第97管理世界“地球”、衛星軌道上。隠遁用の光学迷彩を展開して停泊中のアースラ、その談話室。
ベンチに座り、くてっとテーブルに突っ伏す藤色の髪の女の子──エリス。服装はこちらに来たときに着ていた白いジャケットと青のプリーツスカートだ。
エリスの話し相手は彼女の案内役を任された青いちびっこ──もとい、リインフォースⅡ。
「はあ、緊張した……。うまく私の話が伝わってればいいけど……」
「エルフィはちゃんと説明できてたと思うです、エリスさん」
「ありがとう、エルフィちゃん」
文字通りに人形みたいなリインフォースⅡが、落ち込み気味のエリスを励まそうと、テーブルの上でぴょんぴょんと飛び跳ねている。
その愛らしい姿にエリスは頬を緩ませた。
アースラが地球に到着したのは、ルー・サイファー以下、裏界魔王たちが退いた少し後のことだった。
そのままアースラに保護されたエリスは、クロノらの前ではやてにもした自らの素性やこちらの世界を訪れた経緯などを説明。さらに、フェイトが“シャイマール”と遭遇した際の記録や、なのはとベルの交戦映像──エリスはベルまでこちらに来ていたことにとても驚いていた──を確認照合、それから会議室を追い出されて──いったん、席を外すように言われただけだが──今に至る。
「それにしても──シグナムさんやヴィータちゃん、それにザフィーラさんが無事でよかった」
「とーぜんですっ。ヴォルケンリッターは夜天の書があるかぎりふめつなんですから」
あれだけ痛めつけられたというのに、さすがというべきかシグナムたちは特に命の別状はなく、今現在は雪辱に燃えつつ療養中だ。仮に消滅級の大ダメージを負ったとしても、夜天の魔導書が存在する限りは問題にならない。──“家族”を傷つけられたはやての心情は別にするとしても。
「夜天の書……。エルフィちゃんの“お姉さん”だっけ。いいね、姉妹って」
今もはわはわ言ってがんばってるであろう、くれはの姿を脳裏に浮かべながらエリスが微笑む。
「はい、エルフィのお姉ちゃんです。……まだ、会ったこともお話したこともないですけど」
──夜天の魔導書の修繕はすでに一部を除いて完了していた。
ほとんどの機能は回復し、“闇の書”として次元世界に災厄と破壊を振り撒いていた面影はもうどこにもない。──しかし、肝心の管制人格、リインフォースは目醒めず。その原因は不明。夜天の魔導書本体を再生させる際に出来たはやてのコネに名を連ねる、“その道”の専門家たちもお手上げだった。
「でも、きっと……いつかきっとお姉ちゃんに会えるとエルフィは思うです」
未だ見ぬ姉の姿を夢に見て、小さな妖精は小さな胸を力強く張って見せる。
「だから、お姉ちゃんが起きるまで、エルフィがはやてちゃん──みんなを守るんですっ!」
「──そっか。会えるといいね」
「はいですっ」
それ以上は何も言わず、ただ、とてもやさしく、とても柔らかい笑顔をこぼしたエリスは、私も負けてられない、と決意を新たにした。
そんな時、ぷしっと空気を抜く音を鳴らして談話室の自動ドアが開く。
「ちわー、三河屋でーす」
「あ、はやてちゃん」
「会議、終わったんですか?」
「……うん、まあ、そうやけど。で、個人的にもう一度、シャイマールとやらの映像見せてもらえへんかなと思て」
ボケをあっさり流されて恥ずかしくなったのか、軽く頬を染めたはやてが苦し紛れに用事を口にする。
若干口調が砕けてるのは、はやてがエリスを仲間として認識したからだろう。エリスの方は依然として敬語だが、それは彼女の性分だから仕方がない。
「もちろんいいですよ。ちょっと待っててくださいね……」
はやての希望を受けて、エリスはテーブルの上に置いてあったナップザックに手を突っ込み、ごぞごそと探る。ややあって、中から取り出されたのは縦二十センチ、横三十センチほどの白い長方形な物体──ウィザード向けの携帯情報端末“ピグマリオン”、その最新モデルだ。
パタリとそれを開いたエリスは、収録されている映像データを呼び出すべく、鮮やかな手つきでキーボードを叩く。ちなみに、デスクトップは土鍋に入った子猫の画像だった。
「ほー、手慣れたもんや」
「お仕事の関係でこういうことはよくやってるんです。一日数百件の事務処理をしてたら自然と……」
「それは……。ご愁傷様としか言えへん」
「壮絶ですぅ」
「五時前のオフィスは毎日戦場と化すんですよ。みんな定時に帰りたがるので」
「わかるっ、わかるわ〜。管理局もそうやもん。お役所仕事はこれやからあかんね」
「残業代も出ないんですよ? 最近、お肌も荒れぎみで……ぐすん」
「夜更かし疲労はお肌の大敵、乙女の天敵やな。……あれ? なんや前にこんなフレーズ聞いた気がするわ〜」
年頃の少女がするには世知辛すぎる世間話をはやてと交わしながらも、エリスの指先は一向に澱まない。どう見てもマルチタスク的な技能を獲得してる辺り、言葉通りに相当な修羅場を潜ってきたことが窺える。
ご近所トラブルから国家の存亡まで、世界の各地で多種多様な危機が日常茶飯事に頻発するファー・ジ・アース。当然、それを統括する立場にもなれば、舞い込む仕事量は目も眩むほどに膨大だ。
くれはの秘書を始めた当初、各ウィザード組織との折衝だの、事件の後始末だの、会議向けの草案の作成だの、次々に舞い込む仕事にてんてこ舞いで目が回る思いをしたのはいい思い出だ、とエリスは密かに苦笑する。
カリカリとハードディスクが駆動音を鳴らし、収録されたムービーが再生される。
「出ました──ってあれ?」
間の抜けたエリスの声。
液晶ディスプレイには、バラの意匠が施されたゴシックロリータ調の黒い衣装を着た二十代前半の女性が、アップテンポな歌を大観衆の前で熱唱している姿が映り出されていた。
「……なんともかわいらしいひとやね」
「はやてちゃんはやてちゃん。エルフィもこんなゴスロリが着てみたいです」
「ええよ。あとで作ったるな。……それにしても、すごい歌唱力や」
艶やかな黒髪と、金と紫のオッドアイがひどく神秘的。激しい曲調の歌を歌い上げる声はさながら天使のようで。一同、しばしその歌声に耳を傾ける。
「──きゃ!? ま、間違えちゃったっ」
思わず歌声に聴き入っていたエリス。ようやく精神の再構成に成功し、慌ててキーを操作、ムービーを停止させた。
同じく聴き入ってしまっていたはやてが、怪訝そうな顔をして問いかける。
「で、今んは?」
「えーっと、ファー・ジ・アースの日本で活躍中のアイドル、露木椎華さんの武道館ライブの映像ですね」
私、大ファンなんです、と自分のうっかりを誤魔化すように舌をちょろっと出す。その仕草にはやてが萌えていたのは些細なことだ。
「それはともかく、こっちが正解です」
改めて、ムービーが起動。
黒いごく一般的な学ラン姿の黒髪の少年が、軽薄な作り笑いを浮かべて、何かを告げている様子が映り出される。
「大魔王シャイマール。二つ名は“裏界皇子”。公爵級エミュレイター相当として登録されてます。同じ名前の魔王と区別するために、“アル”もしくは“アル・シャイマール”と呼ぶ裏界魔王も居るみたいですね」
映像の横に、簡単な情報をまとめて記したテキストが流れる。
「ふむ……着てる服はちゃうけどやっぱり同じヒトや。──これが、“魔王”なあ……。私と同い年くらいの普通の男の子にしか見えへんけど」
考え込むように、顎に手を当てるはやて。目を細め、じっと映像を──黒髪の少年を観察する。ほんの僅かな既視感に苛まれながら。
「魔王の見た目に騙されちゃだめですよ。たまに九歳くらいの姿で現れるので、一部では“ショタ魔王”なんて呼ばれてるくらいですから」
映像が切り替わる。
エリスの言葉通り、小学生くらいの腕白そうな黒髪の少年が七枚の白い羽根を巧みに操り、ウィザードたちを圧倒している。余裕綽々の態度が小憎たらしい。
「たしかにショタや」
「私、そういうのどこがいいのかよくわからないんですよね。男の人はもっと渋い感じじゃなきゃ」
「お、気が合いますなあ。こう、大人の魅力あふれたダンディーなおじさまって、ええよね」
「お髭なんか生やしたりして」
「そーそー。白いぱりっとしたタキシードと……」
「シルクハットにステッキ?」
数瞬、顔を見合わせる二人。
そして、ガシッと無言で手を固く握り合う。自らの趣味を周囲の友人たちに理解してもらえず、肩身の狭い思いをしていた彼女たちは、ようやく見つけた同志に心の中で涙した。
「ふたりそろってオジン趣味ですねー」
「なにか」「言ったんか、エルフィ?」
「な、なんでもないですぅ」
天然腹黒と真っ黒子だぬきの凄みの効いたコンビネーションにたじろいだちっこいの。小動物みたいな素早さでピグマリオンの影に隠れた。戦略的転進である。
「そうや、エリスさんから見たあの火災現場の映像の感想とか聞かせてくれへん?」
「そう、ですね……。あんなに簡単に表に出たことが驚きです」
「そうなん?」
「一番最近の事例では、某国のテロリストに最新の細菌兵器と偽った偽物を渡して、それを盾に占拠されたイージス艦の叛乱を影から幇助したとか。鎮圧のために投下される寸前だったっていう強力な特殊爆弾で、首都圏の破壊をもくろんでたらしいですね」
「それなんて亡国」
「基本的に、人間をそそのかして起きた物事を離れたところから傍観するのを好むみたいです。敵対する両方の勢力に荷担して紛争を起こさせてみたりとか。武器や資金の横流しもしてるかもしれませんね。
それから、姿を表に現しても、意味深な言葉を言ってウィザードの皆さんをおちょくるだけですぐに逃げちゃうんですよ。……私、ずるいやり方って、男らしくないと思うんです」
溢れる不快感を隠そうともせずエリスは眉をひそめ、件の魔王のことを語る。温厚な彼女らしからぬ険悪ぶりに、はやては何かしら因縁でもあるのだろうかと首を傾げた。
「なにが目的なんか──決め手になりそうな情報はないなあ」
「すみません、お役に立てなくて」
「ええて。エリスさんがおらんかったら私ら、今以上になんもわからへんかったんやもん。感謝しとるよ」
気遣うはやての言葉。
エリスは彼女の真心を感じ、最初に出会ったのがはやてでよかったと思う。
感謝の念で胸がいっぱいになったエリスは、ふと、まだムービーが映り続けている液晶の方に視線を向ける。その映像に、違和感を覚え──違和感が一つの“仮定”をエリスにもたらした。
「あと、もうひとつだけ……」
「もうひとつ?」
はっきりしない様子に、はやては続きを促すようにオウム返しする。
少し間をおいて、自分の考えをまとめるエリス。確信にはほど遠い、だが、不思議と腑に落ちる──そんな、口に出すにはまだ早い推理の一端を言葉に変えた。
「──あの映像を見て、シャイマールがなぜこの世界にやってきたのか、仲が悪いはずのベール・ゼファーがどうして一緒に来ているのか、それからルー・サイファーが残した言葉の真意が、少しだけ──ほんの少しだけ、わかったような気がします」
「……?」
液晶画面の中では、ウィザードたちと協力するようにして、黒髪の“魔王”が、巨大でグロテスクな竜を思わせる“ナニカ”と激戦を繰り広げていた。