「なあ、シンジ」
刃が高速で走る。エミヤは額に汗をにじませ、次の対象に得物を向ける。
「なんでしょうか、衛宮さん」
揺らめく炎に僅かに目をしかめ、シンジが少し冷静さを失った声で返す。
「この数は、少々、予想外だ」
「同感です。この圧倒的な数の差はいかんともしがたいですね」
二人揃って、残りの数を数える。が、数えきる前に二人はその行為を止めた。それだけ、相手との数量差は絶望的だった。
「相手を観察している暇は無い。まずは、目の前のこいつらを片付けねばな」
「くっ、数をこなすのがこんなに大変だったなんて……」
シンジが若干の弱音を漂わせるが、それをエミヤは切って捨てる。
「今は考えるな。数に呑まれて戦い続けることは難しい。俺は、生前それを学んだ」
「こんなに、数をこなしたことが、あるんですか?」
「いや、数より量が多かった……」
エミヤは再度『敵』を一瞥してごちる。
「うちには大食漢が大勢居たからな」
そう言ってかつての剣精や虎を思い起こす。と、その時、威勢の良い声が二人の会話に割って入った。
「なぁにやってるんだい。新入り、後がつかえてるよ! ただでさえ人手が少ないんだ。とろとろやってたら、日が暮れちまうよ」
「う、うむ」
「り、了解ですっ!」
二人はそろって返事をすると、各々の作業に再び取り掛かった。
PXの前には長蛇の列。昼食の時間はまだ、始まったばかりだった。
事の始まりは二人がこの基地に身を寄せた初日、まりもが二人の部屋を出てからきっかり一時間後、エミヤとシンジが言われた通りPXにやってきた時に遡る。二人はある程度の議論を終えてひと段落したところで、基地の中でも比較的彼らの部屋から近いPXへ赴き、そしてその場の状況に当惑した。
「おい、てめぇ、ちゃんと並べよ!」
「ぁあ? さっきから並んでるだろうよ! 法螺吹くんじゃねぇ!」
「んだと、おいっ!」
「止めろ! 変な騒ぎ起こすんじゃねえ。食いっぱぐれんぞ」
場を占める熱気と怒声。
「あー、すまん。俺たち予定詰まってんだ。ここ入れてもらっていいか?」
「ふざけろ! んなのは俺らも同じなんだよ」
「おい、おせーぞ! 曹長、何やってんだ!」
そして、時折殺気すら籠りかねない鋭いやり取りが行われていた。
まりもの話では当の昔に正規兵達の朝食は終わっている筈だったのだが、目の前の騒動から鑑みるに、どうやら何かしらのトラブルがあったらしい。PXの前に長蛇の列を成して並ぶ兵士たちは口々い不満を言いあい、時折どなり声を上げている。
「な、なにがあったんでしょう?」
シンジがこめかみに汗をたらして問う。それにエミヤが若干呆れた表情で答えた。
「わからん」
二人が茫然と入口の横に立ちつくしていると、背後から凛とした声がかかった。
「済まないが。並ぶか退くかしてくれないだろうか」
二人が振り返ると、そこには赤い制服を着た女性が立っていた。鮮やかな翡翠の髪を束ねたその女性は眉を顰め、さらに続ける。
「そこは往来もある。立ちつくされると迷惑なのだが」
「む、すまない」
「ごめんなさい」
流石に非は二人にあったので、女性に頭を下げると、とりあえずその後ろに並ぶ。女性はなおも苛ただしげに溜息を吐くと、遅々として進まない列に対して不満を漏らし始めた。
「まったく、いくら即興とは言え、仮にも前線基地の機能が、これほど無様に停滞するとはな」
誰となしに吐かれた言葉の様だったが、エミヤが受け答える。
「いったいどうしたんだね、この状況は?」
しかし女性はエミヤの問いが聞こえなかったのか、それとも無視をしたのかわからないが、女性は反応することなく苛々と指を動かしている。その様子にエミヤとシンジの二人は顔を見合わせた。
「それにしても、凄い列ですね。たしか兵士の人の朝食時間はとっくに終わっている筈なのに」
なんとなく気まずい雰囲気になったのを察して、シンジがエミヤの問いを引き継ぐ。
「各地から残存した兵達が集まってきたせいで、もとからこの基地に存在するPXやその他の福祉衛生が兵の数に対応しきれなくなっている」
先の様子から答えが返ってくるとは思っていなかったシンジだったが、何故かあっさりと返事が返ってきた。エミヤは怪訝な表情を浮かべたが、女性は気づかずにシンジに向き直っていた。
「そうなんですか。じゃあ、一時間前からずっとこんな感じですか?」
「ああ、これでも少しは納まったほうだがな」
そんな二人の会話に、エミヤがため息を吐いて口を開く。
「ふむ、ならばまた少し時間をずらして来るか」
「そうですね……」
「止めておけ」
若干肩を竦めて部屋に戻ろうと歩きだした二人に、先の女性が声をかける。
「このままでは昼になっても大して変わらんだろう。時間を置くだけ無駄だ」
「ふむ……。だが、何分食客の立場なのでね。ここは正規の軍人に譲るのが、せいぜいの礼節だろう?」
そのエミヤの返答に女性は怪訝な表情をする。
「……食客?」
「ええ、この近くで保護されまして。僕たち二人は軍属ではないんですよ」
「そう、なのか……?」
女性は怪訝な表情を浮かべてシンジに聞き返した。
「はい、ですから、お気遣いは結構ですよ」
そう返答してほほ笑むシンジに、女性は少し頬を赤らめると、そうかとだけ答えて視線を逸らした。
その様子を見てエミヤは若干の苦笑を見せると、身を翻した。シンジも女性に礼をしてその後を追う。
「いろいろと、大変そうですね」
「ああ、兵士にとって、食事というのは数限りある娯楽の一つだからな。それに対してシビアになるのも仕様が無いだろう」
「そうですね。……でも、こんな状態でこの基地、しっかり機能できるんでしょうか」
「判りかねるが……。まあ、そこはプロだ。実際の戦闘となれば割り切れるだろう」
どうにも心配げに、PXの前の列を見るシンジにエミヤが言う。そうして見ている間にもその行列は膨れ上がる一方である。
とりあえず、その状況についての弁護はしてみたものの、エミヤもこのまま戦闘になった時の事を思って不安になる。とはいっても、自分たちの身の不安ではなく、戦場に出る彼らに対する不安だったが。
「ふむ……」
エミヤはしばし黙考する。目の前の兵士たちの列は今なお減る気配を見せない。これはもう、仕方が無いかとため息を吐いた彼の眉の思考を察したのか、眉をハの字にしながら苦笑を浮かべてシンジが口を開く。
「実は僕、そこそこ料理が得意なんですよね」
そのシンジの言葉に、エミヤも苦笑する。可笑しな偶然だ。
「奇遇だな。私もだ」
その返答に二人は声をそろえて笑い、たった今背を向けた方向に身を翻す。未だ動かない列に並んでいた先ほどの女性が怪訝な表情でこちらに問いかけてくる。
「……? どうした」
「いや、なに」
その問いに二人して口元を歪めて答える。
「人間、どのような経験が役に立つかわからないものだな、と思ってな」
それから、基地に身を寄せて数日間。二人の英霊は臨時の調理師として働くことになった。あの後、二人が調理場にて手伝いを申し出たところ、二人が拍子抜けするほど安易にその申し出は受け入れられた。
調理師の中でも、リーダー格の恰幅のよい女性が言うには本気でネコの手でも借りたいほど忙しかったらしい。ある意味では、この基地の危機を救った二人はしっかりと英雄だったのかもしれない。
なにはともあれ、手際では速さが命のプロのそれには劣るものの、しっかりとした経験に裏付けされた技術は、停滞していたPXを蘇らすには十分なものがあった。
「なあ、シンジ。ここ最近で思うようになったことがあるのだが」
類い希な包丁さばきを見せて大量の野菜を切り分けていくエミヤが、隣りで寸胴をかき混ぜるシンジに声をかける。
「なんでしょうか、衛宮さん」
シンジは火加減を調整した後、そばにかけてあった布巾で額の汗を拭い。エミヤの方に向きなおる。昼食の時間も時期に終わり、PXも人がまばらになってきている。現在は夕食の仕込みであるため多少の余裕がある。
「私たちは料理をするために召喚されたのだろうか」
「もし本当にそうだったとしたら、僕は世界を恨みますよ」
エミヤの、冗談にしては少々笑えないそれに、シンジが疲れた身での渾身の突っ込みを入れる。
「無論、冗談だがな。……しかし、こうも都合よく料理スキルのある英霊を選び出されると、世界の恣意が存在する様で、どうしてもそこはかとない怒りが沸くのだ」
つい先ほどから同じような事を考えていたシンジも、乾いた笑いでそれに答える。世界は時に強烈な皮肉を因果としてもたらすことがある。これも同じような皮肉であったとしたら、世界意思という存在はとんでもなく悪趣味だと思えてならない。
なんとなく哀愁漂う二人の背に、強烈なビンタがかまされる。
「なぁに、しけた顔してんだい。二人とも」
「む……」
「京塚さん……」
「若い身空でだらしがないねぇ、しゃきっとしなよ!」
恰幅の良い女性は豪快に笑う。それに対して二人も曖昧に表情を緩めた。
「お疲れ様です」
「お疲れさん。ほら、手も空いてきたし、ここはもういいからあんた達もご飯にしな」
二人のてに、ずしりと大量の食事が乗せられる。
「あはは、ありがとうございます」
シンジがトレイで軽い筋肉トレーニングをしながら、強張った笑みを浮かべて礼を言う。
「ありがたくいただこう。……ただ。少し多すぎる気がするが」
同じように礼を言ったエミヤだったが、流石にその莫大な量の食事に表情が引きつっていた。
「そんなことはあるもんかい。シンジ君はまだまだ成長期の食べ盛りだし、あんたも大の男なんだからね、これくらい食べれなくてどうするんだい」
そう言われれば食べるしかない。士郎の生まれ育った日本の様に、この世界の日本は飽食の時代と言う訳ではないのだ。例えその量が尋常でなくとも、こと量の多さに不満を言うことは罪にすらなる。
「む……、ありがたく頂こう」
「い、いただきます」
なにより、食堂のおばちゃんには逆らってはいけないのだ。つい先日この基地に来たばかりの二人にすら、十分すぎるほどにその常識が浸透していた。
かくして、笑顔の京塚に送り出され、食堂の空いている席に腰掛けた二人に笑みを含んだ声がかけられた。
「お疲れ様です。衛宮さん、シンジくん」
神宮司まりもと、二人の英霊は随分と友好的な関係を築けてきていた。多少、二人には召喚の指標としての彼女を見守っておきたいという打算が存在していたが、それを抜きにしても十分に良い友人としての繋がりが三人に生まれつつあった。
「まりもさんも、お疲れ様です」
「ふむ、今日は随分とゆっくりしているな。訓練の時間ではなかったのかね?」
「最近根を詰め過ぎていたので……。ある程度連携も目処が立ってきたので今は休ませています。流石に、BETAと戦う時に訓練の疲労で戦えなかったら本末転倒ですからね」
もちろん、明日からは普段通りビシビシといきますが、と言って笑うまりもに、少し離れて座っていた彼女の部下たちが慄いた。
「ほどほどにしといてやり給え。昨日も君の部下達が私たちの所に泣きついてきたのだからな。うちの狂犬をどうにかしてくれ、と」
「……ほう?」
目に見えて部下達の震えが強まった。椅子が連動してがたがたと鳴る音が聞こえてくる。
その様子に苦笑して、シンジがまりもを宥める。
「あはは、もちろん彼らも冗談で言ってるんでしょう。まりもさんが好かれている証拠ですよ」
そう言われてまりもは若干顔を赤らめそっぽを向く。そのわかりやすい照れ方に、彼女の部下ともどもシンジとエミヤも口元を歪める。
まりもは確かに厳しい上官だったが、それは横暴によるものではなく、あくまで部下のためを思うがための厳格さであったため、彼女の部下達からは恐れられる以上に尊敬されていた。
「ええい、貴様ら、後で見てろよ」
部下にまで暖かい目で見られたまりもは、居心地悪げな表情から一転、拗ねたような、怒ったような表情になって周りを威嚇する。
「明日の基礎訓練、回数を普段より一桁増やしてやる」
ただの照れ隠しなのだが、かなり鬼畜的である。百と千の違いは、考えるまでもなく致命的なのである。
「勘弁して下さいよ、隊長殿~」
まりもの副官である男が、情けない声を発する。それに取り合わずにまりもは涼しげに合成宇治茶をすすり、訓練メニューの回数をそれぞれ一桁ずつ付け足していく。
その様子をくっくっと笑いながら見ていたエミヤは、となりのシンジに目をやった。彼も同じようにくすくすと笑いながらまりもの悪戯された子犬のような反応を観察していた。が、その笑みが突然強張り、急激に顔色が悪化していく。
「シンジ?」
思わず声をかける。シンジが体を小刻みに震わせ、床に崩れ落ちた。突然の事態に、その場が騒然とする。
「あ…、ア、あァ……」
過呼吸気味に呼吸が定まらない、その様子にまりもが顔色を変える。
「シンジ君!?」
まりもが顔面蒼白のシンジに駆け寄ってその身を支える。彼女の部下達もその周りに集まってシンジの顔色を覗き込むと、数人が即座に衛生兵を呼びに駆けだした。それほどまでに、シンジのその姿は危機的なものを感じさせていた。
尋常でないシンジの状態に、混乱しながらまりもはシンジに声をかけた。
「ねえ、どうしたのシン……!?」
が、その声は、けたたましいサイレンと、激しく明滅する赤色光によって遮られた。
「っ、非常事態宣言!?」
基地中に緊迫感が広がっていく、サイレンにも負けない音量で、司令部からのアナウンスが響く。
「第一種非常事態宣言発令! 各員直ちに戦闘配置へ。繰り返す、第一種非常事態宣言発令!」
ブリーフィング抜きでの戦闘配置、それだけ事態は切迫しているのか。
「っく、『狂犬(マッド・ドッグス)』中隊、直ちに自機に乗り込め!」
即座に指示を飛ばすまりもに、彼女の部下は多少状況に戸惑いながらも敬礼し、駆け出していく。
「君も行け。シンジは私が観よう」
エミヤが真剣な面持ちでまりもに言う。まりもはシンジを心配そうに伺ったが、この場で優先すべきものなどわかりきっている。
「お願いします!」
シンジをエミヤに預け、まりもも駆け出す。それを見送ったエミヤはシンジに向かって一言声をかけた。
「……何があった?」
まりもは気づいていなかったが、サイレンが鳴りだした頃にはシンジの動悸はすでに収まっていた。シンジは顔に浮いた汗を拭って多少ふらつきながらも立ち上がる。
「取り乱しました。すみません」
「尋常ではなかったぞ」
「……」
シンジは表情をこわばらせてしばらく韜晦していたが、意を決したように顔を上げると口を開いた。
「今現在、物凄い勢いで人が死んでいってます」
その言葉に、エミヤは目を見開く。
「どういうことだ!?」
慌てて聞き返すエミヤに少年は陰った表情で答える。
「僕は『人間』を察知する、いえ、『人間の魂』を察知することに長けているんです。それで、さっき大量の人の魂が『還って』いくのを感じて、つい意識がそちらに引っ張られてしまいました」
碇シンジは、ある世界における『最後の人類』である。それでいて、サードインパクトによって存在そのものに変質をきたした彼は、単一生命であり、独立した存在である『使徒』となってしまっていた。『人間』ではなく、『リリン』として独立した彼は、ヒトではなく、それでいて『ヒト』として存在していた。
そして、そのリリンたる彼の、その人間離れしていながら何よりも人間に感応するA・Tフィールドは、多くのA・Tフィールドが確実に消滅していく様を感知していた。
「この状況でそれだけ多くの人間が死ぬということは……」
エミヤが眉を歪めて思案する。とはいっても、この世界での人間の死因など知れている。
「ええ、BETAで間違いないでしょう」
いやに無機質で大量のA・Tフィールドも感じますしね。と続けて、シンジはエミヤに尋ねる。
「どうします? ここに居ても僕らにできることは無いです。何も考えずに外に出た所で、僕たち程度の能力じゃ大して戦果を上げられませんよ」
英霊の攻撃力は、この世界でも上位の火力に値するだろう。しかし、ことBETAのように巨大かつ数多の敵が相手となると、その能力もあまり意味のあるものにはならない。『点』においての彼らの戦闘力は折り紙つきだ。だが、こと大軍を相手にする場合、『面』での攻撃力が重要になってくる。そして、二人しかいない彼らでは、面制圧を行うことができず、結局BETAを後ろに流してしまう結果になる。
BETA戦は常に、その進行から後ろにいる人々なり都市なりを護ることを目的としている。であるからして二人の人間大の大きさの障害は、どれだけ強固強靭であっても、『壁』足り得ないのである。
もちろん、二人にも奥の手というものが存在するのだが、S2機関が停止しているシンジも、固有結界の魔力の維持が出来ないエミヤも、軽々しく使えるものではない。
「だが、何もしないわけにもいくまい。まさかとは思うが、君は我々がただ背後で護られる為に召喚されたとでも思っているのかね? 残念だが、私はそのような立ち位置は御免被るぞ」
人に守られる為に英霊になったわけではないのだ。『エミヤシロウ』は、一人でも多くの人を救うために世界と契約したのだから。
「わかっていますよ。それは僕も同じです。だからこそ、僕たちには僕たちにしかできないことを探すべきでしょう」
訳もなく出張って行った所で人は救えない。そのシンジの言葉にエミヤは苦い顔で尋ねる。
「ならば、どうする?」
「やるこべきことを見つけましょう。とりあえずは、情報を得なければ」
どこから、とエミヤは無言でシンジに問いかける。こと、前線での戦闘情報は情報機器だけで処理されるものではない。多くの人間がより有機的かつ最善の作戦を模索し、提示するのだ。戦場行き交う情報だけを得ていては大局は掴めない。
そして戦略的に無力な自分たちが最大限力を発揮するためには、一発の銃弾で鯨を仕留めるように絶対的な急所を狙うべきである
そして、その有機的な情報が集まる場所は、この基地に一つしかない。
「作戦司令部へ行きましょう。セキュリティーぐらいなら抜いてみせますよ」
「ふむ、そこで盗み聞きかね? 随分と古典的だ」
エミヤがこれから自分たちが行おうとしていることを揶揄して言った。
「それが役に立つから、どの時代でもこの手法は無くならないんでしょう」
シンジは苦笑すると、早速目の前の電子キーに手を翳した。