―寒い
目を覚ましてまず感じたのは異常なまでの寒さだった。
とにかく現状を確認しようと思い、身を起こそうとしたが、体が動かないことに気付く。
―金縛りってやつか? この寒さも?
今まで心霊現象というもの
―正確には金縛りは心霊現象ではないが
―を体験したことのない彼にしてみれば未知の恐怖を呼び起こすのに十分な状況だった。
何もすることの出来ないまま、悪夢のような時間だけが過ぎていく。時刻の確認が出来ないので、彼からすれば永遠とも思える時間が過ぎたような気がした
―実際には数分程度だったのだが。
体の寒さが堪えきれないくらいになってきたとき、彼に救いの手が差し伸べられた。
「公? 今日は早く起きるんでしょ?」
母親の声だ。その声に彼
―主人 公
―はようやく日常に帰ってこれたような安堵を感じる。
「か、母さん……。俺、体が動かないんだ……」
「あら、起きてたの? おはよう」
公の切羽詰ったような声に対してなんら感慨を持った様子もなく、息子が起きていたという事実のみを認識したらしい母親。
そんな薄情な母親の態度に怒りを感じている公に母親は近づいてきて、
―彼を
―優しく
――蹴り起こしたあの素晴らしい日々をもう一度
第六幕 寸劇Ⅰ・家族百景
ベットから転がり出された衝撃で公はなんとか身動きがとれるようになった。ストレッチ紛いに体を動かすと大分調子が戻ってきたようで、昨日ほどツラい状態ではなくなっていた。若いっていいわね……、母親の表情がそんな事を言っているような気もする。
結局、先ほどの悪寒&金縛りは心霊現象でもなんでもなく、金縛りは筋肉痛によるもので、悪寒に関しては昨晩、親の仇のように
―両親は一応、共に健在なのだが
―貼りまくった湿布の所為だと分かった。
(湿布って貼り過ぎるとこんなに寒くなるのか……)
豆知識として欲しくないような事を知ってしまった公は体中の湿布薬を剥がしながらそんなことを考えていた。
ムダ知識度でいうと『3へぇ』くらいか。全ての湿布を剥がし終えた後、まるで一月前までの自分のもののように着慣れた感じの
―3年ほど着続けるとこうなるであろう
―制服に袖を通す。
母親は既に階下に戻っている。朝食を摂る為に
―昨日の話が本気なら詩織が来ることになっているのだ
―それを追うような形で階段を下りていく公は、なんとなく今着ている制服の入手時の状況を思い出していた。
「ったく、初日で制服を破いてくるなんて、そんな子に育てた覚えはありませんっ!」
(育てられた覚えもないよ……)
母親のお叱りに対し、そんなことを思いながら二人は主人家の物置に来ていた。
公の制服の損傷は一晩で、かつご家庭で修繕できるようなものでなく、新たに購入するか業者に依頼する必要があったため、どちらにせよ少なくことも明日
―回想時点での今日
―は別の上着を着ていかなければならないことになった。
公自身は別に破れたままでもかまわないのだが、息子にみっともない格好はさせられないと母親が止めた、といった一幕もあったのだが。
かといって二着も上着を持っているわけでもない公は、別の制服を用意する必要が出てくる。しかし、幸いな事に公には当てがあった。実は公の両親はきらめき高校の卒業生なのである。
残念ながら女子の制服は現在のものとデザインが変わっているらしいが
―変わっていなければ公が着ていくというわけでもないが
―男子用の制服は父親が着ていたものと変わっておらず、それがここ、物置に収納されているとのことで今に至るのである。
「あ、この箱みたいね」
比較的出し易い位置に置かれていたようだ。大して時間をかけずに目的のものが納められてると思しき箱が見つかる。
その箱を公に下ろさせ、母親は早速中身を物色している。この箱であってるみたいね~とか呟いているのを見ると制服が見つかるのもそう遠くはないだろう。
(やれやれ、虫に喰われてなきゃいいけどな。もしくは色褪せてるとか……。しっかし、無駄に物持ちいいよな、父さんって)
公がそんな心配をしていると母が箱から二着の制服を取り出す。
「あ~ん、残念だけど私の制服はこの箱じゃないみたいね……」
見つからんでいい、とかその歳で「あ~ん」はどうか? なんて思いながらその制服を受け取る公。
パッと見、少しくたびれてるのとナフタリンの匂いがするくらいで特に問題はなさそうだ。……少なくとも片方は。
「あの~、母さん、こっちの制服……は?」
問題はもう一着の方にあった。なんとゆ~か、無意味に長く、何故か裏地が朱でそこに金色の龍の刺繍までされている。そう、それはまるで……
「あ~、それ? 確か父さんが昔、公園でバンチョーって人から『貰った』とかなんとかって……。趣味が悪いから捨てたらって言ったんだけどねぇ? アンタなら気に入るかと思って」
そう、例えるなら『前回』公園で絡んできた不良の親玉、宇宙(?)番長が来ていたガクランのような……。状況から鑑み、父親も同じような事に遭ったと考えるべきか。
(父さん、アンタって何者なんだよ……)
過去、自分が勝てなかった番長からガクランを『奪った』父親に対して恐怖と畏怖の念を抱く公であった。その頃から番長がいたというのもかなりのホラーだが。
まさか母親もバンチョーってのが番長を指すとは思わなかったようだ。そもそも、そのような人種が生き延びていること自体が天然記念物指定物だ。
ついでに番長戦のとき、父が誰を
―母は知らないようだったので
―護って闘ったのか? と思ったが、その疑問を追求する気はカケラもなかった。好奇心は猫をも殺すのだ。
公が無事に翌日を迎えたことについて
―朝起きたら大学生に戻ってる、なんて展開も覚悟してたのに
―考察しながら洗面所から出るとチャイムの音が聞こえてきた。どうやら詩織が(ホントに)来たようだ。
「は~い……って、あら? 詩織ちゃんじゃないっ! おはようございますって、なんだか久しぶりね~」
なんて対応する母親の声が家中に響く。しかし、それに答えてるはずの詩織の声は全然聞こえない。
「ウチの馬鹿息子を迎えに? ごめんなさいね、すぐに呼ぶから。
こらぁ、公! 詩織ちゃんが来てるんだから早くしなさいっ!」
さらに大声を上げなくても聞こえてるっての……なんて内心呟きながら鞄を持って玄関に向かう公。
どうやらこれ以上、ゆっくりと考え事をしてる余裕はないらしい。
「体、ホントに大丈夫なの? やっぱり鞄だけでも持つわよ?」
「い~いって。昨日より大分回復したんだから。それよりも早く行こうぜ?」
愚息が幼馴染と肩を貸す、貸さないと言い争っているのを苦笑交じりに見ている母親。その眼差しは優しい。
「んじゃ、行ってくるよ。母さん」
「それじゃ、行ってきます。おば様」
二人とも挨拶もそこそこに出かけようとする。
「気をつけるのよ~。詩織ちゃん」
「自分の息子は心配じゃないんかいっ!」
「あ、あははっ……」
そんな親子のやり取りを微笑ましく見ている詩織。ちょっと笑いが引き攣っているが。
時間に余裕を持っているのだろう、特に急ぐでもない足取りで二人は出て行った。
楽しそうに話しながら、少しずつ遠ざかる背中を見やり、母親は面白そうに漏らす。
「高校生活二日目から疎遠になってたお隣の可愛い幼馴染が迎えに来る……かぁ。制服の破れといい、昨日一体何があったのかしらねぇ?」
転んだだけだと息子は主張していたが、それを信じるほど甘い母親ではなかった。あの時のぶっきらぼうな様子からするに、なかなか恥ずかしいことがあったようだけど……と母親は予想を立てている。
実際は昨日一緒に登校するという話だけは出ていたのだが、彼女がそれを知るはずもない。それに予想はあながち外れたものでもないのだし。
と、そこに新聞を取りに来たのであろう父親がやってくる。
「おはよう。……何を笑ってるんだい?」
「あら、アナタ……。おはようございます」
朝の挨拶にこだわる主人家の住人らしく、とりあえず挨拶を交わす。
既に遠目にしか見えない子供たちを示しながら続ける。
「ほら、あの子達。ああやって並んで歩いてるのを見ると昔を思い出さない?」
「あぁ、そうだね。もう公も高校生か……。私たちが出会った時の年齢になったんだな……」
「そうね……」
夫は妻の肩に手を回す。その仕草は長年連れ添った夫婦のソレだった。
二人の少し遠くを見るような目は、子供たちにあの頃の自分たち姿を重ねているのだろう。
「あの子達にも……」
「ん? なんだい?」
「あの子達にも、伝説の樹の祝福があればいいわね……?」
「あぁ、私たちのようにね……」
4月の柔らかな陽気は二人の永遠なる幸せな関係を祝福しているかのようだった。