「……」
「────」
音もなく閉まるエレベーターのドア。
すぐに箱は動き出して、魔法で飛ぶのとは違う不快な浮遊感を感じて顔を密かにしかめる。
重力に逆らい上昇を続ける三畳も満たない密室の中は、なんともいえない沈黙で満たされていた。
控え室があったのは最下層、そして私たちの目的地である観覧室があるのは施設の最上階。つまり、わりと長い時間ふたりっきりになるということで……。
普段ならいい、普段なら。
でもいまは──
(うう、沈黙が重い……)
聞きたい。
ギンガのこと、どうしてあんなに馴れ馴れしくさせてるのか。その辺のことを詳しく、とことん、徹底的に聞き出したい。
……たしかにスバルにした説明は理に適ってたし、いちおう納得もしたけど、それじゃどうにも安心できなくて。心の中のもやもやが晴れてくれない。
こういう気持ちは理屈じゃないんだと、最近やっとわかるようになってきた。その……、恋とか愛とかといっしょなんだ、たぶん。
(いや、そうじゃなくてっ!)
ふるふる。頭を大きく振る。
エレベーターはもうすぐ目的の階にたどりつきそうだ。
ふたりっきりの時間はもうすぐ終わり……聞くなら、いましかない。
突飛な行動に怪訝な顔をした恋人の横顔をちらりと盗み見て、小さく息を吐く。
(私、がんばれっ!)
苦悩や不安を無理やりに押し込めて、口をつぐんでしまいたくなる自分を奮い立たせる。
──昔から私には、イヤなことから目を背け、耳をふさぎ、心にウソをついて、自分をごまかす悪癖がある。
膝を抱えてうずくまってしまえば楽になれるから。傷つかなくてすむから。
たとえそれが、逃げでしかなくても……。
でも、本当に知ってほしい気持ちは、言葉にして伝えなきゃだめなんだ。そう、言い聞かせる。
「あの、あのね、ユーヤ──」
「フェイト」
なんとか絞り出した言葉を遮るよく通る声。慣れ親しんだ、私の名前。好きじゃない、名前。
ガクン、エレベーターが目的の階に停止した。
「君の言いたいことはおおよそわかっているつもりだよ」
──ああ、そっか。
その一言で。ひどく真摯な表情で、あらためて理解した。ユーヤは私のこと、なんでもお見通しなんだって。
どこまでも、いつまでも。
“フェイト・テスタロッサ”の一番の理解者でいてくれる──、それがすごく、心地いい。
「ギンガのことだろ? ……俺たち、こういうことは初めてだから混乱するのも仕方ないよな」
うんそう、それだ。私の引っかかってたことは。
いままで、恋敵というか……あんなふうに、私たちの関係に割り込んできた子はいなかった。
なのはやはやてなんかはこっちが勝手に警戒しているだけだし、彼の周りにいる女性もみんな、ちゃんと一線を引いていたように見えたし。……改めて考えるとユーヤって案外モテないのかな?
まあ……、二号さんとか三号さんとか、そういう女性ひとがぞろぞろ増えるというのもそれはそれで困るけど。というか、そんなの認められるわけないもん。
「四年前の火災の時、助けてやった所為なんだろうな。まあ、憧れの先輩とか近所のお兄さんとか、そういうレベルの好意だよ、あれは。妹の方がなのはを慕ってるのと一緒の理屈さ」
「そう、かなぁ……。あの眼は本気だったよ?」
「へぇ、女の勘ってヤツか」
ユーヤが興味深そうにスッと目を細めた。
きっと、ギンガはギンガなりに本気だ。なんとなくわかる……誰かを好きになるってことは、すごくたいへんなことだから。「女の子は、恋愛も戦いも常に全力全開なの」とはなのはの受け売り。そのパワーをユーノ相手にも発揮したらいいのに。
「……うん、そうだと思う。ユーヤは女の子に好きって想われて、うれしくないの?」
「いんや、別に」
うわ、ひどい。一言で切って捨てたよ。
「ギンガには悪いが、眼中にないな。好かれるよりも嫌われる方が楽だしさ」
「……じゃあ、私の気持ちは迷惑なの?」
「そんなことはない! フェイトは特別だ」
とくべつ……うれしい。
ユーヤに共感してもらって、いくらかもやもやが薄れた気がする。
でも──、
(やっぱり、不安だよ……)
昔からマイナス思考に陥りがちな私だ、一度悪い想像が始まれば自分じゃ止めることができない。
たとえば、ほかの女の子に目移りしちゃうだとか──そんなネガティブなことばかり、思い浮かべてしまって。
「……浮気、してないよね?」
だからついつい、心にもないことを聞いてしまう。
いくらかっこよくて、分け隔てなくやさしいからって、ユーヤはそんなこと絶対しない。……た、たぶん、きっと。
──期待を込めて、彼の顔を窺う。
「してる、と言ったらどうする?」
「──え?」
ぞわり、背筋に寒気が走る。キュッと心臓が縮まるような気がした。目の前が真っ暗になるような気がした。
いつもの冗談だって理性はわかってるのに、心が受けつけない。……どうせまた、私をからかうつもりなんだろう。そう簡単にはいかないもん!
「なら──、あなたを殺して私も死ぬ」
反射的に言ってしまった口を両手で隠した。吐き出した言葉は、もう飲み込めない。
……我ながら不穏すぎる発言の半分は、本気だった。ほかの誰かにこの幸せな日々を奪われるくらいなら、いっそ────
「くくっ」
バッドトリップから正気に返った視界に飛び込んできたのは、ひどく愉快そうに崩れたユーヤの笑み。ぽかんと間の抜けな顔が写る蒼い瞳は薄く細められ、危険な色を帯びさせていて。
どう見ても、悪いことを考えている顔だ。
「ぁ……、や、やだ。うそだよ、いまのなしっ! 冗談だから本気にしないで」
思わず、そう叫ぶ。
いくらなんでも、病んだ子だって思われるのはいやだ。──もう手遅れかもしれないけど。
ふ、と微笑するユーヤ。冗談だ、と混乱する私を慰めるように髪を梳いてくれる。それから手を引かれて、エレベーターの外に連れ出された。
ドアが閉まる。
廊下には人気がなかった。演習の前だからかな?
「まあ、フェイトに滅ぼされるなら本望というか本懐だけど、そんなことは絶対にさせないって約束する」
「……ほんとに?」
「ああ本当だとも。今まで一度でも、俺が君との約束を破ったことがあったか?」
「……ううん、ない」
有言実行、誠実なのもユーヤの魅力のひとつだ。……なにか物騒なことを言ってたような気もしたけど、考えたら負けだよね、うん。
真摯な微笑から一転、いつもの飄々とした態度に転じたユーヤが軽薄にうそぶく。
「それに俺って、恋の狩人だからさ。欲しいものは自分の力で勝ち取らなきゃ気が済まないんだ。恋愛でも何でも、誰かに主導権を握られるのは嫌なんだよ」
「そ、そうなんだ。あ、あはは……」
なんて横暴。
……でも、思い返せば、十年前のユーヤもそんな感じだったかも。
なにかと私の無意識のアプローチに逃げ腰で、彼がいろいろな意味で積極的になったのは忘れもしない、あの月の夜以来だった。
深い紺色の夜空。
きらきらときらめく星々。
やさしくほほえむ金色の月。
──そして、静かに佇む大好きな男の子……。いまでもその光景が瞼の裏にはっきりと焼きついてる。私の心の原風景。
ぁ、あう……、思い出したら顔が火照ってきちゃった。
「しかし、フェイトに焼き餅を焼かせたのは明らかに俺の手落ちだな。……と、いうわけで、そのお詫びじゃあないが──」
「ぁ……」
いたずらっ子な顔で、覆い被さるように近づいてくる。
背後には壁。逃げられない、というか逃げるつもりもないというか……。
さすがに、この状況の意味がわからないほど子どもじゃない。だけど、場所くらいわきまえてほし──
「んんっ!」
有無を言うタイミングもなく、強引に唇を奪われた。いつものことだ。
全身の産毛が泡立つ。強い快感が体中を駆けめぐる。思考が漂白されていく。
──キスは、すき。
してる間は、とろとろにとろけて、いやなことを考えなくてすむから。
「ん……、んふ、ふぁ……」
彼の背中に回した手を、ギュッと握る。
あったかい……舌。きもちよくて。私ごと、からめ、とられ────
「──主上」
スキンシップに夢中だったそのとき、横合いからアルトの声が響く。
すぐそばから呼びかけられて、私たちはすこしだけ間を離す……抱き合ったままで。
沸騰するように顔に熱が集まってきた。ど、どこまで見られてたのかなっ!?
私ほど真っ赤じゃないけれど、ユーヤも耳を赤くしてる。彼は密かに純情なのだ。
「む、月乃か」
声の主は、非常に気まずそうな表情をしている宇佐木さん。今日はブラウンの制服ではなく、アイギスと同じ制服を着ている。彼女は六課司令部の人で、もともと最高評議会の方で仕事してたらしいからその関係だろうか。
──じゃなくて!
じたばた、じたばた。恥ずかしくて逃げようともがいても、がっちりハグされて身動きが取れない。
ううー、うううーっ!
「……月乃、見ての通り取り込み中なんだが?」
「はい、申し訳ございません。しかし何分皆様が観覧室にてお待ちになっておりますので……」
「おっと、それはいかんな」
!! 大事なことをすっかり忘れていた自分をなじりたくなる。
彼女はたぶん、いつまでたってもやってこない私たちを迎えにきたんだろう。お手数かけてごめんなさい。
ユーヤもちょっとばつが悪そうに頭をかいて、
「仕方ない。些か名残惜しいが、お仕事だしな」
と言い、自分と私の乱れた衣服をいそいそと直しはじめる。──私? なされるがままだけどなにか?
「よしできた。──じゃあフェイト、続きはまた後でな」
ささやくように意味深な言葉を残して、ユーヤは歩き出す。
どうしてこう、いちいち恥ずかしい表現するのかな? 顔が熱いよ……。
はぁ……なんか、一人で悶々としてた私がバカみたいだ。
かといって、
「もう、ばか……」
と、ぼそぼそ抗議することしかできないからなおさらくやしい。
だいたい、私が悩んでいたのはぜんぶあなたのせいで──とかなんとか、文句を心の中でつぶやいて、ユーヤの後ろについて行く。
……このリンゴみたいに赤くなった顔、部屋につくまでに落ち着けばいいけれど。
「ところでユーヤ。ひとつ、いいかな」
「ん、なんだ」
「あの戦闘機人の子たちに、いったいどんなことしたの? ずいぶん怯えてみたいだけど」
「両手両足の腱を斬り落として死なない程度に痛めつけた」
「……。え?」
「だから無力化して半殺しにしたんだって。高濃度のAMF領域下で調子乗っててムカついたからさ、ちょっと格の違いを身体に刻みつけてやったんだよ。ちなみに一番ボッコにしたのは四番な」
「あ、相変わらず理不尽だね、ユーヤって」
「んむ、賞賛として受け取っておく」
□■□■□■
首都クラナガンより約十キロ、青く澄み渡った広大な海原の深くに“ソレ”はいた。
母なる海に住まう数多の命を奪い、刈り尽くす“ソレ”は、彼らが持つわずかな存在の力を糧に、少しずつ力を蓄えていた。
静かに。
慎重に。
用心深く。
気取られないように。
──何せここには、全てを滅ぼす破壊の光を担う“魔王”が居座っているのだから。
彼の者の逆鱗に触れれば、力を蓄える前の“ソレ”など瞬く間に蒸発していただろう。
“ソレ”を生み出した存在は、誰よりもその力を知っていた。
故の、消極策。
だが、雌伏の時はもう終わりだ。
鮮やかな紅い巨躯が莫大な圧力をものともせず、悠然と海水を切り裂いた。
ゴツゴツとした海底を、十階建てのビルの高さを有に越える脚が突き砕いた。
その背後に続く紅い軍勢。
魚群が驚き、一目散に逃げていった。
“ソレ”に確固たる意志はない。
“ソレ”はただ、命を破壊するためだけに生み出された。
“ソレ”に与えられた使命は一つきり────生きし生けるものすべての破滅。
凪いだ海面に、クレナイの先触れが映し出された。