作戦司令部では怒号じみた大声が飛び交っていた。最近編成され、臨時の中枢基地として機能し始めていたそこは、未だ完全に歯車が噛み合っているとは言いにくく、所々でぎこちないやり取りが行われていた。それでも、士官たちの尽力により少しずつではあるが連携が取れ始めてきている。
「部隊の展開状況はッ!?」
「戦術機甲部隊第一、第三及び第五大隊は展開完了! 第二、第四大隊は既定航路を横断中、臨時防衛線の構築まであと四十五分!」
「急がせろ! ……米軍は何をしている! 動きが鈍すぎるぞ」
「米軍司令部から打診ありません。こちらの進言もはぐらかされています!」
「ちぃっ! 交信続けろ。防衛線にでかい穴こしらえて何所行くつもりかってなぁ!」
「了解!」
「中将! 戦車大隊の最優先展開地域への行軍が困難です。光線級に狙い撃ちされます!」
「第二優先ポイントへ回せ! 面制圧に不安が残るが重金属雲さえ展開できればいい」
次々に届く情報をCPが士官に伝え、歴戦の司令官達がそれに対して迅速な命令を下す。直接の戦闘の行われない後方に位置する彼らであったが、間違い無くそこに漂う空気は鉄火場のそれだった。
「っ! 四国のBETAの一部が大阪湾方面に東進しています! 第二大隊の上陸ポイント近くです!」
「なんだと? ……仕方が無い、第二大隊の上陸地点を下げろ、戦線の穴埋めは第五を向かわせろ」
「了解!」
「やや琵琶湖周辺が手薄になるな……。おい! 先の戦車大隊の三分の一を比叡山周辺に展開しろ。どうせ第二優先地区からの攻撃はたかが知れてるんだ。どうせなら直接攻撃に使った方が効率がいい」
対BETA戦役では大陸でも腕を振るった歴戦の司令官はそこまで命令すると、一つ溜め息にもならない吐息を漏らす。
「自国での戦いが、これほどまでに神経を削られるものだったとはな」
「改めて、彼奴らの出鱈目さを実感しますな」
その一人言に対して反応を返されて、中将はいつの間にか隣に来ていた同期の男に振り向いた。教導隊に属していた彼と、階級はかなり離れてしまっていた。しかしそれでも、同じ釜の飯を食ったかつての仲間だった。
「……師岡か、随分と遅かったな」
「申し訳ありません。どうにも米軍の動向がつかめませんで」
その言葉にむ、と中将は苦く表情を歪める。
「やはりか……。日米安保条約はどうなったんだ」
「考えたくありませんが、破棄する気やもしれません」
師岡は先ほど諜報部に所属するある男の話を振り返る。いつもは飄々とした風体をしているその男が、あれほどまでに切羽詰った表情をして見せたのだ。それぐらいの事態にならないとも限らない。
「かの国にも誇りはあるだろう……」
「それが我々の国に対して遺憾なく発揮されればいいのですが」
そこまで言って、師岡達は今なお慌ただしく情報のやり取りをするCP達を見やる。作戦行動は今の所ほとんど致命的な障害のないまま順調に進んでいる。実際に戦闘行動に移っている部隊も今の所ごく少数だ。だが、これから各地で交戦に入れば戦局は大いに乱れるだろう。すでにせわしく動いている作戦司令部であったが、これからさらに目まぐるしく動くことになりそうだ。
「なに、ここは我々の国だ。我々だけででも守ってみせるさ」
中将は口の端をくっ、と持ち上げると、網膜に投影された情報に目を通しつつCP達に指令を伝達し始める。それを見て師岡も表情を引き締めると、命令されるまでもなく彼からいくつかの仕事を引き継ぎ処理し始める。
言葉など無くても、お互いにやるべきことを察することができる程度には、二人の戦場で過ごした時間は長かった。
「君、海軍の展開状況を確認し給え」
幾つかの伝令を走らせた師岡は、ふと背後が騒がしいのに気づく。いや、もともと騒がしくはあったのだが、そのベクトルが変化したように感じる。切羽詰った慌ただしさが、驚愕と動揺に取って代わる。
「む、どうした?」
師岡は不審げな表情で振り返ったが、即座に姿勢を正して敬礼する。見れば、その場の全員が敬礼をしていた。普通、そのような事態にはほとんど起こらない。例え現在は戦闘中ではないといっても、万が一の事態はあり得るのだ。それでも、全員が敬礼を行ったのには訳がある。なぜなら、この帝国において何をおいても敬意を払うべき存在がその場に居たからだ。
「敬礼は要りません。職務に戻ってください」
百合の香るような声が、殺伐としていた司令部に浸透する。齢は十代の前半だろうか、華奢な体でこの場の誰よりも小柄な体躯をしている少女だった。それなのに、年不相応に落ち着いた雰囲気が、その存在感を確固たるものにしていた。
「殿下、何故ここに?」
部下達を仕事に戻らせて、基地司令である中将は少女に問う。確かに少女は京都からの避難の際に秘密裏にこの基地に滞在していたが、有事の際は即座に新帝都へ移動するものと思われていたからだ。
「民が戦っているというのに、私だけが逃げる訳にはいけないでしょう?」
少女の言に、中将は心の中で苦笑をする。それはあまりに美しい、敬意を払うべき元首の姿であったが、なにぶんここで十四の少女にできる事は無い。将軍としても、今は退い頂くのが最良なのだが。と内心でごちる。もちろん、その言葉が少女としての頑なさから出たものではなく、征夷大将軍としての自負の下に発されているのものであることは彼も承知している。
「そうですか……、何分、戦闘中にありますので、十分なお構いが出来ないことは心苦しく思いますが」
「私に構いませんよう。無力は存じております。しかしそれでも、私は敵に後ろを向けて逃げたくはないのです」
すでに帝都を明け渡した私の言えることはありませんね。と、雅さに隠れてわからないほどの自嘲を吐く。
「帝都を明け渡してしまったのは我々軍人の責任であります故、お気になさらぬよう。帝都が無くとも、殿下がおられるのです。なれば、この国はまだ生きているということです」
その言に少女――煌武院悠陽は牡丹のように微笑む。
「そなたに感謝を、中将。私は再度、自分の立ち位置を確認することができました」
「畏れ多いことです」
そう言って中将は敬礼を返す。そんな彼に再度目を細めて、悠陽は言葉を紡ぐ。
「もう職務に戻ってください。この基地は貴方が居なければ回らないのですから」
「はっ!」
将軍を背に負った前線基地は、士気も新たに動き出した。
そしてそれから暫く、BETAと第一大隊が接触する。
『突撃級三十八確認。第一大隊全中隊兵器使用自由! 平らげるぞ』
『ストーム中隊了解!』
『ウィザード中隊了解』
『ランサーズ了解っ!』
「ドッグ中隊了解!」
『こいつらを処理しておけば後ろの展開時間が稼げる。無理はしなくていいが、突撃級はなるだけ通すな。乱戦になったら各中隊長に指揮を委ねる』
再度、了解と返してまりもは乾いた唇を舐める。中退を率いての二回目の出陣。初陣は無残な結果に終わった。それから、それほど時間が経っているわけでもない。
――だが。
「ドッグ01より格機、右翼の八体を片付ける」
『了解! 隊長』
自分より実勢経験豊かな副長が口を開く。
「……なんだ」
『勝ちやしょう!』
その、あまりにも当たり前のことを、当り前に言うそれに、緊張していた自分を僅かに自嘲した後に唇の端を持ち上げる。
「当たり前だ!」
大丈夫だ。今度はやれる。自分の能力は十分に通用する。今度もまた勝てなかったら、それこそ自分の脆弱な心のせいだろう。そして、こんどこそ自分の精神の弱さで負けてやるつもりは無かった。その様なことになったら、自分を立ち直らせてくれたあの二人に会わせる顔が無い。
「ドッグ01、FOX2!」
『ドッグ02、FOX2! ご武運を!』
「貴様もな!」
そう言って、神宮司まりもは操縦桿を切った。迫るは突撃級、教本通りに背後に回る。基本戦術であったが、それすら多くの先達が命と引き換えにして残した戦術だった。
ただ前に進むことしか目的を知らないBETA達は、その動きに反応しない。制動は片手間に、即座に照準を合わせる。網膜投影されたターゲットに、初陣のような揺れは無い。腹の底から洩れる気合いが、120mmの銃弾に上乗せされる。
瞬殺、と言って過言ではない。即座に三体の突撃級を屠ったまりもはその後に続いてくる要撃級に目を向ける。
『いやはや、お見事』
「称賛はあとで聞こう。全員吶喊!」
『了解! あと、隊長』
返答の後、続けてくる副長に眉をひそめる。
「……なんだ」
『頼もしいんですけど、さっきの咆哮、女捨てちゃいませんか? 彼氏が聞いたら泣きますよ』
ぴきり、とこめかみが引きつる。
「いい度胸だな、少尉。後でそれについてもじっくり聞こうか」
うっわ、地雷だったか。と言って笑う副長に目を吊り上げて、なのに口は笑みを形作って続ける。
「彼女が聞いたら泣きたくなるほど情けない顔で、地面に蹲わせたあと謝罪させてやる」
以後、『狂犬』の異名を持つことになる衛士の笑みに引き攣りながら、一応元気付けたつもりだった副長は顔を強張らせた。
さらにその後、数体の要撃級と、戦車級の群れを掃討して、ひと段落つくかというその時、まりもはオープンチャンネルに訴えかける外部通信を受信した。幸い次の要撃級の襲来までやや時間があったので、36mmを掃射しつつ、そちらに繋げる。そして、聞こえてきた通信に愕然とした。
『……繰り返す! こちら、第37歩兵大隊。現在避難民の護送中! しかしBETAからの襲撃に間に合わない。このままでは……』
所々ノイズが走るその通信を、即座に指令部に転送する。
『二万の人命が失われます!』