第22管理世界──“ハイダ”。
星の赤道半径は6355.819キロメートル。月に相当する衛星“イオス”──先住の言葉で侍女の意──を持ち、全体の体積のうち72.7%が海という水の惑星だ。私の故郷、“地球”と比較すると少しだけ重力が弱く、一日の長さもそれに比例して短い。
気候は温かで穏やか──地球、日本でいうと初夏に近いかな。海が多いというのに、湿度は不思議と低くて一年中過ごしやすい。政府もそのことを理解しているらしく、世界をあげて観光業の発展に力を入れているみたいだ。
そういうわけもあって、この“ハイダ”は、毎年、管理世界中からたくさんの観光客が訪れて賑わう管理世界有数のリゾート地だった。ハワイやグアムなどの保養地を想像するとわかりやすいかもしれない。
もっとも、お仕事で訪れている私には関係のない話だけれども。
────でも、いつか、“みんな”でこういう場所に遊びに来れたらいいな。
午後。地平線に帰る準備をはじめた太陽の暖かな光が、空から降り注ぐ。
たくさんの人がひっきりなしに行き交う大通りに面した、おしゃれなカフェテラス。目の前の、木製のテーブルには甘くておいしそうな苺のミルフィーユと、薄い湯気を上げるミルクティーが置かれている。
午前中、ずっと歩き回って疲労のたまった身体にはぴったりな糖分補給だ。
──“ハイダ”にやってきてはや二日目。初日は、管理局の支部に顔を出したりしなきゃだったから、今日からが調査の本格スタートだ。
とりあえず、午前中は事件現場──惑星全体じゃなく、都市部、特にリゾート地を中心に集中していた──を直に見て回ってみた。「現場百遍」ってよくいうし。
そういえば、挨拶をしたとき、こちらの捜査責任者の人に内心のところはどうであれ、外面上はとても歓迎されたのには驚いたな。どうも捜査に進展がなくてあちらも困っていたらしい。
観光地で連続殺人事件なんてイメージダウンもいいところだから、ここの政府から早くなんとかしろとせっつかれてるみたい。とはいえ、一介の執務官にあまり期待するのはどうなのかな。
さくりとフォークでミルフィーユをひとかけら切り取って。
それをそのまま口に運ぶ。
もぐもぐ。もぐもぐ。
「うん、おいし」
甘酸っぱい、苺とクリームの味が口いっぱいに広がって、ほっぺがゆるむ。きっと私の表情は、見るに耐えないほどにゆるゆるだと思う。
ミルフィーユに舌鼓を打ちつつ、横目で道行く人たちを観察。
これは執務官の仕事をするようになってからの癖だった。
どうやら私は、その……他の人よりもヒトを見る目が鈍いらしい。
昔、兄さんに注意を受けたことがある。「フェイトは人を信じすぎるところがあるな。もう少し、他人を疑うことを覚えた方がいい」と。
当時は誰か疑うなんてことイヤだ、って思ったんだけど、こうして管理局の仕事をしているうちに、それじゃだめだと気がついた。
執務官試験を二度落としたのも半分はそのあたりが原因──もう半分は、なのはの事故で動揺をきわめてたから──だ。
捜査官としては致命的な欠点。それを補うために、こうして普段から人間観察に勤しんでいるというわけ。……役に立ってるかどうかは自分でもちょっと疑問だけど。
「あむ。…………」
最後のひとかけらを口に放り込み、ゆっくりと味わいながら視線を踊らせる。
人気の行楽地とあって、道行く人たちはさまざまだ。
──やさしそうなお父さんと美人のお母さんに囲まれて、屈託のない笑顔を浮かべた女の子。幸せそうな家族連れ。
──背の高い、頼りがいのありそうな男の人と、彼に甘えるきれいな表情をする女の人。お似合いなカップル。
「……っ」
──ズキリと胸の奥の方にうずきのような痛みが走った。原因は、わからない。
「……はあ」
なんだか私、近ごろ感傷がすぎてる気がする。もともと、極端なマイナス思考なのは自分でもよーく理解してるけど、これは少し……異常だ。
いけないいけない、と気分を切り替えるべくティーカップの縁に口をつけ、ミルクティーを流し込む。
──んっ?
「甘……っ!?」
しまったっ。シロップ、入れすぎた……。
これじゃまるで、リンディ母さんの入れたお茶みたいじゃないか。
いくら私が甘いもの好きだからって、そこまで落ちぶれてないよ。人間、止めたくないもん。
「……あう」
──あまりに幸先のよくない出だしに、一抹の不安を感じざるを得ない私だった。
□■□■□■
「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか」
「うん。どうもありがとう」
ぺこりと頭を下げて、バックヤードに帰っていくウェイトレスさんの後ろ姿を見送りながら、私はうまくいかない不甲斐なさにため息をついた。
今日は、“ハイダ”に滞在できる最終日。
こちらに来て数日、現地の人への聞き込みとかサーチャーの広域散布など、いろいろと手を尽くしてはみたものの、行楽地とあってか人の入れ替わりが激しく、これといった手がかりは得られなかった。
そこで私は悪足掻きの前の腹ごなしに、レストランで早めの夕食をとることにしたのだった。
明日の朝一番の便で、本局に戻らなきゃならない。そろそろアースラも帰ってきてる頃だろうし。そもそも、今回の単独行動は私の個人的なわがままなのだから、あまり長い時間は居られない。今夜が最後のチャンスだ。
……やっぱり、一人で全部こなすの、無理があるのかなあ。兄さんとエイミィみたいに、補佐官をつけてもらった方がいいのかもしれない。あとで兄さんに相談してみよう。
あっと、早く夕飯を食べてしまおう。冷めちゃったらもったいないもんね。
頼んだメニューは、デミグラスソースのかかったオムライス──ライスをオムレツで包み込むタイプのものだ。私にとっての縁起ものを食べて、今夜の捜査で手がかりが掴めるようにとこれを選んだ。
ちなみに、訪れた先々でオムライスのおいしいお店を探すのが私の密かな楽しみのひとつだったりする。
「いただきます」
手を合わせて、作ってくれた人に感謝。
さまざまな具材の味がとけ込んだソースで染められた、黄色い山をスプーンで崩し、すくって、ぱくり。
ん〜……味はまずまず、かな。とりあえず、本局の食堂のよりおいしいのはたしかだ。
って、あれ? なんか私食べてばっかり? ……まあいいか、おいしいし。
オムライスをはみつつ、窓の外を見上げる。
雲一つない夜空は黒に近い紺色。距離の関係だろうか、地球のよりも大きく見える上弦の月。
薄く散らばった星と、金色の月が宝石箱のように、きらきらきらきらと輝いていた。
ふと、やさしく穏やかな蒼と、刺すような鋭い蒼──二種類の瞳が三日月にだぶる。
──この月を、“彼”も見てるのかな?
「──!」
私のもらした心のつぶやきに呼応するかのように、突如として配置していた半自立型のサーチャーが反応を示した。
魔力反応……それもかなり強い。この波形は────
ゴン!
「ッ、イタっっ」
勢いよく立ったから、ひざをテーブルにぶつけちゃった。
痛い……。
食べかけのオムライスが目について罪悪感。心の中でごめんなさいと謝って、伝票をひっつかむと一目散にレジへと向かった。
これを逃したら、きっと後悔する──そんな予感に突き動かされながら。
サーチャーの反応を頼りにして私がたどり着いたのは、薄暗い路地裏だった。
目の前に続く夜闇は月の明かりを拒絶するかのように深く、終わりのない底なし沼みたいだ。
「……ッ」
奥から漂う強烈な異臭に、足が止まる。
鼻を突くような鉄臭い臭気。
これは──血液だ、それも大量の。
ついに訪れたアタリに歓喜し、はやる気持ちを押し殺して、警戒心を意識的に高める。
安易な油断は隙を生み、隙は即、死につながるのだから。
「すーっ、はー……。よしっ」
深呼吸して覚悟を決めて。
白いマントと軍服のようなデザインのバリアジャケット、“インパルスフォーム”を展開し、長年付き添ってくれている私の無二のパートナー──“閃光の戦斧”バルディッシュを右手に掴むと、無明の闇の中へと進み出た。
──そこはひどい有様だった。
「う……っ」
口元を空いた手のひらで押さえ、歩を進める。
むせかえるような悪臭。
壁一面にはおびただしいほどの血痕。
澱みきった空気は異質で、ここが未知の異界かなにかと錯覚してしまうほど。
足を踏み出すたびに、“ナニカ”を踏みつぶす粘着質のイヤな感触が伝わる。肉片らしきものが辺りにたくさん散乱していて、地面は真っ赤に染め上げてられていた。
資料の写真と同じ──ううん、それ以上に壮絶で、ショッキングな光景。
惨劇の現場──そんな言葉がよく似合う、死の気配が充満した場所の中心に……“彼”は、居た。
「────」
ビルの谷間から差し込む月光の蒼白いスポットライトを一身に浴びて、まるで夜闇の世界を我が物顔で闊歩する王さまのように悠然と佇む、黒に近い濃紺色の衣を纏った“彼”。
相対するのは、うずくまるようにしている──人影? 暗くてよくわからないけど、人型であることは把握できた。
突然、言霊が響く。
「灰は灰に」
歌うように。
「塵は塵に」
祈るように。
「──俺がアンタにしてやれることは、“これ”だけだ」
よく通る、凛然とした声が耳に届き、私は息をのむ。
“彼”の右手に携えたなにか──鍔の中心部分に不気味な瞳の意匠が施して、波打つような刀身に見慣れないルーンを刻んだ1メートルほどの奇妙な長剣の切っ先が、天に差し向けられた。
軽く柄に添えられる左手。
蒼銀色の魔力が燐光を散らして刀身を覆う。
「だから、────」
ささやくように発せられた最後の言葉は聞き取れない。
「グるオオォォォおおぉぉオッ!!」
身の危険を感じたのだろうか、人影が立ち上がり、地の底から響くような雄叫びをあげて“彼”に襲いかかる。
だけど、“彼”は動じない。
「ただ安らかに、眠ってくれ」
振り下ろされる白刃。稲妻のように鋭い一閃。
闇に咲く紅い華。
苦痛に唸り、身も凍る断末魔の声。人影が崩れ落ちる。
“彼”が人影を断ち斬ろうとしていることに気がつき、だけど、私は反応することができなかった。
──それはきっと、鮮烈なまでに光り輝く、けれど、どこか懐かしい蒼銀の煌めきに魅せられていたから。
戯曲の一ページみたいなこの場面に、割って入りたくないって思ってしまったから。
指先についた爪の飾りを刀身にはわせて露を拭い、私の方に振り向く“彼”。
夜の闇よりも色濃い、艶やかな漆黒の髪と顔にかかった淡い月の光が、一見粗野な、それでいてどことなく品のある顔つきと相まって、“彼”の容貌を上品な悪魔のように見せている。
そして、ひどく真剣な──もの悲しい色をたたえた鮮やかな蒼い瞳が、まっすぐ私だけを見据えていた。
────金色の三日月が見守る下、こうして私は、名前も知らない“彼”と、都合“三度目”の再会を果たした。