「さっきから聞いてれば、師匠もユウヤさんもあんまりです! ティアナさんやスバルさんを馬鹿にして!」
あまりの言い様にたまりかね、ついにエリオが声を上げる。攸夜の機嫌が少々持ち直し、プレッシャーが大幅に軽減されたのも理由の一つだろう。
「エリオ……」どこか辛そうな視線を送るフェイト。しかし彼女はかける言葉が見つけられず、おろおろするばかり。
二重の意味で嘆息し、攸夜は髪を逆立てる赤毛の少年を見やる。蒼い瞳から見下ろされ、エリオが思わず身を強ばらせた。
「なら聞くが。この模擬戦の狙いは何だと思う?」
「えっ。そ、それは──」
突然の問いかけ。
予想外の方向からの切り返しに言葉を失い、どもりながらもエリオは必死に頭を回転させる。論点をずらされた、という事実には気付かないままに。
尊敬し、ほのかに思慕するフェイトの目の前で無様な姿は見せられない。
「なのはさんに勝つこと、じゃないんですか?」
「違う。間違っているな、坊や」
坊や呼ばわりされ、ムッとするエリオ。そんなことは些末ごとだと攸夜の言葉は続く。
「ここで重要なのは勝ち負けじゃない。今まで訓練してきたことをどれだけ自分の血肉に出来ているのか、そこが大事なんだ。間違っても指導官をコテンパンにしてやろう、だなんて考えちゃいけないよ」
先ほどまでの燃えたぎるマグマのような怒りはどこへやら。攸夜の口調は静かで柔らかいものだった。
うんうん、と横でヴィータが神妙に頷いている。教導隊に所属していた身として共感する面もあるのだろう。
「じゃあ、スバルさんたちの努力はムダだって言うんですか!?」
「そうは言っていない。例えば、訓練の課題に教官の撃破が含まれれば、倒そうと試行錯誤することに意義がある。そういう訓練は今までにあったはずだよな?」
「は、はい。ありましたけど……」
「自分勝手に振る舞っていいのは何の責任も持たない子どもだけ。お前たちは独り立ちすると自分で決めたのだろう?
なら、責任ある者として、上司には可能な限り従うべきだよ。それが納得のいかないものだとしても、な。割り切れなくても割り切るのが“オトナ”ってもんだ」
あくまでも諭すという姿勢は崩さない攸夜の言葉は不思議とエリオの心に響き、納得を与えた。
苛烈で冷酷な言動が目立つ攸夜だが、面倒見がいい一面も持っている。本質的に、目の前で困っている人を放っておけるようなタイプではない。
「こんな俺だが、評議会や政府からの依頼はキッチリこなしてるんだぞ?」
冗談混じりに茶化すと、少しだけ場の雰囲気が和らいだ。
「勿論、納得出来ないならその意見をちゃんと上申することも大切だけどな。報告・連絡・相談は社会人の基本だ。
まあ……、部下とのディスカッションも碌に出来ない無能な上官だと思われているのなら、なのは自身の落ち度だが」
「そんなことっ!」「あるわけないじゃないですか!」
意地の悪い言に、血相を変えて反論するエリオとキャロ。どれだけなのはが慕われているのかを再確認にして、攸夜は僅かに目元を緩めた。
「それを聞いて安心したよ。……結論を言えば、コミュニケーションが足りていないんだな。なのはも、お前たちも」
「確かに。耳が痛いな」
「私ももっと気にかけてあげるべきだったわ」
「面目ねぇ」
「……ごめんなさい」
シグナム、メガーヌ、ヴィータ、フェイトが口々に非を認める。決して彼女らが無能だったというわけでない。しかし管理職の仕事に忙殺され、結果として部下のケアを怠っていたことのは確か。
「まぁいいさ。それは今ここで糾弾すべき事柄じゃないし、俺にそんな権利もない。……今は見守ろう、全てはその後だ」
他人事のように漏らし、攸夜は“魔法使い”たちが舞う空を見上げた。
──縦横無尽。
ウイングロードがなのはを取り囲み、さながら鳥籠のように大空を埋め尽くす。
地上から、ティアナがクロスファイヤーシュート──無数の誘導弾を撃ち上げ、白いを檻の中心へと追い立てた。
そこに、スバルが捨て身で飛び込む。強烈極まりない打撃を何とか弾き返し、なのはが叱責に声を荒らげる。
「こらスバルっ! だめだよ、そんな危ない軌道!」
「ごめんなさい! でもちゃんと防ぎますからっ!」
「ああ……、たしかにダメだな。──ち、スバルの奴、あとでシめてやるか」
「あらあら、スバルちゃんたらしょうがないわね。クイントが見たら確実にお冠よ」
ヴィータとメガーヌがスバルの無謀な行動に渋面を浮かべ、
「でもどうしちゃったんでしょうね、二人とも」
「そうだね。なんだかいつものキレがないみたいだし……」
シャリオとフェイトが不可解な戦いの推移に違和感を訴える。
発言こそしないがヴァイスもおおよそ同意見らしく、複雑な表情で辺りを見回している。いつの間にか姿の見えなくなったティアナを探していた。
とある事情から狙撃手を廃業し、今は輸送ヘリのパイロットをやっている彼だが、かつて一流を誇ったスナイパーの“観察眼”は未だ錆び付いてはいない。
「──ん? ありゃあ……」
鷹の目が、お目当ての少女を捉えた。
戦域から少し外れたビルの屋上。両手のクロスミラージュを眼前に構えたティアナが、オレンジ色に輝く魔力を収束させている。
「ティアナが、砲撃?」
「狙撃でもするつもりか?」
「いいや、違いますね。像が若干歪んでる、おそらく幻影だ」
一足遅れて彼女を発見したフェイトとシグナムの読みを訂正する。やはり眼力は衰えていない。
「なるほど陽動か。では、本人は……」
砲撃の照準用レーザーを器用に避けながら、なのはが錐揉み回転しながらシューターを乱射する。殺到する桜色の光線を足場を飛び跳ね、時には身体を捻ることでやり過ごし、スバルが再度の接敵を試みた。
「でりゃああああっ!!」
三度激突する魔力。
桜色の障壁に阻まれ、空色の光が激しく飛び散る。
押し込まれたなのはの動きが、止まった。
それは確かな好機。
二人の遙か頭上。天に伸びる青き路を駆け上がり、太陽色の髪の少女が捻るようにして空中に身を投げ出した。
その手には、燈黄色の刃を生やした白い拳銃。銃剣、バヨネット。鉄壁の防御を貫く刃を眼前に構え、真っ直ぐに停止したなのは目掛けて落下する。
会心のタイミング、とでもティアナは思っただろう。
────しかし、
「レイジングハート……、モードリリース」
眩い閃光が奔る。
派手な爆轟とともに強烈な爆風が吹き荒れ、その余波は観戦者たちのいるビルにまで届いた。
「なのはは……!?」
強風に長い髪を煽られながら、フェイトが親友の身を案じて悲鳴混じりの叫びを上げる。吹き上がった砂煙で遮られ、現状の様子はわからない。
そして数瞬の後、噴煙が晴れると同時に広がった光景に一同は絶句した。
「おかしいな、ふたりとも……。どうしちゃったのかな……」
ほのかな桜色の光に包まれ、宙に停止したティアナ。
鉄拳を突き出した体勢のままのスバル。
そして、
「……がんばってるのはわかるけど、模擬戦は、ケンカじゃないんだよ」
リボルバーナックルを左手、クロスミラージュの銃剣を右手で受け止めたなのはが、そこに立っていた。
オレンジ色の魔力刃を掴んだ手の平からは、生々しい鮮血が止めどなく流れる。
「練習のときだけいうこと聞いてるふりで、本番でこんな危険な無茶するなんて──、練習の意味……、ないじゃない」
俯いたまま、かすれた声。
「私の言ってること、私の訓練……、そんなに間違ってる? そんなに私、頼りない……?」
「ッ!」
魔法で空中に固定されていたティアナはその瞬間、拘束を破壊して対岸の足場まで飛び退き、激情に任せてクロスミラージュを構えた。
トリガーの空引き、魔導炉がドライヴ。砲撃魔法の術式が起動させる。
「わ、私は──!」
が、次の言葉にその意気も霧散した。
「信じて、たのに──」
絶望。
裏切られた信頼が変わるのは仄暗い悲しみ。言葉には出来ない悲痛な叫びが音もなく響く。
裏切られれば悲しい。
心が傷つく。
そんなもの、誰だって同じだ。
ぽつり。
水滴が、澄み切ったしずくが青く輝く道端を濡らした。
「なのは、さん……?」
顔色を失い、スバルが虚ろな声で“あこがれのひと”の名を呼ぶ。
「あ……」
脱力するよう崩れ落ちるティアナの前で、収束していた魔力が解けて四散した。
「──なのは、泣いてる?」
「チッ」
フェイトが戸惑いの声を上げ、攸夜が苦々しく舌打ちする。
どちらの胸にも鈍い痛みが到来し、ほとんど同質の不愉快な感情が沸き上がった。
「あ、あれ? どうして私、泣いてるんだろ……? ──なん、で、なんで、だろ……よく、わかんない、や……」
ようやく自らの異常に気が付いて、なのはの口をついて出たのは戸惑いの言葉。訥々とした独白は意味をなさず、一度自覚してしまえばあとは涙が堰を切ったかのように溢れ出し、ポロポロと青空に散るだけ。
「えと、えっと──、ご、ごめんね、ふたりとも。その、もう一度はじめからやりなおそっか」
止めどなく流れ落ちる涙を袖で乱暴に拭うと、なのははぎこちない笑顔を浮かべた。涙は止まらない。
自失した教導官としての自分を無理矢理に立て直し、職務を全うしようと精一杯に取り繕う。その笑顔が、その姿があまりにも痛々しくて、ティアナとスバルが息を飲んだ。
「ッ──、やはりこうなるか」
ギリ──
歯軋りが聞こえるほど食いしばり、攸夜は漏れ出してしまいそうな怒気を必死に押し殺す。その表情はひどく能面じみていて。
我慢の限界は、とうに越えていた。
「フェイト」
「うん」
ポケットに入れていた両手を抜き出し、パートナーに短く声をかける。意図が正しく伝わったこと確認する間もなく、攸夜は予備動作なしに大きく跳躍した。
彼の動きを目で追えたのはフェイトとシグナム、エリオのみ。近くいた他の四人はもちろん、接近されたなのはやスバル、ティアナたちすらも感知出来ない。
「え、攸夜くん──?」
音もなく背後に現れた攸夜の気配に振り返り、きょとんとして小首を傾げるなのは。無邪気にも見える表情に、そして涙で潤んだ瞳にわずかにたじろぎ、苦い罪悪感を抱えながらも攸夜は努めて平静な声でなのはに告げる。
「もういい。止めろ、なのは」
「やめろって、なにを? あ、模擬戦なら、いまからやりなおして──」
「もういいんだ……、少し、眠っていてくれ」
「えっ?」
首筋辺りに当て身を受け、なのはがゆっくりと崩れ落ちる。まるでぷつりと糸の切れたマリオネットのように。
ざわり、と周囲に動揺が走る。
気絶したなのはを左腕で抱き留めた攸夜の隣に、フェイトが一足遅れて降り立つ。彼女はわずかに敵意の籠もった視線を茫然自失している部下たちへと送り、すぐに攸夜の顔を見上げた。
「ユーヤ、医務室に連絡したよ。ベッドの準備、しておくって」
「わかった。すぐに行こう」
相談の間、二人はティアナたちに一切の意識を払おうとしなかった。──まるで道端の石ころみたいだ、とティアナは真っ白な頭で他人事のように思う。
「シグナム! 後のことを任せていいか? フェイトを除くと、アンタがこの場で一番階級が上だ」
「道理だな、承知した。高町を早く連れて行ってやれ」
「悪いな」
好敵手に後を託し、攸夜はこの日初めて穏やかな微笑みを浮かべた。もっともそれは、恋人を安心させるためだけのものだったけれども。
「医務室まで跳ぶ。ちゃんと捕まったな、フェイト」
こくり。神妙に首肯するフェイトは、なのはを抱き抱えた攸夜に横からしっかりと抱きついていた。
一見微笑ましい三人の姿が歪み、空間に溶けて──
呆然と立ち尽くす二人の少女たちだけが、その場に残された。
「──さて。スバルにティアナ、お前たちもさっさとこちらに戻ってこい。訓練は中止だ」
朗々としたシグナムの声が、冷たく訓練場に響いた。