深い暗闇の中、鎮座する溶液の詰まった三基のシリンダーが仄かな光を放つ。
──“闇”が蠢いた。
それらの前方には幾つものスクリーンが虚空に展開している。映り込むのはクラナガンで続いている戦闘の様子や全景、沢山の数字と文字の羅列。
映像内、都市の中心にほど近い場所に紅いドーム状の結界空間が広がっていた。
『ふむ、地上部隊はクラナガン外周に展開済みか。これで討ち漏らした“冥魔”についても問題は出んな。──レジアスめ、避難の手際といいよくやる』
『あれはあれで、無骨者だが無能ではない。しかし──、結界……月匣と言ったか? このタイミングで“災厄を撒き散らすもの”を隔離するか』
『大方、“冥魔”の危険性を映像なりに残すことで、世論操作や議会工作への布石とする腹積もりなのだろう。こちらに“力”の神髄を隠した上で、な。……姑息なことだ』
溶液の中で、気泡が一定の間隔で浮上する。
シリンダーに収められているのは、不気味なヒトの脳髄──妄執に駆られた過去の遺物だ。
『アル・シャイマール……。あの“魔王”が齎した異界の“魔法”は、ミッドチルダの魔導と文明を大きく前進させることに繋がるだろう』
遺物たちの蠢動は続く。
響く機械で合成された音声からは、凝り固まり切った驕慢なエゴしか感じられない。
『既にそれを用いた幾つかの草案が提出されているのだったな。“時空管理局抜本的改革要綱”──我々に当て擦るような題名だ』
『そう、斜に構えて捉えることでもあるまい。草案にしてはなかなかよく出来ていたではないか。──もっとも奴は、“ほとんど自分では考えていない”と吐いていたがな』
『相応のブレーンが居ると見て間違いなかろう、あの黒髪の女のように。──“魔王”と名乗る人外だけはある、奴らの力は強大だ』
炎の大剣を振り回し、触れるもの全てを薙ぎ倒す“東方王国の王女”の姿がスクリーンの中で暴れ回る。
大火の一振りは軌道上にあるものを焼き斬り、灰燼に変えていた。
『しかし、それをコントロールせねばならぬ。今回の件だけで“冥魔”の根絶は難しいという予測を奴は述べていたが、だからと言って無軌道に暴れられてはそれどころではない』
『そう、我々が奴ら“魔王”の上位に立つのだ。我らが理想、我らが悲願────、次元世界に遍く恒久的な平和を実現するのだ』
『この、最高評議会がな』
第十一話 「KURENAI」
紅き月が見下ろす中、“七徳”と“七罪”────蒼と紅の“羽根”が対峙する。
「あなたは──」
ニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべる大魔王に、魔法使いが憎悪にも似た複雑な感情を露わにした。
「シャイマール!」
「そのパターン、何度目だ?」
やれやれと肩をすくめる攸夜を置いて、緊迫した空気が立ちこめる。“父親”を思わせる気取った態度がエリスの気に障ったのだろう。
魔導師二人は顔を見合わせ、険悪極まりない雰囲気に困惑顔だ。特にはやてなど、親友が“魔王”と行動を共にしている理由が理解できず混乱していた。
「どうして……ここに現れて、なんのつもりです!?」
不倶戴天の宿敵が見せる不可解な行動の理由を問いつめるエリス。当の攸夜は余裕の表情を変えず「なんのつもりか、ね」と肩をすくめて、馬鹿にしたように鼻で笑う。
「退がって、エリス」
親友と魔王の間に割って入るようにエンジェルシードを構える灯。もちろん、その銃口は攸夜にピタリと合わさっている。
灯と同じく命がゆっくりと進み出るが、何故か無手だ。
警戒する三人のウィザードを前にしても攸夜はポケットに手を突っ込んだまま、余裕綽々の態度を崩さない。
広がるピリピリとした一触即発の空気。
「ま、待って! ユーヤは敵じゃないよっ!」
それを破るように、フェイトは銃口と敵意の前へその身を晒した。躊躇いの欠片もなく、心通わせる恋人を守るために。
発せられた“ユーヤ”、という名称を不可解な表情をする一同。そうでないのは言った少女とその名を背負う少年だけだ。
「フェイトさん、どいてください! そのひとは危険です!」
「違うよ! ユーヤは悪いひとじゃないっていうか、その、えっと……」
消えゆくように萎む言葉。反論に詰まるフェイト。
彼女も、攸夜の所業に擁護しきれない部分があることを重々承知している。しかし、それ以上に、。──その葛藤の大きさは計り知れない。
「いいんだ、フェイト」
「でも……」
大いに悩み、だが必死になって自分を弁護してくれる少女の頭をポンポンと軽く叩くように撫でた攸夜。「……ありがとう」と耳元で告げると、ずいっと進み出た。
「どうして、と理由を訊いたな、志宝エリス」
攸夜は蒼き眼光を鋭利に光らせ、疑念の浮かぶ翠緑の瞳を逸らすことなく受け止める。
「……俺は正直、主八界やファー・ジ・アースがどうなろうが知ったことじゃない。“冥魔”どもに蹂躙されようが“侵魔”たちに奪われようが、な」
心底どうでもいい様子で語る黒髪の魔王。無責任な物言いに、ピクリとエリスの眉が揺れる。
その飄々と捕らえ所のない佇まいは、変幻自在を旨とする彼らしいものだった。
「だが、“ここ”は違う」
漂よっていたいい加減そうな雰囲気が霧散する。代わりに纏うのは不退転の決意。
「ここは……この“世界”は、俺の生まれた場所、俺の故郷だ。大切な人たちが居て、大切な思い出がたくさんある。……それに、だ」
チラリと傍らの“大切な人”に目を向けてから、攸夜が不敵に口角を吊り上げる。
そして、ポケットに突っ込んだままだった左の掌を目の前に軽く翳し、
「生まれ落ちては消えていく、矛盾に満ちた幾億もの“光”が溢れるこの醜くも美しい“世界”を──、“冥魔”なんぞにくれてやるのはもったいない」
気障な言葉に合わせて“何か”を手中に収めるように強く握りしめる。そのひどく気取った仕草は、漂わせる独特の雰囲気と相まってとても様になっていた。
「──そうは思わないか? ウィザード」
真摯な顔つきを消し去り、おどけて見せる攸夜。
からかうような言いぐさや道化の仮面に隠した心情が微かに滲む。紛れもない本心の述懐に嘘偽りはどこにもない。
「……っ」
誰かの息を呑む気配。
エリス軽い既視感が襲う。“金色の魔王”の前で自らが語った信念と似通った──それでいて、決定的に違う言葉に魔法使いは動揺する。
紅い月の光が静かに降り注ぐ。異界に由来する輝きは、あらゆるものを包み込むように優しく神々しい。
それは“世界”に豊饒をもたらす大地母神の祝福──破壊の“光”が持つもう一つの貌、創世の“光”だった。
「あなたは、いったい……誰なんですか?」
当惑するエリスの口から漏れた無意識の問い掛け。
攸夜は待ってましたとほくそ笑み、「俺か? 俺は──」と思わせぶりに間を取る。続いて、決めゼリフを告げようと口を開き──、
「通りすがりの“魔法使い”、だよね?」
小脇から、ちょこん顔を出したフェイトが掣肘して華麗に奪い去っていった。
「……フェイト、人のセリフを取らないでくれないか」
「ごめんね、ちょっと言ってみたくって」
えへへ、と小さく舌を出してはにかむフェイト。決めゼリフを奪われた攸夜は、額に手を当ててしょうがないなと困ったように苦笑い。
妙な空気が流れる。具体的に言うとあまーい感じの。
「あ、あの……?」居たたまれなくなったエリスがおずおずと声を掛けた時、今まで黙っていたはやてが唐突に「ああぁぁ〜っ!!」と奇声を上げた。
「──攸夜! 宝穣 攸夜!」
「なんだ、チビだぬき」
「ちびでもたぬきちゃうわっ! ──あー、このトゲトゲしくもかわいげのない憎まれ口。やっぱり攸夜君や」
ムッとしかめる攸夜が、「かわいげのないとは言ってくれますね、八神さん。君も相変わらずのブラックストマックで安心したよ」と皮肉を言ってみせる。
ガーン、と大仰なリアクションをするはやて。「うぬっ……、そちらさんこそさっそくフェイトちゃんをタラシこんだようで。うらやましい限りですなあ」と切り返した。
鋭い指摘に、フェイトは真っ赤になって俯く。
「このやろう……」「なんや、やるんか?」
ふふふふ……、と両者の口から乾いた笑いが漏れ出した。どちらも頬の表情筋を引きつらせ、目が笑っていない。
そんな二人の様子にエリスたちはぽかんと呆気に取られている。無理もない、事情を把握しているフェイトでさえ矢継ぎ早な掛け合いについて行けず、目をぐるぐると回しているのだから。
「あ、あの、はやてさん……?」
「うん? ああ、このひととは幼なじみというか、腐れ縁というか。まあ、ともかく悪いヒトやない……んかな? うん、たぶんそうや。
……あれ? ていうか、なんで私、今まで攸夜君のこと忘れてたんやろ。リインを助けてくれた恩人なんに」
この歳でボケなんていややなあ、などと惚けるはやて。だが、やはり記憶の欠落を不可解に思っているのだろう、表情は訝しげだ。
歯切れの悪い評価に攸夜が密かにムッとしたり、記憶を取り戻したのだとフェイトがうれしそうにしていたりしているのは些末なことである。
「“忘れていた”……」
灯は相変わらずの無表情で年少の三人組を眺めている。「そう……、そういうことなのね」と呟く彼女は微笑ましそうに納得していた。
「……まあ、そういうことだ。で、どうする? ウダウダやってる時間はないみたいだぜ」
遠方で、幾つもの轟音が響く。互いの顔を見合わせる魔法使いたち。確かに時間はない。
「僕は信じてもいいと思うよ……今の彼なら。でも、最後に決めるのはエリスだ。この“世界”で頑張ってきたのは君なんだからね」
穏やかに述べられる命の意見に灯が無言で頷き、視線を親友に送って決断を促す。仲間たちの眼差しを受け、エリスがすーっと大きく深呼吸した。
「私……あなたのこと、やっぱり信じられません。──だけど、はやてさんのことなら、仲間のことなら信じられます」
朗々と紡ぐ言葉は淀みなく。翠緑の瞳に惑いはない。
「だから一緒に戦いましょう、大魔王シャイマール」
「……いや、違う。そうじゃない」
肩透かしを食らって、「え?」と目を丸くするエリスに、人を食ったような装いを消し去った攸夜が快活に破顔する。
「宝穣 攸夜、それが俺の“名前”だ。シャイマールってのも嫌いじゃあないけどね」
「ユーヤ……」
僅かに自嘲の込められた言葉。だが、普段よりも幾分幼く見えるいたずらっ子のような表情は、六年前──クリスマスの夜にフェイトが守る誓った、彼の正直な笑顔だった。