぁ。言っちゃうとさ、好きなんだよね、そいつの事。もうだぁぁああい好き! ぶっちゃけ私も女の子だしさ、やっぱりいつかは結婚するって思ってたよ。でもその人と会っちゃったら、もうそんなこと全部飛んでいっちゃった。きっと私っていう機械みたいな人間はさ、あの人のために生まれたんだ。だからね、分かるよ、敵討ち。全然興味がもてなくて、馬鹿みたいって真剣に思ってたけど、今は私にも分かる」「あ、ああ?」 ヴィータが片眉を上げた。少し早口だったから、聞き取れなかったのかもしれない。 首を振り「だからさぁ」。人差し指を立て、こめかみを押した。いえば、これこそが構えだった。 「怒ってるって、言ってるんだ」 にこやかな笑みはどこかにすっ飛んでいき、張り付いたのは底冷えするような表情。 これこそがユウノの我侭。自分勝手な思い。ディフェクトをボロにして、自分は優雅に敵討ちだなんて、そんなことユウノが許すはずなかった。 ぴんぴんしているヴィータに腹が立つ。この感情をもてあまし気味で、最近はストレスをずっと抱えていた。慰め方は知っているのに、発散の仕方も知っているのに、こればっかりはどうにも心の隅に残り続けた。こんなことがあるんだと自分自身に驚いて、当然どうにかしなければならないわけで、怒りの矛先はもちろんヴィータで。 ユウノは左手でちょいちょいと手招きした。「来なよ。正々堂々と不意打ってあげる」 その酷薄な口元は、むしろ研ぎ澄まされた刃物に似ていた。◇◆◇ 深夜だというのに、とてつもない不快感が襲ってくる。 目の下に隈を作り、なのはは布団を跳ね除けた。最近の睡眠状況は実に悪い。劣悪と言い換えてもいい。いつ襲ってくるのか分からないヴォルケンリッター。頭の上をうるさく飛び回る管理局員。そしてやってきたのがこの不快感。 戦っている。なのはのセンサーはそれを捉えた。 爆発的に高まる魔力と、結界と、どうやらジャミングのようなものまで。ジャミングをジャミングと分かるほどまでに感覚が鋭敏になっている。レイジングハートを手放し、恐怖感から外に対する感覚が余計に広がったのだ。 怖い。恐ろしい。なのはは恐怖で震える肩を自ら抱いた。 なぜ皆が戦えるのかが分からなかった。どんな理由があろうと、なのはは傷つけるだけの戦いはしたくなかった。(ううん、ちがう……) 傷つけるだけの戦いをしたくないのは事実。しかし、それ以上に怖かった。なのはは怖いものから逃げたのだ。 それのなにが悪い。自分は管理局員じゃない。あくまでも嘱託で、アルバイトのようなものだ。今はレイジングハートも無い。呼ばれることは、絶対にない。 不安になった。迷子のように、なのはは部屋を見渡した。ユーノは居ない。レイジングハートも居ない。つながりが消えた人達と、笑いあえる日は来るのだろうか。友達と会える日は来るのだろうか。 嫌だ。もう嫌だ。何も考えたくない。早く終わってしまえ。戦いなんて、嫌いだ。 なのはは部屋を飛び出して一階に下りた。喉がからからに渇いて干からびてしまいそう。水道水をそのまま口に運びがぶがぶと飲んだ。吐いた。口の中が気持ち悪くてもう一度水を飲んだ。吐いた。「なのは……?」 聞こえた声に、びくりと肩をすくませた。恭也だった。眠っていただろうに掠れることもなく、相変わらずいい声をしていると思った。 自分の様子はよほどおかしいのか、恭也は怪訝な顔つきで額に手のひらを当ててくる。「熱はないみたいだが……。気分が悪いか? 病院にいくか?」「う、ううん、違うの。ちょっとがぶ飲みしちゃっただけ」 なのはが言うと、恭也は盛大にため息をついた。「なぁ なのは、俺たちはそんなに信用できないか?」「へ?」「お前が何かに悩んでるって、そんなこと皆気づいてるよ。ただ、言い出すのを待ってるだけで。心配してるんだ、父さんや母さん、美由希も、俺だって」 その優しさに涙があふれそうになるが、しかし魔法だ。魔法なのだ。「……言っても、信じてもらえないよ」「それは俺が決める」「ば、馬鹿な子だって、絶対思うよっ」「なのはは馬鹿なんかじゃない」 頭の上に乗せられた温もり。抱き寄せられる肩。 なのはの瞳から、ついに涙があふれてきた。「ともっ、ともだちがね、た、たたかってるのっ」「ああ」「でも、でもね、わたしこわッ、こわくてぇ」「うん」「みんなのことっ、すきなのに、まもりたいのにっこわくて、いやなのぉ……」 泣きながら、思いの全てをぶちまけた。 魔法が不愉快に感じたって、その思いが理解できなくたって、なのはは皆が好きなのだ。ただ守りたいのだ。 大声で泣き叫んだ。なにがあった、と家族が全員起きてきた。それでも なのはは泣き続けた。涙と一緒に嫌な気分も流れてしまえばいいのに。そう思った。