四月二十九日
ミッドチルダ臨海第8空港。
普段、ビジネスマンや家族連れなど旅行者でごった返している空の玄関は、今や真っ赤な炎に包まれていた。
休暇中、親友である“八神はやて”の元に訪れていた私と、もうひとりの親友“高町なのは”は、突如起こった火災に遭遇した。
時空管理局の局員としても、ひとりの人間としても指をくわえて見ているわけにはいかない。
私たちは現場に直行して、取り残された民間人の保護に奔走した。
「──!」
だいたい、二メートルくらいの高さの廊下。
藍色のロングヘアーの女の子が、床に伏せ、苦しそうに息をしている。
駆けよって、抱き上げる。
「だいじょうぶ? ごめんね、遅くなって」
「あ、あの、妹がっ、スバルが……!」
「妹さん? ん……。だいじょうぶ、その子も保護されたみたいだ」
「よかった……」
安心したように涙をこぼした女の子。
突然、少し前方の壁が爆発。赤々とした炎が、私たちのいる通路に勢いよく這いだしてくる。
ガス管かなにかが火災の熱で破裂したのかもしれない。ここも長くは保たないみたいだ。
早く要救助者であるこの子を連れて、退避を────
「──っ」
ぞくりと、背中に冷たいモノを差し込まれたような寒気──ううん、怖気を感じた。
反射的に振り向く。そこは、さっき爆発で開いた大穴。
よくないモノがいる──そう、戦いに関してだけなら、鋭いと自負している直感が訴える。
炎の中で揺れる影。人の形にも見える“ナニカ”。
「う……っ」
炎の中から這い出た“ソレ”は、半透明のヒトガタ。
無機質で構成された歪な形をしているけれど、人間でいうところの頭部に当たる場所はスライム状の原形質の塊。
うねうねと不気味にうごめいて、キモチワルイ。
今まで感じたことのない異質な魔力、この世のものとも思えない不気味な姿。
混沌が形をなしたような物体に、私は生理的嫌悪を感じて一瞬硬直した。
“ソレ”は、そんなことはお構いなしと、ゆらりと機械的な動作で接近する。
見かけによらず、その動きは速く鋭い。
この子を守らなきゃ、と私は後の先で一気に距離を詰める。
刃物のようになっている左腕が振り上がり、下ろされる。
だけど──遅い!
「っ! はあっ!」
刃をバルディッシュの穂先で受け止め、逸らす。体勢を入れ替えて、腰をひねる。
バルディッシュをハーケンフォームに。
そのまま、横に薙ぎ払う。
胴を魔力刃て斬り裂かれた“ソレ”は、吹き飛ばされるようにして大きく後退。
ヘドロに手を突っ込んだみたいな、すごくいやな手応え。思わず顔をしかめてしまう。
“ソレ”は、糸が切れた操り人形みたいに、ガクガクと小刻みに身体を振動させて──
何事もなかったかのように動き始める。
再度振るわれる刃。刺突。
「うっ!?」
なんとか魔力刃の腹で受けるけど、内心では混乱。
今の一撃、完璧に決まったはずなのに。人間なら昏倒してもおかしくない────
──もしかして、“人間”じゃないから?
「キャアアァァッ!」
まとまりかけた思考を吹き飛ばす悲鳴。
視線を動かせば、保護した女の子を襲う異形の“ヒトガタ”。
──もう一体いたっ!?
助けなきゃ。
でも、目の前の“ソレ”に邪魔されて、近づけない。
そうこうしているうちに、奇妙な刃が彼女に迫る。
──そのとき、一陣の蒼い風が私の横を通り過ぎた。
「えっ?」
私を押さえ込んでいた“ソレ”は、瞬く間もなく真っ二つに断ち斬って、
「……っ」
女の子に刃を振り上げていた“ソレ”は、眩いほどの蒼銀の光に焼き尽くされていた。
燃え盛る紅蓮の炎に映し出される人影。
すっ、と人影がかがむ。
「──怪我はないか?」
「は、はい……」
「それは、重畳」
「あ、あのっ、ありがとうございますっ」
ぺたりと座り込んでいた女の子と目線を合わせ、安心させるようなやさしい声色で声をかけたあと、人影がゆっくりと立ち上がる。
ぱさり。衣擦れの音。
「……非殺傷設定、か。それじゃ“コレ”は倒しきれない。次からは気をつけろ」
よく通る、凛々しい声。
左腕に蒼白い魔力の光で形作られた魔力の刃を纏わせ、右手には同じ色の光がちらつく。
人影は、黒い髪の男の人だった。
くせの強い前髪から覗く冷たい蒼の瞳が私を射抜く。
明ける前の夜空に似たネイビーブルー──濃紺のバリアジャケットは、スーツとコートを合わせたよう。
ダブルのボタンや、ベルトのバックル、手甲など一部の意匠は鮮やかなシアンブルー。白いシャツの首もとには、同じ色の洒落てるネクタイ。
そして、指先は悪魔の爪みたいだった。
「あなたは……?」
“彼”は、あのときの男の子。
なぜだろう。冷たそうな雰囲気も、服装だって全然違うのに、私は確信を持って断言できた。
「通りすがりの“魔法使い”だ。覚えておけ、“魔導師”」
「……っ」
返ってきたのは冷たい言葉。
“魔導師”──それが、私を指す言葉だとわかったとたんに、ずきりと胸が痛んだ。
あの子にはやさしい感じなのになんで? なんて思ってない。……思ってないもん!
もやもやした気持ちに困惑する私。
「──む」“彼”が小さく唸る。
その途端、私たちの周りの床を破って、黒い蒸気のようなモノが吹き出した。
奇妙な蒸気から、さっきの“ヒトガタ”が現れる。
その数、二十五。
私は警戒して、バルディッシュを構えると、女の子を小脇に抱えた近づいてきた“彼”が言う。
「お前はこの子を守っていているといい。──“アレ”を滅ぼすには邪魔だからな」
「えっ……でも──」
ぽかんとした表情をしている女の子を下ろした“彼”は、私の言葉を無視して向き直る。
ゆらりと気だるそうに揺れる肩。
次の瞬間、“彼”は野生の獣のようにしなやかなストライドで廊下を疾走した。
両腕に纏わせた蒼白い刃が閃く。
踊るように、舞うように、淀みなく繰り出される斬撃──それは、接近戦タイプの魔導師である私から見ても、少し嫉妬してしまうくらいに見事な攻防一帯の剣舞。
次々に“ヒトガタ”が黒い砂へと変わっていく。
「いちいち斬り倒すのも面倒だな……」
半分ほど減らしたあと、“彼”飄々とした風につぶやく。
すると、とても強い魔力が“彼”の全身から発露した。それは、私の親友たちを越えてしまうほど規格外の膨大な魔力。
「──神威の片鱗、その魂に刻め」
だらりと垂らされた左腕の光刃が魔力を吸って大きく延びる。
逆袈裟に振り上がる刃。しゅんと風を切る音。
次の瞬間、数え切れないほどの蒼い光が縦横無尽に走って、“ヒトガタ”たちを斬り裂く。
ズタズタの細切れにされた“ヒトガタ”の中心で、“彼”が悠然とたたずんでいた。
「──光に抱かれて眠れ」
紡がれた言葉。露を払うように振り下ろした左手。
それを引き金に、過剰すぎるダメージを受けた“ヒトガタ”が消し飛んだ。
見つめ合う──にらみ合う、私と“彼”の間に沈黙が広がる。
ややあって、“彼”はぷいっと視線を外すと、空間に溶け込むように姿をにじませた。
「っ、待って!」
伸ばした手は届かず、“彼”の姿は闇に消えて。
“またね”の意味がわかったような、わからないような──そんな、中途半端な気持ちは宙ぶらりん。
私は、無意識に胸元のペンダントをバリアジャケットの上から強く握りしめていた。
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第97管理外世界“地球”。
海鳴市のとあるスーパー。
夕食時の前とあって、店内は買い物客でごった返している。
聖祥大附属中学の制服を身につけた茶髪の少女が、若奥様風の金髪女性と連れ立って買い物をしていた。
トマトを手にとって選ぶ、茶髪の少女──八神はやての表情は冴えない。
ぼーっと、あまり新鮮ではなさそうなトマトを眺めている。
「はやてちゃん、どうしたの? 何か心配事?」
その様子を心配に思った彼女の連れ──シャマルが問いかける。
「ん〜? あー、心配事いうかなぁ……」
中途半端な生返事。
「──フェイトちゃん、最近さらに目に見えて元気なくてな」
「フェイトちゃん? ああ……もうそんな時期だったっけ」
納得したように頷いて、シャマルが頬に手を当てた。
「四月と十二月のフェイトはどこか危ない」のは、仲間内の間ではある意味、暗黙の了解だった。
もともとどこか影のある印象の少女なのだが、この時期の間は特に酷い。笑顔など愛想笑いくらいしか見せなくなる。
以前はみんなで──特になのはが──、それを何とかしようとあの手この手を駆使したのだが、フェイトは一向に持ち直さず、今では腫れ物に触るような扱いになってしまっていた。
「せやねん。この前、ミッドで大きな火災があったやろ? あのあとな、“夢は自分の部隊を持つことや!”って話をしたんやけど、上の空で“そうなんだ、がんばって”て……反応淡泊すぎて、少しヘコんでしもたわ」
はやてがずーんと暗い雰囲気を漂わせる。
「うーん、でも、そこまで沈んでるのは近年稀に見るんじゃないかしら? なのはちゃんが大けがしたときもそれほどじゃなかったし」
きゅうりを手に取りながらシャマルが言うと、はやては腕を組んで難しい表情をした。
「せやね。なんか理由があるんやないかと私はにらんどるんやけど……まさか、男かっ!?」
「まさかぁ。フェイトちゃんに限ってそれはないわよ」
「あはは、やっぱそうかぁ」
自分のバカな予想をシャマルと一緒に笑い飛ばして、はやては夕飯の買い物に意識を切り替えるのだった。
帰り道。
他愛のない雑談を交わしている時、ふと、シャマルが真剣な表情で周りを見回した。
はやてが怪訝な顔をする。
「シャマル、どうしたん?」
「はやてちゃん、魔力反応。結構、近いかも」
「! ──ほんとや。ん〜……、でも、なんや変な感じやな、これ。まあ、いいわ。見逃すわけにもいかんし、行ってみよか」
シャマルの指摘で異常を感知したはやて。
何か起こってはことだと、連れ立って不可思議な魔力の発信地へ向かう。
そこは、土管が積まれただけの殺風景な空き地だった。
某国民的青狸のマンガで、よく舞台になる空き地をイメージするとわかりやすいだろう。
警戒しつつ、空き地の真ん中あたりまで進む二人。不自然な魔力を微弱に感じる以外、特に変わった様子はない。
「しっかし、なんも変なとこないなあ」
「……あっ」
シャマルが上を見上げ、「ん?」とはやてが視線に釣られる。
そこには、複雑なルーン文字と三角形が中心に描かれた、円状の青い光を放つ魔法陣。はやてが見たことのない様式だ。
その魔法から、何かが落ちてくる。はやては呆気にとられて反応できず──
「ぷぎゃっ!」「きゃ!」
何か──白い帽子をかぶった白い服の少女──につぶされたはやてが奇妙な声を上げた。
「ああっ、ごごごご、ごめんなさいっっ!?」
他人を押しつぶしていることに気づいた少女が、大いにどもりながら、慌ててはやての上から降りる。
「だ、大丈夫? はやてちゃん?」
「うー……、シャマル! なんでこういうことがあるて言ってくれへんの! お嫁にいけへんようになったらどないするん!?」
「だ、だって聞かれなかったから〜」
涙目でシャマルに文句を垂れるはやて。シャマルも別な意味で涙目だ。
すると、あわあわと二人の様子を眺めていた白い帽子の女の子が、とてもびっくりしたような顔をして声を荒げた。
「っ、リオン・グンタ! アゼル・イブリスっ! ──……じゃあ、ないですよね、あれ?」
これが、“夜天の王”八神はやてと“元魔法使い”志宝エリス、初めての邂逅────
そして、次元にたゆたう世界の全てを巻き込む、大事件の始まりだった。