────十一月初旬。
天気は快晴。冬の到来はすぐそこだということを感じさせない、春めいた陽気。
今日は聖祥大、そしてその附属校全体で開催される学園祭──その最終日。この合同学園祭は、金土日三日間の日程で取り行われる。一日目二日目を各校単独の出し物に割り振り、最終日を大がかりなイベントに当てる大々的なものだ。
一、二日目は主にフェイトたちのクラス──メイド喫茶だった。はやての発案らしい──にお邪魔したり、フェイトと一緒に他の学部や部活の模擬店を見て回った。
メイド喫茶はなのはが居るだけあってかそれなりに様になっていたし、男女各高校の演劇部が合同で演じた“ロミオとジュリエット”も、高校生にしては堂に入った演技で見応えがあった。フェイト、劇に感情移入してマジ泣きしてたっけ。
──こうして概ね楽しんだ俺だが、一つ、気になったことがある。
それは衣装。レースふりふりのエプロンドレスはかわいかったけれども、スカート丈が膝上だったのが気に食わない。何とか二日目だけは都合を合わせてきたユーノの奴は満足していたようだが、俺は本場英国式の膝下丈じゃなきゃ認めないのだ。この件についても、奴とは決着を付けなければなるまいな。
断じて、フェイトの美脚を他の男に見られるのが腹立たしかったからじゃない。ないったらない。
大学部主催で行われたミスコンの熱気冷めやらぬメインステージ前には、たくさんの人だかり。次のイベントを待ちわびる見物人で溢れかえっていた。
その人波から少し離れた片隅。俺はぼんやりと佇み、両手をポケットに突っ込んで準備中のステージをなんとなしに眺める。
ぱっと見だけど、二千人はくだらない人が集まっている。そのなかには見知った顔もちらほらと。目的は俺と同じ、今から始まるメインイベントにして今年の目玉──総合音楽コンクールだろう。
合唱・吹奏楽・バンドなど種類を問わず、一般参加もOKという意欲溢れるイベントで、地域の商店の協力まで取り付け、優勝賞品十万円分の商品券と副賞の温泉旅行まで用意するという念の入れようだ。この話を耳にして、このご時世によくやるものだと感心した。
不意に、観衆がざわつく。
舞台袖から、ミスコンに続いて司会を務める大学生の男女がステージ上に現れた。
開催の前口上は淀みない。
打ち上がった小さな花火の音は、群衆の怒号にも似た歓声にかき消され。メインイベントの幕が賑やかに上がる。
トップバッターは初等部のちびっ子合唱隊。低学年くらいだろうか、十数人がちょこちょこ並んで行進する様はひどく愛らしい。
途端に「かわいい〜」という黄色い悲鳴が上がり、「萌え〜」という野太い声が聞こえた。……後者は聞かなかったことにしよう、うん。精神衛生上よくない。
さておき。このイベントに、なんとフェイトたちもガールズバンドとして参加しているのだ。今更軽音か、と内心でツッコんだのは内緒である。
言い出しっぺは意外なことになのはだった。本人いわく「フェイトちゃんとはやてちゃんが引っ越しちゃう前に、みんなで思い出づくりをしたいの」だとか。
ちなみに、当初渋っていたフェイトを焚き付けたのは他でもない、この俺だ。「フェイトの歌ってるところ、見てみたいな」ってね。
フェイトとはやては卒業と同時にミッドに移り住むことが決まっている。だからだろう、なのはの張り切りぶりは目を見張るものだった。幼なじみと道を違えることに、何かしら感じるものがあると想像するに容易い。
──なのはの心境の変化は行動にも如実に現れている。高校進学に向けて猛勉強をしていることもその一つだろう。エスカレーター式で進学出来るからと妥協する気はないらしい。俺も文系科目の家庭教師に駆り出されたしな。
……そういえば、教育系の学科に入りたいとかって言ってたっけ。
ともかく。熱心なことはいいと思う。だが、同時にどこか危うさというか、不安定さも感じた。
今はまだ、“魔法”に打ち込んでいた情熱をすり替えて誤魔化しているだけなのかもしれない。けれども、いつかきっとその気持ちに折り合いを付ける日が来るはずだ。それまではいろいろと試してみればいいと思う。臆せず、何事にも挑戦すことが一番大事なのだから。
万雷の拍手が響く。
どうやらちびっ子合唱隊の演目が終わったようだ。小学生たちはややバラバラに一礼すると舞台袖にはけて行き、次の参加者がスタンバイを始める。
フェイトたちの順番は中盤くらい。まだ少し先だ。
今頃は、舞台裏で出番前の緊張感をたっぷりと噛みしめていることだろう。……フェイト、変にプレッシャーを感じて倒れたりしてなきゃいいんだけど。
恥ずかしがり屋さんな恋人に気を揉んでいると、背後の空間が歪むのを感知した。
この魔力は────
首だけ肩口から振り返る。
「アニーか」
「はい」
静かな返答とともに、物陰の暗闇から怜悧な容貌を持つ長身の女性が音もなく進み出る。パリッとノリの利いた黒いスーツを着込み、杓子定規な赤金のストレートヘアと理知的な眼鏡の奥に隠れた瞳は緑。
彼女の名は、アニー・ハポリュー。“知恵者”の二つ名で呼ばれる裏界の公爵である。
その異名通り、天地開闢の時より蓄積された情報と森羅万象あらゆる知識に通ずる大賢者だ。
「どうした? お前が俗世に姿を現すなんて珍しいじゃないか。槍でも降るかな」
からかいの言葉はしかし、アニーのポーカーフェイスを崩すには至らない。
「早急にお伝えしたいご報告がいくつかありましたので」
「ほう……。言ってみろ」
ひどく興味を引かれる話題に目を細め、本格的に振り向く。
人間を、ふしだらでだらしのない存在だと毛嫌いするアニーがわざわざ出向いたのだ。よほどのニュースだというくらい馬鹿でもわかる。
「先ず最初に、“マシンサーヴァント”の量産試作モデルが開発局にてロールアウトしました。これらの稼働データを元に、制式量産機の開発に取りかかるとのことです」
「存外に早いな」
「オリジナルから機能を大幅にオミットした簡易型ですので当然の結果かと。評議会が秘密裏に流していた資金と資材、研究施設の一部を確保、流用した量産体制も整えています」
「さすが、アニー。如才ない手配りだね」
俺のあからさまなおべっかに紅潮し、「い、いえ……」と動揺するアニー。相変わらず扱いやすい奴だ。
「ご、ゴホン! それから、“箒”の試作品も一応ですが形になったようです」
「ウィザーズワンドのデッドコピーだったか」
「はい。ですが、未だ要求スペックには程遠い粗悪品でしかありません。どうやら魔力炉の小型化が難航しているようです」
「わかった。その件については姉さんに──いや、テスラに相談しておく。ファー・ジ・アースの魔法技術を再現するには、俺たちが手を加えなきゃならないからな」
「人員の確保」と「現状戦力の増強」──初期条件のクリアすらまだ先、か。
“冥魔”との戦争を乗り越えるためには、どちらも達成せねばならない最低限の条件ではある。だが、この程度のことで“知恵者”が俗世に姿を現すとは思えない。そう問うと、アニーは首肯する。
「正式発表はまだですが、第三十一管理世界にて“冥魔”が確認されました」
「──! “魔王女”の予言通りとはいえ、半年も保たないとはね。で、ソイツはどうなった?」
「数人の負傷者を出しつつも現地の管理局魔導師によって討伐。その後の出現は未確認です」
顔色一つ変えず、アニーが要点だけを簡潔に答えた。
俺は顎に左手を当て黙考する。シナリオを修正する必要がありそうだ。
“冥魔”の再来が予測よりもずっと早い。この“世界”は、俺の思っている以上に穢れていたとでも言うのだろうか。当初の予定から大きく離れたわけではないが、このままでは後手に回り兼ねない。
見通せない先行きに苦慮する俺の背後、ひときわ大きい歓声が轟いた。
反射的に振り返る。
どうやら、少し話し込みすぎたらしい。
舞台上に並ぶ五人の少女。彼女らが纏うステージ衣装は、黒を基調に紅を差し色にしたゴスロリ調の──微妙にパンク風味も感じる──ドレス。デザインはやて、製作俺のオーダーメイド品だ。
ユニット名は「りりかる☆まじかる」──ま、まあ、これについてはノーコメントにしておこうか。
(うわ、フェイトってばガッチガチじゃないか)
ステージ中央のマイクスタンドの前、フェイトはまるで油の切れたブリキの人形のようにしゃちこばっている。瞳をギュッと瞑り、首もとの何かを強く握って。──あれはペンダント、か?
メインボーカルを務める彼女の両脇に勢ぞろいしたいつもの面々──ギターとベースをなのはとはやて。キーボードをアリサ、すずかがドラムを担当している──は、それなりに緊張感漂う面持ちをしているものの、フェイトのあまりの動揺っぷりに頭が冷えたらしい。心配そうな視線を送っている。
仕方ないな──
「フェイトーッ、がんばれーっ!!」
“いつでも見てるよ”──そんな気持ちを込めて送った大きな声援に、フェイトがハッと顔を上げた。
視線が交差する。ニッ、と不敵に口角を吊り上げれば、帰ってくるのは控えめなはにかみ。
ふぅ、と小さく息を吐くと、彼女の相好から怯えが消えて。たおやかでしなやかで、けれども自信すら感じる凛とした表情が浮かぶ。それは俺の好きな、凛々しい表情だ。
フェイトが軽く振り返り、なのはたちと頷き合う。
──そして、演奏が始まった。
軽快な前奏を経て、伸びやかで、透き通るような歌声が秋空に響く。“思い出づくり”に相応しい、前向きな詩と力強い旋律。自然と身体がメロディーに合わせてリズムを刻む──そんな歌だった。
仕事に学業に。間を縫って必死に練習した努力の成果が今ここに、結実していた。
「シャイマール。一つ聞かせていただきたいことがあります」
「なんだ」
視線と意識をステージに向けたまま、むっつりと答える。正直邪魔くさいんだが。
「何故回りくどい真似をするのです。人間に力を与え、尖兵にするおつもりであることは理解出来ます。ですが、世界結界のないこの“世界”ならば“アモルファス”を動員して制圧し、戦力にすることも容易なはずでは?」
アニーらしい、実に現実的な意見だ。確かに、備えのないこの場所ならば赤子の手を捻るように容易いだろうな。
だが、
「“魔王”級ならいざ知らず、そこらの“侵魔”ごときで“冥魔”には勝てないよ。それは歴史が証明している。“知恵者”ともあろう者が、人間蔑視で本質を見失ったか?」
「しかし……っ」
鼻白むアニー。なまじ理路整然と物事を捉える性質が災いして、反論を紡げない。
「“俺たち”は、確かに運命をねじ曲げることが出来るかもしれない。けれど、それに立ち向かい、乗り越えることが出来るのはヒトだけだよ」
「……ウィザードたちのように、ですか?」
「ああそうさ。ヒトの“心”には、計り知れない無限の可能性があるんだ。それに、簡単に攻略できるゲームに価値なんてないだろう?」
「……」
それっきり、会話は途切れ。ややあって、「承知しました。──失礼します」“知恵者”が姿を消す。
俺は空間の歪みが終息していくのを感知しながら、懸命にのどを張り上げ、演奏する幼なじみたちを微笑ましく眺める。こう、はじめての学芸会でがんばる子を見守る父親の気分だろうか。
フェイトたちの、元気いっぱいな歌声を俺は心行くまで堪能した。
ちなみに、結果は三位。優勝は惜しくも逃してしまった。
というか、優勝したのはいつの間にか参加していたルー姉さん。どこぞの天文部二代目部長の持ち歌まで披露する気合いの入りっぷり。そりゃあ、魔王が本気出したら人間なんて簡単に魅了されるんだろうけどさ……。
何やってるのさ、てか何やってるのさ。はぁ……。