まあ、行けばわかるよ、というなのはの言葉に従い、一行はとりあえず帰路を急いだ。
実際、度合いは違えど皆訓練でヘトヘトのハラペコだったのだ。きっと今夜の夕食もおいしいに違いない。
道すがら、大体の経緯を知る三人のちびっ子たちの反応は三者三様それぞれ個性的だった。
まず一番付き合いの古いヴィータは興味がまったくないようで、夕飯は何定食にしようかと思考の翼を伸ばしていた。
次に“二人”と特に親しいキャロは、ワクワクを隠しきれない様子でメガーヌとお喋り。仲のいい様はまるで本物の親子のようだった。
最後にエリオだが、どこか不機嫌な雰囲気を漂わせて若干ふてくされていた。彼にはおもしろくなかったのだろう、“恋敵”の登場が。
「あ、フェイトさんだ」
斜陽差し掛かる隊舎の玄関前、約百メートルほど離れた辺りに件の人物の姿を認めたスバルがのんきな声を上げる。
彼女はまるで、主人の帰りを玄関先で待つ忠犬のように佇んで、じーっと埋め立て地と本土を繋ぐ長い橋の方を見つめて微動だにしない。
「フェイトちゃんかわいい」その一途で熱心な様子になのはがほくほくしつつぼそりと感想を漏らした。
「フェイトさん、なにしてるんだろ?」
「誰かを待ってるんじゃない?」
「うん、ティアナの言うとおりだよ。まあ、お目当ての人はまだ来てないみたいだけど」
「ますます感度に磨きがかかっとるみたいやねぇ、フェイトちゃんレーダーは」
「そうだねぇ……、小学校のころはあんなじゃなかったのに。──って、はやてちゃん!?」
ごく自然な流れで会話に混ざっていた六課の一番偉い人に、一時場が騒然となる。叫んだなのはの口はヴィータが押さえた。
慌てて敬礼しようとした若い部下たちを手で制し、はやてが「おーす」と軽快に挨拶。頭の上に乗っけたリインフォースⅡも「おーす、ですぅ」と主に続く。
「部隊長はどうしてここに?」
「はやておまえ、こんなところで油売ってていいのかよ。またマジメコンビに小言言われるんじゃね?」
「なにかて、そらザフィーラの散歩や。グリフィス君とつきのんには断ったし問題ないやろ」
声を潜めたティアナとヴィータの指摘に、はやては流れるように受け答える。彼女の足下で、黙して静かに伏せているザフィーラが片目だけを器用に開いた。
「お散歩を口実に逃げ隠れしてるだけですけどね〜」
「エルフィ、余計なことは言わんでよろし。……そんでな、隊舎のまわりをぐるーっと散歩しとったんや。んで、ちょうど戻ってきたら──」
「フェイトちゃんに出くわした、と」
「せやねん。目の色変えて疾走してくるんやもん、もうはやてさん何事かてビックリ仰天や」
ヒソヒソとお互いのことを確認し合っていたその時、状況が動きを見せる。
遠方から、透き通るような独特のエキゾースト音が響く。
やって来たのはメタリックブルーの大型オートバイ。ネイビーブルーのスーツに、フルフェイスのヘルメットを着用した人物をシートに乗せ、六課の敷地に乗り入れた。
ライセンスを持ち、プライベートでツーリングをしたりもするティアナは、それが近頃地上部隊の陸戦魔導師から憧れの的となっているバイク型“箒”オラシオンの一種であることを見抜く。ぶっちゃけ一度乗ってみたいと思っていたので、密かに管理局の広報誌やアングラなミリタリー雑誌でチェックしていたのだ。
バイクは悠然と速度を落とし、フェイトの目の前にぴたりと停車、横付けする。ササッと物陰に隠れた一同が嬉々交々、固唾を飲んで見守る中、鋼の騎馬を駆る人物が颯爽と降り立った。
狭苦しいヘルメットから解放された馬のたてがみのごとき漆黒の癖毛が、潮を含んだ海風に流れる。フェイトとの身長差からして180センチほどだろうか、スラリとした印象の美丈夫だった。
「わぁ……」「へぇ……」
なぜかうっとりとしてため息を零した教え子たちを横目で見やり、シチュエーション補正がかかってるなとなのはは思った。
まあ確かに、よく見知った自分の目から見てもあの幼なじみはなかなかのモノだが、自分の好みのタイプはもっと別の……こう、理知的で穏やかで自然体なのだ。眼鏡が似合う感じの。
そう、例えるならどこぞの司書長とか────
ブンブンブンッ!!
サイドポニーがはちきれんばかりに頭を振り回し、妄想を打ち消す。ばちんばちんと髪の毛が顔面を強打し、なのはは悶絶した。
「いたひ……」
「な、なのはさん?」
突如として奇行に走り、いろいろな意味で真っ赤っかな顔を両手で押さえる上官に、スバルが胡乱げな目を向ける。
にゃはは。なのはは苦し紛れに笑ってごまかした。
──夕陽の中、影法師を長く伸ばす二人の男女。軽くハグし、眼差しを絡め合う。
「わ、わわっ」「フェイトちゃん、いい具合にイっちゃってるね」「……ッ」「ちょ、こんなところで──!?」「ししょー、楽しそう」「ベタベタベタベタしくさってからに。道路に落ちたガムかちゅう話や」「相っ変わらず暑苦しーヤツらだなぁ……」「まあ、はやてちゃんとヴィータちゃんにはムエンのセカイですけどね〜──ぷぎゅ!?」「まあまあ。今時の子たちったらずいぶん大胆なのね」
オレンジに染まった海面がキラキラと宝石のように輝き、彼らの浮き世離れした雰囲気と相まって神秘的な空間を形成していた。
「部隊長、あの人が……?」
まさに映画のワンシーンのような光景に、不覚にも感じ入っていたティアナがはやてに問いかける。恥ずかしそうに頬を染めるのはご愛嬌といったところか。
「せや。宝穣 攸夜、公称十八歳。特技、家事全般。得意料理、オムライスと肉じゃが。趣味、旅行と模型いじり。賞罰とくになし。
私らの幼なじみで、フェイトちゃんの“ダーリン”やね」
視線の先で、フェイトと親しげに語らう黒髪の青年を眺めながら、はやてがすらすらと簡単なプロフィールと口にする。
他方、ひと月ぶりの恋人との逢瀬を楽しむ金色の乙女は、まるで童女のように綺麗で無垢な笑顔を咲かせ、息を飲むほど美しい。
笑顔は女性にとって最高の化粧、とはまさにこのことで。
──なのはとはやては内心、ちょっと大げさすぎじゃない? と思わなくもなかったが、「恋は盲目」を地でいくフェイトの“病気”はもはや毎度のことなので、無意味な疑問をさっさと放棄した。
あの天下無敵の色ぼけカップルと友だちをやるには、この程度で動揺していては無理なのである。
「攸夜君は私をクビにできる権限を持っとるお人のうちの一人でな。表向きは六課の協力者オブザーバーっちゅうことやけど、事実上の権利者オーナーにして黒幕フィクサー──まあ、要するに上層部の代理人やね。
ちなみに君らを選出してここに送り込んだんも彼なんよ。みんな、よう覚えとき」
あれでけっこーえらい人やから、敬わんとあかんよ〜──敬意も何も込められていない声でテキトーなことをのたまい、はやての言葉は締めくくる。
明かされた新事実に、四人──特に、自分の適性を常々疑っていたティアナ──はそうなのかと目を丸くして感心しきりだ。──この時、自分たちとたいして歳の変わらない青年の、あまりに高すぎる社会的地位を原因に若干名の胸中に複雑な思いが生まれたのだが、ここでは割愛する。
何やら浮かない顔でいたなのはが、胸に浮かんだ疑問を漏らした。
「……あれ? みんなを選んだのはマルドゥック機関とかっていう組織じゃないの?」
「ピュアやね、なのはちゃん。そら完璧に攸夜君に担がれとるわ。ま、元ネタ的な意味では正しいんやろけど」
「な、なんですとーっ!?」
がびーん。なのはが奇声を上げる。
四羽のひよこは自分たちの親鳥きょうかんが、何気にドジッ子で親しみやすい人だという認識を深めた。
「ところでなあ……、なんで私だけ“八神部隊長”なんやろ」
「そりゃ人徳の差だな」「人徳の差ですぅ」「ワウッ」
「……アレ? なんや私、バカにされてる系?」
八神一家の軽妙な漫才を横目に、一同はピーピングに勤しむ。
なのはとスバルの師弟コンビはかなりノリノリで、ティアナも興味がない振りで横目でチラチラと。年少組二人は相変わらず対照的な雰囲気を漂わせ、しかし目を離すつもりはないようで。
最年長のメガーヌが、一歩下がったところから苦笑混じりにその様子を見守っている。席を外さないのは、彼女も若いカップルの恋愛事情に興味があったのだろう。
「あっ!」
その声は誰が上げたのか。
いつの間にか熱い抱擁を交わしていた二人がどちらからともなく、ごく自然な流れで──そうすることが当たり前のように唇を重ねた。
待ちに待った熱烈で濃厚なラブシーンの到来に、デバガメたちはにわかにヒートアップするかと思われたが──
「キャロさん、エリオくん。あなたたちにはちょっと刺激が強すぎるかしらね」
「「ええ〜」」
「ティア〜、なんで私まで?」
「う、うっさい! アンタみたいなお子様には早いのよっ」
早々に目隠しされた三人が声を揃えて抗議するも、保護者たちは取り合わない。もっとも、赤面したティアナの言葉に説得力は皆無である。年頃の少女には少々刺激が強過ぎたようだ。
なお、ちびっ子二人の視界は、メガーヌの魔法で召喚されたアルミのバケツが遮っていた。
「うわ……いつものようにところかまわずだね、あの二人」
「ほんとにな。もうあっこまでちゅっちゅするんは公害も甚だしいと思うんやけど、どう?」
「だよね〜、目の前であんなベタベタされるちょっとウザ──じゃなくて、ウンザリっていうか。……既成事実、さっさと作っちゃえばいいのに」
「本音が出とるでー。そういや、なのはちゃんは年内入籍に賭けとるんやったな」
「うん、いい加減いっしょになったらいいと思うんだよ、私は。はやてちゃんはどうだっけ?」
「うーん……攸夜君、あれで変に倫理観とかしっかりしとるやろ? フェイトちゃんの仕事のこと考えて、二の足踏んでもうてるんやないかなと思うんよ。せやから保留や。勝てへん戦いはせぇへん主義です」
「あー、それあるかも。フェイトちゃんもいまの関係に甘んじちゃってるしね〜。けっこう奥手で恋愛ベタなんだよね、なにげに」
「……ソレ、なのはちゃんにだけは言われたないと思うわ」
当人たちには聞こえないからと好き放題、言いたい放題の二人。サラッと問題発言絶好調のなのはだが、自分も某フェレットもどきとの仲を身内一同から生暖かく観察されていることを知らない。
「あ、フェイトさんたち行っちゃいますよ!」
焦りを帯びたスバルの発言通り、連れ立って、建物内に消えていく二人。やはりと言うべきか当然と言うべきか、ピタリと寄り添って離れない。
その際、ほんの一瞬だけ流し目に細められた蒼い瞳がざわつく野次馬たちを捉えた。
お前らのことなど最初からお見通しだと言わんばかりの眼光、薄く口角を吊り上げて三日月の形にした口元。──その様相を垣間見た者は誰もが例外なく、狡知に長けた悪魔のようだと表現するだろう。……まあ実際、悪魔の類だが。
射竦められたなのはは、性悪でいじめっ子な親友の性質を思い浮かべ、額にタラリと冷や汗が浮かんだ。
さもあらん。あれだけギャースカ騒げば嫌でも気がつく。
「そ、そろそろ帰ろっか」
「せ、せやね。もうええ時間やし、みんなも異論ないな?」
同じ想像をしたのだろう、冷や汗をかいたはやてがそう言うと、ヴィータとメガーヌ以外が一斉にガクガクと首を何度も縦に振った。蒼い眼の、異様なプレッシャーに怖じ気づいたのだ。
そそくさと退散する面々に、年長(?)二人がそれぞれ複雑な表現でため息を零した。
この後、食堂のド真ん中で人目もはばからずいちゃつくバカップルの“げっこう”に巻き込まれ、独り身の職員が男女問わず軒並み撃沈し、家庭を持つ職員たちも深刻なホームシックにかかる被害が続出。一時、機動六課の全機能が麻痺する異常事態が起こったことを追記する。
……これが後に、「六課最強のおしどり夫婦」と渾名されるふたりの武勇伝の始まりだった────のかもしれない。