「やあっ!」
「でえぃやッ!」
二刀のライオット・スティンガーを交差させるようにして繰り出すフェイトと、光のヒルコをすくい上げるように放つ命。
金色と純白の刃が漆黒の塊に打ち込まれる。
稲妻のごとき斬撃はしかし、アジ・ダハーカの強固な鱗に弾かれて、僅かに傷を刻むだけ。科学と神秘、力の方向性は違うもののどちらも強力な魔剣である。その二振りを容易く弾き返す堅牢な装甲は、伝承の通りだと言えるだろう。
「くっ!」「これでも通らないか!」
大きく後退りながら、フェイトと命は手応えのなさに悔しさを滲ませる。どちらも、少なくない力を込めた斬撃が防がれたことにショックを受けていた。
三本の竜頭が蠢いて、突出した二人に向けて鎌首をもたげて顎門を開く。紅い舌がちらちらと覗く咥内に、黒炎が燃え滾る。
ゴウッ、と勢いよく吐き出された炎の塊となって降り注いだ。
「……!」
二人を援護するべく、灯がエンジェルシードの引き金を矢継ぎ早に引く。砲口の先に展開した魔法陣を通って加速された魔法処理の施された砲弾が、黒い火炎弾を撃ち落とした。
空薬莢が三つ、ガランと大きな音を立てて地面に転がる。
「まだ……!」
灯の手の中に、波打つ空間から今し方放ったのとは別種の砲弾が収まると、空になった“箒”の弾倉に手早く装填。そのままトリガーを引き絞った。
白亜の魔砲から撃ち放たれた砲弾が、アジ・ダハーカの大樹のような前脚に着弾。砲弾の中に詰まっていた魔力が爆発四散して、悪しき竜の脚を奪い取る。
片足を失った黒い巨体はバランスを崩し、腹に響くような轟音を立てて倒れ落ちた。
「効いた……?」
「それならっ、アイン・ソフ・オウル!」
最後尾に控えていたエリスが、爆撃で揺らいだことを好機と見て“羽根”の突撃を敢行させる。
透き通るような声を合図に、紅い魔力光を刃とする七枚の白き盾が、アジ・ダハーカの上部に生えた竜頭の触手の数本を刈り取った。
「やっぱり! みんなっ、魔法攻撃なら通るよ!」
その声を受け、それぞれが一斉に攻勢をかけた。
命が純白の光をコーティングしたヒルコで大きく斬り裂けば、上空を取ったフェイトが怒濤のような金色の弾幕──フォトンランサー・ファランクスシフトを斉射。灯も、手持ち最後の魔力爆裂弾を惜しげもなくプレゼントする。
連続して発生する大小の魔力爆発が、苦悶の砲哮を上げるアジ・ダハーカを飲み込んだ。
「やった……?」
煙幕が晴れる。
そこには、幾つもの裂傷を負っているものの、未だ健在な魔竜の黒い巨体があった。
一斉攻撃により大きく抉り取られた痕がジュクジュクとうねり、やにわに泡立つと音を立て修復されていく。
「再生能力……」
「厄介だね」
灯と命の表情が曇る。再生の速度自体はおよそ速いとは言い難いものだったが、“災厄を撒き散らすもの”の特性──負の感情を取り込んで“冥魔”を生産することを考えれば、持久戦は圧倒的に不利である。
予想外の堅牢さに困惑した様子のフェイトは、助けを求めるような視線を上げた。紅い夜空では、際限なく飛来する黒い鳥を格闘する蒼銀と白銀の光が輝く。
(……ダメ、こんなんじゃダメだ。ユーヤにばっかり、頼ってたら……!)
頭を振って依存したくなる気持ちを意識から追放すると、バルディッシュの柄を強く握った。
ルビーにも似た真紅の眼差は、真っ直ぐぶれることなく“絶望”の象徴を射抜く。
むくりと起き上がったアジ・ダハーカが、絶叫にも似た身の毛もよだつ遠吠えを上げる。一帯に強烈な突風が吹き荒れた。
「きゃ!」「ッ……!?」
耳をつんざく大音量にエリスとフェイトは驚いて耳を塞ぐ。
漆黒の竜が、その巨体に似合った大きな二つの顎門を開く。深淵の闇黒のような口腔に、悍ましいまでの魔力が集い始めた。
上空。
脚の速い飛行能力持ちの“冥魔”──闇鳥が月匣全域から集結し、その数を生かして地上を強襲せんと降下する。
黒い襲撃者に割って入る小柄な影──はやてだ。
横薙ぎに振るわれるシュベルトクロイツの動きに合わせて、鋭い空気の刃が発生。名刀の切れ味に勝るとも劣らない風圧の白刃が、鉤爪を開いて襲いかかる闇鳥を一度に寸断した。
錫杖を振り回した勢いで後退するはやては、同じく“冥魔”を薙ぎ払う幼なじみと背中を合わせる。
連戦の疲れを滲ませた彼女の息は荒い。ふぅ、と一息吐くと軽く後ろに振り向き、攸夜に声を掛けた。
「──なあ、攸夜君。こうバーッと一気にまとめてやっつけたりとかでけへんの? まおーパワーかなんかで」
「無茶言うな! こっちだってギリギリ切り詰めて戦ってるんだよ」
空間を切り裂いて創り出したワームホールにリブレイドを何度も叩き込みながら、攸夜が荒っぽく答える。
その間にも、蒼白い砲撃が黒い穴から次々に突き出ては光の条網を創り出し、闇鳥の群れを寄せ付けない。そこにアイン・ソフ・オウルが飛び込むと、不規則な軌道を描いて魂無き虚ろな者共を打ち砕いていく。
攸夜は今日一日で命、クロノ、灯、フェイトの四人と交戦し、その全員からもれなくしっぺ返しをもらっている。その上、“楔”の維持に大量の魔力を放出した後とあってはいささか以上のハンディキャップである。幼少の時分から、頑丈さが取り柄だったとしても辛いものは辛いのだ。
「むぅ……」
正論に若干鼻白み、それでも退かないはやて。
「じゃあ“闇の書の闇”んときみたいにはでけへんの? あの“魔法”なら一撃必殺やろ」
「そりゃあ、あの“力”が使えれば一捻りだけどさ。今の俺じゃあ制御し切れないんだよ、……情けないことに、な」
無責任なはやての物言いではあったが、痛いところを突かれたのだろう、攸夜はしゅんと肩を落とす。
そのどこか頼りなさげな様子をフェイトが目にしたならば、キュンとときめくこと間違いなしである。
──あれ以来、攸夜は“七徳”のシャイマールの力を解放することが出来ないでいた。
無論、通常の“リミットブレイク”ならば問題はない。だが、あの土壇場で発揮された常識を凌駕する力を御することが出来たのは、ひとえに“母”の──シャイマールの魂が共にあったからこそ。アイン・ソフ・オウルに込められていた残り滓の全て同化したとはいえ、“運命”の手すらねじ伏せて“奇跡”を成し得る力はあまりにも絶大で。──少年の小さな手には余りあるものだったのだ。
自分の不甲斐なさに内省する攸夜を、現実へと無理やり引き戻すむせかえるような魔力の波動。
視線を眼下に向ければアジ・ダハーカが巨大な二つの口を開き、莫大な魔力を収束させているではないか。そのあまりにも禍々しい漆黒の輝きに、さすがの攸夜も背筋が凍り付くのを感じた。
「──ッ、はやて、ちょっと来い!」
「あんっ」
「変な声出すな!」
はやてにツッコミを入れつつ横抱きにした攸夜は、蒼白い燐光を噴かせて一気に降下していった。
“災厄を撒き散らすもの”が、二つの口腔から気の遠くなるほど莫大な力を解き放つ。収束・解放された魔力は闇よりもなお冥い漆黒のブレスとなって一直線に放射された。
触れるもの全てを──そう、次元すらも滅ぼしかねない暴虐の奔流はしかし、唐突にニ岐へと分かれる。蒼銀と深紅──アイン・ソフ・オウルを展開した攸夜とエリスによって阻まれたのだ。
左手を眼前に翳し、一行の前に立ち塞がる“七徳の継承者”たち。二色の光を放つ十四枚の“羽根”が組み合わさり、鉄壁の城壁となって災厄を防ぐ。
進路を阻まれた破壊の息吹は、建造物を消滅させながら半球体状に突き進む。「く、ううぅ……っ!」筆舌にし難い圧力にエリスの柔和な顔立ちが苦悶に歪んだ。
その間にもブレスは迸り、月匣の壁に打ち当たる。
照射を受け、広範囲に渡って罅が刻まれる紅の結界。「ッ……!!」自らの一部とも言える月匣の損傷がフィードバックされ、攸夜の身を灼く。しかし、結界空間の崩壊を許すわけにはいかない。この月匣は、これ以上“冥魔”が外へ溢れ出さぬように張り巡らした“檻”なのだから。
濁流のような重圧に押し込まれて膝を屈しかけるエリスと、玉のような脂汗を額に浮かべる攸夜。押し寄せる絶望が、左手を突き出して堪え忍ぶ二人の心の隙間に這い寄る。
(ッ、耐えきれない……!)
不意に、攸夜の左手に銀色の籠手で包まれた繊細な指先がそっと寄り添う。瞠目した蒼い瞳に、凛々しくも美しい少女の横顔が飛び込んだ。
「……いっしょだから。どんなときでも、いつまでだって、私があなたのとなりにいるから。──だから、諦めないで」
フェイトは前を向いたまま、清明な声で静かに語りかける。普段と変わらない調子で紡がれた言の葉から、万感の想いを感じ取れない攸夜ではない。
傍らでは、フラついて体勢を崩しそうなエリスに灯が肩を貸して支えている。空気を読んだはやてと命は後ろで控えているようだ。
潰えかけていた闘志に蘇る。心にほのおが再び灯る。
漆黒の濁流をせき止めていた“羽根”がにわかにざわめき、その輝きを増していく。
攸夜の唇が僅かに歪む。苦痛にではなく笑みに、だ。
「ここまで想われて! “冥魔”なんぞに負けてられるかよッッ!!」
「負けないっ! 負ける、もんかああああッ!!」
二人の“継承者”たちが哮り立つ。二組のアイン・ソフ・オウルが感情の爆発に歓喜し、打ち震えた。蒼銀の“羽根”と共振を起こした深紅の“羽根”に収まる宝玉が、“七色”に染まっていく。
勢揃いした十四枚の白き“羽根”が災厄の渦を撥ね除けた。
様々なものを一緒くたに焼き尽くしたような、焦げ臭い悪臭が辺りに漂う。漆黒の奔流に呑まれた建造物は、その恐るべき破壊力に例外なく消失していた。
「エリス、大丈夫?」
「うん、なんとか……」
ぺたりとへたり込んだ親友をいたわる灯。彼女の手を借りて立ち上がると、「ありがとう」とエリスが小さく微笑む。
フェイトに支えられた攸夜も何とか立ち直る。次元破壊のブレスを防ぎきったことによるダメージは、予想以上に大きい。
「今の、もう一度撃たれたら……」
「みんな仲良くジ・エンド、やな」
フェイトとはやてが深刻そうな声を出す。事実、次に漆黒のブレスを吐かれたのなら全滅は必至だ。
このまま畳み掛けるつもりなのか、アジ・ダハーカはその巨体から漆黒の瘴気を噴き出した。闇の騎士や闇魚、闇蛇にスライム──“災厄を撒き散らすもの”が次々に“冥魔”を産み落とす。
「っ、また!」疲弊した仲間を守るように進み出た命が、ヒルコを青眼に構えた。
その間にもアジ・ダハーカの躯は再生を続けている。このペースなら、数分も起たないうちに修復は完了するだろう。
「このままじゃ埒が明かない。最大火力で一気に倒し切るしかないね」
「でも命君、そんな簡単にはいかないと思うよ?」
「せやね……。みんな、大なり小なり疲れとるし、一か八かの賭になってまう」
“冥魔”を産み出す隙や再生する間も与えず、波状攻撃を掛けるしか討つ手段はない。
「……」一瞬、考えるような仕草をした攸夜がおもむろに左手を突き出す。
「ユーヤ? なにを──」
「“希望”の光よ」
冷厳な声が響き、“七徳”のアイン・ソフ・オウルが黄金色の輝きに包まれた。
解放された宝玉の力──“希望”の力が世界のコトワリを歪め、運命の定めを覆す。──それは、小さな奇跡。絶望を駆逐する心の光だ。
“プラーナ”の輝きにも似た煌めく粒子が、呆然とする命の前に集まる。光の粒は次々に収束すると、一つの形を成していく。
「これは──」
そして突き立っていたのは、真っ直ぐな刀身が漆黒の帯に包まれた一振りの“剣”。
刃と鍔が一体となった両刃の大剣。直線で構成されたデザインは切れ味を象徴するかのようで。
「“闇のヒルコ”……!!」
漆黒の闇を纏う魔剣は、かつての主が再び手に取るのを静かに待ちわびていた。