鳴り止まないアラート。
肩で風を切るようにしてユーヤが観覧室の中心を突っ切る。彼は威風堂々、王者の風格をまとって完全にこの場の空気を支配していた。
慌てて後を追う私の視線は、その凛々しい横顔にくぎづけで。まあようはまた惚れ直しちゃった、ってことだ。
「月乃、状況は?」
「はい主上、こちらを」
宇佐木さんの操作で、さっきまで演習場の様子を映していた大型モニターが切り替わる。
クラナガンの全景。
ビルが建ち並ぶ近未来的な街並みに非常識な物体がうごめいていた。建造物の高さから比較するに、全長100メートル以上はあるだろうか。
それは紅くて、とても堅そうで、トゲトゲしてて、脚が長くて、両腕にハサミがついてて──
ていうかこれって……、
「カニ、だね」
「カニだな」
悪い冗談としか思えない光景に、私とユーヤは言葉を失うのだった。
第二十話 「第二次首都クラナガン会戦」
「首都近海より突如現れた超弩級“冥魔”は現在、同系統と思わしき“冥魔”多数を引き連れ、進路の建造物を破壊しながらクラナガンを縦断中。首都周辺に配置された部隊が各個に出撃して防衛に当たっていますが──」
『『『うわー、もうだめだー』』』
「と、このようにそれぞれの連携はとれておらず、戦況は芳しくない模様です」
「奇襲を許した原因は?」
「近海で秘密裏に力を蓄えていたものと推測されます」
「“冥王の災厄”の再来か!!」
宇佐木さんの説明に名前も知らないえらい人が声を荒げるけど、私の思考には届かなかった。
──どう見てもあれはカニ、カニさんだ。脚がクモみたいに長いし……タカアシガニ、とか?
カニ──主に海や川などに生息している甲殻類の節足動物で、堅い甲殻に包まれた手脚の身はもちろん、おミソもとってもおいしい。ちなみにお鍋とか汁物の具にしてもらうのが私の好み。カニクリームコロッケなんかもいいなぁ。じゅるり。
……でもなんかビームっぽいの出してるし、めちゃくちゃおっきいんだけど。できれば見なかったことにしたいなぁ、だめかなぁ。
と、混乱中な私の横で、ユーヤが眉間にしわを寄せたすごく難しい顔で唸る。それから後ろに振り返り、口を開くけど──
「おいベル、ちょっと協力──」「帰らせてもらうわっ!」
ベルの叫びが遮る。
言葉のとおり姿を消そうとする魔王と、一瞬で距離をつめてぐわしと肩を掴む魔王。いまの動き、見えなかった……!
「離しなさい! 主八界産の海鮮類が厄介なのはあんただって知ってるでしょう!?」
「だから力を貸せっての」
「イ、ヤ、よっ!」
くわっ、と目をむくベルは手を振りほどこうと強くもがく。彼女はらしくなくひどく動揺していて、いやそうな顔だった。──海鮮類がやっかい……? どういうこと?
むむむ、にらみ合いが続く。
「チ……、ポンコツ魔王め、臆したか」業を煮やしたユーヤがぼそっと暴言を呟いた。
「ぽんこつ言うなっ! だいたいあんたなんか格下にしか勝てないへっぽこじゃないっ! このへっぽこ魔王!!」
「へっぽ……!? んだと、もう一遍言ってみろ!!」
「お望みなら何度だって言ってやるわよ! このっ、へっぽこへっぽこへっぽこーっ!!」
があああーっ、とひどく低レベルな言い争いを始めたふたり。止めなきゃいけないことはわかるけど、私はすぐそばでおろおろするしかできなくて。
(ああ……、さっきのすっごくカッコいい雰囲気が思いっきり台無しだ)
とか思ってた。
……あれ、私、案外余裕?
「よし……いい度胸だポンコツ。表へ出ろや、ブチ壊してやる」
「返り討ちにしてやるわよ、へっぽこ」
バチィッ! お約束的に二人の間で火花が散る。
って、冷静に実況してる場合じゃないよっ、いろんな意味で!
「ふ、二人とも落ちついてっ!」
間に割って入ることもできず、とりあえずありきたりな言葉をかけてみる。
……うん、ダメそう。
ああっ、本気のぶつかり合いを始めそうな雰囲気っ!? どどどど、どうしようっ!?
──そんなときだ。
「……これぞまさしくどんぐりの背比べ」
ピキッ、激しく口論していた二人が一瞬にして凍りつく。
たった一言で殺気を瞬間凍結させた張本人は、口元を大きな本で隠している。きっとあの影でニヤニヤしてるんだ、そうに違いない。
「……なにか?」
若干殺気混じりの視線を一身に集めたリオンは、澄まし顔でそんなことを言い放った。ほんと、いい性格してるよ。
一連の流れで、ユーヤもベルもだいぶクールダウンしたみたい。まさに冷や水をかけられた感じだろうか。
はぁ、と疲れたようにため息をこぼしたユーヤは部屋の上座、腕を組んで席に座っているレジアス中将に目を向けた。
「──閣下、指揮を執っても?」
「いいだろう。全権を任す」
レジアス中将は、言葉の意味を正確に読みとって返答する。緊急事態にもまったく動じていない。さすがだ。
この場には中将よりも階級の高い人もいるけれど、ここはミッドチルダ首都クラナガン──本部を預かる事実上の最高責任者に認可を仰ぐのは正しい。ほかの人たちも文句はなさそうだ。
軽く一礼をしたユーヤはコンソールに向き直り、備え付けのマイクを掴む。
「なのは、ギンガ、聞こえているな」
『えっ、攸夜くん?』『は、はいっ』
戸惑いのわかる返事がスピーカーから帰ってきた。控え室のみんなにも、少なくても警報は聞こえてるはず。
「既にお前たちも状況は理解していると思うが、“冥魔”の軍団に襲われたクラナガンは現在戦場と化している。当然、民間人の避難など始まっていないし、統率を欠いた指揮系統は混迷を極めているようだ。
……まあ俺が見立てたところ、あのデカブツが“災害級”ではなさそうなのが唯一の幸いだがな」
あのでっかいカニが“災害級”じゃなくて、ほんとによかった。“死滅の光”だとか“消失の刻限”だとか、そんな文字通り即死する反則じみた特殊能力を持ち出されたらどうしようもないもん。
ちなみに、“死滅の光”は魔法的な抵抗力のない人たちの命を例外なく奪う力で、“消失の刻限”は対象にした人物を決まった時間に消滅させる、というもの。
ほかにもいろいろ厄介な力が揃っているのだけれど、詳しい説明は割愛する。
「そこで二人には部下たちを率いて現場へ向かってもらいたい。互いに協力し合って事態の鎮圧に尽力してくれ。──なに、さっきの演習の続きだと思えば楽なものだろう?」
さも簡単そうに言い放つユーヤ。「そんなわけないよ!」とツッコめないのが宮仕えのつらいところだ。
階級という明確な地位こそ持ってないけれど、彼の発言力はあの最高評議会に次ぐ。実権だってその気になれば──力ずくなり、絡め手なりで──握れてしまうだろう。そうしないのは本人いわく「暗躍してる方が楽しいから」。快楽主義者を自称するユーヤらしい建て前だ。
──建て前だと断定するのは、彼にもっとちゃんとした理由もあると思うから。……ある、よね?
『うん、了解だよ』『わかりました』
「おそらくこの戦いは、クラナガンに駐留する部隊の力を結集した総力戦になる。……半人前共々、気合いを入れてかかれよ」
強い意識を含んだ低い声色が、じわりとおへそのあたりに染み込んでくる。
総力戦……。
そうだ。こういうときのためにユーヤは──、そして私たちはこの四年のあいだ、力を蓄えてきたんだ。
知らず知らずのうちに、身が引き締まる。戦意が高まっていくのがわかる。──バトルマニアとか、言わないで欲しい。
「それからはやて」
「はいな」
「お前はここで、皆さんの護衛をしていてくれ」
「まぁええけど。私これでも二佐で部隊長なんやねんで?」
そんな地味な仕事やりたくない、とはやては言いたげ。ユーヤがふんっと鼻を鳴らす。
「なら訊くが、条件次第で“魔王級”ともやりあえるお前以上の適任が、他にいるのか?」
「……いらんな。うん、任された」
早々と言いくるめられて意見を翻したはやてだけど、あれでけっこう合理的でサバけた考えの持ち主だから、正論には弱い。……普段はナマケモノさんなのに。
「グラシア少将、騎士団に支援要請を出していただけませんか?」
「ええ、もちろん。これはミッドチルダの危機です、聖王教会も協力を惜しみません」
「お願いします。それからオーリスさん。オーリスさんにはここを対策本部に、指揮系統を立て直しをしてほしい。烏合の衆では“冥魔”の軍勢に太刀打ち出来ない」
「お任せを」
「“うみ”の方にも連絡を入れておきましょう。最悪、事の後始末には艦隊の艦砲射撃が必要になる」
「そちらも併せて手配します」
ユーヤは、テキパキと慣れた様子で指示を出していく。怖めず臆せず──動揺も不安も、ましてや恐れるなんて考えられないパートナーの姿がとても心強い。頼もしい。
……いまここに、こうしてたくさんのえらい人が集まっていたのは、むしろ幸運だったのかもしれない。戦いのイニシアチブこそ逃したけれど、一致団結してことに当たれるから。
“後の先”、という言葉もあるわけだし、まだ手遅れじゃないはず。
「フェイトには俺と直接前線に出てあのデカブツを潰す。いいな、フェイト」
「うん、まかせて」
唐突なお願いにも、私は満点の笑顔で応えることができた。シンキングタイムはゼロコンマ一秒以下。
「頼りにしてる」
「ん……」
なでなで。
満足そうな笑みを浮かべ、ユーヤが頭を撫でてくれる。──くすぐったくて、きもちよくて、しあわせで、私は目を細めた。
七つの音にこめられたたくさんの想いを感じて、表情が崩れてしまうのがわかる。もう、ゆるゆるだ。
ユーヤが私を必要としてくれた──その甘くて切ない喜びが、胸一杯に満ちていく。
私の力が必要だと言うのなら、この身すべてを燃やし尽くして捧げよう。……あなたのためなら、生命いのちだって惜しくない。
だって、私のすべてはあなたのものなんだから。
「それと月乃、お前はアイギスと組んで“冥魔”狩りだ」
「あのガラクタ人形と、ですか……」
冷静というか、感情を出さない印象の宇佐木さんが眉をひそめる。アイギスと仲よくないのかな。
「仕事に好き嫌いを挟む無能は要らない。あまり俺を失望させるな」
「は、申し訳ありません主上」
ズバッと言い捨てるユーヤに、宇佐木さんはタジタジ。でもなんとなく、さっき見たアイギスとのやりとりと似ているのは気のせい?
そうして指示を出し終えたユーヤは、研ぎ澄まされた刃物のような表情をしてベルを見る。腕を組んだ彼女がわずかにふくれっ面なのは、半ば放置されていたからなんだろうか。もう、わがままだなぁ。
「……見ていろベル。俺をへっぽこと呼んだこと、土下座と一緒に訂正させてやる」
「はんっ、青二才が粋がってんじゃないわよ」
バチバチッ! ふたたび火花が散る。まだ引っ張るんだね、それ……。
「さて、と」
言うなり、ユーヤは莫大な魔力を何食わぬ顔で惜しげもなく発露する。相変わらずの規格外、理不尽なまでの魔力は現状でも普通の魔導師の数十倍はあるというのに、まだまだ本気じゃないらしい。……もう一度言う、理不尽だ。
──清く澄んだ蒼白い光の粒。きらきらときらめく蒼銀色の風が吹く。
夜の闇をそのまま形にしたようなロングコートを翻し、瞳と同じ色のネクタイをいじる悪魔の指先。いつもの仕草。
しん……、と静まり返る室内。
「──いい機会だ」
白い七枚の“羽根”が取り巻く左手を握り込む。それはさながら“世界”を手の中に収めるかのように。
夜闇の魔王が力強く、そして厳かに宣言する。
「結集したヒトの力、“冥魔”共に見せてやろうじゃないか」
惑星ほしの色をそのまま写し取った蒼い瞳は、どこか楽しそうに輝いていて。まるで仲のいい友だちと、遊びに行く子どもを思わせる無邪気な光彩。
──そう、みんなで力を合わせて乗り越えるんだ。この「世界の危機」を。