南駐屯地A73区画。
青々と繁った芝生の上に、何本もの巨大な鉄骨が突き立つ異様な光景が広がっている。
『主上、機動六課職員およびミッドチルダ在住の関係者の収容を完了しました。これよりセフィロトへ移送を開始します』
「よろしい。希望者にはミッドチルダ宇宙からの脱出も視野に入れて進めてくれ。くれぐれもスマートに、な」
『御意に』
先の鋭く尖った鉄骨を肩に担いで運ぶ攸夜は、空いた手で0ーPhonを操作して部下からの連絡を受けていた。
背広は近くのベンチに、腕まくりした白いワイシャツの胸ポケットには、トレードマークの蒼いネクタイが突っ込まれている。
月乃は今回、管理局関連施設で働く非戦闘員の避難誘導の任についていた。
また、シャマル、ザフィーラはそれぞれ医療施設と民間施設で、同様の任務に人手を率いて当たることになっており、現在は未だ準備段階にあるが、事が始まればすぐさま民間人を安全な場所まで輸送を開始するだろう。
『……』
「うん? まだ何かあるか?」
『……いえ』
「意見があるならはっきりと言え。部下の諫言も聞き入れない能無しか、俺は?」
『そのようなことはありません! 主上は素晴らしい方です! 私(わたくし)に新たな命と役割を与えて下さりました!』
「なら言え。聞いてやる」
『は、はい……』
誘導尋問にもならない話術にかかり、月乃は渋々といったふうに述懐した。
『その……これまでの策、いささか消極的ではないかと。それに、ヒトごときのためにここまで主上がお心を砕く必要があるのか、と常々疑問に思っておりました』
差し出がましいことを、と結尾が切られる。
ふう、と息を吐き、攸夜は担いだ鉄骨を適当に地面へと突き立てた。
この部下は優秀で、よく――ある意味、信奉レベルで――仕えてくれるのだが、如何せん魔王としての意識が抜け切れておらず、無意味に高慢な部分がある。攸夜の主義とあまり噛み合っていないのが玉に瑕だった。
「お前の言いたいこともわかるがな、世界全体を巻き込む大戦はもはや不可避だ。その戦渦に巻き込まれ、命を落とすものもいるだろう。
力あるもの、高貴なるものには弱者を護る責任がある――、徒に臣民を犠牲にするのは暗愚のすることさ。お前には、何度も言い聞かせているな?」
『はい……』
電話口の向こうから、うなだれる気配が伝わる。
ちょっと虐めすぎたか。ばつが悪くなった攸夜は、少しフォローしてやろうかと思い立つ。お気に入りにはついつい甘くしてしまうのが彼の悪癖だ。
「ま、後手後手の泥縄だとは自覚しているがな。……市民の避難誘導、頼むぞ。お前の活躍には期待している」
『はい』
わずかに喜色が返答に含まれて、通話が切れる。
黄色い犬のチャームがついた愛用の蒼い0ーPhonをパチンと折り畳み、月衣に放り込むと攸夜は深く息を吐いた。
「――さて、と。これくらいやっときゃ十分かな」
ぱんぱん、と軽く拍手し、コキコキと首の骨を鳴らす。
よくよく見れば、突き刺さっているのは鉄骨だけではない。近代兵器――特に、ミッドチルダでいうところの質量兵器の数々が地面に、まるで墓標のように所狭しと突き刺さっていたのだ。
「アル」
「アゼルか」
そんな攸夜に、背後からかけられた声。振り向くと、そこにいたのは青と白のかわいらしい衣装に身を包んだ灰髪青眼、白皙の肌の美少女――アゼル・イブリスである。
「うん。スゴいね、コレ(・・)」
「ああ、コレな。連中も相当な物量をぶつけてくるだろうし、得物はあればあるに越したことはないよ」
キョロキョロと鋼鉄の森を興味深そうにするアゼルに合わせ、もう一度辺りを見渡す攸夜。肉眼では確認できないが、この駐屯地周辺には魔術的なトラップが二重三重と仕掛けられている。
無論、これら全ては襲撃をかけて来るであろう“冥魔”を殲滅するため。攸夜自身、このような付け焼き刃で凌ぎきれるとは思っていないが、「念には念を入れて」とか「効果があればめっけもの」とか、そんな考えで準備した。
現し身を使えるなら話は簡単なのだが、“冥魔王”級と戦うと仮定するとやはり本体の戦力低下は厳しく、すでにごく一部の例外を除いて全て回収している。頼りは自分自身と仲間、部下たちだけだ。
何事にも過剰なほど準備する彼の流儀を、はやてあたりなどは「過保護」と表現するが、全くその通りである。
「それはそれとして、アゼル、準備は万全か?」
「うん。わたしは大丈夫、いつでもいけるよ」
ぐっと拳を固め、何時になく語気を強めて答えるアゼル。彼女は“冥刻王”メイオルティスに、いつぞやの一件で弄ばれた借りを返すと意気込んでいた。
また、極めて数少ない「友だち」である“アル”の手伝いをしたい、という気持ちもなくはない。ベルほどではないにしろ、有り余るスタミナで吸収能力を耐え抜き、何くれとなく気にかけ、時折土産話をしてくれ――しまいには自由に歩ける“環境”を用意してくれた。これで、友情を感じるなと言う方が無理というものだ。
なお、ルーも理屈の上では耐え抜ける――そもそも吸収能力は彼女の管轄する能力だ――が、こちらはアゼル自身がルーを苦手としているので友誼を結ぶのは難しいだろう。
今回彼女は、六課本館――正確に言うならヴィヴィオの護衛を担当することになっている。
本館に避難したヴィヴィオを建物ごと月匣で包み込み、内部でルーラーとして維持し、隔離と防御を行う。仮にも魔王たるアゼルが全力で防御に入った月匣に力づくで進入出来るのは、“冥刻王”や“この世全ての悪”くらいのものだろう。
そして、それら高位の“冥魔”が来襲した際には、攸夜とパール・クールが対処する手筈になっていた。
――――つまるところ、ヴィヴィオは厄介な敵を引きつける“囮”というわけだ。
この処置を聞いたとき、フェイトとなのはは烈火の如く反対したが、「“冥魔”に狙われていることは明白」「このまま放置していると無意味な犠牲が増える」「どうせ来るなら、待ちかまえて罠を用意したずっと方がいい」などなど、懇切丁寧に説得されて渋々納得した経緯がある。
実際、攸夜は先程から最大級に不吉な予感をビシビシと覚えており、職員の避難――私物なども念のため引き上げさせた――は正解だったと感じていた。
「ところで、パールはどうした? 一緒じゃなかったのか?」
「パール? パールなら、むこうでネコさんたちと交渉してたよ」
猫? 訝しげに眉を顰める攸夜。交渉というのも、よく意味がわからない。
「ここがもうすぐ戦場になるから、みんなに避難するように説得するんだって」
「あー、そういやアイツ敷地で野良猫飼ってたっけか」
攸夜は言いながら、あの暴君の代名詞たる巫女服魔王(パール)らしからぬ慈愛っぷりを思い返した。
どうもパールは神格として猫との縁が深いらしく、よく懐かれるし、本人もえらく可愛がっている。ベルで例えるなら、ハトやカラスなどの鳥類を従えやすいのと同じ理屈だ。
ちなみに攸夜は、蛇などの爬虫類および竜種全般に強い影響力を持つ。
「パールのヤツ、猫には妙に面倒見いいんだよな。……気まぐれで消された部下が浮かばれん」
「そうだね。でも、ベルはもっともーっと、やさしいよ?」
「お前ね……」
ベル至上主義のブレないアゼルに、嘆息せざるを得ない攸夜だった。
□■□■□■
ミッドチルダ中央地区。
中央監理局、地上本部ビル前。
夜間警備を担当していた部隊と入れ替わりに、フェイトたち機動六課は現地入りした。
「みんな、ここがふんばりどころだよ。しっかりねっ」
「「「「はい!!」」」」
「よしっ、いい返事だね」
なのはがスバル、ティアナ、エリオ、キャロの四人に渇を入れている。
ここは本来、チームの隊長(フェイト)が声をかけるべきなのだろうが、彼女は生憎こういうことが苦手なので副隊長(なのは)に委ねた次第だ。
金色の装飾品と紅の首飾りがそれぞれ、ティアナとスバルの手の内にある。それらはもちろん、フェイトとなのはのデバイスである。
本部ビル内の会場は、デバイス等の武器の持ち込みが禁止されている。また今回はそれなりに強力なAMFが展開されており、とりあえず尋常な相手なら容易く制圧出来るだろう。
こんな時にまで律儀に慣例を守らなくても、となのはがもらしていたがお役所仕事とは得てして融通が利かないもの。フェイトは執務官の経験から、そう判断している。
「リイン、このコらのお目付役頼むな」
「はい。主も、お気をつけて」
「うん」
リインフォースはいつもの無表情な顔で答える。もっともはやてには、優しく微笑むように見えていたが。
夜天の魔導書の管制人格である彼女もまた、会場に入ることは許されていない。
激しく濃密な経験を得て、今では一人前と言えるほど成長したスバルたち四人だが、まだまだ危なっかしいところも多々見受けられる。その点、リインフォースは、その戦闘力で彼女らを導いてくれることだろう。
ある程度スタンドアローンで活動可能で超一流の魔導師に迫る実力を持つ点は、バルディッシュやレイジングハートには持ち得ない彼女だけの強みだった。
「それじゃあ行こう、なのは、はやて」
「わあ。フェイトちゃん、なんだかやけに気合い入ってるね」
「せやな。なんや妙なオーラが見える気がするわ」
「絶対に、負けられないから」
スタールビーの瞳に宿る強い意志の光。このほど不安定だったフェイトの情緒はここにきて、かつてないほどの安定を見せていた。
もともと彼女は、メンタルコンディションが良くも悪くも実力に影響を与えるタイプ。今までも、強い感情の震え(・・)を爆発的な“力”に変えて、遥かに各上の相手――主に攸夜――を制してきた。
そして、現在の安定の原因は疑うべくもなく恋人との婚約であろう。
単に浮かれているだけかもしれないが、少なくともフェイトは少女から大人へと、精神的な階梯を登り始めている。――もっとも、その先に進めるかどうかは彼女の心がけ次第だろうが。
(……フェイトちゃん、なんだかカッコいい……)
そんな親友の姿を見て、なのはは思う。
自分も彼と――ユーノともっと深く繋がることができたなら、彼女のような何ものにも負けない毅さを得られるのだろうか、と。
今はまだ気恥ずかしさが先に出るが、いつかそういう関係になることも意識している。意識せざるを得ない、というべきだろうか。
――偶然の出会いから端を発したちいさな想いは、罪科(つみとが)でもって花開いて、そして自分を母(ママ)と呼ぶ少女と接しているうちに、だんだんと強くなっていった。
(……ユーノ、くん…………)
なんとなく彼の名を呼べば、じわりと弱気が顔を出す。けれど、その弱さすらも心地いい。
なのはは、ほのかに熱を持つ胸の中心を両手で押さえた。
ヒトとヒトの繋がりは――、“絆”の種類(かたち)はたくさんある。
それは友情であったり、愛情でったり、損得であったり、無償であったり。双方向だったり、一方通行だったり、あるいは無関心すらもある意味では繋がりなのかもしれない。
だから、ユーノと添い遂げることが最上で絶対だとはなのはも思わない。けれどもあふれる想いは静かに募り、焦がれる恋心は密やかな熱を持って膨らんでいく。
――きっともう、この気持ちを見て見ぬふりをすることも、解き明かさずに留め置くこともできないだろう。
熱を持った胸の奥――心から生まれる限りのない“力”に比べれば、今まで頼りにしてきた魔法の力など何と弱々しいことか。
所詮、独りで出来ることなどたかが知れている。故にヒトは“絆”を繋ぎ、力を合わせるのだと、なのはは心で感じ、理解することができた。
今なら、どんな恐ろしいことにだって立ち向かえる――そんな“勇気”が、心の深いところから止めどなく湧いてくるようで。
「――行こう、フェイトちゃん、はやてちゃん」
力強く頷く友とともに、高町なのはは決戦の舞台へと足を踏み入れた。