断続的に発生する地面のかすかな揺れによって、荒廃した大地がうっすらと砂塵を巻き起こす。遠くないところで砲撃音が轟き、幾度か閃光が乱層雲に覆われた空に瞬く。
そんなロケーションに佇むのは、身なりからしてちぐはぐな二人組だった。
「ふむ……。どうやら今回の召喚は、少々骨が折れそうだな」
黒いボディースーツに紅い外套。浅黒い肌に逆立った白髪の男は、憮然として言った。
「そうですね」
その言葉に言葉少なく応えたのは、男とはうってかわって白いカッターシャツにスラックス、そして黒の短髪と言うごく普通の学生といった感じの少年であった。
しかし、どちらの服装も、硝煙なびく戦場では少々不釣り合いであると言わざるをえない。――もっとも、それを指摘する者は残念ながら、この場に一人も存在しないわけだが。
爆音が空気を震わせる。爆弾の類の炸裂音ではない、強いて言えば巨大な機械が粉砕されたような音だった。――戦闘機でも撃墜されたのだろうか。
明らかに戦闘の場が近寄ってくるのを感じながら、赤い男はため息を吐いた。
「君も私と同じ役割で呼ばれたのか?」
「……どうなんでしょう? 世界から今回の召喚についての情報を貰ってないんですよね」
対する少年は日本人独特の黒い目をわずかにしかめる。
「お前もか? いつもなら殲滅対象の情報を与えられ半強制的に排除に当たることになるのだがな」
「確かに。『抑止力』が発動する、特に二人も召還されるということはかなりの事態の筈なのに」
「ああ。だが意志の操作もされなければ、魔力供給もされていない」
「ほんとですね。ということは抑止力の発動以外の、何らかの方法で召還されたのでしょうか?」
線の細い顎に手を当てて考え込む少年に、男は肩をすくめた。
「さあな、解りかねる」
地面の揺れが極端に大きくなってきた。ひび割れた地面の模様が心なしか歪んできたようにも見える。いい加減無視を決め込むことも辛くなったのか、少年が男に問いかけた。
「それはそうと、さっきからのこの揺れの原因解ります?」
「……いや、目は良いのだが、これほど瓦礫が多いとな。だが、この振動はまるで……そうだな、戦車の大隊の行軍を前にした感覚に近いな」
男は自分の経験から、思い当たる節を挙げる。
「と、いうことは戦争中でしょうか?」
「さあ、な」
赤い騎士は顔をしかめる。戦争の処理ほど嫌な気分になるものはない。
抑止力による戦争の鎮圧とは、双方の正義のうち、どちらかより多くの人間を助けられる方を助け、残りは殲滅するという、まるで間引きをするようなものなのである。時には悪でもないものすら排除する、その世界のやり方を好きにはなれない。
「でも戦争である場合なら余計に情報がないと、どちらを排除すべきかわかりませんね」
少年は赤い騎士の考えていることを理解したのか、目を細めながら音のする方角に顔を向ける。
「そう、だな……。何はともあれ先ずは情報を収集すべきだろう。――異論は?」
「――いえ。行動は共にしましょうか?」
「私はどちらでも良いが」
二人が思案を始めたのを遮るように再度爆音が上がる。黒煙が瓦礫を伴って二人の視線の先で広がった。
「……騒騒しいな」
「場所を移しましょうか?」
眉を顰めた男に、少年が提案する。
「いや、とりあえずはあちらの様子を先に見よう。何はともあれ、最も現状を説明してくれそうな情報源だ」
「そうですね。――厄介事の気配は、この際無視する方向で」
皮肉気な男の物言いに少年も微妙な表情で頷くと、瓦礫の山を乗り越え始めた。赤い騎士が軽々と駈けあがるのに対して、少年は瓦礫に手をかけつつ慎重に進んでいく。その様を見て、男は片眉を上げた。
「なんだ、英霊にしては随分と身体能力が低いな」
手を差し出した男に、少年は苦笑して答えた。
「僕はもともと運動は得意じゃないんですよ」
その言葉を聞き、男は少年の特異性に疑問を抱いた。
確かに、英霊の全てが驚異的な身体能力を持つわけではない。が、体術がさほど重要視されていない魔術師ですら、ある程度の身体能力が無ければ修羅場を超えることは難しい。もちろん、愚鈍な手足をカバーできるほどの技術を得ているのならば話は別であるが。
だがしかし少年は、魔術師にも見えなかった。カッターシャツに黒いズボンというものは、お世辞にも魔術師の装備に見ることは出来ないし、魔術に使用する触媒や呪具なども持っているようには見えない。――もちろん『宝具』を現界させていないだけの可能性も捨てきれないが。
自分の正体を探る赤い騎士の疑惑の視線に気づいたのか、少年は自嘲気味な笑みをその面に浮かべた。
「僕が不審ですか?」
「そんなことはない……と、言いたいところだがな」
実際に、気になっている以上歯切れは悪い。そんな男に少年は苦笑して話し始めた。
「僕はいわゆる魔術師じゃありませんよ。純粋な戦士って訳でもないです。元来僕は極々平凡な人間なのですから」
「平凡な人間、というなら私にもあてはまるが」
「ははっ」
少年は可笑しそうに、そして少しの自嘲をこめて笑いを洩らした。
「そう。確かに最初から特別な人間というのは絶対的多数じゃない。平凡だった人間が偉業を成すこともあるでしょう」
「私が成したのが偉業かどうかはわからんがな」
「それでも結果としてそれを成したのは才能か、努力の賜物でしょう?」
「ふむ」
「僕の人生は最初から最後までただの気弱な子供のままで終わりました。ただ周りに流されて、何が正しいのかも分からずにただ場当たりに生きていただけ。そして肝心な所で逃げ出して、他人に責任を押しつけていた。そんな僕が英霊になることはあり得ない筈だった」
「だが、君は英霊としてここに居る」
赤い騎士の指摘に少年は微笑んだ。それは、笑みでありながらどこか能面じみた無機質な物を感じさせる物だった。
「……反英雄って知ってます?」
「―――!?」
男の身が一瞬硬直した。
「望まれた悪。世界を救うスケープゴート」
「そういう、ことか」
「そういうことです」
赤い騎士の意識に上るのはあの忘れられない戦争の、であった数柱の英霊たち。ライダー、キャスター、そして聖杯に宿るアベンジャー……。
「極々普通の人間だった僕に与えられた才能は、世界を壊す、人を滅ぼす才能でした。その才能すら、仕組まれたものだったんですけどね」
「人を滅ぼす、才能?」
赤い騎士は驚愕を込めて目の前の少年を見やった。目の前で柔和な笑みを浮かべている気弱げな少年が、そのような才能をもつとはとても思えなかった。
「そうです。随分と大した罪人でしょう?」
「……」
少年はくすくすと笑うと表情を消して、未だ爆音の鳴る方角を見やる。
「僕は自分の弱さ故、人を滅ぼしました。だから反英雄としてここに居るんです」
その視線の先は、荒れ狂う戦場ではなく、もっと遠くの別の世界を、自分の破壊した世界を遠望しているかのようだった。
「……」
言うべき言葉のみつからない男が少年を見やる。それに気づいた少年は苦笑を浮かべて地響きの方向へ歩き出した。
「少し話が過ぎましたね。初めての自由度の高い召喚で少し舞い上がっていたようです。僕たちが呼ばれたのは、身の上話を行う為じゃないんでした」
「……ああ、役割は果たさねばな」
赤い騎士も少年に並ぶ。無用な詮索をしたようだ、と少し後悔しながら。
「ああ、そうです。僕はあなたを何と呼べばいいですか? もしかしたら長い仕事になるかもしれませんので。……ああ、真名じゃなくて結構ですよ」
首だけ振り返って少年が問いかける。それを聞いて赤い騎士は思案する。
「……特に名乗る名前は無いがな。真名を隠す時はアーチャーと名乗っている。他にも『贋作者(フェイカー)』でも『魔術師殺し』でも好きな呼び名で呼べばいい」
「アーチャーさん、でいいですね。僕の名前は碇シンジです」
「……自分は真名を言うのだな」
「名前がばれてもたいした損害はないですから。僕のことを知っている人間はもう誰もいませんからね」
並行世界の最後の人類は苦笑すると、身を翻した。
「……衛宮だ」
が、背後からの声に足を止める。
「衛宮士郎。それが俺の名前だ」
「よろしくお願いします、衛宮さん。僕の呼び名はシンジでいいです。碇の姓は、あまり好きじゃないんで」
「ああ、よろしく。シンジ」
二人は少しの間笑みを交わす。お互いにそれなり波乱の人生を歩んでいるが、今この場では関係ない。今の自分たちは英霊の座というシステムの、プログラムに過ぎないのだ。お互いを深く知る必要も、あまりない。
「それでは、仕事に入るとするか」
仕切り直し、と言った風体で赤い騎士は前を向く。それに少年も倣う。
「そうですね。先ずは先ほどから物騒な爆音立てている原因をなんとかしましょう」
「戦闘はできるのか?」
「これでも一応英霊です。だてに『偉業』を成していませんから」
成した事象がなんであれ、偉業であるには違いない。もちろん、赤い騎士辿った路も、偉業の道に相違ない。
肩を竦めたシンジに口元をつり上げてみせたエミヤは、鋭い視線を戦場に馳せた。