翌朝、午前6時頃。
普段通り早起きしたスバルとティアナは、寮の一角――高級士官向けフロアで息を潜めていた。
「まだ出てこないねー」
「ふぁ……我ながら、よくやるわ」
「……うー、なんか緊張してきたー」
フェイトの部屋の前の物陰に隠れ、様子を窺う二人。はしゃぐスバルを横目に、ティアナが眠たげにあくびした。
時折、側を通る人に不審そうな視線を向けられていたが、朝からハイテンションのスバルはお構いなしである。
「って、あれ、なんで向こうから……?」
「どうやらジョギングか何かをしてたみたいね。大方、アタシらと入れ違いになってたんじゃない?」
本来、女子寮にいてはならない男性がスバルたちのいる場所から見て、通路の反対側からやってきた。
今回のターゲット、攸夜だ。
服装は光沢のある明るい青色のジャンパーにグレーのジャージ、青い運動靴。ティアナの読み通り、日課を済ましてきた彼は、そのまま自室――対外的にはフェイトの部屋――に入っていく。
さすがに部屋の中に押し入ったり、サーチャーなどを送り込むなど無理な話。いくらなんでも確実にバレるし、それ以前に立派な犯罪だ。
というわけで、スバルが隊舎内の購買で買ってきたアンパンと牛乳――本人いわく「張り込みの鉄則」――を朝食に食べつつ、時間を潰す。やはり道行く人に奇異の目を向けられ、偶然通りがかったなのはとヴィヴィオに「……なにやってるのかな、二人とも」「おなかいたいの?」などと言われる始末。さすがのスバルも、憧れの人と幼女に呆れられたのは堪えたらしく、撃沈した。
そうこうしているうちに、時刻は8時を回る。
そろそろ寮内も、活動を始めた人々の気配で騒がしくなってくる頃。
ちなみに、訓練がない日のスバルたちの登庁時間はだいたい八時四十分前後。隊舎の近くに併設された寮住まいなので、その辺は比較的余裕がある。その分、現場の仕事はハードだが。
「あっ、きたよっ」
声を潜めるスバル。
個室のドアが開いて、地上部隊向けの制服を着たフェイトと紺青の背広を着た攸夜が出てきた。今日も二人のスーツ姿は様になっている。
別に腕を組んだりするわけではないが、何やら楽しそうに会話をしながら建物の出入り口の方に向かう二人。時折笑顔をこぼし、仲睦まじく歩いていく。
キャロ辺りなら、「読唇術です」とか言って会話の内容を読んだりできそうだ、とスバルは思った。背後からじゃ唇の動きは読めないというツッコミはこの際ナシだ。
「フェイトさんと一緒だね」
「そうね……まだ六課の仕事を始めるには時間が早い気もするけど。というか、二人してどこに行くのかしら?」
「うーん……、ホテルとか?」
「んなわけあるかいっ」
洒落にならないボケをかますスバルを鋭くツッコむティアナ。
と、何もない空間から出現した蒼い大型オートバイを見て、ティアナが「オラシオンいいなー」と呟く。
最近、一般販売の始まったバイク型“箒”だがかなりのお値段で、下っ端武装局員のティアナにはとても手の届かない一品である。
と、恋人のネクタイを直していたフェイトが不意に瞼を瞑り、つま先立ちする。ひょっとしなくても、キスの催促だ。
「うっわ、キスしてるよティア〜!」
「いちいち興奮しないの。……ったく、朝からアツアツね」
そして、長ーいベーゼの後。
フェイトから名残惜しそうにそっと離れた攸夜は、フルフェイスのメットをかぶるとオラシオンに颯爽と跨り、爆音響かせて去っていく。背広のままで。
ぼーっとその様子を眺めていたティアナが、あることに気づいた。
「……外回りに出てかれたら、尾行の意味なくない?」
「ううっ」
ごもっともな意見である。
「うー、ミッション失敗しちゃった……」
「ミッションて、アンタね。……ていうかもうやめにしない? アタシ、夕食時にでも普通に聞きに行くし」
スバルが意気消沈したのを好機と見て、ティアナが中止を進言する。どうも面倒になってきたらしい。
肩を落としてしょんぼりしていたスバルが突然、顔を上げた。ガバッ、って感じで。
「それだ! もうこうなったら、直接本人に聞くしかないよねっ!」
「ええっ、まだやる気……?」
「夕ご飯のときに食堂に行けばたぶん会えるよ! 女は度胸! やるっきゃない!」
「もうどうにでもして……」
□■□■□■
そして夕方。
普段と時間をずらして食堂にやってきた二人。目当ての人物は、予想に違わず今夜も恋人とともにディナーを楽しんでるようだ
発見するのは容易かった。
だって、食堂の中心あたりで思わず砂を吐きそうなピンク色の空間が発生していたから。
絶世の佳人と黒い貴公子のお似合いだけど浮き世離れしたカップルは、やはり何をしていても絵になる。遠巻きでチラチラ見守る職員の視線など気にもせず、和気藹々と会話を交わして笑顔が絶えない。
カウンターでトレイを受け取った二人は、こそこそと声を潜めて相談する。
「ほらスバル、アンタが言い出しっぺなんだからさっさと声かけなさいよ」
「ええー、わたしー?」
「アンタ以外の誰がやるってのよっ!」
ティアナは自分の発言が事の切っ掛けなのを完全に棚に上げ、相方をけしかける。
脳天気な元気ムスメ、と思われがちなスバルのキャラクターはこういうときにこそ役に立つ。実体はそうでもないというのはこの際関係ない。
「す、すみませーんフェイトさん、相席いいですか?」
「スバルに、ティアナ?」
「「はい」」
のっそりと顔を上げるフェイトに丁寧に会釈する。相手は曲がりなりにも上司である、社会人として礼を尽くすのは当然だ。
金髪の美少女は二人を見やり、小首を傾げて周囲を見回した。
「相席って言っても……、席いっぱい空いてるよ?」
「え、あ、いえ、その……ちょっとお二人に相談というかお聞きしたいがあって――」
至極最もな指摘を受け、しどろもどろでティアナが補足した。
「お二人」という枕詞に興味を示して攸夜が目を細めたが、フェイトは特に重要視していないようで、困った顔で恋人に視線を送る。
「相談? そうなんだ。……ユーヤ、どうしよう?」
「ああ、俺は構わないよ」
さあ座りなさい、と手で差し示して優雅に微笑む攸夜。すると、目の前の椅子が独りでに引かれた。トレイで両手が塞がった二人を気遣ってのことだろう。なかなかに紳士である。
しかし魔法の応用だということは理解できるが、スバルたちには魔力の流れすら感じ取れなかった。恐るべき練度だ。
「し、失礼します……」
「失礼しま〜す……」
定食のトレイを机に置き、おずおずと席に着く。
「それで二人とも、相談ってなんなの?」
「……フェイト、いくら何でも急っかち過ぎだよ。まずは飯を食わせてやろう」
「あ、そっか、そうだよね」
ごめんね、と素直に謝るフェイト。
ああ、天然だなぁこの人。スバルとティアナは、このぽややんとした金髪の上官を微笑ましく思った。
仕事中のキリッとクールな感じと、プライベートのダラッとキュートな感じの落差は同性から見ても愛らしい。彼女の一番の魅力と言えるだろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
「い、いただきます……」
何だか妙な展開になったと思いつつ、二人は食事を開始した。
居心地の悪さをひしひしと感じ、黙々と食べる。
任官して日の浅いスバルたちの懐事情は寂しい。当然、選んだメニューは安めでボリュームのあるもの。
一方、目の前のバカップルは当然のごとく高給取り。二人して、とてもおいしそうなビーフカレーを食べている。野菜から肉まで具がごろごろとしてて大きい。
食堂のメニューをランチを含めてほぼ全制覇しているスバルが、目聡く違和感に気がついた。
「……あれ? なんかそのカレー、ちょっと変……?」
「うん。これはね、ユーヤが作ってくれたんだ」
スプーン片手に言い、にこーーっと幸せそうに破顔したフェイトが隣の男性に視線を送る。
ああ、と静かに首肯する攸夜。ナプキンを手に上品な所作で口元を拭い、ついでにフェイトの口も拭いてやっていた。まるで仲のいい娘と父親のようだ。
「昨日の夜から厨房の隅をちょっと拝借してね。調理場の迷惑になるからあまりしたくはないんだが、フェイトがどうしても言うもんだからさ」
「はぅ……、だ、だって、久しぶりにユーヤのカレーが食べたかったんだもん……」
大人げない行為を暴露され、恥るフェイト。赤面して俯き、ごにょごにょ言い訳らしきことを口にして、縮こまっている。
スバルとティアナはそんな上司を意外に思う。どこか抜けているが、真面目で穏やか、知的な才女――まさしくクールビューティーな彼女が、子どもじみたわがままを言う姿は想像しがたい。
「カレー、フェイトの好物なんだ。オムライスの次くらいにさ」
「あっ、私、前にフェイトさんがオムライス食べてるの見ました」
「だろ? 大体、子ども舌なんだよ。食べず嫌いも多いしな」
「そっ、そんなことないもん! 味とかちゃんとわかるもんっ!」
必死で否定するフェイトを素知らぬ顔であしらう攸夜。しばし、痴話喧嘩という名の茶番劇が繰り広げられる。
機嫌を害した風のフェイトが膨れっ面で攸夜を見やる。スバルたちにはわからないアイコンタクト。
「ん、仕方のないお姫様だ。ほれ、あーん」
「あーん、あむっ……もぐもぐ」
攸夜の差し出したスプーンを躊躇いもなく含み、見たこともないくらい屈託のない笑みをこぼすフェイト。機嫌は瞬く間に直り、「私はしあわせです」と顔にありありと書かれているようだった。
自重しろ、バカップル。スバルとティアナの心の声がユニゾンしたのも無理はないだろう。
「えへへ……おいしい。次、私ね、あーん」
「あーん、はむ……」
同じように攸夜へ食べさせると、フェイトはさらに相好を綻ばせる。いや、それはもはや綻ぶというより崩れる――キャラの崩壊だ。
いつもは凛としたフェイトの、意外すぎる一面。少女というよりも、まるっきり子どもの笑顔は二人にとっては軽く衝撃だった。
「もっと食べるか、フェイト」
「んー、食べるっ♪」
『こ、これは……精神的にキッツいわね……』
『なのさんや八神部隊長がいっしょにごはん食べない理由、わかったよぉ……』
念話で言い合う二人。どちらもすでに辟易しきりで。
付き合いの長いなのはたちは、その辺りを嫌と言うほど理解させられている。二人を密かに親代わりとして慕うキャロやエリオすら、食事時には一切近づかないことからもその破壊力がわかるというもの。
迂闊な突撃を早くも後悔しながら、スバルとティアナは心の中で恩師に祈った。
拝啓、なのはさん。あなたの教え、やっぱり正しかったみたいです――――
□■□■□■
食後。
まったりした空気が流れる中、攸夜が言う。
「――お前たち、デザートを食べたくないか? お兄さんが奢ってやるから、何か好きなものを頼んできなさい」
「えっ、いいんですかっ!?」
若干の物足りなさを感じていたスバルが、これ幸いと身を乗り出す勢いで食いつく。瞬く間の出来事だった。
「ちょっと!」隣のティアナが脇を肘で突っついて咎めるものの、「遠慮するのは失礼だよ〜」と正論ぶる。対照的な二人のやり取りが可笑しかったのか、攸夜が微苦笑した。
「おらランスター、ガキが余計な遠慮をするんじゃない。ナカジマ妹のように素直になってろ」
「でも……、スバルってめちゃくちゃ食べますよ?」
「知ってるよ。ギンガや数の子、フェイトで十分にね」
「わっ、私はそんなに食べないよっ!?」
一緒にされたくない、とフェイトが必死に叫ぶ。正直、説得力は1ナノグラムもない。
結局、二人は奢られることとなり。その際、攸夜はフェイトについて行くように告げ、自分の分と一緒に彼女にも好きなものを頼むように一言付け加える。
そのスマートかつさりげなく恋人の機嫌取りをしている姿に、スバルたちは人心掌握の妙技を見たのだった。