「――では、会場内の警備計画についてはどうか、テスタロッサ・ハラオウン執務官」
「はい。まずお手元の資料、6番をご覧ください」
時空管理局地上本部、大会議場。やや楕円形の大きな円卓に、総勢数十名の管理局高官が集まっていた。
いわゆる“伝説の三提督”やレジアス中将を始めとした管理局を代表する錚々たるメンバーを前に、フェイトは臆することなくハキハキとした声で言葉を紡ぐ。
傍らのはやては腕を組んで席に着き、やや硬い神妙な面持ちで部下の答弁を聞いていた。
来週に控えた「公開意見陳述会」、その最終的な協議の場に、フェイトとはやては機動六課の代表として出席している。同様に、首都防空隊を始めとする常設の武装隊や、“世界樹計画”によって新設された部隊の代表も参加していた。
ここに集まったのは、“うみ”・“りく”を問わず今日(こんにち)の時空管理局を牽引してきた古強者たちであり、ミッドチルダ延いては次元世界全ての未来を担うであろう次代の新星たちである。
その中でも、フェイトたち機動六課の担う役割は重要だ。
エースクラスとはいえ通常の魔導師を揃えた六課は、大型の“箒”や特殊装備を扱う他の部隊に比べてフットワークや小回り・隠遁性に優れている。故に、今回の公開意見陳述会においては会場内の警備と出席する要人や傍聴人の護衛を任されており、その重責は計り知れない。
事実、フェイトは説明しながら、少なくないプレッシャーを感じている。じっとりと汗ばむ手のひらは少し不快だった。
――あるいは、ホテル・アグスタ警備任務はこのための予行演習だったのだろうか。
「――以上です」
「宜しい。次に、緊急時の市民の避難についてだが――」
説明を無事に終え、話題が余所に移るとフェイトは席について密かにほっと息をこぼした。
奥手で人見知り、照れ屋な上に引っ込み思案な彼女にはこうした場での答弁は苦行である。管理局に正式に入局してはや四年が経つが、未だに人前で話すことは慣れることができない。
「フェイトちゃん、おつかれさん」
「うん」
声を潜めて、大役を務めた親友に労いの言葉をかけるはやて。フェイトが恥ずかしげにはにかんだ。
「はふぅ……緊張したよー」
「せやろか。フェイトちゃん、普段苦手いうてるわりにすらすら喋れてたやん。かわいこブリっこはあかんよ」
「ぶりっこって、そんなつもり……」
こそこそ会話する二人だが会議の内容もきちんと理解している。十人の言葉を聞き分けられるほどではないが、マルチタスクで分割した思考を会話と聴覚に意識を割り振る程度の応用は一流の魔導師の必須スキルだ。
――陳述の続く会議場は、一種緊迫した空気が支配していた。
「……はやて、“冥魔”が意見陳述会のときに襲ってくるって思ってる?」
「なんや、藪から棒に」
怪訝な顔のはやてに、不安そうなフェイトは以前恋人から聞いた考察を説明する。
「なるほどなぁ……」はやては得心した様子で頷いた。
「せやったらたぶん、襲撃はあるやろな。たしかに、これ以上ないタイミングや」
「そう……だよね……」
「お偉いさんもそれがわかっとるからこんな空気になってんやろね、ココ」
はやては会議場を見回し、確認する。個人個人で程度の違いはあれど、皆どこか焦燥感を抱えている様子が見て取れた。フェイトが意見を尋ねたのも、やはりそうしたやるせない焦燥からだ。
今回の公開意見陳述会には、時空管理局および管理世界に連盟するほぼ全ての次元世界の威信と未来がかかっている。
仮にこれを取りやめたのなら、民衆は管理世界政府が“冥魔”の脅威に屈したと考えるだろう。そうなれば、ただでさえ危うい現在の体制は根元から瓦解しかねない。故に、半ば大規模な“冥魔”の発生が予想されていたとしても、開催しないという選択肢は存在しないのだ。
さらにそれを肯定するかのように、管理局の上部組織、最高評議会が戦力の拡充を急いでいるという噂もある。
――――“戦争”が、にわかに現実味を帯び始めていた。
「はぁ、難儀なことや。ヘタにエラくなるんのも考えものやね」
そう他人事(ひとごと)のようにぼやいて頬杖を突くはやてを、お行儀が悪いよ、とフェイトが窘めた。
第三十四話 「深愛のブルー・ムーン」
「――と、今日はここまでにしましょうか」
「はい、せんせー、ありがとうございましたっ」
機動六課隊舎本館、学習室。
生徒役のキャロの元気な挨拶に、教師役のメガーヌがたおやかな笑みを浮かべた。
出来のいい生徒の面倒を見るのは、メガーヌにもいい刺激になる。少なくとも、“侵魔召喚師”という意味では二人とも未だ駆け出しである。
「せんせー、これからいっしょにお夕飯食べませんか?」
「ええ、いいわよ」
ホワイトボードに踊る本日の授業の名残――、複雑怪奇な数式を消しているメガーヌに提案したキャロ。それが受け入れられるとにっこり笑い、いそいそと教材やらノートやらを鞄に片づける。
キャロはこのルーチンワークが、なんとなく普通の学校みたいで好きだった。
片づけを終えたら、連れ立って食堂に向かう。
道すがら、何人もの職員とすれ違った。皆、一様にして忙しそうだ。
「……やっぱり、大きな戦いがあるんでしょうか」
館内に漂うただならぬ空気を肌で感じ取り、キャロが独白する。
「どうして、そう思うのかしら?」
「ここ最近のせんせーの授業は、実践に即した応用が中心ですし。それに……フェイトさんとししょーが、あんまりかまってくれないんです……」
きゅる〜……。フリードリヒがしゅんとした飼い主の代弁として、寂しげに鳴く。
大人びているように見えるキャロも、案外懐いた相手――特に年上――には年相応の顔を覗かせる。幼い身空に親元から離れた彼女の処世術であり、彼女なりの甘え方だった。
「……そうね。私たちが呼び戻されたのも、“決戦”に備えるためだから」
現在、厳戒態勢の機動六課は部署を問わずきわめて慌ただしい。外回りであるメガーヌたちも呼び戻され、準備に奔走していた。
一般武装局員の監督やら警備計画の作成やら、やらなければならないことは山積み。キャロの相手はある意味息抜きでもある。
「――今度ばかりは負けるわけにはいかないのよ、私たちは」
「……せんせーは、ルーテシアさんを?」
「ええ。私が戦う理由は、あの子の他にないもの」
普段の温和でたおやかな表情を消し去り、“母”ははっきりと言い切る。他の人々と同じ、しかし決定的に違う焦燥感を抱えて。
彼女がこの機動六課に参加している主な目的は、“冥魔”に利用されている娘を救い出すことだ。
自身の所属していた部隊を陥れた上司にも、娘を売り渡した組織にも、そして自分たち親子をいいように弄んでくれた犯罪者にも――恨み骨髄に徹しているが、それらを押し殺して現状に甘んじている。何故ならそれが、目的を成すのにもっとも確実で的確な近道だから。
娘を救うためなら自分の感傷など二の次だ、と。母は強しと言う他かないだろう。
「もし――、もしも、あの子を救い出せたなら……」
「はい?」
一転、メガーヌは厳しかった表情を崩し、ふわりとした微笑みをキャロに送る。慈母の慈愛でもって包み込むように。
「キャロさん、あの子と――ルーテシアと、お友だちになってくれるかしら?」
「もちろんです!」
元よりそのつもりだと、キャロは力強く答えた。
□■□■□■
深夜、女子寮。
何となく寝付けなかったスバルは、気晴らしに自動販売機で何か飲み物を買い求めようと、部屋を出た。
そこで彼女は、意外な人物と遭遇する。
「あれ、なのはさん?」
「ん――、あっ、こんばんは、スバル」
「あ、はい、こんばんは……」
愛想よく挨拶され、脊髄反射的に挨拶を返すスバル。しかし語尾が胡乱げで、やや失礼だ。
白と青の教導隊制服姿から察するに、残業の帰りといったところだろうか。
「こんな遅くまで、お仕事ですか?」
「にゃはは……ま、ね」
気まずそうに苦笑するなのは。もう、深夜と言って差し支えない時間帯である。さすがにやりすぎだという自覚はあるようで。
ふと、彼女が預かっている幼子のことが脳裏を掠め、スバルは思わず質問した。
「……ヴィヴィオ、ひとりでだいじょうぶなんですか?」
「今夜は、フェイトちゃんと攸夜くんに預かってもらったから」
あの妙に子ども好きなバカップルなら、ヴィヴィオをうまくあやして寝かしつけていることだろう。その点は心配してない。
と、なのはは急に押し黙ってしまったスバルを訝しむ。
「……スバル?」
「あ、その、ウチ、両親共働きだったんで――」
スバルの濁した言葉の続きが、なのはには簡単に予測できた。
くすっ、となのはが小さく笑みをこぼした。ヴィヴィオのために、気を砕いてくれたのがうれしかったから。
「私のとこも、共働きでね。小さいころはいろいろ忙しくって、それで、疎外感とか感じちゃったこともあったよ」
「そうなんですか」
「うん。だからなるべくヴィヴィオといっしょにいてあげたいなー、って思ってるんだ。……でも、なかなかうまくはいかないね」
自身のいたらなさに、微苦笑する。特に今は職員が一丸となって準備に奔走している時期。どうしても、ヴィヴィオのことは後回しになってしまう。
母親の真似事をしてみて初めてわかる子育ての苦労。親の心子知らずとはまさにこのことで――自分を含め、三人の子どもを仕事をしながら立派に育て上げた母には今更ながら頭が下がる思いだった。
「なのはさん、すっかり“ママ”ってカンジですね」
「……どうかな。守りたいって思うけど……イマイチ釈然としないんだよね」
未だになのはは、自分の感情の区別がついていない。ただ小さな子どもだから守りたいのか、ヴィヴィオだから――“娘”だから守りたいのか。それは些細な違いだが、決定的な差異だ。
これが天然気味な金色の親友なら、母性全開で一片の迷いなく「守りたいから守るんだ」と断言するだろうし、ちょっぴり地味めな方の親友なら適度に割り切って上手く母親役を演じるだろう。
何でも肩肘を張って全力投球してしまうのが、なのはの直らない悪癖だった。
ふと、なのはの脳裏に疑問が浮かんだ。
「……スバルは、さ。どうして、魔導師になろうって思ったのかな?」
「え、うえぇぇえっ!?」
「そ、そんなに驚くこと?」
突然の奇声に、なのはがぎょっとした。
無理もない。スバル的には一番聞いてほしくて、なおかつ一番聞かれたくない人物に動機を訊かれてしまったのだから。
何度か口を開け閉めして、ニコニコしている憧れのひとを見て、スバルは打ち明ける決心をした。
「あの……、なのはさんと初めてあったときのこと、覚えてますか」
「うん、覚えてるよ」
自分が一番自惚れていたころだから、とは言わない。後輩に聞かせるべきではない余計な一言だ。
「それで私、あのときのなのはさんに憧れて、魔導師を目指したんです」
「私? お母さんとか、ギンガとかじゃなくって?」
「はいっ!」
言い切ると、スバルは真っ赤になって恥ずかしげにうつむく。慕ってくれているのは薄々感じていたけれど、まさかそこまでとは。
――いや、改めて考えれば当然かもしれない。
スバルのオリジナル魔法“ディバインバスター”――なのはの十八番(おはこ)とは似て非なる術技である――、あれは、明らかにあの時の体験に由来するものなのだろう。
誇らしいような、むず痒いような、そんな気持ちになのはがはにかむ。
「初めて、聞いたかも」
「認定試験のとき言えなくて、そしたら言い出すキッカケが掴めなかったんです……」
「そっか……」
当時のなのはは、復帰後初の監督官任務を立派に勤め上げようと緊張していた。精神的に余裕がなくて、気が回ってなかった。
思い返せば、つくづく自分はダメダメである。最近、自省自責が多い。
そして、思い立った。
「……ねぇ、スバル、ちょっとお話しない?」