明けて、翌日。
「やってきました機動六課」
「勝手知ったるなんとやら、って感じだね」
機動六課の隊舎にやってきた二人。迷いのない足取りでずんずん進む親友の背を追い、ユーノは幼なじみたちの働く職場に初めて足を踏み入れた。
攸夜の押しの強さに負けた身だが、実はユーノも内心では今回の来訪を心待ちにしていた。
久々になのはと会える──これ以上に嬉しいことはない。それから、彼女を“ママ”と慕う少女との面会も。攸夜の印象では「聞き分けのいい普通の女の子」ということだったが、はたして?
「まあ、実際すぐそこの寮に住んでるしな」
「女子寮なんでしょ? いいのかなぁ」
「いいに決まってんだろ。俺がフェイト以外に不埒な行為をすると思うか?」
「思わないけど。威張って言うことじゃないよね、それ」
明け透けな物言いにユーノは呆れて苦笑するしかない。
だが確かに、彼はそのようなしないと断言できる。軽薄な言動は単なるポーズで本当は呆れるほど一途なのだ、この幼なじみは。
幼いころ、フェイトに手書きの手紙を贈りたい、ミッドチルダ語を教えてくれないか、と頼み込まれたことをユーノはよく覚えている。もともと語学系に長けていた彼は習得にかけた強い熱意と真剣さもあって、ほんの数週間でミッド語の基本的な読み書きをマスターしてしまった。
今思えばその熱意の原点は、フェイトへの無自覚な恋心だったのかもしれない。
「へー、外見はちょっとくたびれてるけど、意外と内装はキレイなんだね」
「キチンとリフォームしたからな。匠の業が冴え渡っているよな」
「つまりこういうことかな。“なんということでしょう”」
「そうそう、“なんということでしょう”」
くだらないやりとりに笑みがこぼれた。同じ友人のクロノとはちょっとできない類の会話だ。
さておき、ユーノの服装はいつものライトグリーンのスーツなのだが、攸夜の服装はかなり奇抜と言わざるを得ない。
プライベートだからなのか、見慣れた紺の背広ではなく、黒いカッターシャツに右腕の部分だけがブルーになったアッシュカラーのジャケット。立てた襟に二列のベルトがついており、上下のファスナーを適度な長さで開けている。
そしてインナーとボトムも蒼く、ベルトやブーツ、クロスのネックレスや無骨な鎖のウォレットチェーン、同じく鎖の腕輪のアクセサリーも調和が取れていた。
──たしかにおしゃれだし似合ってもいるが、いささかパンクすぎやしませんか、とユーノは他人事ながら不安になる。とても自分にはできそうもない格好だと生真面目な司書長は結論づけた。
「それはそうと、ユウヤ」
「うん?」
「身体の方は本当に大丈夫なの?」
この友人、つい先日退院したばかりである。
ユーノも仕事の間を縫ってお見舞いにも顔を出したが、目を疑うほど酷い怪我だった。とても二週間やそこらで治るようなものとは思えなかったし、実際再起不能レベルの重態だった。体調を気遣うのはもっともである。
しかし当の本人は、おどけたようにすっかり元通りの右腕を腕まくりして力こぶのポーズをして見せた。
「見ての通りさ。フェイトと退廃的に過ごして、お互い心身ともにリフレッシュさせてもらったよ」
「あはは……相変わらずフリーダムだね、ユウヤは」
「それが俺の魅力だろう?」
攸夜は左目を閉じて、臆面もなくキザな台詞を言い放つ。“お互い”と表現するところが憎らしいが、さんざ心配させられた方としてはいささか釈然としない。
「……ま、実を言うと、戦力的にはアースラ級を沈められる程度までしか回復してないけどな」
「それって十分なんじゃ?」
「まだまだ。全力の一割未満だよ」
宝玉の魔力もほぼ空だしな──一瞬だけぞっとするような表情をして、攸夜は自嘲した。
ここまで回復できたのには訳がある。
──フェイトの“プラーナ”を喰ったのだ。文字通りに。
無論、理由を全て彼女に打ち明けて理解と協力を求めた上でだが。その身は強大な神秘を内包した極めて高度なアストラル体、他者の“プラーナ”を取り込むのは容易い。フェイトとの“相性”のよさもそれを助けた。
だが、本来忌諱すべき手段をとらざるを得ない攸夜にとっては痛恨の極み。故の自嘲だった。
「はてさて。お姫様はどこにいらっしゃるのかな、と」
「フェイトに予定とか、聞いてないの?」
「うんにゃ。サプライズにしようと思ってさ、黙っといたんだよ。──っと、丁度いいところに顔見知り発見。
あー、ちょっといいかな、そこのお嬢さんたち」
ラウンジのようになった一角でお喋り中の女性三人組に近寄ると、攸夜は人当たりのいいにこやかな表情で声をかける。知り合いのようだが、きっかけがまるで安いナンパの手口じみている。この場にフェイトがいたら、血の雨が降るだろう。
「あ、おはようございます、ユウヤさん」
「「おはようございまーす」」
「ああ、おはようシャリオ、アルト、ルキノ。歓談中に悪いんだが、ちょっと訊きたいことがあるんだ。構わないかな?」
「はい、いいですよ」
代表して応対する眼鏡の子。ユーノも眼鏡愛好家なのでちょっと気になる。
「あ、でもそちらの方は……」
「ん? ああ、すまない」
当然の疑問に攸夜はやや強引にユーノの肩を組んだ。
「うわっ、とと」友人のこの乱暴な行動には慣れっこだったので、ユーノは衝撃でずれた眼鏡を直すだけに留めた。
「コイツは俺たちの幼なじみで親友、ユーノ・スクライアだ」
「よろしくね」
ざわっとする三人。
「……あの、ユーノさんてもしかして、無限書庫の司書長の?」
「ああ、そうだよ。あの“伝説の司書長”さ」
「ちょっとユウヤ。やめてよ、それ。言われるこっちは恥ずかしいんだから」
敬意と好奇心がない交ぜになった視線がこそばゆい。しかし、攸夜と行動を共にしているとよくあることなので、ユーノは気にしない。せいぜい司書長としての自分を知っているのだろうとか、雰囲気が派手な友人と地味な自分の組み合わせが物珍しいのだろうとか、その程度の認識だ。
その三人組──はやて直属の部下らしい──と軽く挨拶と自己紹介を交わし、本題へ。
彼女らの話だと、なのはたちはレクリエーションルームで出向組の面々との親睦会をやっており、どうやらお目当ての幼女もそこにいるらしい。お誂え向きとはこのことだ。
礼を言い、二人はその場を離れた。
「……なんか、背景に薔薇の花が咲いてるよねー」
「「ねー」」
「どっちが受けなのかな」「やっぱりユーノさんじゃない?」「かわいい顔してたもんねー」「いやいやー、案外逆かも」「その発想はなかった」「フェイトさんにはヒミツの禁断の愛!みたいな?」
「「「きゃあー!!」」」
姦しい黄色い悲鳴は、幸いにもユーノには届かなかった。
□■□■□■
レクリエーションルーム。
攸夜が先立ち、電子ドアを開く。
「おかえりユーヤっ! はやかったね、どうしたの? ──って、あれ? ユーノ?」
ドアの開閉と同時に咲き乱れる笑顔の花。半ば予想していたかのように待ち構えていたフェイトが恋人を出迎える。
やはりフェイトの攸夜を察知する能力は常軌を逸している、とついで扱いのユーノは苦笑を禁じ得ない。
「よお、邪魔するぜ」
「や、久しぶり、フェイト」
砕けた挨拶は気心の知れた間柄の証。
ブロンドの幼なじみとの挨拶をもそこそこに、ユーノはきょろきょろと“彼女”を探す。そしてすぐに見つけた、赤みがかったサイドテールの女の子を。
「え……、ユーノくんっ!?」
大きく見開かれた紫水晶の瞳が若草色の眼差しと交わる。
ユーノは自分の心臓が、どくんっ、と高鳴った気がした。
なのはがやにわに立ち上がり、小走りでこちらにやってくる。その際、周りの部下たちに一言断るあたり彼女らしい。
「あ、いや、その……久しぶり、だね、なのは」
「う、うん……」
会話に漂う妙なよそよそしさにユーノが内心で歯噛みする。想い慕う女の子に気の利いたこと一つ言えないのか、と。
電子メールでのやりとりは続けていたものの、こうして直接顔を合わせるのは数ヶ月ぶり。否が応でも緊張してしまう。いろいろな意味で意識してしまうからなおさらで。
そんな二人の空気を察して、攸夜とフェイトはそっとその場から離れる。
「でもユーノくん、どうしてここに?」
「うん、なのはが小さい女の子の“ママ”をやってて大変だって、ユウヤから聞いてね。一度、なのはの職場を覗いてみたかったし、いい機会かなと思って」
「あっ……ご、ごめんね、ヴィヴィオのこと、ユーノくんに黙ってて。……べつに秘密にしてたとかじゃなくて、えと、タイミングがなかったっていうか、その……」
「いや、責めてるわけじゃないんだ。ちょっとショックだったけど、でも、なのはも言い出しにくかったんだってことは僕にもわかっているから」
らしくなくしどろもどろに弁解するなのは。わずかに違和感を感じながら、ユーノはあえて衝撃を受けたことも隠さず告げて、彼女をなだめた。
「あっ……うん、ありがと……」
「えーと、それでその子はどこかな?」
部屋を見渡すと、ユーノの見知った顔もちらほら見受けられた。以前、ホテル・アグスタの一件で見かけたなのはの部下たちだ。それ以外にも数名の見知らぬ女性もいたが、こちらはおそらく余所の部隊から出向して来た子たちだろう。
と、攸夜とフェイトが管理局の施設には似つかわしくない金髪の幼女と対面していた。──彼女が件の少女らしい。
「元気にしてたかー、ヴィヴィ子」
「ヴィヴィこじゃないよっ、ヴィヴィオだよっ! おじさん!」
「おじさんじゃなくてお兄さんだって言ったろう、なあヴィヴィ子?」
「ひゃっ、いひゃいいひゃいっ!」
「はっはっは、元気が有り余ってるみたいだな。重畳重畳、いいことだ」
両方のほっぺを抓られ、暴れていた女の子が攸夜の手から逃れると、傍らでその様子を微笑ましく見守っていたフェイトの足元にまとわりつく。こわいお兄さんから隠れているつもりらしい。
ピンクの髪の少女が一連のやりとりを何やら複雑そうな様子で眺めていた。
「──あはは、ユウヤにはずいぶん懐いているんだね」
「そうなんだよー。攸夜くん、すぐにヴィヴィオとなかよくなっちゃって。フェイトちゃんだってあやすの上手だし……なんか私、自信なくしちゃうなー……」
どこか疲れた表情で、なのははぽつりと弱音を吐露する。違和感の正体はこれか、とユーノは納得した。
子どもの接し方を熟知している二人と、昨日今日始めたばかりのなのはの間に差があるのは道理。これから経験を積めば十分埋められる差だというのに。
──そんな気弱な表情、なのはには似合わない。
肩ごしにそっと見守った笑顔はまぶしくて、なによりも尊く感じて。優しさと強さの分だけ傷つきやすい、その青空のような心を護りたいと願った。
ユーノは、衝動的になのはの両手を取る。
「そんな顔しないでよ、なのは。僕がついてるから、ふたりで力を合わせて一緒に頑張ろう」
「ぁ……」
ぽっ、と。
びっくりしてユーノの顔を見上げていたなのはの頬に薄紅が差し、茫然した紫色の瞳がうるうると潤む。
「わっ、ごごご、ごめんっ!」ユーノは自分たちの状態に気づき、慌てて手を離そうとする。「だめっ!」
突然の声にびくりと動きを止めた手を白魚のような指先が絡め取る。それはゆっくりと、控えめで、ためらうようだった。
「な、なのは?」
「……手、もう少し……」
「あ……」
「…………」
手を繋いだまま、見つめ合うふたり。陶然とした表情で、自分たちの世界に浸っている。あとほんの一押しあれば、めでたくゴールイン──そんな甘酸っぱい雰囲気。彼らにしては珍しい。
だからふたりは、すっかり失念していた。
「じー」
自分たちを見つめる数々の瞳に。特に、何やら不満そうな色違いの小さな瞳に。
「「!!?」」
ぱっ、と慌てて離れたユーノとなのはは真っ赤にのぼせて俯くのだった。