蒼白い光を放つ魔力の塊が、ぼんやりと辺りの光景を映し出す。そこは薄暗い、ひどく古びた石造りの通路だった。
高さ四メートル、横幅三メートルほどのやや下り坂になっている通路には、開放感など微塵もなく。あるのは一抹の不安と多大な閉塞感──不透明で一寸先も見えない視界に似た暗い不安を孕む。
──ここは遺跡。
打ち捨てられ、忘れ去られた過去の残滓だ。
「……」
魔力の光源を頼りに、探検家風の格好をした青年が進んでいく。頑丈そうなブーツの靴底が石の床を打つ度に、コツ、コツ、と堅い音が通路に響き渡る。
時が経つうちに堆積したのだろう、床に降り積もった埃が巻き上がる。特徴的なボサボサの黒い頭髪の中から、薄黄色い体毛のフェレットがひょっこり顔を出した。
フェレットは、きょろきょろと興味深そうに周囲を見回している。青年──攸夜がしかめっ面で、数十本ほどの髪の毛を束ねて握る小動物に一言注意。
「おいユーノ、髪を引っ張るのはやめろ。禿げるだろ」
「あはは、ごめん。居心地がよくてつい」
慌てて手を離したフェレット──ユーノは取り繕うように笑いつつ、謝罪する。
攸夜は今までにも何度か、親友であるユーノの趣味と実益を兼ねたフィールドワークにつき合っていて、今回もここ、第118無人世界でつい最近発見されたばかりの遺跡──通称“銀の腕輪”の調査にやってきた。
友達付き合いという意味もあるだろうが、さりげに好奇心が強く、旅行や探検が好きな攸夜にとっては娯楽の一つなのかもしれない。
オトコノコは皆、冒険と浪漫を追い求める生き物なのである。
──ちなみに、フェイトは今日も今日とて執務官のお仕事だった。
「でもユウヤ、“禿げる”ってどういう意味?」
不思議そうにユーノが尋ねる。
「そのままの意味だよ。見ての通り俺の髪は癖が強いから、ちゃんと手入れしないとな」
「そうかなぁ、気にしすぎだと思うけど」
「ばっか、お前……! 禿げ上がったら悲惨だろうが、いろいろ」
やけに力の入った様子で力説する攸夜に、ユーノが若干引きつり気味で「そ、そうなんだ……」と曖昧に同意する。
ドキドキすると女の子になってしまう因果な体質の某先輩に、「なんかウチの爺ちゃんの若い頃に似てるな、お前の髪型」と言われて以来、そんな予兆など微塵もないにも関わらずかなり過敏になっている攸夜だった。
「それはそうとユウヤ、あまり気を抜かないでね。今、僕らがいるのは、スクライアの調査隊が何度も足を踏み入れては撃退されてるエリアなんだから」
気おとりなおしたユーノは、声のトーンを落とし、軽く言い咎める。今はフェレットの姿であるから余人にはわからないが、きっと彼は真剣な表情をしているのだろう。
──ユーノの古巣、ファミリーネームにもしている“スクライア一族”は、遺跡発掘を生業として次元世界を渡り歩くさすらいの一族だ。
その彼らが発見したこの“銀の腕輪”遺跡は、最新の器機を用いて行われた事前の調査の結果、地下に大きく延びる三層構造であることが判明している。
最上部、地表に出ている朽ち果てたモニュメント群と礼拝堂らしき跡地。
中層部、迷宮のように入り組んだ遺跡らしい、古びた石造りのエリア。
そして最深部、他の二層とはまったく違う材質で造られた、全容を見せない遺跡の中枢。
現在、攸夜たちが居る中層部は、各所に仕掛けられたトラップが未だ生きており、先んじて潜った調査団の侵入を幾度となく阻んでいた。
発掘のエキスパートであるスクライアの調査団もお手上げで、“無限書庫”司書長にして名の知れた考古学者であるユーノにお鉢が回ってきたわけなのだが、つまりそれだけこの遺跡の攻略が難物だということだ。
その辺りの事情を鑑みれば、ユーノの心配も無理からぬことだろう。
しかし、攸夜は彼の気持ちを知ってか知らずか、余裕綽々で鼻を鳴らして冗談めかす。
「安心したまえよ、ユーノ君。こう見えて俺はダンジョンアタックの達人! 君らとは年期が違うというところを見せてあげよう」
「なにバカなこと言ってるのさ、いつものことだけど」
当てつけのような物言いはどこか楽しげで。攸夜はぶすっとした顔で「一言多いんだよ」と呟き、足を踏み出す。
すると踏み出した足がガクンと“沈んだ”。
「え?」
「あ」
ガコン。
乾いた音が通路に鳴り響く。
足元を見れば、攸夜の左足が床の一部を踏み抜いている。──有り体に言えばスイッチを押していた。
──ゴゴゴゴゴゴ…………
ややあって、遠くの方から何やら腹の底に響くような重低音が、だんだんと大きく、大きくなって耳朶を打つ。それはそれは不吉な音だった。
「これ、は……」表情筋をひくひくと引きつらせる攸夜。
「やばい、かも」ユーノが乾いた声で、言葉を引き継ぐ。
背後から、ぬうっと通路を埋め尽くすほど巨大な鉄球がゴロゴロ、ゴロゴロと二人に向かって転がってくる。
「なんて古典っ、気分はジョーンズ博士だなっ!」
「冗談言ってる場合っ!?」
ユーノのツッコミと同時に攸夜は踵を返し、その健脚を持って鉄球から一目散に逃げ去る。まるで見事な三十六計だった。
その後も、ちょっと歩けば落とし穴、壁に手を突けば槍が出て。石弓、毒針、火砲に地雷、水責めのオマケ付き。行き止まりに迷い込むことなどざらで、入った部屋が吊り天井で押しつぶされそうになったのは一度や二度ではない。
あたかも狙いすましたかのようにトラップへ引っかかっていく親友の、無意味に漢らしい有様に、ちゃっかり自分だけはガードしていたユーノは「どこがダンジョンアタックの達人なのさ……」と虚しい感想をこぼした。
罠に嵌り続けてボロボロの攸夜は、デモニックブルーム──フェイトに刀身を断ち斬られたものとは別に、新しく買い直した──を杖に代わりにして、大きく開けた広場に辿り着いた。
不思議な淡い光が降り注ぐそこはまるで憩いの場所のようだ。
ドシャッ、と盛大に倒れ伏した攸夜の頭の上からフェレットがぴょんと飛び降りて、てててっと少しばかり離れていく。
翠緑の魔力光が溢れ、光の中から現れるのは紅顔の美少年。変身魔法を解いたユーノは、呆れたような表情で攸夜を見下ろした。
「ユウヤ、遊んでないでお昼にしない? ちょうどいい頃合いだし」
決して力尽きた親友にかけるようなセリフではない。
が、その親友は、腕の力だけで身体を起こして立ち上がると「だな。俺も運動して腹減ったよ」と何事もなかったかのようにうそぶいた。
はぁ、とユーノが諦観して嘆息してもしかないだろう。彼の親友は世にもはばかる破天荒である。
「……相変わらず、理不尽なまでにタフだね」
「そんなに誉めるなよ、照れるじゃないか」
「誉めてないってば」
大理石に似た材質の床にレジャーシートを敷き、休憩と腹ごなし。食料は当然の例によって例のごとく、攸夜の手作りである。
美味しそうに食事するユーノに目を細めた攸夜は、ふとあることを思い出す。それは人づてに聞いたユーノに関する噂。
割と気になっていたので真偽を本人に尋ねてみることにした。
「なあユーノ……、なのはと喧嘩したって本当か?」
「う、うん……」
サンドイッチをはんでいたユーノが、食べる手を止めて俯き加減で首肯する。
「理由は?」
「他の女の子とメールしてたのを見つかって──」
「なん……だと……!? ユーノ君に二股をする甲斐性があったなんて、お兄さんびっくりだ〜」
「ち、違うってば! ただの文通相手だよっ。大体、別になのはとつき合ってるわけじゃないんだから」
慌てて訂正するユーノ。余計な照れ隠しに眉をしかめた攸夜には気付かず、子細の説明を始めた。
「ユウヤも知ってると思うけど、前に女の子を庇って入院したことがあるじゃない? その子に懐かれちゃってね。退院した後もちょくちょくメールのやりとりをしてたんだ」
古傷がずきりと疼いたが、攸夜は何食わぬ顔で親友の話に耳を傾ける。彼の面の皮は分厚い。
「“ユーノさんみたいに誰かを助けられるヒトになりたいんです”って、管理局入りを希望してるらしいんだよね。何かちょっとズレてるような気もするけど」
「ほう、なるほどね。リンカーコア持ちなのか、その娘は」
「いや、そうでもないみたい。ほら今、魔導師以外の武装隊員をリクルートしてるでしょ? それに応募するつもりだって本人から聞いたよ。
──で、いろいろと相談を受けてたんだけど、そのことを知ったなのはに何だかものすごい剣幕で問い詰められたんだ。僕も頭にきちゃって、後は売り言葉に買い言葉……ってわけだよ」
詰問された理由がわからず、しきりに首を傾げるユーノ。そりゃどう見ても嫉妬だろう……、と攸夜は友人の鈍さに呆れ果てた。
時空管理局では兼ねてから、リンカーコアのない人間に“箒”など各種装備を持たせて戦力化する計画を推進していた。無論、裏で糸を引いているのは攸夜である。
ガンナーズブルーム──オリジナルとは違い、魔力炉から魔力を取り出して砲撃する──と専用の防具を装備した非魔導師は、一般的なAランク程度の魔導師を単独で制圧することも不可能ではない。
とはいえ、その領域に到達するには相応の訓練時間とコストがかかる上、同等の装備で身を固めた魔導師には歯が立たないので、現状、魔導師の優位は揺るいでいない──というか、管理局は慢性的な人員不足に悩まされているため、そんなことを気にする暇がないというのが実情だ。
「事情は理解した。俺から言えることはただ一つ、さっさとなのはに頭下げとけ。僕が悪かった、ってな」
「ええっ!? 僕が悪いわけじゃないし……」
ユーノが不服そうに口を尖らせる。優男に見えて、意外と亭主関白傾向なのかも知れない。
他方、攸夜は親友の日和見な反応にやれやれと肩をすくめた。
「いいかユーノ。男ってのはな、自分にまったく否がなくても、やましくなくても折れなきゃならない時もあるんだよ。それが男女関係を長続きさせるコツだ」
知った風な口で諭すものの、ユーノは納得できないと不満そうな顔を崩さない。
ったく、このボンクラは──口の中だけで呟き、攸夜は目の前の朴念仁にトドメを刺すべく、頭の中で会話を組み立てる。
「なのはがいろいろバイトしてるのは知ってるよな?」
「もちろん。でもそれと今の話と何の関係が──」
「いいから聞けって。アイツは知っての通り、文句なしに飛びっきりの美人だ、俺のフェイトほどじゃないけどな。そんな娘を、世の男共が黙って放っておくと思うかよ」
「ッッ!!」
挑戦的な言葉の意味するところを理解して、ユーノが目に見えて取り乱す。打てば響くようなリアクションに加虐心を煽られて、攸夜は畳み掛ける。
「男は新規、女は上書きって言うしな。バイト先で知り合ったイケメンになびくってこともなきにしもあらずだ。で、“ねえ……ユーノくん。おとなになるってかなしいことなの……”となると。──ま、俺なら間男なんぞあらゆる意味で抹殺、だがな」
「どどど、どうしようユウヤっ!?」
物騒な最後の部分をスルーして、思い切り狼狽えるユーノの姿に、攸夜がわずかに苦笑する。やりすぎたかと反省したかどうかは定かではない。
「そんな目に遭う前にしっかり捕まえとけってこと。ただでさえ遠距離なんだからさ。……なのはのこと、好きなんだろ?」
「……たぶん」
「たぶんってのは気に食わないが……、なら話は早い、簡単だ。意地だのなんだの下らないことは捨てて、素直になれよ」
軽薄な装いから一転、真剣な色が蒼海の瞳に浮かぶ。そこにあるのは、深淵のように深い後悔と焦燥と挫折の記憶だった。
「いつまでも、“今”が続くと思うなよ、ユーノ。──惨めだぜ、好きな娘を遠くから眺めてなきゃいけない男はさ。……情けなくて自分を殺したくなるんだ」
「──実感、こもってるね」
まあな、と自嘲気味に口元を歪め、攸夜はごまかすように三十センチ級の巨大なおむすびを豪快にかぶりついた。