「よぅ、学級委員様っ!」
「あんだよ、好雄ッ!?」
悪夢のような
―実際、公はどれだけ夢であれと望んだろうか
―HRを含めた午前中の授業は終了し、早くも昼休みとなっていた。
クラスメイト達がこの学校に来て初めての昼食を食べる為に右往左往している中、勝手知ったるなんとやらとばかりに悠然と座っている公に対して好雄が声をかけてきた。
「昼飯どうすんだ? 弁当持って来てるのか?」
当然のように好雄の話題も昼食の事となる。食欲旺盛な男子高校生なので仕方ないと言えない事もない。
「いや、持って来てないし、仮に持って来てても昼前に喰い終わってるしな」
そしてそれを遥かに上回る答えを返す公。かつて部活に青春の汗を燃やしていた頃(意味不明)は早弁はあたりまえ、それでも4時限目には高らかに鳴る腹を押さえながら授業を受けていたものだ。
「それに、悪いが今日は先約があってな?」
「先約? …藤崎さんか?」
「違う」
公の断りの台詞に対し、昨日の帰りのことも含めた憶測を述べる好雄。その推理に至った経緯は好雄ならずとも納得の代物だったが、間髪いれずに否定される。0.1秒だ。
「伊集院だよ。飯はどうするか分からんが…昼休みにアイツに用があってな」
「
イジュ~イン~っ!? お前ってもしかしてアイツと仲いいのか?」
「いや」
これまた間髪入れずに否定される。ただ、『今は』という意味合いを含んでいるかは公のみぞ知る。
「まぁ、いいや。んぢゃ、俺はお前の代理として藤崎さんとランチと洒落込むかね~」
「誰の代理だ、誰の。お前とは一度きっちり話を着ける必要があるな。…それと、悪いな」
別に一緒に昼食を摂る約束をしていたわけでもないのだが、謝っておく。気の置けない友達だとしてもこういうのは必要だろう。
気にするなと片手を上げて教室を出て行く
―多分食堂に向かうのだろう
―好雄を見送る。ここで本当に詩織と一緒に昼食を食べようと動いていたら勇者と認めてやるのに…なんて思っていた公は、さっきの好雄の馬鹿でかい声に反応していたのだろう、こっちを見ていた伊集院に気付く。
それを見た公は早速、伊集院の所に向かうことにした。あまり待たせるのも何だし、もっと切実な問題としてこのままでは昼飯を食べる時間をなくしかねないので。
あの素晴らしい日々をもう一度
第九幕 四月に降る雪
「ここが理事長室だ」
公としては屋上辺りを密談場所候補に考えていたが、レイに先導される形で理事長室に来ていた。
これから話す内容は聞かれて困る類のものではないが、それでも歓迎すべきものではない。屋上では誰に聞かれるか分かったものではないし、何より…
「まぁ、悪巧みするならここだよな」
「聞き捨てならないことを言うな、君は。そもそも君から頼まれたことなのだがね。…それにしてもここに入ったことのあるような口振りだね?」
「あぁ、いや。俺って偶に見てきたように話す癖があってな…」
レイは「そうか」と興味なさ気に返し、多分校長の机よりも立派な理事長の机に向かった。
―公が校長の机を見たのなんて『前』に好雄と校長室に忍び込んだ時っきりだが。
公はそれに続くわけでもなく、来客用のソファーに身を沈める。レイが机に向かったのは書類を捜すためだろうと検討をつけていたからだ。それがここに来た際のパターンだった。
案の定、少ししてから小脇に準備してあったのだろうファイルを抱えたレイが公の対面に座る。
「君はまるでここに馴染んでるように振舞うな?」
「そか?」
レイが
―嫌味を含んだ
―疑問を投げかけるのも無理はない。普通
―レイの思う普通は一般とかけ離れていることが多々あるが
―この理事長室に連れて来られた生徒
―ここに来れるという時点である程度の資産家の子弟なのだが
―は無駄に豪華な内装に萎縮して入り口辺りに所在無く立っているのが常である。昨日の様子からして物怖じしないような人間であろうとは予想がついていたが、こうまで伸び伸びと振る舞われると逆に呆れてしまう。
実際のところ、公は『過去』に何度もこの理事長室を訪れたことがある。学校行事の際、レイが何か企む度に
―それこそ悪巧みと言われるような
―好雄共々この部屋に呼ばれ、企画書と称された悪事の計画書を元に夜明けまで討論したものさ…なんて遠い目で思い出してみる公。夜明けまでってのは嘘だが。
そんな公の様子にますます怪訝そうな表情をするレイだったが、頼まれごとに対する責任感からかようやく本題を切り出す。
「それで、これが君に頼まれた調査の報告書だ。目を通すがいい」
「あぁ、サンキュ」
非常に人を喰ったレイの態度だが、他の者ならいざ知らず公としては慣れ親しんだものなので礼まで言って書類を受け取る。
それはパソコンからプリントアウトされたのであろうほんの数枚のA4用紙だったが、その内容は伊集院家の誇るシークレットサービスが調べ上げた最高級のものだ。
前述のように、公は事ある毎にレイの企みに巻き込まれているため、このようなレポートに目を通す機会も少なくなかった
―本人が望む、望まざるに関わらず。
その為、このように渡されたペーパーに何の疑問も抱かず目を通し出したし、そこに何の不都合もなかった。よく見知った『伊集院フォーマット』だったのもあるだろうが。
だが、それは一介の平凡な男子高校生、しかもつい先日まで中学生だったような『庶民』に可能なことだろうかッ!(反語)
←ここで「いや、ない」まで入れると反語にはならないらしい「なんだよ、コレ。わかんないよ~っ! 教えて、伊集院様~!!」
←ドラえもんに泣きつくのび太の口調でなんて公が泣きついてくるのを待ってから勿体つけて解説を入れてやろうと待ち構えていたレイにとって、その光景はただでさえ誤解している主人 公の像を間違った方向に加速させるには十分だった。
(この男…、本当に何者なのかしら? 一見…というかどう見ても普通の高校生のようなのに。お爺様が送り込んだ監視とかかしら? にしてはその隠身がお粗末よね。…やっぱりただの高校生が背伸びして報告書を理解しているフリをしてるだけ…?)
「すまない伊集院」
丁度そんなことを考えていたレイに公が声をかけてくる。そろそろギブアップなのかしら? レイは考えながら公に視線を向ける。
「ここにある入学式の欠席者と途中退席者のリストなんだが、やっぱり名前は見られないか?」
「君の頼みで調べたものだとは言え、君は一介のきらめき高校生に過ぎないからな。彼ら、彼女らのプライバシーに関わるので無理だ。そのリストに挙がっている人物に関してはシロだと調べてあるから問題ないはずだが?」
本当はプライバシー云々の問題など建前で、入学式の欠席者・退出者なんて公がこれから調べても分かるような事だ。だが敢えてレイはそう言ってみた。
(一応、調査書の要点は押さえてきてるみたいだけど、それをどう判断するかよね?)
「そか。まぁ大した問題じゃないんだけどな。気になったんでな」
公はレイの考えを他所にアッサリとそう返すと再び資料に目を落とす。
(むぅ…)
そうして、しばらく公の質問に対してレイが引っ掛けを含めた答えを返すといった時間が流れることとなった。
時間にして10分弱程度だったろうか。公は漸く調査書の最後まで目を通し終った。
短い時間とはいえ集中していたらしく、息を吐きながら伸びをしたり首や肩をグルグルと回している。
そんな公の様子を見ながらレイは『主人 公』の『採点』を終えていた。
(満点とはいかないけど…かなりの高得点よね?)
今の『テスト』の結果からレイが判ずるに、公は完全に報告書の中身を把握出来ており、かつそれを十分に吟味するだけの能力があると思われた。その読解力及び思考は高校生とは思えないものだ。
種明かしをするまでもなく、『今』の公は大学生程度の頭を持っており、その高校3年間も『前』のレイの元で幾度となくこの手のレポートを読まされる機会があったために身に付いたものだったが、『今』のレイには知るよしもない。
一方、自分がそんな『試験』をされていた等と想像もしていない公は、テーブルの上にあった灰皿を近づけながらレイに聞く。
「なぁ、伊集院。火ィ、持ってないか?」
「……君は、煙草でも吸うつもりかね?」
灰皿と公の顔を見比べながら聞き返すレイ。その表情は厳しい。
「まさか。仮にも学級委員様がそんなことするわけないだろ?」
おどけながら答える公。言いながら自分の役職を思い出し、自嘲気に笑ってる。
なんだかよく分からないが、もう一度理事長机に戻り、引き出しから無意味に高そうなライターを取って来る。いつもなら「この僕をパシらせようだなんて…」なんて文句を付けそうなものなのに何も言わないところを見ると、公が何をするつもりなのか興味があるようだ。レイが『パシる』なんて単語を知っているとも思えないが。
「そら」
「サンキュ♪」
レイらしくもなく、ライターを投げて渡す。それでも公に気にした様子は見られないが。
受け取ったライターの蓋を片手空け、おもむろに火を点ける公。その妙に手馴れた様子にやはり喫煙者なのではないかと疑ったレイだったが…その火が書類に燃え移るのを見てそんな考えは吹き飛ぶ。
「なっ、何をしているんだね、君はッ!?」声が裏返ってますよ、レイさん。
「何って? いや、この書類って『EYES ONLY』だろ? だからこ~やって処分したんだけど…?」
不思議そうに答える公。レイが何を焦っているのか分かっていない様子だ。
「いや、まぁ…。ハァ……」
自分の行動に何の疑問も持っていない公の様子にレイはすっかり毒気を抜かれる。溜息付きだ。確かに表紙に『EYES ONLY』と銘打たれていたし
―冗談半分だとしても
―、公が見た後はシュレッダーにかけるつもりだったから燃やされたとしても別に文句はないのだが…
「アチチ…ッ!」なんていいながらほとんど燃え尽きた書類を灰皿に入れる公を見て、妙に疲れた口調で問いかける。
「一体、誰がそんな処分の仕方を…」
「いや、誰って…」
「お前だぁ~っっっ!」なんてレイを指差して叫びだしたいのをグッと堪え、別の答えを探す。全く、世の中なんか間違ってるぞ、なんて考えながら。
「まぁ、スパイ映画とか……かな?」
レイは先ほどの『採点』を30点ほど下げておくことにする。ちなみに100点満点だ。
ちょっと間、妙な沈黙が室内を包んだが
―所謂『天使が通り過ぎる』という状態だ
―このままでは昼にあり付けなくなることを危惧した公が切り出す。
「んで、結論から言うと…」
「あの事故は人為的なものではない、ということだ」
遮ってレイが続ける。
調査の結果、落ちてきた照明に人の手が加わった跡は見られず、ただの老朽化であったと結論付けられている。
証拠の残らない細工という線も考慮して、ここ10日ほどの体育館の人の出入りについても調査してあったが、春期休暇であったことも含め、怪しい人物は浮かんでこなかった。入学式や始業式の準備中も壇上に脚立を持ち出したりして遥か高い位置にある照明に手を加えるような事はなかったし、そのような素振りを見せる人物もいなかったそうである。
以上のようなことを様々な角度から多岐に渡って調査されたかつて資料だったものは、現在灰皿の中で消し炭と化している。
「この答えで、満足したかな?」
いっそ、冷酷とまで言える口調でレイが告げる。伊集院家の総力、とまでは行かないがそれなりに力を尽くした調査によって何も出てこなかったのだ。これ以上、心配することもないだろうというのが彼女の意見だ。その言い方に多分に問題はあるが。
「そうだな……やはり一点、気になることがあるのを除けば、な」
そして、そんなレイの考えを、伊集院家の調査を否定するような返事を返される。それがただの被害妄想や思い込みでなさそうだと感じるのは、それこそレイの思い込みか。
「一体、君は何をそんなに心配しているんだね? 彼女、藤崎君はそんなに狙われるような覚えのある生活を送っているのかね?」
「……それは、違う」
「じゃあ、何がッ!?」
「スマン。それは、言えない……」
言えない。公からすればレイが自分を陥れている
―そんな計画があるのだとすれば、だが
―とは既に思っていないが、しかし現在の自分の状況を説明して理解してもらえるとは思えない。自分なら相手に入院を勧めるだろう。
だが、レイからしてみれば公の額面通りに受け取るしかない。
「……信頼出来ないということか? 伊集院家が?」
人にはそれぞれ様々な事情があり、言えない事の一つや二つくらいある。それはレイにだって分かっているのだが、仮にも命を狙われると疑わなくてはならないような状況に立たされていて、そしてそれを解決できる権力を持っている
―はずの
―レイに何も言わないというのは疑われているから、信頼されていないからとしか考えられなかった。
「いや、これは俺の手で解決しなければならない問題なんだ……」
苦い顔でそう言って、公は席を立つ。そして、続ける。
「それに伊集院家はともかく、俺はお前、伊集院 レイのことは信頼してるぜ?」
「僕のこと…を?」
何を言われているのかわからないって口調でレイが返す。
「ああ。今だって、俺を…この場合は詩織のことか、心配してくれてるんだろ?」
「え? いや、これは……」
「理事長代理としての責務、ってか? そうじゃないだろ? そうかもしれないけど、それだけでもないはずだ。」
「う……」
レイとしてはなんとも言い返せない。図星のようでもあり、そうでないような気もする。この男、主人 公の雰囲気に飲まれているだけのような気もする。
そんなレイを置いて、公は理事長室を出て行こうとする。それを黙って見送るレイ。
扉を開けて出て行く直前、公は最後に振り返って、こう告げた。
「少なくとも、俺はお前のことは友達だと…友達になれると思ってるぜ? 今日はサンキュな、伊集院」
公は理事長室を出て、食堂に向かって歩いていた。この時間ではもう食堂で食事は無理なので購買で売れ残りを買うことになるだろうが。
(これで、放課後の行動は決まったな…)
結局、伊集院に色々調べてもらったが、決定的な事はやはり自分の手で成さなければならないようだ。
(それにしても、友達かぁ…)
最後にレイに告げたことに嘘偽りはない。ただ…
(なんで俺達、『前回』は友達になれなかったんだろうな……)
あそこまでツルんでて、結構バカやってた気がするのにお互い一線
―こう書くと語弊があるが
―を越えれなかったってことなのだろうか…、校庭をまるで雪のように舞う桜の花びらを見ながら思う。
「友達、か……」
その呟きは、図らずも理事長室で丁度同じように呟いたレイの声と共に、予鈴に飲み込まれて儚くも消えてしまうのだった。