「チンク!」
「おまえ、たち……?」
廃墟の壁に身体を預け、ぐったりとしていたチンクが上空から接近するスバルたち四人に気がつくと、顔をあげた。
その血みどろに汚れた様は、さながら敗残兵。専用防具シェルコートを失っており、ナンバーズ共通のバトルスーツは無惨にも破れて素肌をさらしている。
銀髪の少女は、僚友の姿に険しかった表情を緩めるが、不意に何かに気がついてハッと瞠目した。
「ッ、お前たち逃げろっ! ここにいたら――」
「――アハハハハハハッ!!」
どこか焦った様子のチンクの声に被さって響く聞き覚えのある、だが酷く違和感のある哄笑。
よからぬものの気配を感じ、条件反射的に皆の前に出て防御体勢を取るスバルは、上空から落下してきた彼女(・・)の姿を見て強い動揺を浮かべた。
「え――、ギン、姉……?」
目の前の陰惨な光景に、スバルは呆然として言葉を失う。
また、ティアナたちも同様に絶句した。
「キャハハ、あははははッ、みーつけたぁぁっ! ――あら?」
優しげな風貌を醜く歪めた藍色の髪の彼女――、ギンガは、スバルたちの存在に気がつくと首をかしげた。
左腕のリボルバーナックルとモノケロスギムレットを覆い尽し、凶悪な姿に変えている気味の悪い無機質。また左半身の所々に同じ物質を生やしており、足元のブリッツキャリバーも同様に左側だけが結晶に取り込まれている。
半透明な無機質に覆われた左目の奥で、不気味な金色の虹彩が揺らめいていた。
「その、姿……!!」
ティアナが辛うじて悲鳴を押し込めて、叫ぶ。
いつかゼストが見せた異形の形態。“闇の落とし子”――そう呼ばれる邪気に汚染されしもの、それに間違いなかった。
「あら? あらあらぁ? うふふ、みんなもいたのね。うふふ」
普段の面影などない酷く歪んだ笑顔。ギンガの言葉は支離滅裂で、気が狂ったとしか思えない。
「そん、な……うそ、嘘だって言ってよギン姉っ!!」
「スバル!!」
ふらふらと、夢遊病のような足取りで、スバルは姉に近づく。
妹を見、ギンガの表情から狂気がすぅ、と消えた。
「……スバル? スバル? ――いや、いやっ! いやああああ、来ないで!! 私を、見ないでええええーーーっ!!!」
一時的に正気に戻ったのか、ギンガは頭を抱えて悶え苦しみ、近づく妹を激しく拒絶する。
――膨大な混沌色の魔力が、瞬く間に膨れ上がって。
(マズッ!)
ティアナは咄嗟に立ちすくむスバルの腕を掴む。澱んだ魔力の渦を纏った尖角が無慈悲に薙ぎ払われた。
間一髪、ティアナがスバルを引っ張るのと同時に、汚染された魔力に抉られた地面が次々に爆発・炸裂する。
轟く爆音を背に、スバルとチンク以外の三人は、それぞれ前者と後者を抱えて散開し、建物の中に身を潜めた。
「バカっ! スバル、アンタ死にたいの!?」
「で、でもっ、ギン姉が!」
「だからって、アンタまでやられててちゃ助けられるものも助けられないでしょう!!」
「……!!」
未だ動揺する相方をとりあえず言い含み、ティアナは小さく息を吐いた。
ギンガは暴走した魔力を振り回し、周囲を無差別に破壊しているらしく、多少考える時間はあるようだ。
『ティアナさん、僕たちはどうしたら?』
『チンクさんが言うには、“冥魔”らしき少年と交戦してああされたらしいです。一番最初に汚染されたノーヴェさんに致命傷を負わされた自分は、ギンガさんのお陰でなんとか逃れたけれど、そのかわりに彼女も汚染されてしまったのだろうって』
『あの子たちも……他には?』
『あと……前線は、残りの三人のせいで総崩れだそうです』
「……ッ」
キャロとエリオからの念話に、ティアナは焦燥を感じてほぞを噛む。
“闇の落とし子”化した人間を救う手段は、初期段階で浄化するのみ。手遅れならば、殺すしかない。
チンクの証言から考えて、ギンガ――残りの三人も――は、汚染のごく初期段階であろうことは想像に難くない。理論上、強力な純粋魔力攻撃で浄化できることは陸士訓練校での講習で知っている。また、六課の任務で、実際にフェイトやなのはが浄化している様子を何度か間近で目にもしていた。
だが、果たして――
(アタシたちに、ギンガさんを止められる……? いえ、それ以前に、本当に彼女を救えるの?)
ティアナは自身に、疑問を態する。
見たところ、ギンガの汚染具合はゼストと比べてより色濃いようにも感じる。仮にそうなら、特別な――例えば攸夜のような存在でなければ救えないのではないだろうか?
必死に解決策を模索して、ティアナはグルグルと思考の袋小路に陥る。
突如、轟音を響かせて外壁を破壊し、巻き上がる砂煙の中からギンガがゆらりと姿を表した。
「ギン姉……!」
「っく、やっぱやるしかないの!?」
困惑と焦燥を吐き捨てながら、ティアナはクロスミラージュのトリガーを三回空引き、内蔵魔導炉がフルドライヴ。サードモードにして限定解除形態、ダブルトリガーに愛機を変形させる。
未だ近接ブレードの扱いには不安が残るが、明らかに強化されているギンガを止めるにはこれしかない。
『スバルさんっ、ティアナさん!』
「ちびっ子コンビっ! ここはアタシたちに任せて、アンタたちはチンクを連れて撤収! 合流はポイントはE8ー46、いい!?」
『――っ、了解ですっ!』
二人を見つめるギンガの金瞳の奥に、剣呑な光が浮かぶ。
「ギン姉ぇ!!」
「あは、あははははははははっ!! スバル、あなたも一緒にコワレましょう!!?」
悲痛な悲鳴をあげて高速回転する尖角が、ティアナとスバルに襲いかかった。
■□■□■□
中央監理局、地上本部。
リインフォースに周囲の警戒を任せ、はやては魔力刃を纏わせたシュベルトクロイツを無造作に振りかぶる。
ザンッ、と分厚い特殊合金製の物理隔壁を叩き斬り、脱出路を切り拓く。
「……ふっ、またつまらんもんを斬ってしもた」
「我が主、またと言うほど斬撃系魔法は使用していないと記録していますが」
「ええやん。ノリやノリ。魔法はテンションがいっちゃん大事やで?」
戯れをのたまい、はやては堂々とした足取りで閉ざされていた区画に足を踏み入れる。
そこには、壮年の男性と数十名が待ち受けていた。
「ゲイズ中将、お迎えに上がりました」
「随分と派手な登場だな、八神一佐」
非の打ち所のない敬礼を、先頭の男性――レジアスが皮肉を言う。
こんなときでも嫌みかいな。内心で自分の嫌われっぷりに苦笑しながら、はやてはざっと周囲を見渡した。
ドゥーエ、クアットロの姉妹と護衛の魔導師部隊に、オーリスを筆頭とした文官一同、そして危険を承知で公開意見陳述会に参加した各管理世界の代表者たち。その人数は最後に確認したときと変わりなく、どうやら誰一人欠けることなく脱出が達成できそうだ。
「八神一佐、指揮は任せる」
「はっ。護衛部隊のみんなは先行して通路の安全確保、ナンバーズの二人は私とVIPの方々の護衛や」
「了解です」「はい」
すっかり素直になった戦闘機人たちを引き連れ、元来た道を引き返す。
予めはやてが拓いていた通路を足早に進み、ややあって一同はヘリポートに辿り着いた。
ヴァイスの操るブラックスターが、ローターをアイドリングさせて停泊している。“冥魔”の溢れた市内を突破するのはいささか火力に不安は残るが、小回りと速度にもっとも優れた機種だ。
ヘリに乗り込みながら、はやてが言う。
「予定通り、“ダアト・ポイント”に移動します」
「向こうの進歩はどうだ?」
「稼働率70パーセントってとこです」
中央監理局ビルはすでに拠点としての機能も体裁も残しておらず、破棄が決定している。代わりに、都心に程近い演習場の地下に秘密裏に建造され、今日(こんにち)まで秘匿されていた巨大基地施設“ダアト・ポイント”を拠点に抵抗活動を指揮する予定だ。
元々、非常事態の際に使われるこの施設には現段階でも大部分の職員が移っており、指揮所としての機能が十全に使えるよう準備を始めている。地底に埋蔵されたエーテル光子製ケーブルによる最新式の有線通信設備を用いれば、戦線を建て直すことも可能だろう。
「では、戦線はどうなっている?」
「最悪ですね。未確認情報ですが、防衛部隊は壊滅状態だと」
「……そうか」
犠牲者の無念を思い、レジアスは黙祷する。
『――部隊長!』
「どないした、陸曹?」
『レーダーに感ッ、Sランク級魔導師の反応――というか、コイツは……!』
光学カメラに映る人影。
武骨な薙刀風の槍に、くたびれたコート。鬼気迫る闘気を纏う武人――
「ゼスト、やはり来たか……」眉間に皺を深く刻み、レジアスが呟く。「――だが私の命、まだ貴様にくれてやる訳にはいかんのだ」
上官の呟きに、はやてはにまりと笑みを浮かべる。
「ご安心を。私には頼もしい騎士がおりますので」
はやての言葉にあわせて上空から、紫炎を纏った蛇腹の刃と赤い光の尾を引く鉄球が降り注ぐ。
烈火の将と鉄槌の騎士が、主の危機に馳せ参じたのだった。
■□■□■□
クラナガン郊外。
低級侵魔や崇拝者を引き連れ、辺境地域での民間人の避難誘導完了し、主戦場たる首都へ向かうルーは思わぬ妨害に遭っていた。
ズズンッ、と重たい地響きが響き渡る。
「むぅ……!」
「ご主人様っ!」
上空で、飛行型“冥魔”の相手をしていたエイミーが悲鳴を上げた。
「おのれ、碌な知恵もない獣(ケダモノ)の分際で……!」
憎々しげに吐き捨てて、ルーは真理の箒(エメスブルーム)ゼプツェンに致命的なダメージを与えたそれ(・・)を、憎悪に塗(まみ)れた眼を向けた。
それ――、捩れた鋭い一対の大角と、硬質な黒い毛を全身に生やした巨大な牡牛は悍しい咆哮をあげて、ルーと擱坐したゼプツェンに突っ込んでくる。
「っ!」
瞬く間に魔力を練り上げ、生み出した極大爆炎魔法(ブラストフレア)を無造作に投げつける“金色の魔王”。
漆黒の牡牛を模した全長50メートル級の“冥魔”に、灼熱の火球が命中する。
しかし、黒い体毛に触れた瞬間、魔力の炎が欠き消えていった。
「ちぃ、やはり魔法完全無効化(マジックキャンセル)能力か!」
放った魔法が目眩ましにもならないと判断したルーは、即座にゼプツェンを月衣内に回収。さらに空間転移を発動、一気に安全圏の空中まで退避した。
丁度すぐ側に現れた主の身を案じ、泡を食ったメイド魔王が一目散に近寄ってくる。
「ご主人様っ、お怪我はございませんか!?」
「我は大事無い、エイミー。……しかし、“箒”には本格的な修理が必要だな」
目標を見失い、足元で暴れる“冥魔”を視界に収めつつ、やや憮然とした風に応じる。別段、エメトブルームを失ったとて困るものでもないが、それなりに気に入っていたことも事実。壊されて面白くないはずがない。
月衣より呼び寄せたアイン・ソフ・オウルで眼下の巨大“冥魔”を適当に往なす傍ら、ルーは考える。
ここで自分が滅ぼすのは容易いが、屈辱を晴らすには些か締まりが悪い。修復・強化したゼプツェンを以てして、この雪辱を果たしてくれよう――そう、彼女が決定を下したその時、
「これは……」
「!! ご主人様、若様の気配が――」
「…………よい、捨て置け。しかし、どうもあれには負け癖がついているらしい。後で、我直々に鍛え直してやらねばな」
動揺する部下を安心させるため、ルーはことさら余裕を見せてやる。だが、語った内容は本心からのものだ。
“弟”の気配が消えた点について、ルーはあまり心配していない。本当に滅びたのなら、彼女にはわかるはずだ。
そして何よりあの攸夜が――“裏界皇子”が、悲願を達成せず志半ばで斃れる訳がない。
――何故なら彼は、“シャイマール”なのだから。
災禍渦巻くクラナガンにちらりと視線を送り、ルーが言う。
「――大変業腹ではあるが、一旦セフィロトへと退く。どうやら、あの娘ら(・・・・)の力を引き出す“準備”をせねばならぬ事態のようだからな」
「はい、ご主人様」