蒼穹と真紅──まるで対極的でお似合いな若いカップルは、古狸や化け狐を始めとした魑魅魍魎の中でもよく目立つ。それが人智を越えて理不尽な存在“魔王”と、そのウィークポイントとされるただ一人の少女なら、注目を集めてしまうのは世の必然だった。
管理世界連盟安全保障理事会、常任理事世界の防衛大臣と攸夜が“仕事”──ネットワークセキュリティーに関しての密談を交わしている。
その傍ら、ドレスのお嬢さんは引きつった笑顔まま凍り付いていた。
(あううぅ〜、さっきの人は聖王教会の司教さまで、今度もニュースで見たことある人で──あああ、みんなこっち見てるよ〜〜っ!?)
頭の中はパンク寸前。ただいま元気にテンパり中だった。
──現在フェイトは、用談でお偉方と顔合わせしなければならない攸夜について、接待の真似事をしていた。
初めは百戦錬磨の政客と渡り合う攸夜の仕事っぷりを新鮮な驚きとともに萌えていたフェイトも、腹芸を交えた小難しい話にちょっぴりウンザリフォーム。事前に「黙って愛想笑いを振りまいてればいいよ」と言い含められていたものの、ニュースや新聞で日ごろ目にする人物に緊張し、気疲れしてしまうのも無理はない。
まあ、こういった堅苦しい場での経験が乏しい──リンディとクロノが意図的に遠ざけ、庇護していたためだ──箱入り娘の彼女にしては、むしろよくやっていると褒めてあげるべきだろう。ヒクヒクと頬を引きつらせても、笑顔は絶やしていないのだから。
ちなみに、クロノたちとはずいぶん前に別れていた。
迂闊にも、フェイトを冗談混じりとは言え口説こうとしたヴェロッサが、義兄弟タッグの逆鱗に触れたのは余談である。
ひどく愉快そうな笑顔で憤怒する魔王のプレッシャーを味わった色男は、十年は寿命が縮んだと語ったとか。「俺の女を口説こうなんて、いい度胸じゃないか、色男。──コンクリに積めて湾に沈めるぞ?」とは攸夜の言葉だ。
女の子同士のじゃれ合いでさえ嫌がる焼き餅焼きな攸夜と、お兄ちゃん道免許皆伝のクロノを相手に命があるだけまだマシといえよう。
さておき。用談もあらかた終った二人はホールの隅っこで料理に舌鼓を打っていた。
「……フェイト、もう少しゆっくり食べたらどうだ?」
「はっへ……こほおいほほへんぷはおいひいんはほん」
「何? “だって……このお芋の天ぷらおいしいんだもん”? ──芋類好きだものな、フェイトって」
訂正。フェイトは貪っていた。
ビュッフェ形式で用意された料理の数々を──食べられない量ではない。念のため──、パクパクもぐもぐお口に運ぶ。
ストレス解消なのかもしれないが、正直かなりはしたない。攸夜は「きっと後で、風呂上がりの体重計にヘコむんだろうなあ……」とあくどい顔で微笑ましく思った。
「うーはほいっほひはべほ?」
「“ユーヤもいっしょに食べよ?”──まあ、食べるけど。こういう料理を食べる機会ってあんまりないしさ」
“何事もプロフェッショナルの仕事が一番”が持論の攸夜なので、こういった集まりで提供される料理を期待していたりする。どこぞの“志宝エリス”よろしく、さりげに食道楽だった。
TPOに合わせ、優雅な箸使いでサーモンの寿司をつまむ攸夜と、見ているだけで胸やけしそうな量の食物を消費していくフェイト。そんな独特の空気漂うテーブルに、ブラウンの礼服を身に着けた威厳漂う初老の男性が、秘書らしき長髪の女性と跳ねっ毛の女性を引き連れて近付く。
長髪の方はどこか鋭利で感情に乏しく、跳ねっ毛の方は目つきが悪くて眼鏡をかけている。どちらも金髪紅眼の少女を見ると金色の瞳を瞠目した。
「楽しんでいるようだな、宝穣 攸夜」
「これは中将閣下、ご無沙汰してます。さすがは地上本部の祝賀会ですね、僭越ながら満喫させていただいていますよ」
「相変わらず、ペラペラと口の回る男だ」
男性──レジアス・ゲイズの姿を見てとり、攸夜はすぐさま席を立って挨拶と社交辞令とを紡ぎ出す。仮痴不癲、道化の擬態には慣れたものだ。
他方、ハムスターのようにほっぺを膨らませていたフェイトは、とても偉い人の来襲に驚いて言葉にならない叫びを発する。そして、頬ばった食べ物を飲み下そうとするが──
「フェイト、そんなに慌てると喉に詰まらせるぞ」
「んぐっ!? ──ーっっ!」
「ああ、言わんこっちゃない。ほら、こっちにおいで」
「──っっっ、っっ!!」
涙目で苦しそうに咽せる少女の背中を、攸夜が苦笑混じりにさする。水を飲ませ、口元の食べかすまで拭ってやる献身──というか過保護ぶりに、レジアスは娘がほんの小さかった頃のことを思い出した。
(オーリスにも可愛らしい頃があったな。オムツを代えたり、風呂に入れたり……)
案外、子煩悩だったらしい。
その娘の耳に入ったら、しこたまシバかれること間違いなしである。
「し、失礼しましたっ」死地から帰還し、しゃちこばって敬礼しようとする少女をレジアスの手が制す。「今は祝いの席だ、楽にしていい」と告げられても、フェイトは恐縮しきり。
なぜか満足そうにうんうん肯いていた攸夜が、微妙な表情をしていた秘書二人組へと視線を向ける。蒼い眼光に射抜かれ、眼鏡の方が肩を震わせた。
「お前たち、ちゃんと真面目に働いてるみたいじゃないか。お兄さんは感心してしまったよ──なあ、四番?」
当てこすりの言葉と無邪気すぎる笑み。“あおいあくま”がひさびさに光臨した……! とフェイトさんが他人事ながら震え上がる。
「はひっ! わわわ、ワタクシのような最低下劣でゴミクズでウジ虫以下な社会不適合者が息を吸えるのもみんな全て貴方様のお陰でございますですはいっ!」
冷や汗を額に浮かべ、目をグルグルさせて激しく動揺する眼鏡の秘書(仮)が、異常に遜ったセリフを一息で言い切った。おどおどビクビク、明らかに怯え竦んでいる彼女を庇って、もう一方が前に出る。
「妹を虐めるのは止めていただけませんか」
「虐めてるつもりはないんだがなー。お前らが真人間になったことを心から感心してるんだぜ、俺は」
「……我々が働かなければ、ドクターは明日の食にも困りますので」
「毎月仕送りしてるんだっけ? 五番から聞いたよ。親思いで泣かせるねえ、浪花節って奴だ」
「そう仰るのでしたら資金援助を早急に増やしてください。困窮してるんです、割と真剣に」
「支流のプロジェクトには余るくらいの予算をつけてるはずだが。どうせあのマッドが趣味に使い込んだんだろ」
「うっ」
「図星か」
仲良し──には見えないが、自分の知らない恋人の知人……それも妙齢の女性の出現に、フェイトの眉尻が自然とつり上がる。「だれ?」と冷たい声の問いが飛ぶと、「ん? 戦闘機人だよ」と世間話をするようなトーンの答えが返った。
「は……? えっ、せ、戦闘機人!?」
「そ、スカリエッティ印の戦闘機人。今は社会奉仕として、中将閣下の護衛と秘書をやってる二番と四番だ」
「ドゥーエです」
「く、クアットロと申します」
おざなりな紹介を自ら修正する彼女らは、“ナンバーズ”とも呼ばれる“戦闘機人”──いわゆるサイボーグである。
元々は管理局の人手不足を解消するべく最高評議会と、それに協力したレジアスの暗躍により産み出された戦闘機人たちは、今や時代遅れとされても差し支えない存在だった。製造にクローンニングや外科的処置が必須という倫理的な問題はもちろん、費用対効果から考えて、低ランクの魔導師に“箒”を装備させる方が明らかに安上がりで堅実なのだから。
──そんな彼女らは、法を犯し、図らずも“親友”を謀殺してしまったレジアスの罪咎の象徴だ。用済みとなった今も手元に置くのは彼なりの贖罪、代償行為だったのかもしれない。
──閑話休題。
威丈夫の咳払でコントは終了。皆、居住まいを正す。
「重ね重ね失礼しました。それで、何かご用でしょうか」
襟を正した攸夜が改まって用向きを問い合わせると、レジアスは首肯した。
「いくつか問いたいことがあってな。“評議会”ユニットの移送と“あの男”についてだ」
「“評議会”ユニットのことでしたら、無事にセフィロトへ到着したと部下から報告を受けています。今頃は接続作業の真っ最中でしょう。
“ナイト”と“プリンセス”の足取りについては何も。個人的にも手勢を使って追わせてはいますが……」
「──そうか」
どこか残念そうに瞼を伏せ、年月の刻まれた顔を感傷で染めたレジアスだったが、開眼した時には“管理局中将”らしい鋼のような面構えを取り戻していた。
「貴様が陳情していた“特務部隊”、来年度には発足出来るよう手配しておく。やるべき根回しは済ませておけ」
「了解です」
「邪魔をしたな」
「あ、はい」
それぞれに一声かけると、用事は終わったとばかりに踵を返す。ドゥーエとクアットロが一礼してそそくさと後を追う。
質実剛健──それがレジアス・ゲイズという男だった。
「ふぅ……ねえ、ユーヤ」
全身の緊張を解いたフェイトが傍らの青年を見上げ、呼びかけた。
「あのクアットロってひと、なにかおかしくなかった?」
「ん、戦闘機人のことが気になるのか」
「そうじゃなくて……ううん、それもあるけど。ただ、あなたのことをひどく怖がってたみたいだから」
ああ、と得心の声。
「小悪党の癖に態度が生意気だったんでね。ちょっとばかりおしおきと調教をして、性根を叩き直してやったんだよ」
くつくつ愉しげに喉を鳴らす魔王の口元がサディスティックに歪む。
その表情は非常に見覚えのあるもので、フェイトは何だか気の毒になってしまった。
「──ところでフェイト」
「うん、なに?」
「実は上に部屋を取ってるんだ。さすがにスイートルームとはいかないけど、ね」
「それって……?」
柔らかな頬を両手で挟み、攸夜は紅い瞳をのぞき込む。
ひたすら見つめる。ひたすらに。まっすぐに。混じりっけのない澄みきった蒼い瞳で。
そこに凝縮された昏い何かが“母”を思わせて。フェイトの芯をぞくぞくと震わせる。
「や……、だめだよ……。ひとに見られるよ……」
「見たい奴には見せつけてやればいいんだ。気にするな、俺は気にしない」
いたずらっぼい笑みが寄せられて、フェイトの震えが大きくなる。今からするの? と危ぶんで。してくれるの? と期待して。
「そういう問題じゃな、んんっ!?」
気持ちとは裏腹な言葉を遮り、唇が押しつけられる。強くて熱い密着感が、フェイトの思考を沸き立たせる。
露出した背中やキュッと締まった腰、ふっくらとした臀部を優しく丁寧に愛撫され、もうクラクラの腰砕け。女の悦びを徹底的に仕込まれた無垢な少女のカラダは、これだけで完全に出来上がってしまう。
「ぷぁ……、ゆーやぁ……」
永遠のように長い間、好きなように蹂躙され、とろとろに惚けきった口元から吐息が零れ落ちた。
「で、何が問題だって?」
「……もう、イジワル」
瞳を潤ませて、少女は恨みがましい視線をいじめっこな恋人に送る。その両手は、彼の胸元をしかと握りしめていた。
「今日のユーヤ……、なんだかえっちだ」
「フェイトがあんまり綺麗なもんだから、年甲斐もなく昴ぶっちゃっててさ」
フェイトは、蒼海の瞳に常見られない情欲が揺れるのを見た。
──というか、おへそ辺りに熱くて堅いモノが以下略。
「今夜は加減が出来そうにないんだ。嫌だと言っても攫っていくよ、お姫様?」
「わっ、強引、だね」
「そうとも、俺は悪の大魔王サマだから。たまにはケダモノにもなります、よっ」
「きゃっ♪」
新雪の肌を薔薇色に染めた“お姫様”を、自称悪い“魔王”は文字通りお姫様だっこで抱き上げて。そのままホールの真ん中を悠然と突っ切り、会場を後にした。
その間、観衆の視線を一身に浴びて、フェイトはますます真っ赤っか。しかし、どこかうれしそう──どうやら、今宵の宴はまだまだ終わりそうにないようだ。
こうして、“戦争”が激化する前の夜は更けていった────