本局ステーションに停泊中のアースラ。その艦長室。
私の目の前、大きなデスクを挟んで革張りの高級そうなイスに深く腰掛けているのは、この部屋の主──クロノ・ハラオウン。私の義理の兄さんで、直属の上司。
……昔と比べて、ちゃんと年上に見えるようになったな、と私が密かに思っているのはここだけのヒミツだ。
「兄さん、話ってなに?」
「まずはこれを見てくれ」
兄さんが差し出したのは一冊のファイル。厚さはだいたい30センチくらいの、資料とかをまとめたりするやつだ。
“特秘”とだけ題されたそれを手にとり、何気なく開いてみる。
そこには────
「ッ……!」
なにかに食いちぎられたような惨殺死体の写真と、検視についての報告文。路地一面に広がった血液とか、バラバラに散らばった“ナカミ”の写った写真の惨さたらしさに、一瞬吐き気を覚えてしまった。
執務官をやっていれば、人殺しの現場に出くわすことだってある。管理世界・管理外世界を問わず、魔法やロストロギアを悪用する人はあとを絶たないし、それを取り締まるのが管理局の仕事だから。
当然、その中には快楽殺人を犯すような重犯罪者なども含まれる。実際、私も何人か逮捕したことがある。
──管理局の花形として華やかに思われがちな執務官という役職だけど、実際はすごくハードな仕事……というか、世間の“キタナイ”面を見ることが多い。
もちろん、ロストロギアの探索だとかの“キレイ”な仕事だけをやり続けることもできるのだろう。でも、私はそれを良しとはしなかった。
私は、“無様でも足掻き続けなきゃいけない”んだから、そんな弱気なことできっこない。
昔、初めてヒトの遺体を見たときは盛大に戻しちゃって、母さんたちに心配されたものだ。「無理はしなくていいのよ」とか「やっぱり他の事件を回そうか」とか。私は、それじゃ管理局にいる意味がなって主張して、変にえり好みせずいろいろな案件を担当させてもらっている。
閑話休題。私の情けない過去はとりあえず置いといて、そんなわけで私はこういったものに慣れてるつもりだった。
────でも、これは、ちょっと……
「この資料って、いったいなんなの?」
問いかけると、兄さんは渋顔を作る。
「半年ほど前から次元世界全域に渡って頻発している、無差別連続殺傷事件──その捜査資料の一部だ」
「……そっか。それで最近、本局とか地上本部が騒がしいんだね。私に見せたってことはこの事件、アースラで担当するんだ?」
「いや、そうじゃない。ただ、この件に以前、フェイトが遭遇したと言っていた、濃紺色のバリアジャケットの男が関わっている可能性が出てきたんだ」
その言葉に、どきりと心臓が高鳴る。ここ数日、頭の片隅でずっと考え続けていた、どうしても気になってしかたがない、名前も知らない蒼い男の子。
あの大火災のあと、“彼”と“ヒトガタ”のことは報告書にまとめて提出していた。黙っているわけにもいかないし、二重の意味でなにかわかるかもしれないと思ったからだ。
幸い、バルディッシュに交戦の記録が残っていたのでよかったけど、普通だったら“あんなもの”信じられるわけがないと思う。
「現場で何度かその男の姿が目撃されていてね。それから、局員とも交戦したらしい。かなりの使い手だって話だ。もっとも、どこの誰かはまだわかっていないが」
「…………」
私は、不意に出た“彼”の話題に起きた内心の動揺を押し隠して、手元の資料に視線を落とす。
「えっと、場所は──第22管理世界。ここ、治安、かなりいいところだよね。こういう事件って起きなさそうなところなのに」
「そうだな。そこ以外にもいくつかの管理世界、管理外世界で似たような事例が報告されてる。……上の方も本腰を入れて捜査するつもりらしいな」
ようやくだが、と不満そうな表情で皮肉混じりに言葉を切る。
兄さんは、常々管理局の動きの重さに不満を感じているらしい。たまの家族団欒の時間にまでグチグチ言い出して、母さんにすごい笑顔で叱られてたな。
「……フェイト、そんなにまじまじと見るくらいなるならその資料、持って行ってもいいぞ」
報告文を読んでいると、兄さんが呆れたような言葉をもらした。
私、そんなにまじまじと見てたのだろうか?
「いいの?」
「どうせそのつもりで用意したコピーだからな。ああ、でも、あまり人には見せないように」
「うん、わかってる。内容が内容だしね」
特になのはには見せられないかな。……なのは、こういうスプラッターなのって見慣れてないだろうし。
そういえば、今日はなのは、お休みだって言ってたっけ。いくつか残ってた書類を仕上げたかったったから、お誘いは断ったんだけど。
『クロノくん、フェイトちゃん!』
突然、アースラのメインオペレーター──エイミィのあわてたような声が艦長室に響いた。
このパターン、なんだかすごくいやな感じだ。
『なのはちゃんとユーノ君が大変なのっ! 急いでブリッジに上がって来て!』
ああやっぱり……。
そう、どこか冷静な私がつぶやいた。
第三話 「紅い月が嘲う」
クラナガン。
管理局傘下の市内最大級の規模を誇る総合病院。
報告を聞いて、本局から飛んできた私は、手術中のランプが点灯したICU──集中治療室──の前のベンチで、力なくうなだれる無二の親友の姿に、言葉を失った。
「な、なのは……?」
近づいて、おそるおそる声をかける。
「フェイトちゃん……」
ゆっくりと顔を上げたなのはの面もちに、さらに絶句。
黒目がちなアメジストの瞳を真っ赤に泣きはらして、濁ったように焦点が合ってない。
いつものひまわりのような笑顔はどこにもなかった。
「ユーノくんが……、ユーノくんが……」
経緯は大まかだけどここに来る途中で聞いてるから、なにも言わない。なにも聞かない。
「わたし、私が──」
「──なのは」
「違う、違うの。そんなつもりじゃなくて……私は、ただ、負けたくなくてっ! だけど……だけどっ!!」
震える肩を抱きしめ、なのはは誰に言うわけでもなくつぶやいて。
うつむき加減で垂れ下がった前髪が、光のない濁った瞳を隠していた。
「なのはっ!」
錯乱して、放っておいたらどうにかなってしまいそうななのはを強く抱きしめる。
「う……っ、ううっ、ぁ、あああぁぁぁ……っ!」
腕の中で、声を張り上げ、子供みたいに泣きじゃくるなのはに、私はただ無言で、胸を貸してあげることしかできなかった。
□■□■□■
ちょうど本局に用事があって来てたというはやてと合流。廊下のベンチに並んで座る。……なのははひどく錯乱してたから、鎮静剤を打ってもらって、今はすぐそばの空き病室で眠ってる。
「……なのはさんも、ユーノさんも、心配です」
「せやね……」
膝の上で不安そうに見上げているエルフィの髪を、はやては優しく撫でる。その表情は、どんよりと曇ってた。きっと、私もはやてと同じような顔をしているに違いない。
「ユーノの容体、どうなの?」
「意識不明の重体やて。シャマルと主治医さんの見立てやと、今夜あたりが峠やそうや」
手術は少し前に終わってるけど、まだ面会謝絶で予断を許さない。はやての護衛で付き添っていたシャマルは、ユーノの治療に当たっている。
「はあ……。これで私ら、三人揃って仲良く札付きやな」
「はやて、不謹慎だよ。冗談でもそんなこと言わないで」
「ごめん。あんななのはちゃん見とったら、なんや調子狂ってしもて」
「それは、そうだね……」
あんな壊れてしまいそうななのはの姿を見たのは初めてだ。三年前、大けがしたときだってこれほどひどくはなかった。
ふと、思う──“あの人”の事件のときの私も、そうだったのかな。
「なのは、どうなるんだろう。処分、ただじゃすまないよね」
「まあ、変に甘いとこのある管理局やし、正当防衛の上での事故ってことでお茶濁して、降格と謹慎──悪ければ、教導隊からの不名誉除隊もありえるやろな」
はやてがため息混じりに考察を披露する。
たしかに、実際の戦闘の様子は見てない──レイジングハートは検分のために回収されてる──から詳しいことはわからない。だけど、“あの”なのはが殺傷設定を使わされるまで追い込まれたっていうのは、情状酌量の材料になるだろう。
でも、それって……
「ちょっと、軽すぎない?」
思ったことを素直に口に出すと、はやてがぽかんとした顔で私を見返した。
「なに?」
「いや、フェイトちゃんの口からそんなセリフが出るとは思わへんかったから。フェイトちゃんて、なのはちゃんのこと、全肯定してるんやないん?」
それはすごく心外だ。はやては私のこと、なんだと思ってるんだろう。
親友だからこそ、いさめなきゃいけないことだってある。なのはが大けがしたとき、自分のことにいっぱいいっぱいで気づけなかったのは苦い記憶だ。
「……私だってこんなこと言いたくないよ。だけど、罪には罰──それって、私たちが一番よく知ってることじゃない?」
それに、ときには間違いだと面と向かって言ってあげるのもやさしさだと思うから。
大好きな人に嫌われるのはいやだけど、大好きな人が間違うのはもっといやだから。
「たしかに。まったくもって否定できひんわ」
同意して、はやてが自嘲気味に笑った。
私は知ってる。はやてが今も“闇の書”の被害者の人たちのところへ、頭を下げて回っているってことを。はやてはむしろ被害者側なのに、「家族のやったことやから。私が責任とらなあかんねん」と気にした素振りも見せない。
昔からだけど、はやては強い。芯がしっかりしているというか、したたかというか。はやてのそういうところ、見習いたいなと思う。
──私は、どうなのだろう。
“あの人”の遺した技術──人造魔導師、クローンの違法製造については気にかけているけど、不思議とそれほど強いこだわりも感じない。
────というか、目の前のことにいっぱいいっぱいで、そんな余裕、今の私にはないっていうのがほんとのところだ。
ああ、そうだ。前に研究施設で保護した“あの子”は元気にしてるだろうか。最近は忙しくて顔を出していないから、ちょっと心配。
余裕ができたら行ってみようかな──って、それがないんだった。
「はあ……」
「ため息つくと幸せが逃げるで、フェイトちゃん」
なのはのこと。
なのはの戦った誰かのこと。
兄さんの話していた事件のこと。
──そして、“彼”のこと。
わからないことだらけで、濃い霧が立ちこめたように見えない“真実”に、私は思わずため息をもらした。