クラナガン郊外の岩山に隠された、ジェイル・スカリエッティの秘密ラボ。
首都より離れたここにも、ミッドチルダに起きている変異が届いていた。
最深部、大ホール。
戦況を煌々と写していた無数のモニターは、すでに半数以上がブラックアウトしている。市内の定点カメラが戦闘によって破壊されているためだ。
辛うじて機能している画面の一つでは、戦車型“箒”ランドバスターが機体下部のブースターを片側だけ噴かせてダイナミックなローリングを決めている。戦車にあるまじき圧倒的かつ柔軟な機動性は、“箒”の“箒”たる所以と言えるだろう。
コンソールに向かって、施設内の防衛設備をコントロールしていた白衣の女性――ウーノが不意に顔を上げ、振り返る。
「ドクター、対象が来ます」
「ふむ……」
短い呼び掛けに、黙孝するこの施設の主――ジェイル・スカリエッティはもたれていた椅子からおもむろに立ち上がり、話題の侵入者を出迎えた。
「――やはり君かね。茶の一杯も出せずにすまないが、せいぜいゆっくりして行きたまえ」
顔に皮肉げな笑みを張り付け、心にもない歓迎の言葉を吐く狂気の科学者。
傍らに付き従う従者が白衣を脱ぎ捨て、ナンバーズ用の戦闘服を身に纏った肢体を惜しげもなくさらした。
「…………」
その様子を見上げるのは、ボロボロに草臥れたコートを纏う壮年の男――ゼスト・グランガイツ。施設内に溢れかえってきた警備のドローンを蹴散らして来た益荒男(ますらお)は、武骨な槍を無造作に携えて静かなる鬼気を放つ。
――問答無用、ということだろう。
「しかし、概ね私の予測通りで些か味気ないが……まあ、所詮この程度のもの、か」
あのようなアクシデントなど、早々あるものではないな。スカリエッティは残念そうに、誰ともなく所感を口で転がす。
長い期間をかけて密かに進めてきた計画を、力づくで覆されたあの驚愕は筆舌にしがたい。当時の彼は完全に驕りたかぶってており、自らを全知全能か何かと履き違えていた。
もっとも、今冷静に精査すれば杜撰で無意味な計画であったが。
無為な思考を切り上げ、スカリエッティは両手の紅いクリスタルが光るグローブ型ストレージデバイスを見せ、不敵な笑みを浮かべる。
「――さて、我々もクラナガン防衛に多少なりとも貢献するとしようか」
「申し訳ありませんが、手向かい致します」
主に追従して事務的に言うウーノが、自身の格納空間からガンナーズブルームタイプの黒い“箒”――ナイトブラックを取り出して腰だめに構えた。
ほのくらい広間に、戦意がにわかに高まっていく。
「……クイントの仇、討たせて貰う」
ゼストが静かに告げ、魔力と瘴気を解き放った。
■□■□■□
時空管理局本局ステーション。ミッドチルダの異変の余波を受け、現在蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
「……」
次元航行艦クラウディア、艦橋。
最上段に座すこの艦の提督――クロノ・ハラオウンは、ひどく不機嫌な様子で手元のパネルに流れる情報の羅列を眺めていた。
愛用する青と黒のマグカップには、余分なものが一切入っていないブラックコーヒーが満たしている。
『クロノ!』
本局ステーションとのホットラインに、無限書庫の司書長の柔和な、しかし焦燥の浮かんだ顔が写った。
「ユーノか。管理職専用回線を私用で使うな」
『それどころじゃないよ!』
明らかに動揺したユーノが、語気を強めて言い募る。
『ミッドが――、クラナガンが大変なんだ!』
「わかっている」
『わ、わかってるって……』
「全て予定通り(・・・・)、だ」
忌々しいと言いたげに吐き捨てるクロノ。彼は基本的に、攸夜と最高評議会の「全のための一の犠牲は已む無し」という方針に反発している。
この戦いは予測された予定調和であり、すでに駐留艦隊にもこれからの作戦が通達されている。どの艦もクラウディアのように、慌ただしく出向の準備を進めていることだろう。
「本艦も直にここを離れ、各管理世界政府の支援に出ることになっている」
淡々と、事実を連ねるクロノ。主な任務は戦力と物資の輸送だ。
また、彼には監理局の計画とは別に、本国で戦っているであろう友軍を支援する独自の腹案があったが――
『そっか……。ミッドチルダのみんなが心配だな……』
「フェイトやなのはたちはともかく、攸夜は殺しても死なんと思うがな」
『まあ、確かにそんな感じだけど。ちょっとひどくない?』
やや表情を緩めたユーノが苦笑した。
第一印象が悪かったというべきか、未だにクロノと攸夜の仲は険悪である。彼自身大人げないとは常々思っているが、どうも義弟(仮)と顔を突き合わせていると突っかかりたくなるのだ。
それはもはや条件反射と言ってもいい。
ちなみに向こうは、単に嫉妬しているだけなのだとクロノは薄々感じている。
だが、気に食わないのと同時に、かわいい義妹(いもうと)のパートナーに相応しい男であるとも認めていた。
本人たちの意思や相性はもちろんだが、社会的地位や経済力など、いささか即物的で現実的な面でも二人は充分釣り合っている。少なくとも食うに困らせることはないはずだ。
結婚して子どもを儲け、家庭という責任を負って、心境に変化があったのだろう。
――と、そのとき。
「むッ」
『――っ!』
ピシリ、と。
マグカップの縁に、ヒビが入る。
『クロノ、それって――』
「ああ。フェイトと攸夜から、クラウディア竣工記念に贈られたものだ」
ユーノの指摘に、クロノが重苦しく答えた。
苦虫を噛み潰した表情。画面のユーノも難しい顔をしている。
「……オカルトなど、信じてはいないが――」
そう独り言ち、クロノは最愛の妹と反りの合わない義弟、そして旧友たちの無事を誰ともなく祈った。
□■□■□■
「うおおおおおおおお――――!!!!」「はぁあああああああ――――!!!!」
紅蓮の炎が燃え上がり、深紅の刃が空間を断つ。“東方王国の女王”と“冥刻王”が曇天の空を舞台に激闘を繰り広げる。
彼女らが衝突を繰り返す度、巻き起こる狂気的な衝撃波に巻き込まれ、“冥魔”が消し飛ぶ。
パールが大量の魔法弾による弾幕をバラ撒き、メイオルティスが強烈極まる砲撃を撃ち放つ。
それぞれ戦闘スタイルはある種対照的だが、ダイナミックかつ暴力的であることは同じだった。
(パールの奴も健闘しているように見える、が……)
未だメイオルティスが全力を出した様子はない。攸夜はダゴンの群れを聖光(リブレイド)で焼き殺しながら、そう分析する。
自身との戦いでいくらか弱体化しただろうが、それでもパールとの力の差は歴然だ。
戦況は思わしくない。
“冥魔”の大群を捌きながら、メイオルティスと戦闘するのは極めて困難だ。現に今もアゼルの月匣に何体かが群がり、その守りを破ろうと牙を突き立てている。すぐさま攸夜が魔法で粉砕するが、別の“冥魔”が入れ替わるだけのいたちごっこ。無為な努力でしかない。
予想していた以上の物量に駐屯地まで侵入を許し、用意していた大量の銃火器や鈍器、トラップは疾うに使い切ってしまった。別段魔力をケチっているわけではないが、出来る限り節約したいという考えもある。どうせ、凡百の“冥魔”なぞ、拳一つで事足りるからだ。
現在は、適度に集まったところで順次大規模魔法により焼き尽くしているため、六課の敷地は完全な焦土と化していた。
「いい加減ウッザいんだよ、キミは!」
「ちぃ――、なめてんじゃないわよ!」
罵倒の応酬。パールの分厚い炎の弾幕を、メイオルティスの野太い光の砲撃が切り裂く。
膨れ上がる爆炎の中心を突き破って巫女服の魔王が突貫――、“東方王国の王女”は“冥刻王”との肉弾戦に突入する。
一撃必殺を込めた拳が虚ろを穿ち、刃が空間を断つ。
数合の激突。鋭い飛び蹴りを、アルティシモ・レプリカが防いだ。
「「――ッ!」」
飛び散る衝撃波、両者の距離が大きく開く。
「ったく、いちいち力づくで美しくないね! 弾幕は避けるものだっつーの!」
「あたしの知ったことじゃないよ、そんなの!」
「これだから“冥魔”ってヤツは! いつ如何なるときも強く美しく優雅たれ、が裏界魔王のモットーよ!」
独特の美的感覚を披露しつつ、パールは黒い稲光を伴う魔力を解き放つ。
りん、と広がった裏界の魔法陣を蹴り、パールは豪々と燃え盛る煉獄の炎を纏って切り込む。
「やああああっ、燃え散れぇい!!」
「っ、ぐうううっ!」
黒炎の拳と紅薔薇の大剣が激突する。
火花散らす黒と紅の視線が、空中で交錯した。
「こっ、のおっ! ――弱いくせに、鬱陶しいんだよっ!」
業を煮やして激昂したメイオルティスが、大剣を力付くに振るう。パールは斬撃に巻き込まれ、墜落――アゼルの月匣に激突した。
一瞬、出遅れる攸夜を他所に、追撃の砲撃が紅いドームに突き刺さる。
パリンッ、とガラスの砕けたような音を響かせて月匣が崩壊していく。露出した隊舎の屋上、灰色の少女が天を仰いでいた。
「アゼル!」
「……大丈夫だよ。わたしもちゃんと、戦える」
立ち上がりつつ腕輪を引き抜き、突撃槍(ランス)へと変化させたアゼル。また、月衣から大剣型の青い“箒”――アーマードブルームを取り出し、鋭い視線で上空の黒い紅翼の天使を睨みつけた。
彼女は常にない鬼気を身に纏い、戦闘体勢を取る。元より月匣が破られることは想定の範囲内、故にアゼルは時間稼ぎ役を請け負ったのだ。
攸夜はその間、密かに念話でヴィヴィオの護衛部隊へ撤退を命じておく。マシンサーヴァントたちでは時間稼ぎにもならないだろうが、打てる手は打っておかねば後悔するのは自分だ。
「もはやここまでか……」
防衛を放棄し、打って出る覚悟を決めた攸夜はしかし、僅かな違和感に気がついた。
「何ッ……!?」
ゴポリ――
足元に、粘ついた闇黒が地面に広がっていた。
コールタールのような黒い闇が攸夜の足首に纏わりつき、拘束する。
それは徐々に形を成し、ヒトの手となった。
「貴様ッ――、アンリ・マユ!」
「アハハハハハッ! 足元がお留守だねぇ、シャイマール!」
「ぐあ!?」
「キミが隙を見せるこの時、この瞬間を待っていたんだよッ!」
どろりとした闇の泥が形取ったのは、白髪のヒトガタ。作り物めいた相貌に狂いに狂った喜悦が浮かぶ。
咄嗟に突撃させたアイン・ソフ・オウルが泥に突き刺さり、しかし主人と同じように絡め取られて、汚泥に沈む。また、自滅を恐れず発動させたリブレイドもうまく起動せず、不発に終わった。
次の瞬間、攸夜の体が闇黒の泥に大きく沈み込む。どこまでも終わりのない深淵――、まるで底なし沼のようだ。
「「アルっ!」」
異口同音の声。パールは驚愕、アゼルは悲鳴とそれぞれに含まれた色は違うが、友の身を案じる意思だけは共通していた。
動揺を隠せない二柱を、つまらなそうに見やる紅い翼の堕天使。攸夜を呆気なく拘束しみせた協力者に、にぱっと効果音の聞こえてきそうな無邪気な笑みを送る。
「と、いうワケで。あとはあたしの勝手でいいよね、アンリ?」
「ああ、時間稼ぎご苦労だったね、メイオ。お陰様で“欲しかったモノ”は粗方手に入ったよ」
「ホントだよぉ。ザコの相手は飽きちゃった」
どうやら向こうは向こうで、独自のシナリオを進めていたようで。メイオルティスの余裕っぷりが憎たらしい。
アンリ・マユはアル・シャイマールの鏡映し――攸夜の戦闘力だけではなく、「戦う前に勝利を確定させる」という戦略思想まで映し取っている。その上で手段を選ぶ必要がないとなれば、最初から勝ち目などなかったのだ。
この無様、俺の未熟の結果か。胸の辺りまで暗黒に沈んだ攸夜は、不思議と冷静に自己分析していた。
あるいはらしくない諦観の発露とも言えたが。
「パール、アゼル……悪い。後は、任せる」
そう、朋友に向けて呟いて――――
蒼き魔王は、この世界から姿を消した。