切り立った崖を構成していた岩盤が、一斉に崩れ去った。
それは、BETAの群れを飲み込み、まるで彼らを抉るように削りとった。殆どの数の対人級がその土砂の流れに巻き込まれ、おそらくは絶命したと思われる。突撃級や、要撃級といった大型種すら瓦礫に阻まれてしばらくは身動き出来ないだろう。
「シンジ!」
エミヤはそれを見届けると駆けだした。計画通りとはいえ、矢面に立った少年を心配する気持ちは変わらない。
彼らの作戦は、古典的な手段でありながら、この場においては最大の効果の見込めるものだった。ここは山岳地帯であり、切り立った地形が多い。であるから、その地形を利用し、土砂崩れによって敵を一網打尽にすることは、特に戦略的な思考を持っている訳ではない二人にも容易に見当がついた。さらに言えば、BETAの行動は猪突猛進である。殆ど予測ルートが変化しないため、罠を張ることは容易だった。
役割は適材適所で、防御力に優れたシンジが囮と時間稼ぎを行い、その間にエミヤが岩盤の脆い箇所をトレースし、そこに投影した剣を埋め込みんだ上で尊い幻想による爆発を使って土砂崩れを引き起こす、というものだった。
シンジは土砂崩れの直前に退避する手筈だったが、光線級の予想以上の攻撃力によってそれは妨害されてしまった。シンジがその場を守り続けたのは、光線級の攻撃によって土砂崩れが予期せぬ方向に起こり、一般人が巻き込まれる事を防ぐ為もあったのである。
ある意味使命を果たすことは出来たのだが、それでもエミヤは自分の爪の甘さに歯噛みした。例え英霊といえども、見かけはごく普通の少年である。彼を見捨てたのは忍びなかった。
未だ粉塵が収まらない斜面を下って、エミヤがシンジが居た辺りに到着する。即座に周辺を見渡すが、シンジらしき姿は見えない。
「くっ」
何所に埋まっているか、大体の当たりはついている。地面を解析すればすぐに掘り起こすことが出来るだろうが、それを許すほど、彼らの敵は容赦をしてくれない。運良く土砂崩れから逃れた闘士級達が、徒党を組んで瓦礫を足蹴にしてエミヤに向かってきていた。
それを見て、エミヤは悠長にシンジを掘り起こす余裕が無くなったことを察した。。
シンジの英霊としての生命力を信じて、彼を探すことを一旦断念したエミヤは舌を一つ打つと、手に黒弓を投影し、矢をつがえる。その眼は弦と共に引き絞られ、鷹のそれに等しくなった。
生前より、一際高い階梯で弓矢を扱った男の弓術は、その身に宿る魔術と、世界との契約により、神の業にまで昇華されていた。只人ならば、持つことすら叶わない剛弓から放たれた矢は、空を裂くがごとく闘士級に迫り、その胴体と頭部を繋ぐ、人の胴のように太い首を寸断する。それは既に、矢としての破壊力を超えていた。強いて言うならば、戦車砲が如き剛の射である。
だが、その結果を見届けたエミヤは、刹那の時すら待たず再度矢を投影し、第二射を放つ。それにより、再度闘士級が斃れた。
休むことなく、再度矢がエミヤの手に現れる。そしてそれは、先の二射より早く弓から放たれた。矢を投影し、弓に番え、放つ。そのサイクルは徐徐に速度を増していき、とうとう弦楽器を掻き鳴らすような速度で数多の矢が放たれるにいたった。怒濤のような矢の連射が、敵の群れを片端から掃討していく。
しかしそれでも、まるで地虫のように次々と土砂の中から這い出てくるBETA達に、エミヤは顔をしかめた。
「……切りが無いな」
そうごちつつも、土砂の中から身を起こそうとした要撃級の頭を計三発の矢で吹き飛ばす。
しかし、その隙をついて瓦礫を跳ね飛ばしながら突撃級が突進してきた。普段ならば避けるのが最善なのだろうが、いかんせん、このあたりにはシンジが埋まっている。そこを蹂躙させることは承知できなかった。
「――――I am the bone of my sword《我が骨子は捻れ狂う》
」
投影した剣の骨子を歪め、矢を造る。
白銀の輝きを宿したそれを、眼前に迫る突撃級に放つ。それは、先ほどまでと同じく尋常でない速度で突撃級に激突するが、やはりというべきか、むしろそれが当然なのだが、その突進を止めることはできなかった。それでも、並大抵の威力では傷すらつかない硬度の甲殻に矢を突き刺したのはやはり尋常の業ではなかったが。
突き刺さった矢を確認して、エミヤは口元を吊り上げる。流石に突撃級の、そのダイヤモンドを超す硬度の甲殻を貫くことはできなかった。だがそれはエミヤの計画の内だった。そもそもあの矢は、ただの布石に過ぎないのだ。そして、突撃級の甲殻を突いた時点でその布石は成った。
再度、捩れた剣の矢を投影する。その矢を弓につがえるとエミヤはその矢で、なお突進を続ける突撃級ではなく、その背後で貼りつくように移動していた要撃級を穿った。
流石に、宝具で構成された矢は普通の鉄矢とは桁違いの破壊力を見せ、容易に要撃級の頭蓋を貫いた。しかし、それの戦果すら、弓兵の放った布石を活かす余興でしかなかった。。
エミヤは朗々と祝詞を捧げる。
「―――唯名 別天ニ納メ」
要撃級を穿った矢が、物理的に異常な挙動でその頭蓋から抜き出ると、方向を転換する。
「――――両雄、共ニ命ヲ別ツ……!」
エミヤが翳していた腕を払う。その瞬間、要撃級の体液に濡れながらも、鉄(くろがね)の質感を示すその矢が、まるで鋼を裂くような音を立てて突撃級に、――否、突撃級の眉間に刺さった己の片割れに向かって突進した。
そう、続け様にエミヤの放った二本の矢は、骨子を歪められた干将と莫耶だったのだ。それらが、お互いを求めて突撃級の中を突貫し、その中心で合わさった。その瞬間、エミヤは自らを表す、代名詞を唱えた。
「砕けた幻想《ブロークン・ファンタズム》」
突撃級が、辺りの小型種を巻き込んで内部から粉々に吹き飛んだ。爆風に煽られて、エミヤの赤い外套がはためく。
「こんなものか……」
残りで障害になりそうな敵は居ない。残りは有象無象の対人級ばかりだ。エミヤはいい加減シンジを掘り起こさなければと辺りを見回す。そして、急に走った悪寒に、咄嗟にその身を空中に投げた。
「なっ!?」
彼が一寸前まで構えていたところに巨大な触角が突き立てられていた。それから流れる溶解液が、周りの瓦礫を溶かして刺激臭を放つガスを噴出させている。
「……ち、大人しく潰れていればいいものを」
崩れた山肌を跨いで姿を現す、巨大な影。それは全長五十メートルを超える現在確認されているBETAの中で最大の個体、要塞級だった。
突然の攻撃に虚をつかれたものの、すぐに体制を立て直したエミヤは、一段高い岩肌に降り立つ。
即座に反応し、襲い掛かってくる触角。それにひとつ舌打ちをして、再度身を翻す。
「く! 図体のでかい割に器用な奴だ」
要塞級の持つ、剣のような節足の間を縫いながらエミヤは対策を立てる。
体格差は考えるのも嫌になる。そもそもが、像とネズミほどの差があるのだ。生半可な攻撃では、相手は意に介しすらしないだろう。あの質量をどうこうするには、宝具の真名解放くらいの攻撃力が必要になってくるのだが……。
「そうそう暇は与えてくれんようだなっ」
忌々しげに吐き捨てて、エミヤは重い風切り音と共に薙ぎ払われた触角を再度回避する。
降り立ったその先には数体の兵士級が待ち構えていた。だが、相手にしている暇はない。エミヤは速度を落とすことなく、間をすれ違いざまに邪魔な個体だけを干将莫耶で切り捨てた。
目の前に迫る、一体目の兵士級が振り下ろした腕を、すり抜け様に切り飛ばす。
そのままその兵士級を捨て置いて、その後ろに控えていた二体目の脳天に莫耶を突きたてる。
速度を緩めることなく、脇から飛びかかってきた三体目の頸動脈があるだろう位置を引き裂き、再度投影した莫耶を残りの一体に投擲する。
動きを止めた四体目に止めを刺すことなく跳躍。襲い掛かってきた要塞級の触手にエミヤは右手に残った干将を振り下ろした。
無理な体勢から放たれた一撃だったが、なんとか触手の半分ほどを切り裂く事に成功した。しかし切り裂かれた触手が、溶解液を撒き散らしながらのたうち回った。
飛び散った溶解液がエミヤの右腕をき、彼は思わず苦悶の声を漏らした。。
「くっ、おおっ!」
即座にエミヤは溶解液の海から飛び退ったが、かなり重度の障害を受けたらしい。俊敏に動き自分を攻撃する厄介な触角を断ち切る事はできたが。代わりにエミヤは右腕を焼かれて戦力の低下は免れない。後ろの避難民のためにもこの要塞級だけは戦闘不能にしておく必要があるのだが、かなり分が悪かった。
そして、状況はエミヤにとってさらに悪い方向に悪化する。半ば埋没していた一体の要撃級が、その身を瓦礫の中から起こしたのだ。
「ちいっ!」
背後には要塞級、前面には要撃級。絶体絶命もいいところである。
なんとか二体の挟撃を回避することだけは避けようとエミヤはその場から駆け出す。
要塞級が、愚鈍ながらも逃げるエミヤに反応して身を傾ける。
そして要撃級もそれに倣い……その振り上げた剛腕で要塞級の顔面を殴り飛ばした。
「なあっ!?」
思わず驚愕の声をあげるエミヤ。それを脇に置いて、同じく戸惑ったように後すさる要塞級。
それに向かって尚、要撃級が連撃を繰り出し、その剣のような足を折り砕いていく。そ様を呆然と眺めるエミヤの隣に、衣服の所々を焦がした少年が降り立った。
「シンジ、無事だったか!」
「ええ、少し気絶していただけで甚大な障害は無いです。ただ、立ち直った時、目の前に要撃級の頭があった時は、少し驚きましたけど」
それは誰だって驚くだろう、と思ったエミヤだった。だが、それよりもシンジに尋ねるべきことがある。
「あれは君の仕業か?」
指差す先には先ほどから単騎で身内に反旗を翻している要撃級があった。
「ええ、埋まって抵抗出来なかったようなので中枢部を乗っ取って操ってみました」
見れば、要撃級の頭部に粘菌のようなものが張り付いていた。そんなこともできるとは、と半ば呆れながらエミヤはシンジに尋ねる。
「それで、あれをどうする」
二人の視線の先では、持ち直した要塞級が要撃級を引き裂いていた。要塞級は、足を三分の一ほどに削られていながらも、二人に向けて歩を進めてきた。その前面には数十体の小型種が徒党を組んでいる。
「その腕じゃあ、エミヤさんも弓は撃てないですよね……。間合いが大きすぎるから、遠距離攻撃で行こうと思っていたんですが」
「いや、撃てないことは無い」
憮然として言うエミヤにシンジは苦笑する。
「さっきから右腕動かしてないじゃないですか。無理はしない方がいいですよ」
「む……」
「僕が撃ちましょう。遠距離攻撃能力無い訳ではないので。エミヤさんは援護をお願いします」
「……本当に汎用性の高い英霊だな、君は」
呆れたようなエミヤに向けてシンジは苦笑する。
「あはは、ただの器用貧乏ですよ。燃費も悪いですし」
シンジはそう言って、自分を中心にATフィールドで荷電粒子の回転機構を構築する。
「……あと、これを撃ったら多分僕また気絶しますんで、回収よろしくお願いします」
外傷は少なく見えるシンジにも、余裕があるわけではないのだ。それを察して、エミヤは頷いた。
二人がBETA達に向き直る。
シンジが目を瞑り集中を始めるのと同時に、エミヤが駆け出した。左腕に干将莫耶を投影して、迫る小型種を相手取る。片腕だけでありながら、しかし巧みかつ俊敏に、シンジに迫ろうとするBETAたちを屠っていく。
要塞級が、視覚的にはゆっくりと、だが、実際にはその巨躯による相当な速度をもって突き進んでくる。
「第五の使徒よ。雷の加護を顕現せよ」
シンジが目を見開く。その眼は、紅く燦然と輝いていた。
要塞級も渦巻く膨大なエネルギーを関知したのか、速度を上げたがもう遅い。
シンジが空に両腕を翳し、目標を見上げる。
「―――Ramiel《ラミエル》」
眩い閃光が、雷霆のごとく空を染め上げ、十字の火柱が上がった。
「……隊長、何なんですかね、これは」
部隊員全員が沈黙する中、ようやく副隊長が口を開いた。その言によって、まりもははっと我に返る。
必要最低限の補給だけ澄ませて、マッドドック中隊はBETA達に追い込まれている民間人たちを援護するために戦線を離脱した。それが、ついさっきの出来事である。
時間的にはほとんど絶望的なものがあったが、それでもひとりでも、例え一部でも救えればと、目にするだろう避難民の惨状に心慄きながらも、まりもたちは戦術機を駆った。
しかし、最大戦速で到達したその目標地点には、まりも達の予想していたものとは全く違った光景が広がっている。
死骸、死骸、死骸。それが人のものであったのなら、悔いはしても驚きはしなかっただろう。しかし、目に飛び込んできたそれは、紛うことなき彼らの宿敵、BETAのものだった。
何が、このような破壊を生み出したのか、しきりに首を捻る副長だけでなく、まりもにすら心当たりが無かった。
「わたしに、解るわけないだろう」
まりもが、やはり呆然といった風体を隠しきれずに言う。それに肩を竦めて副長もごちた。
「確かに、小官も何度か戦場に出ていますが、こんなのは初めてですわ」
対人級たちの死骸。それらは皆、多かれ少なかれ原形を留めていた。それは異なことである。何故なら、戦術機によって始末された小型種の死骸は、普通なら過剰な弾丸の掃射により原形留めずにバラバラになることが多いのであるから。
しかし、目の前の死骸達は、砲弾などでは決して出来得ない、鋭い斬撃を受けたような傷を受けていた。真っ二つに切断されているものもある。
戦術機の戦いでは、このような死骸は形成され得ない。それに、刃物で対人級に対峙する歩兵も存在しない。故に、それらの死骸は不自然だった。だが、それらを置いてもまだ、異常なものがその場には点在していた。
「見てください、隊長」
副長が、その一つを見上げて言った。
「この突撃級、二枚に下ろされてます」
普通なら甲殻はほとんどそのままで捨て置かれるはずの突撃級の死骸が、縦に二つに割れていた。一体何をすれば、このような死骸が出来上がるというのか。
その他にも、何故か要塞級の足に貫かれた要撃級や、足以外の部位が消し飛んだかのように存在しない要塞級の死骸など、不審は尽きない。
「最新装備を持った特殊部隊の仕業ですかね?」
副長が自分でも信じていないようなことをのたまった。
「いや、今は出し惜しみなどをしている時勢ではない。なにより、この状況を作り出せる
ほど人類の科学力は進化していない」
ダイヤ以上の高度を持つBETAの甲殻を膾切りにできる兵器があるのなら等に投入されているだろう。
「それじゃあ、神様の使いの仕業かなんかですかね?」
その言葉に、まりもは苦笑を洩らした。神の権威は、人類が三分の一に減った今ではとうに失墜している。
「そんな訳ないだろう。とにかく、敵はいなくなったとはいっても、民間人はまだ安全区域には入っていないんだ。先を急ぐぞ」
了解、と部下たちの声を受けて、まりもは自機を跳躍させた。
ふと、空を駆けながら、まりもの頭にある光景が過る。彼女達があの場に到着する寸前、空を染め上げた閃光は、なんだったのだろうか。
最初は、重光線級のレーザー照射かと歯噛みしていた。しかし、なぜかあの光を見て、彼女は恐怖を感じなかったのである。まるで、お伽噺のように未来の希望を照らす光に見えたのは、何故だろう。
一瞬、立ち上った火柱が、荘厳な十字を象ってはいなかったか。
「……まさかな」
本当に神の裁きなら、とっくにBETAなど地球から消えている。まりもは自分の心中に浮かんだ考えを自嘲して、先を急いだ。