「ふむ、それで、貴様はこの二人に救助されたと、そう言うことか?」
「はっ!」
必要最低限の明かりが灯る狭い部屋の中で、初老の男はむうと唸るとまりもの背後の二人に目を向けた。
三人を乗せた装甲車は一時間ほど前に帝国軍臨時司令部に到着したが、そこはそもそも身元不明の人間を許可なく招き入れることは出来ない。まりもが前を塞ぐ門兵を押し切って、とりあえず直属の上官である師岡を頼ったのだが、流石に基地内に入ることはできずに入口横の留置所にて尋問を受けることになったのだ。
二人も自分たちがすんなり入れてもらえることは無いだろうと予想していたので、すまなそうな表情をしているまりもに笑みさえ向けて、手錠の拘束を享受した。
「すまないが二人とも、個人識別コードの提示をしてもらえるかね?」
エミヤはその言葉に内心舌を打った。個人識別コードとやらは、身分証かそれに準ずるものであるのだろうが、普段抑止の守護者として召喚される時には身分証などは持ち得ない。当たり前の話だが、殲滅対象を世界のバックアップによる超火力で排除するだけで用件は済むのだから。
だが、こと今回の召喚においては魔力供給も無ければ殲滅対象の情報もない。恐らくBETAと呼ばれる異形が重要な要素なのだろうが、現在の状況では途方に暮れる他ない。現状わかっていることは、少なくとも任務の詳細がわかるまで情報収集をしつつ生きていかなければならないという事であるが、いかんせん、身元を保証するものが無ければある程度文明の発達している世界ではそれは難しいのである。
どういった言い訳をするべきかと頭を悩ませていたエミヤだったが、師岡の言葉に対してシンジが発した言葉に唖然とした。
「B-87321EA-443W衛宮士郎と、同じくB-01881UV-597Lの碇シンジです。照合願えますか?」
「ふむ、君、照合してくれ」
「はっ」
シンジがさも当然といったふうに数字を口にし、師岡がそれを端末を持った部下に解析させた。驚きを表情に出すことはなんとか押さえたが、エミヤはそれを呆気にとられて見ている。
「ふむ、衛宮士郎二十八歳に碇シンジ十四歳ともに京都在住、か」
「はい、前回のBETAの侵攻の際に避難民の輸送車に乗り遅れてしまいまして……なんとか自家用車であの付近まで来ることができたのですが、ガス欠して立ち往生していたところだったのです」
先ほど散歩と言って誤魔化した手前、まりもは二人を不満そうな目でにらんだが、それに頓着せずにシンジは淡々と虚偽の証明をする。
「数ある防衛線を知らず知られず通り過ぎて、BETA 出没地点の只中に侵入するとは……。無知が招いたこととは言え、とんでもない話だな……」
師岡が呆れたように言うと、シンジはあははと乾いた声で答えた。
「いや、あそこで神宮司さんと出会えて良かったですよ。もしあのまま立ち往生していたとしたらぞっとします」
いけしゃあしゃあといってのけるシンジにエミヤは思わずこめかみを押さえた。どうやらこの少年はどうにかしてこの世界のデータベースにアクセスして、自分たちの情報を滑り込ませたらしい。そのような機会がいつあったか知れないが、助かったのは事実だ。それでもエミヤは少々の脱力を避けえなかった。
「どうかしましたか? 衛宮殿」
「いえ、なんでもありません。少々疲労が溜まっているようです」
その疲れた様を鑑みて、師岡が声をかけてきたがエミヤは幾分沈んだ声で返す。それに対して師岡は先ほどまでの威圧感を緩める。二人が一般人であると知れた以上、彼にとって二人は軍人として守るべき対象になる。彼は二人の手錠を副官に外させると言った。
「流石に京都からBETAとの追いかけっこは神経を使ったでしょう。その上神宮司も助けて頂いた。感謝します」
あの程度の異形に対して神経をすり減らすような柔な神経はしていないが、その点に関しては触れずに、二人は素直に礼を受け入れた。
「とりあえず今晩はこちらで部屋を用意しますのでそちらでお休み下さい。明日からのことについては、部下が朝食に案内しますのでその時にでも」
師岡の手配に二人は感謝の言葉を発すると、師岡の副官の先導に従って部屋を出て行った。そして場にはまりもと師岡が残された。
まりもは姿勢を正して師岡に相対している。暗い室内に再度えもいわれぬ緊張感が沸き起こった。
「神宮司中尉」
「はっ!」
「貴様の部隊の、貴様以外の隊員は全員戦死が確定した」
「……っ!」
「彼らの死に対して貴様に一切の責が無いわけではないことを覚えておけ」
「はっ!」
「だが、彼らの死に対して過剰な自責で自らを滅ぼすな。後悔を背負って生きることは悪いことではない。だが、それで歩みを止めるようならばそれは彼らに対しての冒涜となる」
「はっ!」
「彼らの命の代償が貴様の命だ。それを決して無駄にはするな。その自責と憎悪は、まとめてBETAに向けてやれ。その方が彼らの本懐だろう」
「……はっ!」
まりもは涙をこらえて返答を返す。師岡はその表情を観察して感嘆のため息を漏らした。彼は戦闘で仲間を失った衛士たちを多く見てきた。彼らは総じて、BETAの恐怖に慄き、自らの微力を責め、又は逃避に走るなどしていた。
そんな彼らに対して尻を叩き、発破をかけてやるのが、上官として、また年長者としての師岡の責務であった。それほど、彼ら衛士にとってBETAとの戦闘というものは恐怖と後悔に彩られるものなのだ。
しかし、向かいで背筋を伸ばすまりもからはそのようなへたれた気配が無い。仲間の死を悲しむ気持ちも、自分の非力を恨む自責も存在しているが、それ以上に裂帛の覇気が見て取れた。
なるほど、と師岡は胸中でごちる。少し前まではひよっこだったのに、自分が手をかけるまでもなく、目の前の衛士は既に次に向かって歩き始めている。『衛士の心得』それをいつの間に体得したのか。ふと先ほどの二人が脳裏をよぎる。戦闘後のまりもに付き添ったのはあの二人だ。彼女に影響を与えるとしたら彼らが妥当な位置に居た。
「……まさかな」
「はい?」
しかし情報では彼らは確かに一般人だ。戦争の心構えなど問えるはずがない。
「いや、一人言だ。……神宮司」
「はい!」
「BETAの侵攻は現在膠着状態にある。首都は東京に移されたが、いつ再侵攻が始まるかわからん」
「……はい」
「なんとしても止めるぞ、神宮司。貴様には再度中隊を率いてもらう。今回の戦いの生き残りたちだ。元の所属もそれぞれ、纏めるのに難儀するだろうが、やれるか?」
その言葉に、揺るぐことない敬礼でまりもは答える。その目にはこれ以上ない意思が滾っていた。
「はい! 尽力致します!」
本当に、彼女はいい衛士になる。師岡はそう直感した。
「よし、今日はもう休むといい」
「はっ!」
まりもは敬礼して師岡に背をむけ入口に向かう。その背に向かって師岡は再度声をかけた。
「神宮司」
その声音はいつもの上官としての厳格なものでなく、一人の教え子をみる師のものだった。
「はっ!」
多少の動揺のあと振り返ったまりもに一言。
「……よく、帰ってきた」
愛情を込めた言葉を受けたまりもは、万感を込めて再度師に敬礼を返した。
「まったく、驚いたな」
エミヤはそう漏らしてベッドに腰を下した。パイプの骨組みに固いマットレスが敷かれた簡易なものだ。
「そうですか?」
シンジも苦笑して反対側に据えてあるベッドに腰掛ける。
二人は下士官用の相部屋をあてがわれていた。部屋自体は上等な造りとは言えなかったが、二人とも頓着しない。エミヤは生前、特に戦場を渡り歩いていた時代においては野宿をすることもざらだった。そんな彼にとっては屋根があるだけで十分休息を得ることができる場所といえた。その上寝具もあるのだから文句なしの環境と言える。対してシンジの方も、ある意味では彼女の姉代わりだった女性の部屋よりも環境(この場合は整理整頓)ができているため、不満を持つことは無かった。
「うむ、どうやったのか是非とも聞きたいものだな」
もちろん、彼らの身分詐称の件である。
「ああ、あれはですね……」
「うむ、……ああ、ちょっと待て」
エミヤの問いに苦笑しつつ種明かしをしようと口を開いたシンジだったが、エミヤそれを手で制す。
壁に手をつき、目をつむる。
「―――――同調(トレース)、開始(オン)」
しばらく壁を走査して、解析を切るとエミヤは皮肉下に口元をつり上げ、やはりか、とごちる。
盗聴器が三つに、監視カメラが一つ。まあ、当り前の措置だろう。いくら一般人だといえ、見知らぬ信用できない人間相手に完全に警戒を解くことなど愚の骨頂だ。一般人に成り済ますことが諜報員のきもであるのだから、それを失念することは致命的なミスになりえる。
エミヤの行動に思い至ったのか、シンジも顔を強張らせる。そしてすぐさま部屋に備え付けてある内線を手に取った。ただし、どこぞに連絡を入れるためではない。
シンジは受話器に向かって、自身の能力を励起した。
「―――――Ireul(イロウル)」
受話器に向かってそう囁くと、シンジは暫くぶつぶつと何事かを唱え始めた。
「―――防壁――解除―パス確認――コード偽造―解除――システム停止―――データ偽造――確定」
しばらくの間、エミヤは何もできずに、おそらくは何らかの対策を講じているシンジを伺っていた。対象の構造を投影の応用で少しいじればエミヤにも監視機器の無力化は可能だったが、それでは意味がない。『監視機器が無力化された』という事象そのものが疑惑の証拠に成り得るからだ。シンジが何をしているのかは解らないが、おそらくその点も克服できる手段があるのだろう。
ふう、と、いつの間にか紅く染まっていた瞳を元の黒に戻してシンジはため息を吐いた。
「もう、大丈夫です、目と耳は封じて、ダミーのデータを流しています」
ある程度予想していたとはいえ、その言葉にエミヤは驚かずにはいられなかった。
「……情報操作か。恐ろしいな」
人間同士の戦争において、―――いや、戦争に限らず―――情報という物は時に万の兵より多きな力を持つことがある。そしてそれは特に文明レベルが高くなればなるほど顕著になっていく。
「元は僕の能力じゃないんですけどね……。こと情報機器に関しては、かなり高度なレベルで操作できます」
非常に強力な能力である筈なのに、その表情に浮かぶのは自嘲だ。その事に関して表面上は頓着せずに、エミヤはシンジに尋ねた。
「私達の戸籍についてもその能力を使ったのかね?」
「ええ、さっき装甲車に乗っていた時に端末にアクセスをかけてみました」
エミヤはシンジが装甲車の中で何事かうつむいて何事か呟いていたことを思い出した。
「感謝する。お陰でいきなり牢屋に放り込まれる事は免れた」
「お互い様です。衛宮さんが監視機器に気づいてくれてなかったら結果は同じですから」
そう笑いあって、二人は表情は真剣なものに戻す。
「それで、その際にこの世界の情報もある程度収集できました」
「ふむ」
シンジは暫く思案すると、考えを紡ぎ始めた。
「世界意思の考えはわかりませんが、殲滅対象は恐らく確定しました」
「やはり、あのBETAという生命体と関係があるのか?」
はい。と頷いてシンジは続ける。
「正式な名称はBeings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race『人類に敵対的な地球外起源生命』。不確定の太陽系の外から、火星、月を経由して地球に降り立った『侵略者』。彼らはユーラシアのカシュガルを中心に二十個所に及ぶ拠点をこの星に設置し、尚勢力の拡大を続けています。彼らは高度な生物体系を持ち、技術的なものもベクトルが多少異なりますが、この星の水準より発達しています」
「ふむ。インベーダー……か」
「ですね。もちろん人類も手をこまねいている訳が無いので対抗しています。ただ、相手がかなり高度な対空兵力を所有しているため、効率の良い空軍勢力による攻撃が通用しません。――そこで主流兵器となったのが、人型機動兵器『戦術歩行戦闘機』」
「なるほど、先の『戦術機か』」
合点がいったエミヤにシンジが頷く。
「ええ、それによって人類は何とか防衛線を食い止めている現状です」
その言葉に、エミヤは眉を潜める。
「食い止める?」
「ええ、彼らと人類の戦力差が余りにも大きすぎる」
そこでシンジが少し表情を強張らせて一泊置く。
「単純な数字でいうと、戦術機一機に対して、敵との数量差は凡そ数千」
その言葉を受けてエミヤもシンジの言わんとすることがわかったのか嘆息する。
「彼らの総数は数億」
シンジも苦々しげに言葉を吐いた。
「英霊が一人や二人居たところでどうにかなる数じゃないです」