大きく開け放たれた窓から、うららかな日の光が差し込む。都心部の方では、重機の駆動音がひっきりなしに騒々しい演奏を続けていた。
数日前、“魔王”と“冥魔”が無遠慮に繰り広げた激戦の跡は深く。後始末が終わるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
倒壊による保障だの都市部の再建計画だのと山積する問題に、担当者たちは今頃てんてこ舞いをしていることだろう。
とはいえ、“ここ”はそんな雑事とは全く持って無縁で。穏やかな雰囲気に包まれていた。
──とある病院のとある病室。
そこに間借りしている少年はリクライニングしたベッドにもたれかかり、読書をしている。
その隣、丸イスに座った少女がうつらうつらと船をこいでいた。肩の重荷がまとめて降り、顔色がいくらかよくなったとはいえ、疲れを癒しきるには時間が足りない。──ココロも、カラダも。
その辺りの機微を理解しているのだろう。少年は居眠りを咎めることはせず、分厚い年代物の学術書の字列をぼんやりと眺めては時間を潰していた。
わずかに感じた人の気配に、彼の視線が上がる。
近づく二組の足音。
ピタリと足音が部屋の前で止まり、ノックが三回。その物音に、ほとんど寝入っていた少女──なのはがビクッと飛び起きた。
「どうぞ」
内心では待ちきれなかったらしい少年──ユーノが笑みを浮かべて返事を返すと、引き戸が静かに開く。
はたして。入室したのは二人、黒髪の少年と金髪の少女だ。
黒革のライダースジャケットにクリーム色のカーゴパンツの少年と、黒い上下のスーツ──管理局執務官の制服姿の少女。カジュアル、フォーマルと対象的な装いではあったが、ちぐはぐというわけではなく。むしろ至極自然な印象を振り撒いていた。
そう。包み隠さずにいえば、とてもお似合いのカップルであった。
「おっす、ユーノになのは。元気にしてたか?」
「おかげさまでね」
「いらっしゃい、フェイトちゃん、攸夜くん」
左手を軽く上げて爽やかに挨拶する黒髪の少年──攸夜に、ユーノとなのはが釣られて破顔して。あの頃と何も変わらない、仲良しな幼なじみたちのやり取りを金髪の少女──フェイトは、彼らに負けないほどきれいな、幸福に満ちた笑顔で見守っていた。
ベッドサイドに並んで座るフェイトとなのは。二脚しかない席を譲った攸夜は立ったまま近くの壁に身体を預けている。
ちなみに、はやては事件の残務処理などに忙殺されているため不在だ。「この薄情者ーっ!!」とは、はやての負け惜しみ。
「これ、おみまいだよ」
そう言って、フェイトがなのはに色とりどりの果物が入った中くらいのバスケットを手渡す。
オレンジに梨、リンゴにバナナ……それから、竹製のカゴの中でも一番目を引く“それ”に、なのはが目をまんまるに見開いた。
「わっ、メロンおっきい。これ、高かったんじゃない?」
「さすが喫茶店の娘、お目が高い。お見舞いといえばメロンだろ、ということでなるだけ高価なの買ってきた。感謝しろよな、ん?」
大袈裟に抜かし、ニヤリと笑ってみせる攸夜。ユーノが呆れ混じりに苦笑する。
「恩着せがましいね」
「恩着せてるんだよ」
「ひどい言いようだ、横暴だと思う」
「いいんだよ、ユーノなんだから」
「僕ってそんな扱い?」
「最初からだろ」
「……そうだね」
「フェレットに生まれた不幸を呪え」
「生まれてないし! 不幸って何さ!」
軽快なテンポで続く軽口の応酬。気心の知れた彼ららしいやり取りに、フェイトとなのはが愉快そうに顔を見合わせた。
「あ、リンゴ、私がむくね」
カゴから真っ赤なリンゴを手に取ったフェイトに攸夜が訝しげな表情をした。とても訝しげだ。
「……皮、剥けるのか? 駄目なら俺がやるけど」
「そ、それくらいできるよっ。もう子どもじゃないんだから」
「そうだよ。フェイトちゃん、家庭科の成績いいもんね」
「……」
不自然な沈黙。攸夜は白々しく目を泳がしたりしている。
そんなあからさまな態度にフェイトが気分を害して、ジト目を送った。
「むっ……ユーヤ、信じてないでしょう?」
「まさか。そんなことないですよ、フェイトさん」
「攸夜くんがそういうしゃべり方するときって、だいたい相手をバカにしてるんだよね」
何気に一番つき合いの長い少女からの、核心を突く指摘。無言でついーっと視線をそらしたのがいい証拠だった。
報復に、ほっぺぐにーっの刑が発動したのは言うまでもない。
たわいのない雑談が続く────
年頃の少年少女らしい、なんてことはないごく普通の会話はしかし、どこかよそよそしい。
それはきっと、皆が腫れ物に触るように話題を選んでいたから。問題を意識無意識に関わらず、棚上げしていたからだろう。
ベッドに備え付けられたテーブルに置かれた皿には、ウサギの形に切りそろえられたリンゴが数個。無論、フェイトの手によるものだ。
それを手に取り、口の中に放り込んだ攸夜。シャキシャキとした歯ごたえと甘い蜜の味を楽しみつつ考える──この濁った空気をどうしたものか、と。
無論、自分が原因なのは重々承知している。しているのだが、病室に充満した微妙な空気に胸中で苛々を募らせていた彼は、リンゴを飲み込むとそれとなく話題を投じた。
「……で、退院はいつなんだ?」
「うん、数日中には退院できるって。仕事がたまってるだろうからちょっと億劫だけどね。ここ、居心地もいいし」
茶化したような言葉の中に自分への気遣いを感じ、なのはが堪えるように俯く。ネガティブな感情を気丈に抑えてはいるものの、この場にそれがわからないものなど居ない。
現にフェイトはあわあわと動揺して落ち着かないし、攸夜は見通しが甘すぎたことを悟って気まずそうに左手で顔を覆うのだった。
ふう、とユーノが大きく息を吐く。
「……ユウヤ、ちょっとこっち来て」
「うん? 急になんでさ」
「いいから」
いつになく強引なユーノに首を捻りつつ近づく攸夜。──刹那、彼の目に飛び込んできたのは、翠緑色の魔力光を纏った鉄拳。コークスクリュー気味の大砲じみた一撃が、見事に顔面へとクリーンヒットした。
ぐしゃあっとトマトが潰れたような音を立て、攸夜が盛大に吹っ飛ぶ。備え付けのキャビネットを巻き込んで。
三重攻勢障壁を乗せていたとはいえ、人ひとりを殴り飛ばすその威力は、上体の捻りだけで繰り出されたものとは到底思えない。
「ユーノくん!?」
なのはが戸惑いの声を上げる。
それをあえて黙殺したユーノは、ベッドから降りると冷たい刺すような視線で、壁にもたれかかる“親友”を見下ろしていた。
なお、ユーノは密かに拳をさすっている。思いっきり殴ったので痛いのだろう。
「ッ……、病み上がりの癖に、いいの持ってるじゃないか」
口の中を切ってしまたのか、口角から垂れた血を攸夜は乱暴に拭い、嘯く。「ユーヤ、だいじょうぶ?」と近寄るフェイトには目もくれず、唇を獰猛に吊り上げて“親友”を睨み返した。
しかし、その蒼い瞳に浮かんでいたのは敵意ではなく喜悦。殴られる“いわれ”があるとわかっていたからかもしれない。
少女二人は険悪な空気を感じ取り、ハラハラと視線を行ったり来たりさせるのみ。男どもは睨み合ったまま動かない。
ふと、ユーノの表情が緩む。
「みんなに黙って居なくなったこととか、なのはとフェイトに嫌な思いをさせたこととか……いろいろ言いたいことは山ほどあるけど、僕の分は今ので勘弁しておいてあげるよ」
おどけたように締めくくられた言葉に、剣呑とした雰囲気が霧散して。
誰かが安堵のため息を吐く。
自分が入院する羽目になった遠因だというのに、ユーノはそれに触れようとしなかった。器が大きいからなのか、単にお人好しなだけなのか──攸夜には判別がつかなかったが。あるいはその両方なのかもしれない。
「……悪い」
「心から反省した?」
「猛省してる。今回ばかりは、な」
「そう、それはよかった」
珍しく素直に謝罪する攸夜。
そんな反応に満足したのか、ユーノの表情はいつもの穏和で理知的なものに戻った。少しずれた眼鏡を直しつつ、得意そうに手を差し出して口を開く。
「それじゃあ、ユウヤ……おかえり」
「──! ああ、ただいま」
差し出された手は握られて、堅く握手。攸夜はにこやかなまま密かにグッと手に力を入れて、殴られたお返し。何気に器が小さい。
そして、ユーノもそれに対抗したかのように力を込め始める。もちろんこちらも攸夜に負けず劣らずにこやかなままで、だ。
妙なところで体育会系な二人だった。
そんな暗闘のことなど知る由もないなのはは、日だまりのようににっこりと相好を崩し「よかったね」と親友に呼びかける。
「……」
しかし、当の少女は浮かない顔でじっと二人を見つめていた。
「……フェイトちゃん?」
「え? あっ、と……なんでもないよ、なのは」
不自然に笑って取り繕う親友の様子になのはが、追求の言葉を紡ごうとした矢先────
「はーい、検診のお時間でーっす」
やる気の微塵も感じられない、間延びした声が遮った。
現れたのは妖しい笑みを浮かべた銀髪の看護師さん。凹凸の慎ましやかな胸元にぶら下がるネームプレートには、“涼風 鈴”とご丁寧にも日本語で記されていた。
「えっ……!?」
なのはがあり得ないことに見開いた目を白黒させ、文字通りにフリーズ。ユーノは何気に落ち着いている。不意の乱入者の正体に気がついたフェイトが狼狽気味にバルディッシュを展開させようとするが、攸夜に手で制された。
「……お前、こんなところで何してる?」
「なにって、ナースのおしごと?」
「質問に質問で返すのはよくないな、鈴子クン」
「鈴香、じゃなくて鈴です。──って、なんであんたがこのネタ知ってんのよ」
「ご本人から直接聞いたんだよ、鈴木クン」
「鈴です! ……もういいわ」
攸夜とコントじみた会話を繰り広げるキュートな看護師さん──もとい、“蠅の女王”ベール・ゼファー。廃棄都市地区の決戦でなのはに討たれたはずの彼女だが、そんな様子は欠片も残さずコスプレなんぞをしくさっていた。
「ど、どどどどど、どうしてあなたがここにいるのーーっ!?」
何とか再起動を果たしたなのはが、たまらず悲鳴を上げる。
奇声を上げたのも無理はない。渾身の一撃をぶち込み、消え去るところまで嫌らしく見せつけられたというのに、こんなにピンピンされていては彼女の立つ瀬がない。乙女の涙を返せっ! である。
「デカい声出してんじゃないの、鬱陶しいったらないわ」
耳障りだと眉をひそめるベル。ナチュラルウェーブな銀髪を指先で絡めるように梳いて、妖艶に嘲った。
「もしかしてあんた、あれしきのことであたしを殺したとでも思ってたの?」
「ううっ……」
ストレートな物言いに鼻白むなのは。若干涙目だ。あの一戦が、ほとんどトラウマになっているのかもしれない。
銀髪の魔王に、針の筵のような刺々しい視線を送りつけ、威嚇するフェイトをなだめていた攸夜は、「コイツのスタミナは非常識も甚だしいからなぁ」としみじみ感想を漏らした。
それから、さすがに収拾がつかなくなってきたので諫める。
「おい、ベル。あんまりなのはを虐めるなよ」
「イジメてなんてないわ。あたしは挨拶にきただけよ、挨拶に」
挨拶? と首を傾げる一同。攸夜以外は皆、困惑気味だった。
「そ。あたし、時々こっちに“遊び”に来ることにしたから」
ほんと? とフェイトが視線で聞くと、攸夜はまあな、と呆れ顔をして視線だけで返答。
茫然自失のなのはをチラリと見やったベルは、「ま、そういうわけだから──」とイイ笑顔でもったいぶった間を取って。
「コンゴトモヨロシク」
笑顔を思い切り引きつらせたなのはと、不愉快さを隠そうともしないフェイト。そんな二人の姿に、今後の波乱を思った攸夜とユーノは揃ってため息を零すのだった。