首都まで電車で三十分。クラナガンへのアクセスに便利な地点にある、ありふれた岩山に穿たれた洞穴の深奥。白衣を羽織った男と、濃紺のビジネススーツを着こなした青年が向かい合っている。
スーツ姿の青年はもちろん、“裏界皇子”こと宝穣 攸夜。堂々と腕を組んだ立ち姿は傲岸不遜、ひどく様になっていた。
「やあ、シャイマール。相変わらず君は突然現れるね」
このどこかフランクなトーンで話しかける白衣の男の名はジェイル・スカリエッティ。そしてここは、第一級次元犯罪者だった彼の収容施設──とは名ばかりの研究所だ。
次元世界に悪名を轟かせたその悪魔的な頭脳を買われ、「時空管理局へ全面的に協力する代わりに、好きなことを好きなだけ研究させてやる」という司法取引の条件を飲んだ彼は、数年前から密かに様々な分野の研究を続けている。
──飼い主が“裏”から“表”に変わっただけのくだらない茶番劇だが、スカリエッティは現状をある程度満足していた。何せ、主八界由来のテクノロジーを直に触れるのだ。そんな絶好の機会をこの稀代のマッドサイエンティストが逃すはずもない。
ちなみに主な研究成果は、“箒”の運用思想を本格的にデバイスへ流用した第六世代デバイスなどなど。“応用”ではなく“流用”な辺り、さすがの奇才も世界の神秘に端を発した“魔法”の全容を理解するには未だ時間が必要らしかった。
なお、自らが設計した新型デバイスのデビューについては概ね満足している。
「神出鬼没が俺の信条でね。──ところでなんだ、さっきのセリフは?」
「何、ここで言わねばならない気がしたのだよ。特にこれといった意味はない。……まあ、私の芸風というかお約束だね」
「身も蓋もないことを言うなよ」
予想外の返答に呆れ、攸夜は広間の中心へとてくてくと歩を進めた。
たしかに“プロジェクトFの成果物”や“戦闘機人のプロトタイプ”に興味がなかったわけでもないが、今更そんな「枯れた技術」にかかずらっているほどスカリエッティは暇ではないのだ。研究三昧的な意味で。
故に、現在連絡がつかず行方知れずになっている彼の“作品”──二人の被験者についても、興味を失い記憶にも残っていなかった。
「しかし意外だね。君のことだ、冗談でも“あのような事”を言えば、殺気の一つも浴びせてくると思ったのだが」
自らの助手も務める戦闘機人──ウーノが用意した円卓に着き、スカリエッティは少し拍子抜けした様子で肩をすくめた。
現状、ほぼ無敵に近い攸夜の唯一とも言える弱点が「フェイト・T・ハラオウン」であることは、事情について知る人間の間では割と有名なことだ。──その弱みを突いてイニシアチブを握ろうと画策し、逆に身を破滅させた俗物がごまんと存在することも。
別に、と前置きして、用意された椅子に悠然とした所作で腰をつける攸夜。幾度となくここに訪れているからだろう、悠然と足を組んだ姿はまるで遠慮というものを知らない。
「アンタの好きにしたらいいさ。……生きたまま、脳髄を引きずり出されてホルマリン漬けになりたければ、の話だけど」
ゾクッ──
感情の籠もらない声色に戦慄が背筋を駆け抜け、ウーノはティーセットを用意する体勢のまま凍り付く。
最初期型とはいえ戦闘機人であり、全身くまなく調整を受けているはずの肌がぞわりと粟立つ。彼女の脳裏には、スカリエッティを捕縛すべく来襲した“魔王”との戦いが──否、惨劇の場面がフラッシュバックのように再生されていた。
重圧の闇に飲まれ、ひしゃげたガラクタの山。破滅の光が全てを壊し尽くし──
理不尽としか言いようのない力の顕現に手も足も出ず、なす術なく蹂躙されていく妹たち。特に四番の妹など、身内以外を見下す性格が災いして、傲り高ぶる精神を徹底的に破壊されて今も会う度に恐れ慄いているという。
──後に知ったことだが、この青年は「利用されること、支配されることが嫌い」らしい。ついでに「自分が世界の中心だと身の程知らずにも勘違いして、思い上がった雑魚はもっと嫌い」だとも。なるほど、たしかに四番の妹とは相性が最悪だとウーノは納得すると同時に、見せしめにされた妹が不憫だった。
十数年の歳月をかけ、入念に準備していた“計画”の最後は呆気ないものだったが、実行せずに済んだのはむしろ幸運だったのだろう。管理局の魔導師相手ならまだ勝ち目はあるだろうが、こんなバケモノと敵対するなど正気の沙汰ではない。少なくとも、現世にある尋常な手段での打倒は不可能に近いのだから。
気まぐれな“機械仕掛けの神”の所業は、因果応報──今まで数多の命をいたずらに弄んだ狂信者たちへの報いだったのかもしれない。
「興味深い、管理局のフィクサーらしくない表現だね。ここは“始末”すると言うべき所ではないのかい?」
面白がるような声色でスカリエッティが問うと、攸夜の眉が左側だけくいと上がる。
「死と滅びは万物全ての終着点、分け隔てなく持ちうるただ一つの安らぎだろ? 何故それを罰として与えてなきゃならない」
こんな常識も知らないのか。そんなニュアンスを含めて攸夜は鼻を鳴らした。
定命がなく、基本的に不変にして不滅である“古代神”にとって、生命とは所詮はその程度のものだ。愛玩動物のように愛でるならともかく、命の重みだなどという普遍的な概念すら持ち得ない。むしろ「最上位者自ら刈り取ってやることが、愚かな泥人形に相応しい最大級の慈悲である」と彼らは考える。
「永遠に近い間、責苦を受け続ける方がよっぽど罰になると思うけど」
それは攸夜も変わりなかった。
ヒトであろうと振る舞っていても、今の彼の根底にあるのは“破壊神”の記憶と知識。それらが彼に歪んだ生死観を与えているのだ。
────古来よりヒトは、絶対的な“死の恐怖”から逃れようと様々な方法を模索してきた。
不老長寿──その試みが成就した試しは、神話の時代に逸話が残るのみ。ほとんどが例外なく夢破れ、終焉の滅びを享受して無の彼方へと還っていった。
しかし仮に、その夢を叶えたとして。死を免れ、不滅の永遠を手に入れたとして、ヒトは果たして幸せになれるのだろうか?
答えは否だ。
精神とは、時間とともに磨耗し、腐っていくものなのだから。
「……アンタだって、自由を奪われて延々とただ闇雲に生きるのは嫌だろう?」
「ふむ……、それは確かに退屈そうだ。遠慮したいところだ」
「アンタにしては賢明だな」
物騒極まりない事柄をまるで夕食の献立のように語り合う二人。狂人と人外──常人とはかけ離れた精神構造を持つ彼らは、常人には理解し難い理由で納得しあった。
──まあ、唯一の観客であるウーノは、人外の存在を相手にしても泰然として揺るぎない生みの親に、尊敬と畏敬の念を深めていたのだが。
「時に、シャイマール。いい加減お父さんとは言ってくれないのかな?」
「誰が。プレシアならともかく、アンタを親と呼ぶ道理がどこにあるか、気色悪い」
「道理ならあるじゃないか。“プロジェクトF”の根幹理論を創り出したは私だ。つまり、その産物たる“彼女”は私の娘という事になるのだよ」
「……それ、本人の前では絶対に言うなよ。ザンバーでホームランされるぞ、確実に」
など、毎回微妙に内容を変えて行われる押し問答をBGMに、ウーノは準備した紅茶をティーカップに粛々と注いでいく。
ありがとう、と声をかけた攸夜は姉とメイドに躾られて身につけた優雅な所作で、カップを手に取る。
立ち上る湯気に含まれた芳しい香りを感じようと鼻先を近づけ、
「む……、この紅茶──」
紅茶には少々うるさい攸夜の鋭い嗅覚がその香りに違和感の捉えた。
白いカップの中一杯に満ちた紅の液体はどこかくすんで見える。攸夜が胡乱げに口を開く。
「いったい何杯目だ?」
主語の抜けた問いは果たして、意味を通じた。
「はぁ……やはりわかりますか」ティー・パックの入ったポットに視線をやり、ウーノが申し訳なさそうに答える。「これは来客用なので二回目です。普段は使用後に乾かして、十回くらい使ってるんですけれど」
「苦労、してるんだな……」
「ええ……、月末は特に辛くて。妹たちには迷惑ばかりで」
頬に手を当てて日々の倹約への疲れを垣間見せるウーノの様子に、攸夜は趣味に散財放題の旦那を支える健気な嫁の姿を幻視した。その旦那は、うっすーい紅茶をさも美味そうに飲んでいる。
この研究施設の奥、プライベートスペースには洗濯用のロープが張り巡らされており、使い古したティー・パックがたくさん干されていた。それ以外にも有象無象の涙ぐましい努力によって、生活力皆無なスカリエッティは脳天気に研究を続けられるのである。
「そうか……」
生まれてこの方金に困った経験のない──ぶっちゃけいいとこのボンボンな攸夜だが、あちこちを放浪していた頃にはひもじい思いをしたことがあったので彼女の境遇にわずかな同情を感じた。
迷いに迷って、雑草やらよくわからない生き物を食らって飢えを凌いだ記憶は惨めだった。あまりに惨めすぎて、意気地が折れそうになったことも少なくない。その度、最愛の女の子の笑顔を思い浮かべては「なにくそ!」と奮起し、これも強くなるための試練だとポジティブに捉えたわけだが……まあ、これは余談である。
今度、安くておいしい節約メニューをまとめたノートをお土産に持って来よう。攸夜は苦笑いを浮かべてそう決心した。
「ところで君は、何をしに来たのかい? とりあえず世間話ではなさそうだが」
「おっと、そうだった」
今更な指摘にはたと目的を思い出した攸夜は、ヴン、と月衣から何か大きな物を引きずり出す。
ずん、と床に立てられたそれは二メートルほどの真っ黒な長方形の匣。まるで棺桶のようで不気味な威圧感を放っている。
「アンタに依頼されていた“ホムンクルス”──その現物だ」
座ったまま、隣に聳え立つ匣をトンと軽く叩く攸夜。スカリエッティは、椅子から中腰になり、ぱあっと新しい玩具を買い与えられた子どものように瞳を輝かせた。
さんざ待ち焦がれていたサンプルが目の前にあるのだ、無理もない。
「元々はさる傭兵派遣企業の“備品”だったんだが、倫理思考に重大な欠陥があったそうでね。味方や一般市民まで見境なく惨殺するシリアルキラーに成り下がり、見かねて“処分”されたものを譲り受けた」
「ということは、それは死体かい?」
「勿論。生きたままこちらに持ち込むのは手間がかかって面倒だし、第一疲れる」
「ふむ、そうか。ありがたく使わせてもらうよ」
特にも異論を挟まず、素直に納得する肩透かしな反応に攸夜がきょとんと呆気にとられる。
何かね? とスカリエッティが不審な目を向けた。
「いや、てっきりアンタのことだから生きた現物が欲しいとか無茶を抜かすのかと」
「心外だね。解答を見て“正解”に辿り着くつもりはないのだよ、私は。学問というのは試行錯誤と思考実験の繰り返しで進めていくものだ。世界の真理を解き明かすのに、近道などありはしない」
「むぅ……」
らしくない正論に攸夜が思わず唸る。スカリエッティなんかに言い負かされて悔しい、と子どもじみた感情が浮かぶ。
「まあ、いいか。──それからコイツは土産だ」
くだらない感情を切り捨てた攸夜は、月衣からジュラルミン製のアタッシュケースが現出させる。
ばちん、と留め具が外され開かれたケースの中には、黒い緩衝材に包まれた拳大の宝石が収められていた。
「“第七世代”用のエネルギーコアとして使えるか、検査して欲しい。好きに弄ってもいいが壊してくれるなよ? 用意するには苦労するんだ」
「ほう……」
七色の不思議な赫耀を放つ六面体の宝石から強大な波動が広間に響き渡り、スカリエッティが感嘆のため息が漏らした。かなりのものだと自負している彼の観察眼には、これだけのパワーを秘めたこの魔宝石が“未だに眠っている”と見抜いていた。
「これは一体?」
ふ、と広角をわずかに釣り上げ攸夜が薄く笑う。
「“天使の種”、さ」