祭り囃子の太鼓の音。ドンドンカラカラドンカララ、小気味いいリズムが提灯の光に照らされた夜闇に響く。
いくつもの露天が軒を連ね、店主が活気のいい文句でお客を呼び込む。小遣い片手に目当ての出店へと走る子どもたちの姿が微笑ましい。
ここ、臨海公園で開催された夏祭りには、海鳴市で最大級の規模とあって市内各地から集まった人々で溢れかえっていた。
“袖”の中に左腕を仕舞い込み、にぎやかな喧噪を眺める。残った右手は顎をさすってみたりして。
やっぱり祭りはいいな、ワクワクする。この一種独特な高揚感、他のことではなかなか味わえない。思わず高笑いしたくなるくらい──っと、いかんな。血が滾りすぎて変なスイッチが入りそうだ。
「遅いね、なのはたち」
「何を言うかねユーノ君。古今、女の子の準備は時間がかかるんだよ。男は黙って待つもんだ」
「そうなの?」
「そうとも」
ユーノが漏らしたぼやきをピシャリと切り捨てる。かれこれ十五分ほど立ちっぱなしで疲れてるのか、あるいは想い人の晴れ姿を目にするのが待ち遠しいのか。まあ、気持ちはわからなくもないけどさ。
俺たちはどちらも夏祭りの場に相応しく浴衣姿だった。
俺は濃紺無地の着物に枯れ草色の帯、ユーノは唐草模様の入った若草色の着物と白い帯の組み合わせ。自分はもちろん、ユーノの着物を着付けたのも俺だ。浴衣は男女問わず、羽織袴や振り袖の着付けも一通りこなせる自信がある。……女性物の着付け方を覚えた理由が、「脱がした着物を直せるように」というのはここだけの秘密だ。
「んっ、来たみたいだな」
「あ、ほんとだ」
少し遠く、公園の入り口辺りでぶんぶん元気よく手を振る、浴衣美少女一号。ほとんど白に近い薄紅色の生地に桜の花びらを模した柄が散りばめられた女の子らしい浴衣。帯に鼻緒、小物入れの鮮やかな赤が彼女──なのはの溌剌としたかわいさを現しているかのようだ。
彼女の艶姿に当てられたらしいユーノが、表情をデレんデレんに崩壊させて手を振り返している。
「鼻の下が伸びてるよ、ユーノ君」
「ええっ!?」
「手で隠すなよ。──しかしいいよな、着物って。“はいてない”んだぜ、あれ」
「うん、“はいてない”んだよね、あれって。……僕、実はあんなに肌を隠しちゃうのはどうかなってバカにしてたんだけど、そうじゃないことを思い知ったよ」
「ユーノは即物的だなぁ。露出が少ないからそそるんだろ」
「それは同意できかねるかな。健康的に肌が見えるからいいんじゃない」
眼鏡をクイッと上げ、あまつさえレンズを光らせてまで力説するユーノ。ぬ、この件については後ほど討論を重ねるべきか。
さておき。俺の目当ては当然のごとくなのはの後ろに隠れるようして控えるお嬢さんだ。──隠れる? 何でさ?
カランカランと下駄の音を響かせて、なのはたちが近づいてきた。
「ごめんね、久しぶりにお着物の着付けしたから手間取っちゃって。……待たせちゃったよね?」
「うん、十五ふモッ!?」
「いやいや、俺たちも今来たところさ」
すまなそうな表情で手を合わせるなのはの謝罪に、素直すぎる返答をしかけたユーノの口を手で塞ぎ、代わりに爽やかな笑顔で返す。不心得者には念話で『余計なこと言うんじゃねーよ』と言っといた。
不思議そうに小首を傾げるなのは。「そうだっ」と振り返る。
「ほらフェイトちゃん」
「ぅ、うん……」
ニコニコ笑顔のなのはに促され、彼女の影からおずおずと進み出る浴衣美少女二号。白い花火の模様が入った藍染の和服に、帯は紅というより朱。小物入れと鼻緒が山吹色という出で立ちは、彼女──フェイトの落ち着いた、それでいて可憐な雰囲気によく合っている。胸が大きいと着物は似合わないというのが通例だけど、この娘には当てはまらないらしい。
その中でももっとも目を惹くのは髪型だろう。普段はリボンで先を結っている黄金色の長髪を、今は後頭部でお団子状に纏めている。着物の襟元から白いうなじが露わになってひどく色っぽい。
後に聞いた話だが、この髪型はルー姉さんの入れ知恵だとか。さすがは姉さん、俺の好みを把握してらっしゃる。
「フェイト、どうして隠れてたんだい?」
「だ、だって……! こういうの、久しぶりだから……」
ユーノの至極真っ当な問いに、フェイトはもじもじと突き合わせた指先をいじり、どもる。軽く紅潮してどこか恥ずかしげだ。
なのはに「そうなのか?」と疑問を投げかけると、彼女から「うん」と苦笑気味に答えが帰ってきた。
「フェイトちゃんがこっちに越してきてはじめての夏以来、かな? そのあとは、いろいろあったから……」
「……毎度思うが。お前たちは一体どういう学生生活を送ってきたんだ?」
頭痛が痛いので、眉間を親指と人差し指で押さえてみた。「自覚はしてるよー」となのはがさらに苦笑いを深める。
「ゆ、ユーヤ……?」
「うん? どうした」
瞳を潤ませ、惚けたような表情で上目遣いに見上げてくるフェイトが、おずおずと俺の名前を呼ぶ。いつものごとく、間延びしたふうに。
「えと……、あのね、私、変じゃない?」
「変? 何がさ」
「私の、格好……」
消え入るようなフェイトの声。格好……つまり、浴衣が似合ってるかどうかを聞きたいのだろうな。
しょうがないな、と内心で独り言ち、俯きがちな彼女の頤おとがいにそっと手を添えて顔を上げさせる。そのまま、怯えの浮かぶ紅玉の鈴を割ったような瞳を、出来る限り真剣な顔でじっと覗き込む。サッと、白い頬が薔薇色に染まった。
「変なところなんてあるもんか。すごく綺麗だ。その浴衣、すごく似合っているよ、フェイト」
いつもながら歯が浮くようなセリフだけど、そこに込めた気持ちに嘘はなんてない。それはちゃんとフェイトにも届いたようで、すっかり機嫌を持ち直した彼女はふんわりと嬉しそうに微笑んでくれた。
キスの一つも落としてやりたいところだけど、場所が場所だ。今回は自重しよう。
しかし、海に行ったときはこんな風じゃなかったのに。……慣れない格好で不安だったのか? ──やはりというか、まだまだ精神的に不安定なところが目立つ。真っ直ぐぶれない芯は通っているのに、簡単に折れて潰れてしまう──そんなフェイトを支え続けようと、改めて自分に誓う。
かれこれ何度目かの意思表明を終えた俺の目に、ぬぼーっとしている親友の姿が留まった。
『ユーノ、お前もなのはに何か言ってやれ』
『ええっ!?』
『ええっ!? じゃねーよ。ポイント稼ぐ絶好のチャンスだろ』
ちらりと視線を浴衣美少女一号に向ける。何でか知らないけど、赤面してるね。
『そ、そうか……、ユウヤの言うとおりかも』
『シンプルに、思ったことだけを伝えればいいよ。お前さんに気障なセリフは似合わないしさ』
『うん、ありがとう!』
『おう、がんばれよ相棒!』
ゴクリと唾を飲み、まるで死刑台に上がる間際のような顔をするユーノ。女の子を褒めることがそんなに覚悟の要ることか?
「あ、えっと……な、なのはもかわいいひょ」
あーあ、噛んじゃった。ここぞとばかりに噛んじゃったよ。
「あ、あいがと」
なのは、お前もか。
嬉しさとか羞恥とか戸惑いとか──いろいろな感情があべこべで混乱した様子の二人は、耳まで真っ赤にして恥じ入り、俯く。その間には極めて甘酸っぱい、有り体に言えば青春的な空気が漂っていた。
な、なんだこの居たたまれない雰囲気は……っ!? ──ああなるほど。これが普段、俺とフェイトの周りにいる奴が味わう気分なのか……。はやてたちがげんなりしていた理由が理解できた気がする。
「初々しいねえ」
「……ああいうのもいいかも」
「ふぅん……。フェイトは俺たちのつき合いに不満があるんだ?」
「ち、違うよっ! ユーヤに不満なんてないもん!」
「はいはい。ほら、ユーノもなのはも固まってないでそろそろ行こうぜ。祭りが俺たちを待っているッ!」
「ギュッとてしてもらうのも、撫でてもらうのも大好きなんだもん!」
おいおい、フェイト。そんな恥ずかしいこと口走っていいのかよ? ──ああ、言わんこっちゃない。周囲の視線を集めちゃって真っ赤になってるじゃないか。
自爆気味にオーバードライヴした三人も、しばらくしたら落ち着いて。それから俺たちは出店を回ることになった。
その道すがら、射的や金魚すくい、型ぬきなどに興じるはやてと愉快な家族たちに遭遇したり、にやけ顔のアリサとすずかに出会して、あからさまな状況に茶々を入れられたりと些細なハプニングはあったものの、俺たちは夏祭りを大いに楽しんだ。
──今回、いつもの面子にはご遠慮いただいた。端からはダブルデートに見えるだろうし、俺とフェイトはそのつもりだったから。もっとも、ユーノとなのははデートじゃないと頑なに否定するだろうけど。その証拠に、二人の様子はぎこちなさがありありと残るものだった。
ちなみに俺は、フェイトとたこ焼きの食べさせっこなんかをしてたりして。
それでも、どこか吹っ切れた様子で無邪気に笑うなのはが印象に残った。本格的に管理局から──“魔法”から距離を置いて、いろいろと心の整理を付け始めたのかもしれない。
「花火、まだかな?」
ベンチに座って夜空を見上げたフェイトが、待ちきれないと瞳をキラキラさせていた。彼女の傍らに立つ俺は、苦笑して「もうすぐだから、少し落ち着いて?」と軽くたしなめる。
まるで親にいたずらを咎められた子どものように、しゅんと眉を伏せるフェイト。頭にちょこんと乗せた狐のお面も心なしか元気がない。
最近、ますますフェイトが子どもっぽくなってきている気がする。──今まで気を張って、張り続けて……抑制してきた幼児性、言い換えるなら依存性とでもいうべきものが行動に滲み出しているのかもしれない。
だが、俺はそれを否定しない。
依存したければすればいい。甘えたいなら甘えればいい。──少なくとも、俺がフェイトの前から居なくなることなんて金輪際あり得ないのだから。
邪魔するもの全てをねじ伏せ、フェイトが望む限り添い遂げる。そう、何だろうが関係ない。俺の、俺たちの行く手を阻むものは何であろうが全て皆殺しに──
俺の思考が剣呑な方向に流れかけた時、
──ドンッ!
「わぁ……」
大きな炸裂音と感嘆のため息がそれを現実に引き戻した。
晴れ渡った夏の夜空に咲き乱れる大輪の花々。
大きなもの。小さなもの。
高く打ち上がった“玉”が破裂して、様々な形に“星”が飛散する。そして、生まれる火と光の芸術。
七色の光が創り出す幻想的な光景を、フェイトは目に焼き付けるかのようにじっと見つめている。そしてすぐ隣、微妙な距離を保って座るユーノとなのはも同じように、空を見上げていた。──これでまた打ち解けてくれるといいのだが……。俺とフェイトは、“そういう”機微を一足飛びにすっ飛ばしたからあまり参考にはならないし──
(ま、なるようになるか)
お節介極まりない思考をカット。おめでたい自分の頭の出来に苦笑して、夜空に咲く華に注視する。
金色のしだれた花火が、まるでフェイトの髪みたいだなと俺は思った。