屋上には、私と彼だけ。
あんなに強かった風も、いまは不思議と止まっていた。
「……悩みってほどでもないんだけどな」ユーヤは言いながら、ばつが悪そうにボサボサの髪をかき乱す。いつもの癖だ。
「不安になるんだ、こんな寒い夜は特に。──フェイトのこととか、俺自身のこととか、いろいろ考えて……上手く言葉には出来ないけどさ、蹲まって膝を抱えたくなる」
私も不安になる。朝、目が覚めたとき、ひとりぼっちがこわくて、もうあなたに会えないんじゃないか、って。
「フェイト、覚えてるか。六年前、クリスマスのこと」
「……うん、覚えてる。忘れられるわけ、ないよ」
「──きっとあの時、俺は壊れてしまったんだと思う。自分の存在を否定されて、何一つ確かなものがないことを突きつけられて。傲慢だけど、君の気持ちが本当の意味でわかったよ」
私は──、私たちは、ココロが欠けているのかもしれない。欠けた部品を補うように、お互いの温もりを頼りにしてどうにか立っていられる。
鏡に映った姿みたいにそっくりで、どうしようもないほどよく似てて。出逢い方が違ったら、徹底的に憎み合ってた──そんなバカな想像までしてしまう。
「俺はあの時、“世界”に負けた。世の中とか、社会とか……そういう類のモノに。あれほど自分の無力さを痛感したことはないよ」
心情を吐露するユーヤの横顔は普段どおり。だけど、私には苦渋が滲んで見えた。
「碌でもないしがらみに負けないためには、暴力とかじゃない、もっと別な“力”が──権力や組織力が必要だったんだ。綺麗事を真実にしてしまえるくらいの」
……それは、わかる。
派閥や利権、縄張り争いで捜査を邪魔されたことなんて一度や二度じゃない。理不尽な仕打ちに涙したことだってある。
正しいことと、悪いこと──白か黒かで割り切れるほど、世の中は簡単にはできていなかった。
「前に約束したよな? この“世界”で何をしようとしてるのか、ちゃんと話すって」
「……うん」
「俺はね、フェイト。“世界”中を笑顔で溢れさせたいんだ。誰もが安心して暮らせるような、やさしくて暖かい場所を──みんなが笑顔で居られるような世界が創れたら……そう思ってる」
決然とした、だけどどこか無防備な眼差し──深い蒼の光に魅入られて、言葉が出ない。
壮大なことのはずなのに、語る口調は穏やかで……。
「それは、ユーヤの夢?」
ふと浮かんだ疑問を口にする。ユーヤはきょとんとして、考え込むように「夢、ゆめ、ユメ……」と繰り返した。
「確かに、夢かもしれない。青臭いガキの夢想だよ」
顔を上げたユーヤがくつくつ喉を鳴らす。言葉とは裏腹に、どこか楽しそう。
──私は、ありのまま気持ちを乗せて、笑顔をまっすぐ大好きなひとへと贈った。
「ステキな……、とってもステキな夢だと思うよ」
心から、思う。
荒唐無稽な理想だけど、きっと彼はそれを成し遂げてしまう。やると決めたら折れず、屈せず、諦めないで必ずやり遂げる……あなたはそういうひとだから。
「──ありがとう」
「あ……」
ちょっと強引に抱き寄せられた私の身体は、ユーヤの腕の中にすっぽり収まってしまう。
肌で感じる温もりと鼓動が心地いい。
「……それなら──」
少しだけ身体を離して、ユーヤの顔を見上げる。
「私が、あなたの作った笑顔を守るよ。ずっと、ずっと守るから」
「……!」
蒼い眼がびっくりしたみたいに見開た。口を閉じたり開いたり……言葉が出ないの、かな?
それがちょっとかわいくて。頼もしい胸板にぎゅって抱きつく。
溢れる愛情に、胸の奥が熱くなる。こみ上げてくる愛しさを感じて、まぶたを閉じた。
いつも依存して、尽くしてもらってばかりだけど、ほんとは支えてあげられるくらい強くなりたい。強くありたい。
励み励ましあって、二人三脚でがんばって……たまに想いを確かめ合って。そんな関係が私の理想だから。
──管理局と関わるようになった私が最初にしたのは、“母さん”──プレシア・テスタロッサについて調べることだった。
出来うる範囲で管理局やミッドチルダ政府のデータベースを漁ったり、生前を知る人に聞き込みして回ったり。そうやって知り得た情報は断片的だったけど、そこから汲み取れることもある。
中でも一番目を引かれたのは、私の……ううん、アリシアのお父さんについてのこと。
その人は“母さん”の幼なじみで、ごく普通の企業に勤める、凡庸な人だったみたいだ。リンカーコアもなかったらしい。
5年に渡る大恋愛の末に結婚した二人は、とても幸せな家庭を築いていたのだという。……その幸せも、偶然乗り合わせた次元航行艦の事故で彼が帰らぬ人となり、終わりを迎えた。アリシアが生まれて間もない頃だった。
──……きっと“母さん”は、ひどく嘆き悲しんだはずだ。そして、ただひとりの一人娘を、夫の忘れ形見を誰よりも大切にしようと誓ったのだと思う。
けれど、その娘、アリシアも──
……なにも、知らなかった。
母さんなんて呼んでたけど、結局私は、あのひとのことをなにひとつ理解していなかったんだ。
どんなことを思って、どんなふうに生きたのか。そして、どんな想いを賭けて禁忌に手を染めたのか──……あの頃の私が、それを知っていたら“愛してる”の言葉が届いたのだろうか。
──もう、わかりあえることはできないけど。
でも、いまなら……、
一生を懸けて愛するひとを見つけた、いまなら──全てを失って心を病んだ“母さん”の気持ちが理解できるような気がした。
「神さまに、感謝しなくっちゃ。あなたと出逢えたこと。……私ね、幸せだよ。ユーヤがそばにいてくれるから」
「俺も幸せだ。君に、こんなにも想われているんだから──愛してるよ、フェイト」
「ん……」
どちらからともなく、ついばむように、何度もキスをして。私は床にゆっくり押し倒された。
覆い被さるようにされても、いつかのみたいにこわい感じはしない。
──すこしの間、見つめあう。
蒼い瞳が揺れて、ためらいというか迷いが映るけど、にこりとしたら引っ込んだ。
だめ押しにこくり、うなづく。肯定の意味。……この状況がどういうことか、わからないほど子どもじゃないよ?
観念したように微苦笑したユーヤが、しゅる、とネクタイを解いく。
熱を帯びた私の頬に彼の手が触れる。
「……場所、変えようか?」
「ううん、ここでいい」
はじめてが外なんて、はしたないとは思うけど。ここで──思い出深いこの場所で、ひとつになりたい。
「私を、オトナにして?」
いたずらっこな笑みが見える。顔が、体中が熱い。どきどき、止まらないよ……。
──ああでも。やっと……いっしょになれるんだね。
「ああ。優しく、手厚く蹂躙してやる。……覚悟しろ、激しいぞ?」
「あんっ」
ふと見上げた夜空は、どこまでも澄んでいる。私の心に、金色の月と満天の星空が焼きついた。
────このあとのことは、正直よく覚えてない。
はじめはとろけるように甘い深愛を。そして次には、嵐のように寄せてくる激情に翻弄されて。
気がついたら客間のベッドで添い寝をしてたから。……わりと口にできない有様で。
けれど、とっても幸せなクリスマスの贈り物をもらったのはたしかだ。……“あげた”、ともいうのかな?
□■□■□■
「とまあ、こんな感じで……」
赤面気味のフェイトは思い出語りを締めくくり、カップに口を付けて喉を潤した。頬が紅潮しているのは、話しているうちに行為のことを思い出して照れてしまったからだろう。
黙ってニトログリセリン級のノロケ話を聞いていたはやてがイスを蹴倒し立ち上がり、雄叫びをあげた。
「だぁぁあああっ!! 肝心なところがないやんか! 生殺しなんて納得いかへん!!」
「どうどう、はやてちゃん。気持ちはわかるけど、目が血走ってるよ。クールになろ、クールに」
テーブルに身を乗り出した親友を諫めるなのは。最近ツッコミ役に回ることの多い彼女である。
いくらか正気に戻ったはやては、起こしたイスに座り直して気まずそうに咳払いをした。
「私らが寝こけてる間にそんなことがあったとはなぁ」
「あとから母さんと義姉さんにバレて、祝福されちゃったよ。……ユーヤはなんか正座してたけど」
「ほぇ〜、告白されたところで、クリスマスイブの夜に結ばれるなんて、すっごくロマンチックだよ〜。いいなぁ、憧れちゃうなぁ……」
紅潮した頬を両手で押さえて、なのはがもじもじしている。どうも乙女回路がいいカンジにスパークしているようだ。
近頃、ますます思春期なサイドポニーの友人を一瞥し、肩を竦めたはやてはフェイトに向き直った。
「しかしまぁ、初っぱなからアオカンとは恐れ入ったわ。──攸夜君のことや、アッチのほうもさぞや達者だったんやろなぁ?」
「うん……すごく、すごかった」
真っ赤なりつつ零れた屈託のない笑顔に、はやてが思わず目を逸らす。腹黒こだぬきにはまぶしすぎて直視できない。
なお、なのはの精神は未だにお留守である。
「あっ」
「ん? どーしたんや、フェイトちゃん」
「あれ……」フェイトが指先の示す方向をはやての視線が追う。車道を挟んだ向かい側、赤信号で停車中のオンロードタイプ大型二輪に跨る背の高い男性が居た。
男性の服装は、青いパーカーに黒革のライダースジャケット以下略。シアンブルーのフルフェイスヘルメットで顔はわからない。
「はやて、どう思う?」
「どう思うかて。フェイトちゃんレーダーが反応したんやから攸夜君、なんかなぁ?」
「だよねっ、だよねっ?」
ぱああっと満面の笑顔を咲かせたフェイトがブンブンと手を振る。バイクを駆る伊達男──攸夜は、それに気が付くとバイザーを開き、左手を鷹揚に振り返した。
鮮やかなメタリックブルーに塗装された車体が美しい、鋼の騎馬の名は“オラシオン”──最新型のバイク型“箒”だ。
スクーター風のスポーティーな外装は、見るものが見れば地球のオートバイ「ホンダDN-01」に酷似していることに気が付くだろう。
「……」
フェイトから目に見えて落ち着きがなくなり、親友たちの顔色をチラチラ窺いはじめる。
無事帰還したなのはが親友の考えを察して「フェイトちゃん、私たちはいいから攸夜くんのところに行ってきたら?」と苦笑混じりに促した。
「いいよね、はやてちゃん?」
「えぇよ。なんならそのままツーリングと洒落込んだらどうや」
「ぁ……ありがとうっ」
二人から出たお許しに最大級の笑顔で感謝を示して。
フェイトはそそくさと席を立つと、あっと言う間に対岸に渡ってしまう。“閃光”の二つ名に違わない素早さだ。
途中、横断歩道の信号に捕まっていた間など、気が逸ってイライラしているのが傍目からわかるほど。なのはが「フェイトちゃん、かわいい」ともらすのも無理はない。
すでに念話で話をつけていたのだろう、道端に愛車を止めていた攸夜が息を切らせてやって来た恋人を出迎えた。
「うわ、マジで行ってまう気や。てか、ここの代金置いてかんかいっ」
ぶつくさ文句を垂れるはやてを余所に、フェイトは渡されたゴーグル付きのヘルメットを装着、後部シートにタンデムする。
攸夜の腹にしかと腕を回して二人乗りしたフェイトの姿は、遠目からでも絵になっていた。
轟音を立てて走り去るバイクを眺める二人。どこか冷たい目のはやてと、うっとりとしたなのはの様子は対照的だった。
「女の友情は儚いなぁ」
「……私もカレシ、ほしいなぁ……」
うっとりとする親友に、ギロリとはやてが幾ばくか鋭い視線を向けた。
「なのはちゃん、私に喧嘩売っとるん?」
「へ? なんで?」
「……もぉええわ。その乳もげてまえ」
はてな、と首を傾げた脳みそお花畑娘に悪態を飛ばして、子たぬきはカップに残った紅茶をグイッとあおる。砂糖控えめの紅い液体はちょっぴり苦かった。
「もげっ、もげろってなんなのーっ!?」