「でりゃああああっ!!」
裂帛の気合いが轟く。
スバルがマッハキャリバーの速度を乗せた右ストレートを繰り出す。高速回転したタービンが渦を巻き、空気ごと拳をねじ込んだ。
「ぬぅん!」
迎え撃つはゼストの剛槍。
堅く握った拳と鈍く光る刃が真正面から打ち合い、オレンジ色の火花が咲く。
足下に流れる水が衝撃で四方に弾け飛んだ。
戦場は地上本部にほど近い川幅二百メートルほどの名もない中型河川。あまり清潔とは言い難い、深さ三十センチの流れ緩やかな川である。
「リボルバーナックルにシューティングアーツ……、クイントの娘か」
「!? お母さんを知って……!?」
不意に亡くなった母の名前を出され、動揺を見せたスバル。予想外のことに青い瞳が大いに揺れ動くが、ゼストは何も答えず無言のまま剛槍を振り抜いた。
「きゃあっ」
「スバルさん!」
鍛え抜かれた剛腕による一撃に、たまらず女性らしい悲鳴を上げ吹き飛んだスバルを後ろに入ったエリオが受け止める。
そんなあからさまな隙を見逃しはしないゼストが追撃にかかるが、召喚された“冥魔”を相手取っていたティアナのクロスミラージュが火を噴き、足元に盛大な水しぶきを上げて阻止。撃つ際に、まるで見もしなかった本人は、対峙した無機質の人型──闇の騎士──に見事な右上段回し蹴りをお見舞いしていた。
「いい加減落ちろ、バッテンちび!」「ち、ちびっ……!? エルフィには、はやてちゃんがつけてくれた“リインフォースⅡ”って名前があるです!」「るせぇ! ごちゃごちゃした名前しやがって!」「ムチャクチャな因縁ですっ!」
その頭上ではリインフォースⅡとアギトが氷柱と火球を交わし、低レベルな言い争いを繰り広げている。
そしてキャロは頭上に剣槍斧戟──無数の武具を招来し、周囲の有象無象を串刺しにしていた。
「大丈夫ですか?」
「な、なんとか……」
ざぶ、と川をかき分けてスバルは立ち上がり、油断も隙もなく槍を携える敵対者を見据えた。
(この人、強い……!)
鋭い眼光に負けないよう真っ直ぐ見返し、小さく歯噛みする。
四人がかりでかれこれ十分ほど戦っているにも関わらず、この窮地を突破する活路が見えない。さらに召喚魔法で“冥魔”が次々に湧いて出るとなればもう、笑うしかないだろう。
予定外の援軍を期待する、というのはいささか甘い考えだ、とスバルは考える。恐らく無二の親友も同じ考えのはずだ。
確かにここは本部の目と鼻の先だが、他の部隊はいつものように“冥魔”に掛かり切り。少なくとも、頼りになる一級線の部隊は皆出払っているだろう。
そんな中、唯一助力を期待できるのが実の姉であるギンガとナンバーズの面々。通信妨害の影響が続いているとはいえ、地上に出たことでこちらに気づいてくれる可能性は大幅に増えている。
こうした理由で時間の経過は自分たちに味方するが、いつ来るとも知れない援軍を待たざるを得ない状況は、スバルに焦燥感を募らせるばかりだった。
──普段、脳天気さだとか直情径行が目立つスバルだが、こうして状況を見極める冷静さも持ち合わせている。伊達に訓練校を首席で卒業してはいない。
さておき、この歴戦の騎士を打倒するのは現状不可能である。勝てる見込みがまるでなく、さりとて逃げることも困難で。
「僕が行きます!」
「あ、ちょっと!」
だからだろう。
エリオがスバルの制止を振り切り、自分の身長の二倍以上はある大男に立ち向かうのは。
前回の交戦時とは違ってある程度冷静さを保っている様子だが、やはりどこか気負いや焦り──不安定な危うさがエリオには感じられた。
「ストラーダ!」
駆けながらデバイスに指示。内蔵された魔導機関が産み出す魔力が、鉾先下部に備わった噴射口を通って前進する運動エネルギーへと変換された。
青白いアフターバーナーを噴かせて青き雷が突貫する。
「やああああッッ!!」
「──!!」
迎撃の薙ぎ払いに弾き飛ばされたエリオは、くるりと体勢を入れ替えると周囲の壁を足場に再度突撃をかけた。
「あなたは!」
「……」
「あなたは管理局の、平和を守る騎士だったんでしょう? なのにどうして!」
剛風伴う斬撃を潜り抜けるその速度は雷、放電を繰り返す一筋の稲妻。鋭く、迅く、愚直なまでの突きを繰り出していく。
鍛錬の賜物だろう、前回と比べれば幾らか抵抗できていた。無論、ゼストが手心を加えていたのは変わりないが──
「黙ってないで、答えてください!」
「語る舌を持たん!」
「ぐ──、ううぅっ!?」
斬り返しからの石突をまともに腹に受け、くの字に身体を折り曲げて吹っ飛ぶエリオ。その影から、タイミングを計っていたスバルの拳打が飛び出した。
咄嗟に持ち手の部分にぶつかって、砲撃じみた打撃音が空気を振るわせる。
一合した後、スバルは深追いはせず、マッハキャリバーを逆回転させて回避距離を取る。エリオが体勢を立て直す時間を作りたかったのだ。
背後で立ち上がる気配を感じ、肩口から軽く振り返った。
「エリオ! 一人じゃ勝てないよ? 協力しなきゃ!」
「……すみません」
濡れ鼠の少年は、素直に過ちを認める。スバルのわずかに見えた表情に真摯な心配を感じ取ったから。
一方、
「……きて」
「召喚!? これ以上させない!」
召喚魔法に伴う独特の“ゆらぎ”をいち早く感じとったキャロは、ジュエルシードの入ったアタッシュケースを片手に猛然と駆け出した。
裏界魔王の加護を織り込まれた外套の後押しもあり、少女は流れる川の水面を切り分けて疾風の如く召喚主に迫る。
「邪魔です!」横合いから庇い立てするリビングメイルの鼻面に右手のケースを鈍器代わりで叩き込み、彼女の疾駆は止まらない。
「──覚悟!」
桃色の風が紫紺の影の喉笛に喰らいつく、刹那──ずあ、と水中からスライムが壁のように立ちはだかり、キャロは思わず蹈鞴を踏んだ。
「しまった……!」
──その言葉は誰のものだったのだろう。
天に完成した六芒星の幾何学的な魔法陣ゲートから、空を覆い尽くさんばかりの“冥魔”が現れる。その全長、一千メートルあまり。
「うっわ、でっか!?」
「はわわ……危険度レベル7、“闇妖虫”の成体ですぅ!!」
アギトと交戦していたリインフォースⅡが思わず氷柱を投擲する手を取め、巨大な異様に恐れ慄く。
巨大でグロテスクな蛾──そうとしか形容できない異形の魔蟲。極彩色の鱗粉をまき散らし、羽撃く様は吐き気を催す。
総じて“冥魔”は生理的・根本的に嫌悪感を覚える見た目だが、これは極めつけだ。
「ここに来てこんな大物……!?」
「これは、本格的にマズいかも……」
頭上で奇怪な巨体を見上げた一同の表情には一様に絶望が浮かぶ。諦めという闇が、心を蝕み──
刹那、視界の後方から魔力とはどこか違う質のエネルギーが野太い光線を描いて闇妖虫の頭部を捉えた。
爆発。
巨体が揺らぐ。
次いで、同じ方向より飛来したドリルのように高速で捻れる紫色の激烈な渦が巨体の中心に突き刺さった。
さらなる爆発。
巨体が完全に空を仰ぐ。
貫通こそしなかったが、光の渦をまともに受けた闇妖虫がその圧倒的な運動エネルギーに押し出され、背後にあった橋を崩しつつ墜落した。
「「「っ!?」」」
推定一万五千トンの巨体が落ちた影響で、軽い地鳴りと地震が発生する。ざあっ、と墜落の衝撃で下流の方から逆流する川の水。
と同時に上空から針らしきものが降ってきて、水中に潜ると次々に爆発。豪勢な水柱が次々に立ち上がる。
「なに? 今度はなんなのよっ!?」
不測の事態に弱いティアナが涙目で声を上げる。
「──騎兵隊の参上っス!」
その疑問に応えたのは、上空からの陽気な声だ。
空中を軽やかに滑るフライボードからグレーのコートを翻す銀髪の少女が、ゼストからスバルたちを庇う位置に降り立った。
さらに上空を紫色の光の道が走り、二人の人影が次々に降下する。
「食らいやがれッ!!」
先に落ちた人影は、正座のような体制で両足に装着されたタービンを回転させ、“冥魔”を強襲。落下速度と体重を乗せた重い爆撃が無機質の兵士を圧殺する。
「退がってノーヴェ! はああああっ、ガトリングッ!」
声に合わせてその場から跳び下がった最初の影──ノーヴェと入れ違いに、紫の戦装束を纏った藍色の髪の女性──ギンガが、左のモノケロスギムレットを水面に向けて突き出す。
高速回転する衝角から発生した特殊な振動数を持つ魔力の波が、有象無象を瞬く間に蹴散らした。
「スバルっ、ケガはない?」
「はっ、ずいぶん苦戦してたみたいじゃないか」
「ギン姉! それに、えーっと……」
心から妹を気遣う姉と、その妹を皮肉げにからかう赤毛の拳士。見事なコンビネーションで機先を制してみせた二人は、油断なく前方を見据えている。
「九番さん??」
「ノーヴェだっ!」
飛び出した天然ボケに思わずいきり立って言い返すノーヴェ。
「遅れてごめんなさい、でももう大丈夫よ」
青筋を立てる部下をスルーし、ギンガは妹とその僚友たちに労いの柔らかな笑みを向けた。
「チンク、か……」
「ゼスト、どうか投降してほしい……。私は、またあなたの命を奪いたくはない」
形勢の逆転を理解したゼストの呟きに、どこか憂いを帯びた銀髪隻眼の少女──チンクが漏らしたただならぬ発言で場が凍る。
「……」
ゼストは返答を返す代わりに、自らの裡に巣くう“モノ”を静かに解き放った。
ぞろり、と地面から吹き出した紅黒い瘴気が男に纏わりつく。
「ゼスト!?」
「旦那っ、その力は使っちゃダメだ!!」
アギトが目を見開いて悲鳴を上げる。
「グッ……」押し殺す苦痛を贄にするかのように、槍を携えた右手を結晶状の無機質が覆っていく。
「ゼスト、その姿は……!」
「そうだ、俺はもう“死体”ですらない。唾棄すべき外道の走狗に成り果てた“化け物”──過去に戻ることなど、もはや叶わん」
不気味な無機物が右腕全体を覆い尽くすその姿は“闇の落とし子”──そう呼ばれる存在そのものだった。
「……ティアさん、これから私、使い物にならなくなると思うのであとはよろしくお願いします」
「はいぃ!? ちょ、アンタ、なに勝手に!」
「召喚には召喚です!」
カッ、と見開く円らな双眸。
お説教覚悟でリミッターを解除しておいたケリュケイオンが魔導機関をフルドライブさせて魔力を捻出する。
足下の川底、閃く七芒星の魔法陣。桃色の光が湖面に映る。
「来れ四柱! 以下省略っ!!」
あまりにもあんまりな詠唱に、雷速で練り上げた莫大な魔力を乗せて。様式やら手順やら用法やらを全て蹴っ飛ばし、最速最短の召喚式を高らかにあげる。
ひときわ魔力光が輝き、異界の神秘が結実した。
「……何という適当な祝詞で喚んでくれたのだ、娘よ」
ふわりと羽衣をたゆわせて、呆れ顔で嘆息する天女が背後に。
「ははは。我らを一度に喚び寄せるとは恐れ入った。さすが“裏界皇子”の一番弟子であるな」
愛剣をフェンシングスタイルで構え、ご満悦な様子の銃士が左手に。
「まぁ、概ね同意だけど。そんな詠唱でのこのこやってきた私たちって、どうかと思うわ」
弓を片手に、自らの存在価値を考えて頭を抱える弓兵が右手に。
「そんなのどうでもいいけんっ! 早くアイツと戦うんじゃ!」
好戦的に犬歯を剥き出し、ぴくぴく犬耳を震わせる傭兵が前方に現出する。
侵魔召喚を初めて目の当たりにしたギンガたちに動揺が走った。
“風雷神”フールー・ムールー、“魔騎士”エリィ・コルトン、“狩人”レライキア・バキア、“狼の王”マルコ──何れも裏界に名だたる魔王の御光臨である。
「っぅ……、やっぱり、一斉召喚と四人の維持は、つらいです、ね……」
魔力を根こそぎ搾り取られるような感覚にキャロが弱音を漏らす。しかし膝を突くような軟弱な真似だけはしなかった。
「──さあみなさん、やっちゃいましょうっ!」