複数のコードが床を走り、用途のわからない機械が散乱した薄暗い室内。巨大な強化アクリル製シリンダーの内部、妖しく発光する溶液に浸かった機械の骨格が不気味に浮かぶ。
──“第八世界”ファー・ジ・アース。
米国に本社を置き、ガンナーズブルームを初めとするウィザード向けの商品を開発、および販売を行う一大企業“アンブラ”。その極東支部に属するとあるラボ。
姿を九歳の頃に変え、黒い学ラン風の制服を纏った攸夜が、デスクチェアに深く腰掛ける妙齢の女と向き合っていた。
「亜門女史、それが?」
彼女の服装は奇妙だ。
大胆に胸元の開いた赤い袴の巫女装束の上に、丈の長い白衣を羽織っている。不揃いな前髪がかかったツーポイントフレームの眼鏡と合わせて、どこか放蕩とした印象を醸し出していた。
化粧っ気はまったくないがとても美しい女性で、「ちゃんとしたらモデルみたいになるんじゃないかと思える美貌」とは某女性が苦手な純朴少年の言葉。実の妹いわく「いわゆる変態さんやもん」とのことだが。
「そのとおりや。君からの依頼通り仕上がっとると保証する」
女が顎を軽くしゃくり「なんなら確認してみたらええ」と、すぐ側に鎮座する白い洋風の棺を示した。
真っ白の塗料で塗装された約二メートルほどの厳めしい外観のそれは、薄暗い室内の雰囲気と相まってどこか妖しい。攸夜は片膝を突くと重々しい蓋を開き、その中身を睥睨する。
数瞬の後、立ち上がった攸夜の表情は満足げだった。
「確かに。どうもありがとう」
「……」
ぽかんとあっけにとられた様子の女に攸夜が「何か?」と怪訝な顔で問う。「いやな」苦笑気味に前置きが一つ。
「まさか魔王から礼を言われる日が来るとはなぁ、と感心してしもて」
「誰にでも礼儀正しく、が僕のモットーなんですよ」
心にもないことを吐きつつ、軽薄に笑う攸夜。女がニヤニヤとシニカルな笑みで応えた。
今回、攸夜──正確には現し身──がここを訪れたのは、このラボを取り仕切る主にして一流の“陰陽師”、そしてその筋では名の知れた天才“箒”デザイナーでもある女にかねてから依頼していた“モノ”を引き取るためだった。
こちらでは裏界陣営に属する攸夜。ウィザードである彼女がその依頼を受ける道理など本来はないのだが、所属母体であるアンブラそのものに裏取引を持ちかけることで目的を達した。どちらかといえば搦め手や謀略を得意とする攸夜らしい策だ。
その取引の内容は単純明快。裏界とミッドチルダの魔法技術の一部を移譲すること。
“箒”のシェアではトップをひた走るアンブラも異界系の技術には体質上やや弱い。競合他社である“トリニティ”や“オクタヘドロン”はその分野では先んじられている。そんな事情に加えて、ラボ自体にも少なくない資金援助が入れるともなれば受けざるを得ないだろう。実際、移譲された技術で開発された“箒”が、次期主力機トライアルに出展されたという話だ。
──もっとも、相手はマッドサイエンティストの気がある天才科学者だ。筋が通れば喜んで引き受けたかも知れないが。
ちなみに、引き渡される“モノ”には、攸夜の意向で移譲された技術──特に、ミッドチルダ系の魔法科学がふんだんに応用されている。
そんな無茶な要望に、小難しい専門用語のオンパレードな講釈──と言う名の小言を受け、攸夜がげんなりしたのは完全な余談だ。比較的明るい呪術的、あるいは魔術的な分野ならばともかく、機械音痴の彼にはさっぱりチンプンカンプンで、異星人の言語にしか聞こえなかったという。
「しかし、なんや──」
白衣の胸ポケットから紙巻き煙草と今時珍しいネジ式の百円ライターを取り出す女。煙草をくわえ、火を点けた。
「相っ変わらずきれーなカオしとるなぁ、君。──なあ、お姉さんとええことしてせぇへん?」
ぷかり、と紫煙が言葉と一緒に吐き出された。一見、冗談めかしてはいるが、目だけはさりげにマジだ。
子ども相手にナニ盛ってるんだこの人は、と内心呆れる攸夜だったがそんなことはおくびにも出さない。
「あなたのように綺麗な女性ひとからのお誘いはうれしいですけど、残念ながらそっちは間に合ってるんで」
天使のような作り笑いで、息を吐くようにおべっかを紡ぎ出す。弁舌と詭弁の芸術家“詐術長官”ほどではないにしろ、口先から生まれてきたような男である。
「ツレへん子やな。間に合っとるって、コレでもおるんか?」
小指を立てる下品な仕草。攸夜はほとんど脊髄反射で首肯した。たとえ冗談に対してであっても、曖昧な態度でお茶を濁すのは恋人への侮辱だ。優しさと優柔不断は別である。
「ほぉ、なるほどなぁ」女がニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。まるでいい玩具を見つけたかのように。
「んで、ヤったんか?」
「ええ、ヤりましたけど何か?」
即答で言い放たれた衝撃発言。さしものセクハラ天才陰陽師もこれにはたまらず、希少な間抜け顔を晒す。ぽかんと口が開き、くわえていた煙草が床にぽとりと落ちた。
再起動を果たした彼女は、床の煙草を拾って月衣にポイッと放り込み、ため息を吐く。
「あかん、あかんわ。そないな受け答えされたら、イジリがいがあらへん。そういう子、うちは嫌いや」
「そう言われましても、本当のことですし。──何でしたら、僕らの夜の生活、事細かに説明して差し上げましょうか?」
「……もうええ、うちが悪かった。その話、興味はあるんやけど、年齢制限的にアウトや」
「それは結構」
いちいち面白いリアクションを返してくれた某忍者の少年と、目の前の小憎たらしいショタ魔王を脳裏で比べつつ、女は新たに取り出した煙草に火を点ける。
ぽかりと煙が輪になって消えた。
精神の均衡を計っているのだろうと、攸夜は黙して一服が終わるのを待つ。彼はその間、はやてが歳食ったらこんな感じになるんだろうな〜、と失礼な想像を巡らせていたりする。
「ま、ええわ。HTBX01AⅡと仕様書にその他諸々、確かに引き渡したで。──機械とは言えうちの大切な娘なんや、大事にせえへんかったらしばいたる、覚えとき」
「ええ、肝に銘じます。礼金の残り半分は後ほど口座に」
「はいはい、よろしゅう」
早速とばかりに攸夜は数十キロはある棺をふわりと浮遊させる。浮かした棺を引き連れて部屋から辞す寸前、「あ、ところで」攸夜がはたと立ち止まり、振り返った。
「何や、まだあるんか」
若干煩わしそうな声色で、女が応じる。「さっさと去ね」と言わんばかりだ。
「この娘、言語機能はまともなんでしょうね? 01Aとか01Dみたいに前衛的な喋り方されるのは嫌ですよ、僕」
ひどく嫌そうに顔をしかめる攸夜。脳裏には、「デス」だの「ざマス」だのが口癖な、キチガイでヘンタイなぽんこつどもの姿が過ぎった。
「それは大丈夫や。たぶん、きっと」
「…………」
白々しいセリフがほの暗い室内に響く。少しハスキーな声は、どこか虚しく聞こえた。
□■□■□■
狭界、アンゼロット城。
おなじみ、ファー・ジ・アースを一望するバルコニー。
「久しぶりに、顔を出してみれば──」
この城の本来の主、“真昼の月”アンゼロットは、その華奢な肩を溢れんばかりの怒気で震るわせていた。
「ど・う・し・て! あなたがここにいるのですかっ、シャイマールっっ!!」
「そりゃあ、見ての通りお茶をいただいてるんだけど?」
下級侵魔なら裸足で裏界に逃げ帰るほどの砲哮。それを柳のように受け流し、泰然と返答するのはもちろん、シャイマールこと宝穣 攸夜。イスに腰掛け、我が物顔で紅茶を嗜むその態度がアンゼロットの神経を一層逆撫でる。
「あ、アンゼロットさん、落ち着いてくださいっ」同席していたエリスが慌てたように青筋を額に立てる彼女をなだめ、頭の上に黒猫らしき何かを乗せたくれはが「そうそう、おいしーよー、このシュークリーム。アンゼロットも食べてみなよ〜」とややズレた感想を述べた。
なお、“災厄を撒き散らすもの”の一件からエリスらが成長していないように見えるのは、“こちら”と“あちら”の時間の流れが違うからである。
「そうだね、彼女らの言うとおりだ。あまり怒ってばかりだと、ますます小皺が増えるよ?」
絶妙のタイミングで攸夜がこれでもかと混ぜっ返した。
「ここここ、小皺っ!? 失敬なっ、そんなものありませんっ! わたくしは永遠のじゅうよんさいですわっ!!」
肩を怒らせて声高に主張する年齢不詳の銀髪美少女。その叫びに、天使が通り過ぎたように場がしんと静まり返る。
「は、はわ……と、ともかくさ、いったん座ったら?」
「そ、そうですわね」
促され、なぜだかちょっとよそよそしく席に着くアンゼロット。タイミングを見計らったかのように、エリスが「本日のお茶はセイロンティーです」と笑顔でフリップを出す。どうやら打ち合わせをしていたらしい。
形容しがたい表情を浮かべて、アンゼロットがこめかみを押さえた。
「──で、なぜあなたがここにいるのです? 嘘偽りなく、さっさとおっしゃいなさい」
「いや、ちょっと世間話を」
「そんなはずあるわけっ……えっ、本当に?」
こくこくと首肯するエリス。くれはが「わりとよく来てるよ〜」と補足した。
アンゼロットは天を仰いだ。
「わたくしが留守の間に、この宮殿はどうなってしまったのでしょう……」
「大袈裟だね。魔王と守護者代行が会議を持つ時代に何を言っているんだか」
「最近、エミュレイターの事件が多くってね。彼の情報で助かったこともあるんだよ」
くれはのフォローに、彼女の式神“こねこまた”が「みゅう〜」と鳴き声を上げた。
訝しげにアンゼロットが攸夜を睨め付ける。本人は、どこ吹く風と薫り高い紅の液体を楽しんでいるが。
こうしてたびたび現れては、世間話と称してルー以外の魔王が企む策動の情報や、未知の魔道具──その実体は、報償として贈られた次元世界のロストロギアだ──についての詳細を流している攸夜。余計な手出しをしなくても、ウィザードたちは自力で世界の危機を切り抜けるだろうが、タダ同然で恩を売れる機会を逃す彼ではない。
──実は、裏界からの攻勢が強くなったのは次元世界にて管理局が捕らえた犯罪者から、死なない程度に搾取した“プラーナ”で裏界が潤い始めたからで、自分がそもそもの原因である。
壮大なマッチポンプの真実を知るものは少ない。
「で、ですが、エミュレイターとの馴れ合いには感心しませんわっ」
「器が小さいねぇ、手と手を取り合うのはいいことじゃないか。人類皆兄弟、ってね」
「あなたは人類ではないでしょうっ!」
「ははは、ひどいな」
飄々と、苦笑混じりに肩をすくめる攸夜。“ヒト”として、確固たるアイデンティティを確立している彼にとって、罵倒に近い言葉も「ひどいな」程度にしか感じない。
他方、密かに眉をしかめたエリスが場を取り繕うように言葉を紡ぐ。
「まあまあ、アンゼロットさん。このシュークリームをみんなで分けて食べましょう、ね?」
テーブルの中心、山のようにドンと積まれたお菓子の山を示しつつ、エリスが言う。
「……実はわたくし、先ほどから気になっていました。くれはさんのおっしゃるとおり、確かにおいしそうですけれど……」
「攸夜くんの地元で有名なお店のなんだって。おいしいよ〜」
「……守護者代行、本名で呼ぶのはやめてほしいんだけど」
「ええ〜、かわいい名前じゃん。ならあたしのこと、“おねーさん”って呼んだらやめてあげる」
「全力で拒否するっ」
じゃれる外野を後目に、アンゼロットは恐る恐るシュークリームを手に取りかぶりつく。次の瞬間、「こ、これは……!」つぶらな目をカッと見開いてガツガツ、割と下品にむしゃぶりついた。どうやら相当ストレスを溜めこんでいたようだ。
その様子に、エリスとくれはは顔を見合わせて苦笑する。攸夜が“守護者”の餌付けに成功した、とほくそ笑んだかどうかは──定かではない。