「ふぅん。けっこう速いのね」
紅く染め上げられた空に少女──ベルのソプラノの声が響く。
突き出した片手から投射した“虚無”の矢──“ディストーションブラスト”が、高速で飛行する白い影へと迫る。
白い影──なのはは、桜色の翼をはためかせ、それを難なく回避した。その動きは、ベルの言葉通り、なのはの経験と天賦の才に裏打ちされた見事な戦闘機動だった。
「これは犯罪行為だよ、おとなしく停止して!」
「ふん。そんなこと知ったことじゃないわ」
「誰かを傷つけたりすることは、いけないことなんだよっ!? 私の話を聞いて!」
言葉が走り、桜色の光条と漆黒の虚無が幾重にも交錯した。
なのはとベルはつかず離れずの距離を保ち、幾度となく魔法を撃ちかける。数え切れない爆光が紅い夜闇に爆ぜ、輝き、連なった。
「“魔王”に説教なんていい度胸してるじゃない。それはともかく──いい加減、自分を虚飾するのは止めたらどう? 高町なのは」
「──なんのこと?」
「ああ、気づいてないんだ。……だとしたら、あなた、とんだ道化だわ。──滑稽ね」
「それって、どういう──」
意味深なセリフを吐き、ベルはクスクスと愉しそうに唇を歪める。
意図がわからず困惑するなのはを無視して、ベルは光の奔流を何気なく逃げ惑う人々目掛けて撃ち放った。
着弾した閃光が爆ぜ、大音量と灼熱の炎を撒き散らす。
「どうして……っ!!」
突然の凶行に頬をひきつらせたなのはが、彼女にして珍しい、強い怒りの感情を込めた視線を人形じみた容貌の少女へ向けた。
「あらら、大変。あれで何人の人間が死んだのかしらね。あたし的には全滅だとあたりをつけてるんだけど、あなたはどう思う?」
怒気を含んだ眼差しを鼻であしらい、ベルは自らが起こした虐殺をまるで、賭け事かゲームのように語る。
歯を砕いてしまうほどに噛み締め、なのははベルを睨んだ。
『──大丈夫だよ。落ち着いて、なのは』
「ユーノくん?」
慣れ親しんだ声。同時に、噴煙を斬り裂いて、グリーンの魔力光が現れる。
ベルの放った砲撃を防いだのは、スクライアの民族衣装風のバリアジャケットを纏ったユーノ。
『多重障壁を張って防いだんだ。まあ、ほとんど破られちゃったけどね』
少し自嘲気味にユーノが言う。自慢のバリアを破られたのが、悔しいのだろうか。
そして、自らの魔法を防がれたことに小さく舌打ちしたベル。忌々しそうにユーノを見やる。
『下のことは気にせず、なのはは思いっきり戦って。いつも通り全力全開、でね』
『うんっ』
いつもの調子を取り戻したなのはが、柔らかく破顔する。
ふたりのやり取りに、焦れたベルが、音もなく滑るようにしてなのはに接近、
「ほらほらっ、仲良くお喋りしてる余裕なんてないわよっ!」
声を荒げ、掌に形成した直径十センチの黒い球体──“ヴォーティカルショット”を射出する。
桜色の羽を散らしてなのはが急上昇。
入れ替わるようにビルに着弾した球体は、いったん消失した後、空間の歪みを創り出し、外壁を大きく削り取った。
『マスター、この領域にはまだ民間人が多数残っています。大規模な魔法の使用は控えてください』
『わかってる。物理干渉は切ったままでいくよ』
その破壊の爪痕を視界の隅に置きながら、なのはは相棒と念話で言葉を交わす。
そして、
「レイジングハート!」
『アクセルシューター』
金色の穂先から、二十五個の光弾が発射された。
光の尾を引き、桜色の魔弾が四方から高速でベルに殺到する。
「──ふふっ」
魔弾の檻に囲まれたというのに、余裕の態度を崩ずしもしないベルは、魔力を発露しそれらを追い払うように片手を薙ぎ払った。
吹き荒れる純粋魔力の暴風──それを無造作に叩き付けられたアクセルシューターは、呆気なく破裂して爆発。
「そんなっ!?」
「こんな“空っぽ”な豆鉄砲で、このあたしを捉えられるなんて思わないことね」
自らが信頼する魔法が、いとも容易く破られたことに動揺を隠せないなのはを、ベルは嘲笑う。
圧倒的優位に立つ者の余裕と、弱者をいたぶる嗜虐心。慢心、油断、侮りとも取れるそれは、しかし、“大魔王”を名乗るに相応しい絶対強者の風格だった。
「っ、だったら!」
後方に下がりつつ、なのははバスターモードのレイジングハートを射撃体制で構える。穂先の下部の機構が二回コッキング、空薬莢を同じ数だけ吐き出す。
収束する魔力。広がる魔法陣。震える大気。
なのはの発露した魔力の量に「人間にしては結構やるじゃない」とベルは感想をこぼした。
そして、小悪魔的な表情で両手を頭上に掲げる。
溢れ出す魔力。高速で構築される術式。鳴動する空。
そして、繰り出されるのは“彼女たち”の代名詞────
「ディバイィィィインッ!」
「ディヴァイン!」
なのはとベル、異音同意の言葉を紡ぐ。
「バスタァァァァ――ッ!!」
「コロナッ!!」
桜の魔法陣を纏う、金色の穂先から放たれた桜色の砲撃。
紅い三連魔法陣から生まれた、黄金に輝く大光球──ふたつの魔法が、ふたりの間で激突した。
光球を押し止めるように、曲線に沿って桜色の光が迸る。
正面からの真っ向勝負。
圧迫感に表情を歪ませるなのはとは対照的に、ベルは余裕を滲ませ微笑を浮かべていた。
拮抗はほんの数秒。
「っ!?」
ディバインバスターを押し切ったディヴァインコロナが、なのはに着弾。
なのはの発した悲鳴は、灼熱の閃光に飲み込まれ、紅の空に絢爛なる大輪の花が咲き誇った。
「──だから言ったでしょう? “空っぽ”な魔法じゃあたしには届かない。まあ、術式自体はそう悪くなかったけど」
もうもうと残る爆炎を呆れたように眺めるベルは、煙の中に桜色の光を見つけた。
「あら、今ので墜ちたと思ったのに、ずいぶんと頑丈なのね。……そんなところまで“あの子”と一緒なんて、ますます虐めたくなってきたわ」
とっさに障壁を張り巡らし、落ちたる太陽の輝きを辛くも防いだなのは。
しかし、鉄壁を誇るなのはの魔法障壁をもってしても、ディヴァインコロナが内封する大魔力と大熱量には耐えきれず、バリアジャケットの所々が焼け焦げている。
なのはの表情はダメージの苦痛に歪み、険しい。
「レイジングハート。……物理干渉、オンにして」
『しかし、それでは──』
「あの子の魔法と撃ち合うには、それしかないよ」
そう言って、なのはは相棒の意見を制した。
レイジングハートの優秀な人工知能が、主の判断がもっとも合理的だと肯定する。それと同時に、なのはとともに歩んだ時間で培った感情と呼べる何かが、一抹の不安を感じていた。
『……了解。火器管制、物理干渉オン』
だが、デバイスである“彼女”に拒否する意志など元よりない。
一拍、間を置いて、レイジングハートが非殺傷設定から物理干渉──殺傷設定へと切り替わる。
「やっと、本気で遊んでくれる気になったのね。うれしいわ」
「こんなの遊びじゃない。ただの暴力、悪いことだよ」
「あら、お遊戯じゃない。殺す覚悟も死ぬ覚悟もなく、分不相応な力を手に入れて、粋がってる小娘にはちょうどいいゲームだと思うけど?」
「そんな覚悟、私はいらないっ!」
「だからダメなのよ。あたしにはわかるわ────あなたの矛盾が、あなたの歪みが……あなたの闇が手に取るように。
ふふっ、あなたみたいに歪んだコ、あたし、けっこう好きなのよ? かわいらしくって……グチャグチャに壊したくなる」
艶やかに、妖しく。
ベルは嫣然と腕を組み、なのはの心を抉り出そうと言葉を次々に弄する。
心に染み渡り、纏わりつき、深みに誘う蠱惑的な甘い響きの声音──それはまさに、数々の伝承に名を残す人間をたぶらかし、闇に落とす“悪魔”の呼び声。
「そんなこと、知らない! ベルちゃん、覚悟して。私なりのやり方で、お話を聞いてもらうから!」
決然と叫び、なのははレイジングハートの穂先を、一瞬だけむっとした“魔王”へと突きつけた。
□■□■□■
桜と黒、二条の光が交錯しながら徐々に遠方へと離れていく。
被害が出ないようになのはが誘導しているのだろう。
地下シェルターの入り口に並んだ列はもう数人で終わりそうだ。
「よし。これで、この辺りは大丈夫かな」
避難誘導が速やかに進んだことに、ユーノは安堵の息をついた。
一月にあるかないかの頻度ではあるものの、管理局魔導師と犯罪者の戦闘が市街地で起きることがある。そのため、クラナガン市民は比較的こういった非常事態に慣れていた。各施設には避難設備が整備され、魔法的物理的に強い堅牢なシェルターが、都市の至る所設置されているのも幸いだ。
もちろん、ユーノ自身の優れた補助能力もその一因だろうが。
「あ、あの……っ」
住民な避難が終了次第、なのはの援護へ向かおうと思案していたユーノにかけられた声。
怪訝に思い、振り向く。
声の主は身なりのいい、二十代後半くらいの女性。顔面蒼白といった様子で、心底慌てているようだった。
「どうしたんですか、何か問題でも?」
「その、娘が、娘が……っ」
嗚咽のように途切れ途切れな言葉は要領を得ない。錯綜している思考の糸を何とか繋ぎ止めて、何とか彼女は言葉を続けた。
「この騒ぎで、娘とはぐれてしまって……。どうか、探してもらえないでしょうか。お願い、します」
涙混じりに必死で懇願する女性を、ユーノは錯乱している相手を安心させるように、努めてやさしい声色で質問する。
「お子さんの姿を最後に見たのはどこですか?」
「そこの建物の、一階です……」
女性が示したのは目と鼻の先にそびえ立つ高層建築物。この一帯のランドマークとしてつい最近オープンしたばかりのスポットで、下層にショッピングモールやレストラン街、上層に商社のオフィスなどが入っている一大複合施設だった。
「わかりました。後のことは僕に任せて、あなたはシェルターに避難していてください。……大丈夫、必ず見つけ出しますから」
お願いします、と何度も頭を下げる女性をシェルターへと促した後、ユーノは踵を返して、コンクリートで出来た巨大な塔へと駆けて行った。