食事のあとは五人仲良くショッピング。
子ども用品店や玩具店などを巡って買いあさる。今までのものは伝手を頼って集めたお古だったので、“ママ”たちはここぞばかりに奮発した。──もちろん、お金は男性陣持ちで。
幸いどれだけ買っても荷物持ちには困らない──攸夜の月衣は容量無限大──、フェイトとなのはは心行くまで買い物を楽しむことができた。ヴィヴィオでいろいろな服を着せかえ遊びしたのはいいストレス解消になっただろう。
平日の繁華街とはいえさすが第一世界ミッドチルダの首都、次元世界各国から訪れる人は絶えることがない。
車での移動中もそうだったが、ヴィヴィオは目に映るもの全てが珍しく感じるようで、目をいっぱいの好奇心できらきらと輝かせ、「あれはなに?」となのはやフェイトにしきりに尋ねている。その都度、二人は嫌な顔一つせずヴィヴィオの疑問にひとつひとつ丁寧に答えていく。教えることが仕事のなのはと子ども好きなフェイトである、ちいさな生徒の相手もお手のものだった。
「じゃあ私たち、そろそろ行くね?」
「うん」
必要なものも買い終わり、二組に分かれて自由行動することになった一行。フェイトと攸夜が空気を読んだ結果だが、ふたりっきりになりたかったとか──本音はそんなところだろう。
「まぁ、親子水入らずの時間を楽しんでくれや」
「だからっ! ……もういいよ、それで」
訂正しかけて、ガクリと肩を落とすなのは。こう度々からかわれては、さすがに反論する気力をなくしてしまう。
「あはは」と人事のように笑っているユーノをなのははちょっぴり恨めしげにジト目で睨む。その脳内では、「全部ユーノくんのせいなんだよっ!」とかなり飛躍した結論が展開していた。
今回の外出の主旨はユーノとヴィヴィオが打ち解けることにあるので、当然子守をするのはなのはとユーノの役目。基本的にヴィヴィオはおとなしい子──最近は情緒も落ち着き、夜泣きもしなくなった──なので、新米二人でも何とかなるだろう、というのがフェイトと攸夜の出した結論だった。
「……うー……」
ふと所在なさげにしているヴィヴィオに気がついて、フェイトが膝を屈める。不安げな顔が正面に来た。
くりくりした色違いの瞳を覗き込み、フェイトはやさしく微笑んだ。
「ヴィヴィオ、なのはとユーノの言うことをよく聞いて、いい子にしてるんだよ。わかった?」
「あいっ!」
「いい子だ」
元気だけれど舌っ足らずな返事に気をよくし、蜂蜜色の髪をサラサラと撫でる。
「んん〜……」気持ちよさそうに目を細めるヴィヴィオ。見つめるなのははちょっぴり複雑だ。
たっぷりと髪の手触りを堪能したフェイトは立ち上がり、傍らのパートナーを見やる。一瞬のアイコンタクト。
「フェイト」
「うんっ」
攸夜の差し出した腕にフェイトはごく自然に自分の腕を絡めた。
すでに二人は、ふたりだけのバカップル的な空間を形成している。公衆の往来で見つめ合ったりなんかしちゃって、健全な不純異性交遊である。どちらももういい大人だが。
いいなー、と羨ましげに見ているなのはのことをユーノは無論気がついていたが、彼には自分にとってかなり難易度の高い行為に思えた。十年間、片思いを──実は両思いなのに──続けるだけで、行動に移さない奥手さは筋金入りだった。
「じゃあね、みんな」
「何かあったら連絡してくれ」
「うん、わかったよ」
そう言い残し、彼らはさっさと雑踏の中に消えていった。もちろんラブラブな雰囲気を無差別的にまき散らしながら。
後に残されたのは、何ともいえない緊張感を醸したなのはとユーノ、沈黙する二人をきょとんと見上げるヴィヴィオ。
まったく同時のタイミングで相手のことを窺おうとして不意に眼が合い、二人はなんだか気恥ずかしくて目を逸らした。
「あー、いや、その……い、いつも通りだよね、ユウヤたちは」
「にゃ、にゃはは……そだね。……えっと……」
両者とも、しどろもどろで会話になっていない。
さんざん茶化されてからかわれて変に意識してしまったにぶちんさんたちは、しばらくその場でお見合いして立ち往生するのだった。
□■□■□■
「……むむ、なんかそこはかとなくラヴ臭が」
思考停止から回復してしばらく、散歩の途中で立ち寄った雑貨店でのこと。レジで会計を終えてきたなのはがいきなりぽつりと呟いた。
「急にどうしたの、なのは?」隣のユーノが問い掛ける。なのはは眉間にしわを刻み、頭痛に頭を抱えるようなジェスチャーをする。「なんか、どっかでフェイトちゃんと攸夜くんが恥ずかしいくらいいちゃいちゃしてるような気がして」
へー、とユーノが感心した。
「でもそれってさ、普段からじゃない? あの二人のことだし」
「あ、それもそっか。あの二人だもんね」
続く指摘に納得したなのはがぽんと手を打つ。
それはさておきヴィヴィオはといえば。すぐ側で膝を丸めて陳列棚を熱心に見ている。
どうやら陶器製のブサカワなウサギの置物にご執心らしく、それに気づいたなのはが微笑ましくて眼を細めた。
一方、ユーノは密かにそわそわしていた。
キュートでファンシーな小物で溢れ、女性客ばかりのこの店内は猛烈な場違い感で居心地が悪い。なお、無限書庫しょくばでも彼の周辺の女子率は異様に高いのだが、完全に無自覚である。
無論、みんなのお目当てはエリートでかわいい司書長。なのはさんのライバルはさりげに多い。
一刻も早くここを去りたいユーノはその気持ちを隠しつつ、気になっていたことを尋ねてみる。
「ところでなのは、さっきは何買ってたの?」
その問いかけに顔を上げ、なのはが小さな紙袋を後ろ手に隠して無邪気に破顔する。
「えへへー、ひみつ!」
ユーノのハートがずきゅーんと撃ち抜かれた。
端から見れば余所様のことは言えない二人の様子を、ヴィヴィオがじぃぃっと観察していた。
ありふれた市民公園、噴水のある広場にて。
店を出た三人はとあることをするために場所をここへと移した。
「えー、突然ですが、よいこのヴィヴィオちゃんにプレゼントがあります!」
「え、プレゼント!? なのはママ、ほんとー!?」
「ほんとほんと。その前に、そこのベンチに座ってちょっとの間目をつむっててくれるかな?」
「はーいっ!」
元気よく返事したヴィヴィオは指示したとおりうんしょ、とベンチに上がってギュッと目を瞑る。そんな彼女に近寄り、何かの作業をするなのは。ややあって、“それ”は完成した。
「もういいよ、ヴィヴィオ」
素直にパチリと瞼が開く。
最初、ハテナを浮かべていたヴィヴィオは頭の両側に妙な違和感を感じて、触ってみる。
そこには彼女の髪を一房に束ねた水色のリボンが結ばれていた。小学生時代のなのはを思わせるツインテール、あるいはピッグテールと呼ばれる髪型。
なのはの取り出した手鏡で改めて見て、ぱあっと笑顔が咲く。
「わああっ、これ、リボン?」
「そう、リボンだよ。それもね、私たちとお揃いなんだ」
紙袋から取り出して見せたのはヴィヴィオのと同じ空の色をした二本のリボン。さきほどの雑貨店で買い求めたものだった。
自分とユーノ、そしてヴィヴィオ──お揃いのものを身につければ、“家族”になれるかもしれないと。
「ありがとう、なのはママっ!」
「ふふっ、どういたしまして」
素敵なプレゼントを大いに喜ぶヴィヴィオは、ベンチから飛び降りてその場で回り始めた。くるくる、スカートの裾が軽やかに広がる。
「ママ、あっちで遊んできていーい?」
「うん、いいよ。あ、でも、あんまり遠くに行っちゃだめだからね?」
「はーいっ!」
たたたーっ、と元気いっぱいにヴィヴィオは遊具の方に駆けていっ。
それを見送って、なのはは自分の髪をサイドポニーに結うリボンに手をかける。緑色の布がしゅるしゅると解かれる。
さらさらの柔らかいブラウンの髪を腰辺りまで降ろして、活発な印象から一転とても大人っぽくなったなのはに、ユーノは内心大いにドキッとした。
「じゃあ、ユーノくんも」
「えっ──、ああ、うん」
「……?」
どぎまぎしてるユーノの反応を不思議に思いつつ、なのはは彼をベンチに座らせて背後に回る。
やや白みがかった長く髪質の堅い金髪を、首の辺りで結っていたリボンを解き始めた。
「じっとしててね」
「うん」
緑色のそれを解いたら、鞄から取り出した櫛を入れて軽く梳いていく。特に必要はなかったが、なのはは無性にユーノの髪をいじってみたくなったのだ。
奇しくもこのとき、なのはとユーノは同じことを考えていた。
なんだか昔に戻ったみたいだなあ、と。──もっとも、当時は飼い主とペットの戯れみたいな状況だったけれども。
なのはは今、過去にユーノをペット扱いしていたことを猛烈に悔いている。子どものころの思慮の足りない振る舞いの所為で、不器用なふたりの心の距離感はどこかおかしくなっていた。
近づきたいのに、近づけない。どうしたら“トモダチ”の先に進めるのかがわからない。
いちばん近くて、いちばん遠い存在──四年前の一件がなければ、なのははいつまでも自分の気持ちに気づけなかったろう。
──ぬるま湯のような関係から脱却する時はいつの日か。
闇。
黒い闇。
闇よりも遙かに暗く、闇すらも飲み込む深淵の世界。
コールタールを一面にぶちまけた漆黒の冥闇に、薄紫のブレザー──輝明学園秋葉原校中等部の制服を着た白髪の少年が漂う。昏く濁った血みどろの瞳が無邪気な稚気を帯びていた。
「フフ……、そろそろテコ入れの段階かな?」
闇黒が震える。
少年がおもむろに上げた右手に二輪の真っ黒な薔薇が忽然と現れた。
目を瞑り、美しい八重咲きの花弁を鼻先に近づけ、芳香を嗅ぐような仕草。そして、腕を振る。
何気ない動作で投擲された黒薔薇が暗闇に突き立った。
「──“ザリチュ”、“タルウィ”」
少年の呼び声を引き金に一面の闇が泡立ち、二輪の薔薇に殺到する。
渦を巻く闇黒が膨れ上がり──絡み、捻れ、縒り合わさった闇がヒトガタを形作った。
二体のヒトガタが少年の前に跪く。
「ザリチュ、参上仕った」
一人は男。筋骨隆々、鋼のような筋肉の鎧を全身に纏う。
「タルウィは御前に」
一人は女。端麗妖美、色気を醸す豊満な肢体が曲線を描く。
「やあ、よく来てくれたね」
頭を垂れる臣下を見下ろし、主君たる少年は両手をポケットに突っ込んだ体勢で、彼らを和やかに迎える。
だがその声色の響きはどこか無感情にして無機質。悪意と敵意と傲慢と拒絶と嫉妬と否定と無理解と──世界のありとあらゆる“穢れ”を孕んだかのよう。
「キミたちには、“ゆりかごの鍵”を取り戻して来てもらいたいんだ。邪魔立てをするものは抹殺してくれてかまわないよ。──例えそれが“裏界皇子”でもね」
口元を弧月に歪め、まるで子どもにお使いか何かを言いつけるような口調。しかしその調子とは裏腹に内容は極めて血生臭い。
「ご主人様のご命令とあればこのタルウィ、どんな困難でも達成して見せますわ。……この野蛮な筋肉達磨との共同というのは気に入りませんけれど」
「ふん、アバズレが。主上の御意でなければ誰が貴様のような雌豚などと組むものか」
「「…………ッ」」
口汚く相手を罵倒し、しまいには殺気を込めて睨み合う部下たちに少年はやれやれと首を振る。
これでもこの二体は、彼の配下の中でコンビネーションに最も優れた個体。今回の“イベント”にはお誂え向きの配役と言えるだろう。
「ま、キミたちなら巧くやってくれるとボクは期待しているよ。──さあ、行くんだ」
「「はっ!」」
少年の指令は下り、男女のヒトガタが姿を消した。
辺りに静寂が戻る。
闇。
黒い闇。
闇よりも遙かに暗く、闇すらも飲み込む奈落の世界。
暗黒が笑う、嘲う、嗤う。
「……さて、と。残り少ない家族ごっこの時間、精々楽しみなよ」
暗黒の帳は依然、世界を覆ったまま────