あれから、女性は強化装備の無線によって救援を呼ぶことに成功した。それによって身の安全を得ることができた彼女であったが、装甲車を回した歩兵は、彼女の傍にいる二人の民間人(だと思われる)人間を見て当惑の表情を見せた。
「失礼ですが、神宮司中尉」
恐る恐る、と言った風体で伍長の男は進言する。
「なんだ」
それに応える女性は、仲間を失った絶望からなんとか精神の再構築を達成することができたのか、凛とした佇まいで対していた。
「その後ろのお二人は何者でしょうか?」
伍長は、彼女の背後で手持ち無沙汰に立ち尽くしている二人を指して訪ねる。まあ、当然の疑問である。
「私の救助を行って頂いた方達だ」
「救助、でしょうか。……恐れながら、この戦場の只中において民間人が出歩くことは尋常の事ではないかと」
この場所は、一番近い避難用シェルターまで二百キロは離れている。その上、民間人の避難ルートからも大きく逸れているのだ。
「伍長、貴様に意見を求めたつもりは無いのだが」
「はっ、失礼しました」
しかし、女性――神宮司まりもはその提言を一蹴する。伍長は一瞬うろたえたが、すぐさま表情を引き締め敬礼をする。自分が知る必要の無いことneed to knowの原則に触れることを察したからである。
「とりあえずお二人には基地まで同乗して頂く。流石にノーチェックで基地内には入れないだろうが、少なくとも安全地帯であるのだろうからな」
「はっ」
現実には、まりもにすら、二人の正体は分かっていなかったのだが、そんなことを伍長は知るよしもなく、三人を装甲車の搭乗口に案内した。
こうして三人はしばらくの間、装甲車の固いシートの上で揺られることになった。
「申し訳ありません。神宮司さん、手を煩わしてしまって」
恐縮するシンジに、まりもは首を振った。
「いえ、命を助けて頂いたせめてもの報いです」
「命を助けたといっても我々はただあのコクピットのハッチをこじ開けただけなのだがな」
恐らくだが、この世界では生身で件の異形を斃すことは異常の部類に入るのだろうと見当をつけて、エミヤは自分達がそれを駆逐したことを隠して言葉を返す。
「それでもです。私は、あろうことか戦場で恐慌に陥ってしまっていました。あの場でただ蹲っていたらそのまま後続のBETAにやられていたでしょう」
BETA、という言葉は先の異形のことを指すのだろう。
「私は自分を見誤っていました。教導隊に所属し、中隊を任されて、気心の知れた仲間もいて。奴らに相対しても確実に勝てると奢っていました」
その結果が、部隊を全滅させて一人コクピットで怯えていただけだった。とまりもは自嘲する。
がたがたという、装甲車の硬いタイヤが、ひび割れた地面を転がる振動音が車内に響く。
シンジは困ったようにエミヤに顔を向けたが、エミヤはそれに対して僅かに首を振るだけだった。
エミヤにとっての初陣とは何を指すのか。そもそもかの聖杯を賭けた戦争において敵は異形などではなかった分、精神的、根源的な恐怖はそれほどなかった。そもそも、彼にとっての最初の戦闘は(戦闘に当てはまるか疑問であるが)、かの槍兵に心の臓を抉られた一件であり、恐怖を感じるまでもなく一度死んでしまっているので、初陣どころか戦闘の恐怖そのものを感じるまでもなかったのだ。
それを考えたらむしろシンジの方が異形と人型兵器で戦って恐慌に陥った経験がある。だが、それを持ち出してまりもを慰める訳にもいかない。そのような体験談を語ったところで、精神異常者か妄言癖のある子供としか見られないだろう。
そもそも、まりもは慰められることを望んでいない。ただ、仲間を死なせてしまった罪を責めて欲しい、罵倒して欲しがっていた。それが感じられるからこそ、二人はまりもに声をかけることができないでいた。
そのまましばらく、三人は言葉を交わすことを止めた。そこはかとない悲壮が、まるで冷たい油のように場に浸透していた。
まりもは開かれた窓から外をなんとなしに眺めていた。外の景色など、BETAによる過度の進行によって荒らされ抜かれた、何もない更地が巡っているだけである。その光景を見ながら、彼女は自分の部隊の物たちのことを思い出しては鬱々としていた。
それに対するように座っていたシンジは、手持無沙汰げに車内に備え付けられた端末の液晶を見つめている。時折何事かを一人口走っているが、その内容は振動音に紛れて聞こえることはなかった。
シンジは、まりもはこの苦悩を克服するだろうと、それを昇華することができるだろうと思っていた。会ってまだ半日と経っていないが、それでも神宮司まりもとはそれが出来る強さを持っていると、何故かシンジは確信していた。
彼がそう考えた理由は定かではないが、まりもが彼の姉だった女性にどことなく通じるものを持っていたのも、それを感じさせる要素の一つだったのかもしれない。
エミヤも、鬱々としているまりもを気にしつつ、壁に背をついて腕を組み目を閉じていた。彼は英霊として情報を得る今というチャンスを無駄にしたくないと考えていおり、現在のこの状況、この世界の現状を把握している軍人であるまりもには早く立ち直ってほしいと考えていた。打算的な思考ではあったが、重要なことでもある。
だが、それだけではない。
彼は元来どうしようもなくお人好しな人種である。落ち込んでいる人間には手を出さずにはいられない、生前はよく鬱陶しがられた性癖が英霊となった今でもやはり彼には残っているようで、その性質は目の前の女性にも発揮された。
ずっと目を閉じていたエミヤが、目を開けることなくおもむろに口を開いた。
「ある女性が居た」
その言葉は、もちろん伝えるべき相手に向けて発された言葉だったが、誰に向けてと言うような明確な指向性を持っているように感じられない、強いて言えば、過去を懐古するような響きを持っていた。
「その女性は至高の戦士であり、優越した指揮官だった」
エミヤが自分にむけて話しているのだと察したまりもは彼の方に目を向けた。シンジも伏せていた目をあげ赤い騎士を見据えた。
「しかし、人は万能ではない。いや、万能な人間などは存在しえない。彼女は、民の為この上ない功績を立てていったが、それでも救えないものが少なくなかった。戦いで部下が死なないことなど稀だったろう。助けの届かない民草の命を見捨てたこともあった。時には道を違えた同胞を手にかけることもあった」
想うのは戦いの丘。敵の骸と、味方の遺骸と、折れた剣とが形成した丘に立つ少女。彼女はそれでも気高く美しかった。だが同時に、彼女の心は哀しみにくれていた。
『守りたかった人たちが居て、守れなかった自分が居た』
「理想の為に、彼女は命を賭けて戦った。だが、それでも失ったものが多すぎた。―――彼女にはそれが許せなかった」
淡々と話すエミヤの言葉を受けながら、まりもは下唇を噛んだ。その女性と自分の境遇は、どことなく一致している。
「『自分では無く、他の誰かが選ばれていたのならもっと上手くいったに違いない』」
エミヤの発した台詞に、まりもの肩がびくりと震えた。そして、その向かいに居るシンジも何故か表情を緊張させた。
「彼女は戦い続けた。例えその先に、避けえない孤独な破滅が待っていたとしても、無念の過去を変えるために戦い続けた」
この言葉の意味を、エミヤ以外の二人には理解できなかった。だが、その言葉の真意は理解できたような気がした。
「その女性は、どうされたんですか?」
シンジがエミヤに尋ねる。その瞳の奥に一瞬、何かを望むような光を走らせて。
「度重なる戦闘と、折り重なる苦悩の果てに答えに辿り着いた」
その答えを、かつてのエミヤも一緒になって探した。その答えが絶対的な真理とは限らない。だが―――
「彼女に限らず、戦いに身を置く者たちは常に、多くの物を奪い、多くの死を重ねてきた。だが、それを何もかもを無かったことに、否定してしまっては―――」
―――奪われた、全ての想いは何処へ行く?
その言葉にはっとした気配が二つ。一つは女性と、一つは少年と。
「その道が、今までの自分が、間違っていなかったと信じているなら、結果は無残でも、その過程に一点の曇りが無いのなら、最後まで守るべきだろう?」
なにを、とは言わない。それは、ひとりひとりが別々の物を、その魂に刻んでいる。
俯いていたまりもが、先ほどとは違い意思に溢れた瞳でエミヤを見据えた。それに応じるように赤い騎士は目を開いて苦笑を洩らした。
「まあ、偉そうに説教を垂らせる程に、私は立派な人間では無いのだがな」
その言葉にまりもは首を横に振る。その面には、未だ目尻に涙を溜めつつも清々しい笑みが浮かんでいた。
「いえ、お陰で彼らの、私の道になった部下のことを侮辱せずに済みました。感謝します」
彼女は一つの心理的な壁を越えたようだった。先ほどまで悲壮感に溢れていた車内の雰囲気が、少し明るくなった。エミヤは笑みを浮かべると、再度壁に背中を預ける。そして、まりもとは反対に俯いてしまった、先ほど出会ったばかりの少年に目をやった。その面持ちは、どことなく悲しげに見えた。
赤い騎士はまだ知らない事ではあったが、『碇シンジ』にとって自分を肯定すると言う行為は、かなり難しかった。なぜなら彼は、彼の世界の戦いの中で己の理想を見出すことはなかったのだ。ただ場の状況に流されて、自分の信念を確固することはなく、ただ惰性で戦っていた。
同僚の少女たちも、姉と慕った女性も、兄のようだった男も、そして最後まで理解し合えなかった父ですらも、彼の周りの全員が何らかの信念をもって戦っていた。ただ一人、彼――碇シンジだけは、何の立脚点もなく戦っていた。その結果世界を壊してしまった彼には、自分を正当とすることができない。なぜなら、正当とするだけの信念を彼は持っていなかったのだから。だから、エミヤの話を聞いても、シンジは自分の罪を乗り越えることは出来そうになかった。
だが、エミヤの話から、得たこともあった。
『―――奪われた、全ての想いは何処へ行ってしまうのだろう?』
(そうだ。自分には、碇シンジには過去を肯定することは許されない。だが同時に、否定することも許されない。僕が奪った全てのもの。それを忘れることだけでなく、昇華する事も自分に許してはいけない)
それは、自分が無作為に奪った、数十億人の人々の想いを踏みにじることなのだから。
そこまで思い至ったシンジはエミヤの視線に気づいた。その鷹のような鋭い目の奥に僅かな思慮が覗いている。それを見たシンジは曖昧な笑みを漏らすと、その視線から目を逸らした。