「……!!」
攸夜が突然立ち止まり、険しい表情で虚空に目をやる。眉間に皺を刻み、蒼眼に剄烈な光を宿した。
「どうしたの、ユーヤ?」パートナーのただならぬ様子を察し、フェイトが心配そうに彼を見上げる。
「邪気が来る……! それもこれは──」
世界が歪む。
数拍遅れて響く耳をつんざくような叫び声。
悲鳴。
人の悲鳴だ。それも複数の。
「フェイト!」
「うん!」
弾かれるようにして二人は駆け出した。
雷速で錬られた魔力が金色の雷光と蒼銀の焔風となって二人を包み込み、瞬く間に彼らの姿を変質させる。
白き外套の黒い魔導師と夜闇の衣の黒き魔王は、逃げ惑う人々の波に逆らい、人工の密林を駆け抜けた。
そして、辿り着いた。
惨劇の現場に。
「……チ」
「な……、なに、これ……」
攸夜が舌打ちし、フェイトが絶句して口元を押さえた。
繁華街にぽっかりと空いた空隙に充満する肉の焼け焦げた臭い。アスファルトについたヒトの形に象られた黒ずんだ跡や、ミイラのように渇き切ったヒトだったもの──明らかな虐殺の痕跡が散見された。
この陰惨な光景を作り出した邪悪なるモノが、折り重なるヒトガタの中心で今も犠牲者を増やす。
腰辺りまである長い黒髪の、燕尾服を着た二メートル以上はある糸目の巨漢に頭を鷲掴みにされた女性が、みるみるうちに干からびていく。
また、金髪をまるで巻き貝のようにアップにし、際どいスリットの入った白いロングのチャイナドレス風の美女から口づけを受けた男性が、全身の至る所から紫色の炎を吹いて絶命した。
「ぷはっ──……あらあら、皇子様とお姫様のご到着ですわね。お早いこと」
「ふむ、もう暫くは“プラーナ”を収集に集中したかったところだが……」
用は終わりと、ぞんざいに投げ捨てられる遺体。生前は恋人同士だったのだろうか、男女の表情はどちらも恐怖と苦痛で酷く歪んでいる。
痛ましい光景に青ざめるフェイト。激情の稲妻を瞳に走らせ、この惨劇を引き起こした存在へと純粋な怒りをぶつけた。
「“冥魔”……!」
「如何にも。我が名は“渇き”のザリチュ、“この世全ての悪”に仕えし者」
「わたくしはタルウィ、“熱”のタルウィと申します。以後お見知り置きを」
慇懃無礼な名乗りは自信の現れか。
攸夜は油断なく構えながら、内心で歯噛みした。ダメージが抜けきれておらず、月匣を展開して隔離することができないのだ。通常の結界魔法では容易く破られてしまうだろう。
すでに念話で地上本部──フェイトは六課──に連絡しているが、陽動らしき“冥魔”出現の報もある。相手は高度な知能を持つ高位の“冥魔”だ、故意に民間人を標的にされる可能性もあって避難誘導の時間を稼ぐのは難しいと言わざるを得ない。
「ふん、拝火教の大魔か。“王”の位も持たない三下の分際が、人様の庭で随分と味な真似をしてくれたじゃないか」
雑多な雑兵とは違う“凄み”を肌で感じつつ、攸夜は焦りを押し殺して尊大に言う。裏界魔王たる傲慢なペルソナを前面に押し出した挑発。吹き荒ぶ禍々しい蒼銀のプレッシャーが局地的な焔風を巻き起こし、周囲のビルの窓ガラスをぎしぎしと軋ませた。
攸夜は有り体に言ってキレていた。
自分の手で奪うならまだしも、他者に──それも“冥魔”などによってヒトの命が失われた。それは歪んでいるとはいえ、ヒトと世界を自分なりに愛する彼には我慢がならないこと。故の激怒。
また、メイオルティス相手に、ほぼ敗北に近い相打ちを喫したというストレスは、本人が気づかぬうちに視野を狭めていた。
攸夜の本質は“憤怒”、紅き煉獄の焔を纏う漆黒の蛇である。そのプライドはルー・サイファーと同じく、山よりも高く海よりも深い。
「勘違いしないで頂きたい」
「何だと?」
「わたくしたちは“王”になれないのではなく、ならない。我が君に傅くことこそがこの身の存在理由故に」
僅かに眉を吊り上げる攸夜。
凡百般万の“冥魔”の統率者たる“冥魔王”は、それぞれ特徴を現した冥○王という二つ名を持つのが通例だ。メイオルティスの“冥刻王”しかり、第一世界ラース=フェリアに侵攻した王たちしかり。
無論何事にも例外はあるが、攸夜が勘違いするのも無理はないだろう。
「左様。故に、少なくとも今の弱体な貴殿よりはというもの」
「……」
魔神の安い挑発にゆらりと立ち上る殺気。攸夜の蒼い双眸が剣呑な光を灯す。
フェイトが心配そうな目を攸夜に向ける。よくない傾向だ。攸夜は案外、沸点が低い。
「何をそのように憤っておられるのか、“裏界皇子”よ」
「……何が言いたい」
「我らがヒトを殺すことがそんなに不愉快か? 既に自らの手で何千何万と命を奪ってきたというのに。貴殿の両手は我らと同じく数多の血で汚れている」
「それは矛盾ですわ。ヒトでもありカミでもあり、同時にヒトでもなくカミでもない──、それが貴方の長所であり短所。どっちつかずの中途半端、千変万化の魔王とはよくいったものですわね。だって……“柱”となるべきものがあやふやで何もないんですもの」
「ッ!」
妖女の痛烈な非難に動揺を見せる攸夜。これではいつもとてんで逆である。
いけないっ、とフェイトが咄嗟に声を上げる。
「ユーヤっ!」
「わかっている。──俺は、冷静だ!!」
両の手刀に蒼白い刃を纏わせ、七枚の“羽根”を引き連れた攸夜は未だ得体の知れない二柱の悪神に突撃を敢行した。
地面を踏み砕くほどその速さ、風の如し。
ぜんぜん冷静じゃないよっ! と内心で叫び、フェイトはバルディッシュ・アサルトを片手に彼の後を追従した。普段なら相手の出方を見るなり、目的を探るなり、自分のペースに乗せるなりするはずのパートナーに、一抹の不安を抱えながら。
「任務遂行の前に、主上の理想を阻む危険分子を粉砕するのも一興か。──足を引っ張るなよ、アバズレ」
「ウフフ、少々遊んで差し上げましょう。──そちらこそ、邪魔をしないでくださいましね、筋肉達磨」
「ふん」
迎え撃つは強大なる魔神。
巨漢の紳士が組んだ腕を解き、堅く握った鉄拳を腰だめに構え。
妖美な淑女がドレスを優雅に翻し、十の指先より伸ばした光刃を閃かす。
──死の舞踏ダンス・マカブルが、始まる。
□■□■□■
「……」
不意に遊んでいた動きを止めて立ち止まるヴィヴィオ。じっと明後日の方向を見つめていた。
「ヴィヴィオ?」
「……っ」
彼女は何かに怯えたようになのはの脚にしがみつく。
「ヴィヴィオ、どうかした?」
「こわいものがくるの……」
「怖いもの?」
要領を得ない呟きになのはが首を傾げる。問い返されたヴィヴィオはいやいやとだだをこねるように首を振った。
二人の傍らに寄り添うようにして立つユーノは、深刻な表情で眉を寄せる。
「嫌な感じだ……」
「うん……」
□■□■□■
「が、ハッ……!」
音を置き去りにした拳をガードの上からまともに喰らい、攸夜が放物線を描いて吹き飛ぶ。二十メートルほど後方の、ショーウィンドウのガラスを突き破る。
その衝撃は、十の指先から爪──紫色の魔力と超高熱を帯びた刃だ──を繰り出す妖女と切り結んでいたフェイトの元にも届いた。
「ユーヤっ!?」
無論、生じた隙を見逃す魔神ではなく。
「ウフフ……、よそ見する余裕なんておありかしら?」
「っ、きゃあっ!」
襲いかかる炎熱を帯びた五条の爪撃。辛うじてバルディッシュで受けはしたものの、泳いだフェイトにピンポン球大の誘導弾が十数発まとめて殺到する。
咄嗟に張った障壁とぶつかり炸裂した魔弾の衝撃で、フェイトのメリハリのある華奢な身体が吹き上がる。微かな悲鳴を聞きつけ、すぐさま飛び起きた攸夜が彼女の後ろに回り込み、全身で抱き留めた。
そこに撃ち込まれる追撃の大魔法。
「熱烈なる慈悲をお受けなさい──、“火天滅焦”」
「やらせるか! “慈愛の盾”ッ!!」
即座に連結した白亜の大盾が、天より降り注ぐ摂氏三万度を越える灼熱の嵐を遮断した。
オレンジ色の優しき光に包まれながら、二人は周囲の建造物をドロドロに溶かすほどの猛烈な熱に堪え忍ぶ。
「大丈夫?」「うん」と視線でのやりとり。それから「頭、すこしは冷えた?」とジト眼で問いかけられた気がした攸夜は、「マジごめん。反省してます」と瞳で訴えた。
お冠のフェイトさんは寛容な心で許してくれたらしい。
「……チッ」
冷静になれば自分の危うさが理解でき、攸夜は無様な失態に舌打ちをした。
そして、冷えた頭で分割思考を高速で展開して敵戦力を分析する。
──フェイトとのコンビネーションはいつも通り完璧だった。
頭に血が上り、かつ“プラーナ”の不足で普段のズレた攸夜のリズムをフェイトの献身が補ってくれていたから。
しかし、相手のそれは二人の上を行っていた。
高い防御力・打撃力と巨体に似合わぬ俊敏さを有するザリチュと、各種炎熱魔法と爪撃を使い分けトリッキーに立ち回るタルウィ。お互いがお互いの足りない部分を補い合っており、老獪な連携の隙が見当たらない。
その上、単体の戦力は裏界魔王でなら最低でも“公爵級”、いや“大公級”であってもおかしくないほど。攸夜自身“公爵”の位を戴く大魔王であるが、現在は大幅なパワーダウンを余儀なくされているためかなり厳しいと言わざるを得なかった。
なるほど、伝承によれば“ザリチュ”と“タルウィ”はコンビで災厄を振り撒く悪神だという。コンビネーションに優れているのも道理。
もっともその割に、会話から察する雰囲気が険悪のようだが。…………仮に自分なら、不仲なこの二柱を「フェイトと攸夜」にぶつけるかもしれない。主に嫌がらせ目的で。
(……考え過ぎか)
いよいよ煮詰まった思考を振り払う攸夜。ふと視線を向けた傍らで苦しげに息をするフェイトの額には、玉のような汗が浮かんでいた。
バリアジャケットには対熱遮断効果があるにも関わらず、彼女は熱波の影響を受けているようだ。おそらく精神攻撃の一種だろう、“慈愛”の護りが弱まっていることが悔やまれる。
灼熱の愛撫がようやく過ぎ去った。
「フハハ、“裏界皇子”と言えど弱体すればこの程度か。タルウィ、此奴らは我が相手をする。様はその間に“ゆりかごの鍵”を確保するのだ」
「なっ!?」「ッ!」
「あら、わたくしが手柄をあげてもよろしくて?」
「愚問だな。主上の願いを叶えることが我らの本懐、功績を争うなぞ下らぬ行為だ」
「ウフフ、確かに。では後のことはお任せしますわ」
思わぬ形で判明した敵の狙い。攸夜は半ば納得し、フェイトは激しく動揺した。
“ゆりかごの鍵”──それはすなわち、ヴィヴィオを指す言葉。そして、彼女のそばにいるであろうなのはたちへ災禍が訪れることにも繋がる。
親友の危機を看過できるフェイトではなく。
「そんなことさせない!」
カートリッジロード。空薬莢を吐き出したバルディッシュをハーケンフォームに変形させ、フェイトは今まさにこの場を去ろうとする女に猛然と斬りかかる。
「ふん!」
男がおもむろに腕突き出して衝撃波を創り出す。
乾いた空気が幾層にも重なった不可視の壁に阻まれ、金色の処刑鎌は刃を進めることができなかった。
「くっ!?」
「我が渾名は“乾き”、故に我が拳は原子を砕く」
どこが乾きかッ! と叫びたいところをグッと我慢して、攸夜は空中で致命的な隙を曝したフェイトを横抱きにかっさらう。間一髪、猛烈な拳圧がそこを穿った。
手近な街灯の上に降り立つ攸夜。お姫様だっこされて、フェイトは軽く赤面していた。
「ご、ごめん、ありがと……」
「いや」
素っ気なく言い、薄ら笑む紳士に厳しい視線を送る。嫌な笑みだ。
「フェイト、先ずはあのデカブツを片付けることに専念しよう。マジでやらなきゃこっちがやられる」
「で、でもっ!」
「心配なのはわかる。けどな、俺たちの親友はそんな柔じゃない……信じよう」
「……うん」
フェイトは悔しさを滲ませて、渋々首肯した。