季節は巡る。夏から秋に。
青々としていた木々の葉が次第に色を変えて鮮やかに染まっていく。深まる紅葉はまるで、一つところに留まらず、移り変わり続ける時の流れを象徴しているかのようで。
──季節が巡るように。時が流れるように。不変で居られるものなど、この世のどこにありはしないのだ。少なくとも、“生き続ける”限りは。
俺も、そして俺の大切な人たちも例外ではない。緩やかに、だが、確実に変わっていく。移ろっていく。
善きところなのか、それとも悪しきところなのか──その行き着く先を、全知全能でないこの身で窺い知ることは出来ないけれども。
清秋の空は高く、絶好の行楽日より。場所は何の変哲もないとある遊園地。──とりあえず、ネズミの王国ではないとだけ言っておく。
さて。何故こんなところに来ているのか? 説明するまでもないと思うがでぇとである。遊園地にはフェイトと一緒に来たかった場所の一つ、ベタと言われようがこれは外せない。フェイトの方も楽しみにしていてくれたらしく、その喜びようは何日も前から手に取るようにわかるほどだった。
ついでにユーノとなのはも誘ってやって、二人の仲を深める後押しをしてやろうという腹積もりだったのだが──
おどろおどろしい建物──お化け屋敷の前で、茶色のこだぬきが遠い目をして疑問を呟く。背中に哀愁を背負っているような気がする。
「なあ……なんで私、ここにおるんかな?」
知るか。
「なあなあ、なんでー?」
絡むな、うぜえ。
「なあなあー」
「あー、鬱陶しいっ!」
こだぬき──もとい、はやての執拗な追求に耐えきれず怒鳴り声が口を吐く。傍らのフェイトがビクリと肩を揺らした。
しかし、今日のフェイトもかわいいなぁ。黄色と白の毛糸で編まれたボーダー柄のワンピースと丈のやや短めなすらりとしたシルエットのジーンズというコーディネートは、スタイルのいい彼女によく似合ってる。ちなみに足元は白いヒールスニーカーだった。
「そんな大声出さんと、周りに迷惑やで攸夜君?」
周囲の行楽客が向ける怪訝な視線に気付いて、俺は肩をすくめた。
──このように、何を血迷ったかはやてまでついて来ていた。結果は見ての通り、あまり楽しめてはいないようだが。
さもありなん。ジェットコースターではどこぞのお人と相乗り、ゴーカートでは一人寂しく──実際にはお着きが“二人”居るが──ドライブ、そしてここお化け屋敷でも一人で回る予定と散々だから。空気の読めるはやてのことだ、自分の場違いっぷりに辟易していることだろう。
「大体、フェイトとなのはに誘われてノコノコやってきたのはお前だろうが」
事の発端はフェイトとなのはの親切心。休み時間の度に「ヒマー、ヒマやー。どっか行きたい〜」とのたまっていたはやてに気を使って持ちかけたらしい。──ああ、なんだ。ただの自業自得じゃないか。
「だってー、デートやって聞いとらんかったやもん。知っとったら来たりなんてせぇへんわ」
膨れっ面で腕を組むはやて。「そうですっ!」と籠状のトートバッグからリインフォース妹が顔を出し、主の言葉に同調する。
「カップルに囲まれて、独り者のはやてちゃんは肩身の狭い思いをしてるんですよっ!」
ふと目が合う。「ぴっ!」瞬間、奇妙な悲鳴が上がり、水色の妖精は身を震わせてすぐさま引っ込んだ。
思いっきり怖がられてるようだな。まあ、守護騎士連中とはほとんど交流がないし──シグナムとは六年越しのケリを付けておいたが──、無理もないか。俺自身、それほど友好を深めたいと思えないでいる。わだかまりが残っているというか、どうやら俺は執念深いらしいから。これもまた、自己矛盾だな。
「……なあ、エルフィ?」
「はい?」
はやてが地獄の底から響く声を発した。壮絶な笑顔を顔に張り付けて。
「だぁれが、独り身で寂しい行き遅れ確定の悲しいオンナやって……?」
「そこまでは言ってないですぅぅ!?」
『余計なこと言うからですよ、エルフィ。おとなしく、おしおきを受けておきなさい』
「お姉ちゃんのはくじょーものーっ!?」
同じく、トートバッグに夜天の書の状態で入っていたのだろう、リインフォース姉から無情な通告。彼女の言うところの“おしおき”が始まった。まあ、はやてにほっぺをつねられてるだけなんだが。
茶番じみた主従コントに送る白けた視線を、金色の少女が遮った。その表情に浮かぶ、わずかな心の揺れを俺は見逃さない。──それが何なのかまではわからなかったけれども。
「ユーヤ、エルフィをいじめちゃだめだよ? まだちっちゃいんだから」
「どっちかっていうとイジメてるのははやてだろ」
「そう、かな?」
悪い顔をして鞄に手を突っ込んでいるはやてを見やり、こてんと小首を傾げるフェイト。
どこかズレた彼女を微笑ましく観察していた俺の耳朶に、何処から悲鳴のような声が飛び込む。それはごく微かだったが、確かに凶兆を孕んでいた。
「──ぃぃぃいいやああああああぁぁぁぁぁああっ!!」
恐ろしいまでのスピードで、パステルカラーのナニカが突っ込んでくる。その手はボロ布と化したグリーンのナニカの袖口をがっしりと掴んで。
突然のことに、スイッチが入っていなかった俺は反応できず、至極当然の結果として────
「ぬぐぉっ!?」
牽かれた。
そのまま走り去るナニカ──というか、なのははご丁寧にも引きずっていたユーノを俺の背中に置いていった。
重い……。
「ご、ごめんよ、ユウヤ」
背中にユーノを乗せたまま、無様に俯せて。目の前では、ぺたりと地面にへたり込み、泣きべそかいているなのはをフェイトがあたふた慰めている。
状況は概ね掴めたけど、とりあえず上の奴に訪ねてみるか。
「何が、あった」
「な、なのはが思いの外怖がっちゃってね……」
「うん、もういい、あらましは把握した。……ガンバレ、ユーノ」
「ありが、と……う」
言ったきり、ユーノはガクリと脱力。意識を彼方に飛ばしたようだ。
イノシシ娘に果敢にも挑戦した勇者を振り落とすわけにもいかず、俺はそのままの体勢でくすぶる恐怖に涙するなのはと、彼女を必死で慰め続けるフェイトを眺める。……我関せずとケラケラ笑っているはやてにムカッ腹を立てながら。
なお、お化け屋敷に挑んだフェイトさんは、怖がる素振りなど欠片も見せず、興味深そうに仕掛けや役者を次から次に見抜いていたそうな。
なのはほどとは言わないが、もう少しくらい驚いてくれてもいいんじゃないか?
昼時、休憩所の一角。
各自──俺となのはとはやてが──持ち寄った弁当を広げた備品のテーブルをみんなで囲む。
漆塗りの重箱いっぱいのおかずは栄養バランス完璧で、目にも美味しい。中くらいのバスケットには、やや地味だが堅実で温もり溢れるお袋の味。それから、たこさんウインナーに顔つきおむすびなど、女の子らしい気配りの行き届く料理の詰まった黄色いお弁当箱。
俺とはやてはまあ当たり前として、なのはの弁当もなかなかの出来映え。ユーノの奴など感涙しておむすびを食べていた。──気になってる娘に、上目遣いで「どう……かな?」なんて聞かれたら、嬉し泣きしてもおかしくはないけど。
「なんだか遠足みたいだね〜」
ほこほこ笑顔のなのは。その日だまりのような──悪く言えば、のーてんきな雰囲気に触発され、「そうだなぁ」と俺も和む。
テーブルの上では、リインフォース妹が小さい身体でおかずと格闘している。親睦を深めるために餌付けでもしてみるか?
「……芸術の秋、スポーツの秋、行楽の秋──。秋にもいろいろあるけれど」
「はやてちゃん?」
唐突に、はやてが何か悟ったような顔をして語り出す。その空色の瞳は、幸せそうにおかずをつまむフェイトに向けられていた。
たぬきの戯れ言は聞き飽きているので、まるっと無視してなのは謹製のたこさんウインナーをパクつく。……んむ、うまい。
「フェイトちゃんの秋は、食欲の秋みたいやね」
「う……」
芋の煮っ転がしを頬ばっていたフェイトが、気まずそうに視線をついと逸らす。
ふふん、と鼻を鳴らしたはやて。「フェイトちゃん──」そのわかりやすい反応に気をよくしたのか、悪そうな笑顔を浮かべて畳み掛ける。
コイツ、何かやらかすな。そう見抜いたが、おもしろくなりそうなので静観を決め込んだ。
「最近、太ったんちゃう?」
「──!」
絶句。
ショックのあまり凍り付いたフェイトの手から箸が滑り落ち、プラスチック製のテーブルの上でカランカランと甲高い音を奏でた。
なるほど、図星か。
しかし、太った、ねえ……。
プルプルと肩を振るわせるフェイトの全身を一通り眺めてみる。ジロジロ、ジロジロ。あ、赤くなった。
ふむ……何度見返してもかわいくて綺麗だけど──、
「確かに輪郭がふっくらしてきたような気もするね」
主に胸とか腰回りとか。一段と女の子らしくなってちゃってまあ。
「──!!」
さらにフェイトが絶句する。
真っ白に燃え尽きたように力なくうなだれた彼女は、滂沱の涙をそのルビーの瞳から零しだした。──って、ちょっ、涙流すほどのことかっ!?
「うわ……、エグいわ。まさかそこまではっきり言うてしまうとは」
「攸夜くんひどい、ひどいよ! 女の子にそれは禁句だよ!」
罪悪感広がる俺の胸に、はやてとなのはの糾弾が突き刺さる。
唐突に、フェイトがガタンとイスを倒しつつ立ち上がった。
「ダイエットする……、いまからダイエットするっ!」
どどーん。
仁王立ちして、拳を握るフェイトの背後に打ち寄せる高波を幻視した。
「フェイトちゃん、ちょっと脈絡ないよ?」
「そうだね。フェイト、少し落ちつきなよ」
なのはとユーノが口々にたしなめるも、フェイトは狼狽激しく聞き入れない。
ダイエットか……。
後にはやてから聞いた話だけど、この時の俺はとてもやらしい顔をしていたらしい。てか、やらしい顔って何さ。
「ふぅん……。じゃあ、このデザートは要らないんだね」
言いながら、三十センチ四方ほどの厚紙で出来た箱を月衣の中から引き寄せた。
「いつかなのはと約束した、翠屋の味を俺なりに再現した自信作なんだが」
箱を開けると甘い香りがふわりと広がった。その場にいた全員から感嘆のため息が零れる。
ショートケーキに、チーズケーキ。苺のミルフィーユとモンブラン、ガトーショコラ──中に詰まった各種ケーキはどれも会心の出来だ。
おいしそうなケーキを前にして、フェイトはあうあうと意味にならないうめき声を上げて、深刻極まりない表情で悩む。数瞬唸ったあと、薄く頬を紅潮させておどおどと口を開いた。
「だ、だってユーヤ……、太った女の子はいやでしょう?」
「まさか。そんなことで嫌いになるわけないじゃないか」
というか、ぽちゃぽちゃしてるくらいが好みです。
出会った頃のフェイトは華奢というよりも痩せぎすで、痛々しくて見てられなかったものな。
「ほんとに?」
「ほんとに」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと。──むしろ、たくさん食べてくれるフェイトが、俺は好きだな」
言って、微笑む。
途端、真っ暗としか言いようのなかったフェイトの表情が、ぱあっと晴れ渡る。この世の春のような笑顔で「じゃあもっと食べるねっ!」と意気込み勇み、取りこぼした箸を取っておかずをはむはむもぐもぐ食べだした。うん、フェイトはこうでなくっちゃ。
「あ、悪魔や……! 天パの悪魔がおる……っ!」
「にゃはは……、これじゃあ幸せ太りしちゃうわけだね」
はやての失礼な言い種と、なのはのどこか納得した風な苦笑い。それから、フェイトの無邪気な笑顔が残った。
それから、この日以来、今までにもましてフェイトさんが食いしん坊になったこと。そして、いくら食べても一部を除いて──主に胸とかが──ほとんど太らないことに、周りの乙女たちが激しく凹んでいたことを追記しておく。