「ど~してこんな事になっちまう、かな?」
いつの間にか話が「入部したければ勝たなくてはならない」という流れになっていた。公としては入部するか迷っている状態なのだが…あんな風に喧嘩を売られて黙っているほど大人でもなかった。精神的には大学生とはいえ。
何より売ってきた相手が相手だったからかもな…などと考えつつ、キュッとバスケットシューズの紐を結ぶ。かつてボコにされた記憶は結構根深い。
公が今座っているのは男子バスケ部の部室兼更衣室内に設けられた長椅子だった。室内は
―公の記憶の中にある姿、そのままに
―雑然としている。その中には、凡そバスケに関係ないだろうとしか思われないものも見受けられるが。
「しっかし…」
他に誰もいない部室に引き続き公の独り言が響く。
「どっからこんなモン、持ってくるのかね? アイツは…」
公の視線は今履いたばかりのバッシュに落ちる。確かこれは出回った数が非常に少ない限定版で、少なくともバスケ部内にこのモデルのものを持っている者はいなかったはずだ。もっとも、居たとしても立場上「敵」にあたる公に貸してくれるとも思えないが。
そんな靴が程よく履き慣らされており、公の足にフィットする。サイズなんて教えていないにも関わらずだ。まぁ、彼
―好雄の情報網を持ってすれば、そんなことを調べるのは造作もないことなのだろう。
「お前に賭けてるんだから、勝てるようにお膳立てするのは当然だ」なんて言いながらこのバッシュを調達してきてくれた好雄の、大義名分を盾にする天邪鬼さに苦笑しつつ部室を出た。
あの素晴らしい日々をもう一度
第十四幕 彼と彼女とバスケット
(どうしてこんな事になってるのかしら?)
自問すれど、答えが返るはずもない。
彼女が着替えを済ませて戻ってくると、彼女の幼馴染の姿は消えていた。着替えにでも行っているのだろう
―事実そうなのだが
―と思ったが、それにしては回りが妙に盛り上がっている。
もしや公が怒って帰ってしまったのかと、何故かこの場についてきた彼の友達
―親友、という言葉が当てはまるのだろうか? 当人達に聞くとお互いに否定するだろうが
―に聞くと、どういう流れか入部を賭けて試合をすることになったのだと言う。しかも同じ一年ながら次期エースと噂されるような相手らしい。名前に聞き覚えはなかったが。
その『相手』とやらが聞いたら血涙を流しただろう。今はウェアに着替え戻ってきた公とその相手がキャプテンからルールを聞いているところだった。
「主人君も1on1は知ってるって言ってたよね? 細かいルールって言っても、ディフェンスがボールを奪るかラインを割ると攻守交替。後は普通の試合と同じだし…あ、時間は3分ね。何か質問はある?」
「いえ、特に」
当然、公もこのルールで何度もプレイしたことがあるのだ。今更聞きなおすこともない。
「そう、大丈夫? …それでは審判は私が務めさせてもらいます」
ボールを片手に持って、キャプテン兼審判が告げる。
「どっちが先制?」
「ボールは主人にあげますよ。これくらいのハンデはないとな?」
鼻で笑って、公の対戦相手が吐き捨てるように言う。いっそ傲慢とも言えるそんな提案も今は黙って受け入れる。正直ムカつくものがあるが、礼は試合の中で返せばいいのだ。タップリ上乗せして。そんな決意を胸に秘め、公は優に頭一つ分は高い位置にある相手の顔を睨みつける。
それぞれ、攻守に分かれて位置に付く。それぞれの違いはボールの有無と、立ち位置の違いと、そしてこれから始まる試合への態度。
「3分か…長いな」
そんな二人の様子に見入っていた詩織は突然横から聞こえてきた呟きに振り返る。
「早乙女君…。バスケ、詳しいの?」
「あ、いやぁ、妹が少しね」
実際には妹によって色々と詳しくなったのはバスケよりもむしろプロレス
―しかもその身をもって
―なのだが、流石の好雄もこの場ではそんなことは言わない。それにバスケにもある程度の知識は持っている。
というか先ほどの呟きはシリアス風味だったのに、詩織に話しかけられた途端いつもの軽い口調になってしまう好雄。この辺は染み付いたキャラクターというヤツか。
「でも公のヤツ、部活も何もしてないんだから体力ないんだろ?」
「そうね…」
詩織が不安そうに表情を曇らせる。
本当は自主トレを行っているので普通の帰宅部と比べてある程度の体力は持ち合わせている
―そして好雄の情報網でもそのことは掴んでいるのだが、それでも明らかに分が悪い。相当鍛えた人間でも3分間全力で動き回れる体力は持ち合わせていないのだ。
「でも、早乙女君は公に賭けたんでしょ?」
明るい材料が欲しくて詩織が話題を変えてくる。そう言う彼女自身は賭けてはいない。そもそも伝統とはいえ賭け事自体どうかと思っているし、彼女の立場ではどちらに賭けることも出来ないから。もっとも、その心情がどちらに傾いているかは誰の目にも明らかだったが。
「まぁ…ね。あ、でも俺だけじゃないんだぜ? 驚くべき事に」
「えぇっ! 他に、いるの? …誰?」
「私よ」
「って、キャプテンッ!?」
コートの中に居たはずのキャプテンがいつの間にか詩織達の横におり、話に割り込んでくる。
…しかし二人とも、他に公に賭けるような人間が居ないことを前提で話している時点でどうかと。
「公に賭けたって…本気で本当ですか?」
「えぇ、ホントよ」
「じゃあ、何か勝算があるってことですかっ!?」
仮にも女子部の部長を務める人物が勝ち目を見出しているのだ。そして彼女の実力が信頼に足るものであるということも詩織は理解している。公の勝機が決して低くないのだと、そう考えた詩織は勢い込んでキャプテンに詰め寄る。
しかし、彼女の性格までは信頼に足りなかったようだ。
「あ、私、分の悪い賭けは嫌いじゃないから」
「は?」
「じゃ、私は審判しなきゃなんないから。じゃね」
軽く、あくまで軽く、目を点にしている詩織にそう告げる。彼女の意地の悪い笑みが語っている。これだから藤崎をからかうのは面白い、と。
だがそうそう巫山戯ているわけにもいかない。彼女の開始の合図を待っている者がいるのだ。コート内の二人の対戦者。
コートに向き直り、彼らに目を向ける。二人とも早くもお互いを睨み合い、牽制しあっている。彼らの溢れんばかりの闘志に苦笑が漏れる。開始の合図が遅すぎたようだ。
「それじゃ、始めるわよ?」
彼女が詩織に言った台詞、その半分は嘘だ。言った内容自体は嘘ではないが、言っていない内容もある。
彼女が見るに、藤崎 詩織の幼馴染
―確か主人 公という名の男子生徒は話に聞いていた以上にバスケ慣れしている、ように見える。ただ遊びでやっていたというレベルでなく、ある程度ちゃんとした練習を積んでいる
―ボールを手渡して、それを扱う様子を見てそう感じた。
ただの思い込みだろうが、ボールの扱いがまるで去年引退した3年生
―彼女の一個上の先輩が久しぶりにボールに触ったことを懐かしんでいるような、そんな風に見えたからだ。…なんてカッコつけてみたが、先日その先輩が来て同じようにしてたってだけなのだが。
「レディ~」
それだけだが、公に賭けさせるには十分だった。分の悪い賭けは嫌いじゃないし、何より…面白そうだったし。
「面白ければOK」が彼女の信条である。(確かめさせてもらうわよ、藤崎の彼氏さん?)
ピーッ!開始を告げる笛の音が体育館に響き渡った。
(畜生っ! なんで、こんな事になってるんだッ!?)
彼は心の中で毒づいた。だが、その間も目の前の相手から視線を逸らすことはない。
試合が始まって1分強といったところか。都合、攻守は4度入れ替わっていた。バスケットはそのゲームの性質上、展開が速い。
現在のスコアは4-0。未だ無得点なのが彼で、4点…つまりは2度、ゴールにボールを通したのが彼の憎き怨敵
―主人 公だった。
(本当なら俺が…ッ!)
そう、本当なら
―あくまで彼の言う『本当』だが
―彼が一方的に公を蹴散らし、ここぞとばかりに嘲笑ってやる予定だったのだ。藤崎さんの前で。
だが現実には彼のボールは全て奪われ、逆に公のボールを奪うことは出来ず、ゴールを許してしまっている。それも2度ずつ。
確かに主人 公は彼が思っていたよりも格段にいい動きをする、それは認めよう
―認め難い事実だが。
だが、それも運動能力が高いというわけではない。動き自体は取り立てて速いとも言えず、息も早くも切れ始めている。身体能力だけを見ると決して彼の敵ではないはずだった。しかし抜けない。そして止められない。
話を漏れ聞いたところによると
―それも呪わしいことに『彼女』から出た話らしい
―バスケが得意とのことらしいが、とんでもない。そんなかわいいものではない。
いくら上手いとは言っても自己流の、強引なプレイならいくらでも止め得る自信はあった。所詮お遊びの域を出ないものならば、仮に運動神経が卓越していた人間が相手だったとしても押さえ込める自信が。ずぶの素人が素質だけで選手に勝つなんて展開、漫画の中だけの世界なのだ。
別に『アレ』に他意はないですよ?ましてや今の相手は素人に毛が生えた程度の体力しかない。勝てない道理がなかった。
しかし公の動きは基本に忠実で、それでいて洗練されていた。それはどこかで、しかも長期間、正式にバスケを習ったものの動きだ。まだ少ししか対峙していないが、下手すればその技術は自分よりも…。
(そんなわけあるかっ!)
頭こそ振らなかったものの
―公の持つボールを睨みつけていた為
―、強く否定する。そんなことあるはずがない。気の迷いだ。
そう、今までは油断していたのだ。相手が素人だと思って無意識のうちに手加減していた。ほら、俺って優しいから。気のせいか今まで技術云々以前に、まるで常に相手に先手を打たれているような違和感が付きまとっていたが、それすらも油断の産物だ。
そう考え、改めて本気で公に対峙する。腰を心なし低くし、左右どちらを抜きに来ても即座に対応できるように身構える。
ちなみに、ここまで長々と考えてたように見えるが一瞬の出来事である。
「さぁ、来いッ!」
気合を入れ過ぎた為か、声まで出ていたがかまわない。こういうのは勢いが大事なのだ。現にあの憎き主人 公も威圧されたかのように一歩、後退っているではないか。
…などと余計な事に気を取られていたのが原因だろう、仇敵・主人 公の次の動きに対応するのが遅れた。いや、横の動きのみに気を配りすぎていたので後手に回ってしまったというのが正解か。
公がボールを両手で頭上に構え、放る。慌てて下半身をバネにして跳ぶが、彼の長身を以ってしても頭上を行くボールに触れることは叶わなかった。
着地しながら審判に目をやると指を三本立てている。3ポイント。まさかそんなものを狙ってくるとは。思わず舌打ちが漏れる。
だが、それを予想し得なかったのにもそれなりの理由がある。何より初心者に毛が生えた程度
―ではなかったのだが、都合の悪い情報は忘れるに限る
―の主人 公がこの長距離シュートを決めれるはずがないというのが第一。後はまぁ1on1でそんなもの狙ってくるヤツはいないという、ある種の油断だが。
入るはずもないと確信しながら振り向く。そこにあったのはリングを通り抜けるボールと、揺れるネット。そして、沸き上がる歓声。
「これは…出来過ぎだよな…」
息を整えながら思わず呟く公。
公としてはこのシュートは狙ったものではなく、ただの牽制のつもりだった。できれば体力の残っているうち、相手が油断しているうちに点が欲しくて無茶したというのもある。
左右にのみ警戒が強いようだったので頭上から直接ゴールを狙い、リバウンドを拾う。事実、ボールを放った後にゴールに向かって走り出していたのだ。…今思うと自分より背の高い相手に対してリバウンドを取れるかはかなり微妙だったが。杞憂に終わってなによりだった。
かつての公のポジションは
SG。一応、3ポイントシューターという役割を負っていた。だがこれは消去法で決まったポジションであり、実際それほど3ポイントが得意というわけではなかった。それは過去、ベンチ入りも出来なかったことで明らかだろう。
練習で立ち止まって撃つならともかく、試合中
―部内の練習試合にしか出たことがないが
―に放つ公の3ポイントのシュート率なんて1割にも満たない。いや、満たなかったと言うべきか。さらに何度も述べたことだが、現在の身体能力は『過去』のそれに劣る。入ると思える方がおかしい。
どんな幸運が作用したのか、公のシュートが『入ってしまった』。周りの観客も大分沸いているが、一番驚いているのは公自身かもしれない。
スコアが加算されるのを見て、ますますその思いを強くする。7-0。あまりにも出来過ぎだ。何かの意思が働いているのではないかと勘繰ってしまう程だ。
いやまぁ、主人公最強系SSですし。だが、すぐに表情を引き締める。上手くのはここまでだと思うべきだ。本当の勝負はこれからだと。
俺達の戦いはまだ始まったばかりだと。そんで太陽に向かって走ると。流神先生の次回作にご期待くださいと。笑。なけなしの体力とあの日から出来る限り鍛えた運動能力、この身体に染み付いた
―というのはおかしいのだが
―バスケの経験、そして目の前の彼と『過去』に散々対戦し敗北した記憶から公の身に刻み付けられた彼の技術とその癖。その全てが『過去』とは異なるが、それを十全に生かしてなんとかここまで優位に運べた。
だが、体力は早くも尽きようとしているし、こちらの手の内も十分相手に読まれただろう。なにより目の前に立つ男の表情が今までのようにはいかないことを公に悟らせた。
油断も驕りも捨てた、一人のバスケットボール選手がそこにいた。
「まだまだ、お楽しみはこれからだ…ってね」
その姿を前に、これから始まる後半戦に、公は軽口を叩くのが精一杯だった。