海鳴の、平々凡々な街並みに、天に届くほど高い粉塵の柱がいくつも立ち昇った。
巨大な純白の羽根を操るのは、“金色こんじきの魔王”の異名を取る大魔王──ルー・サイファー。可憐な相貌を王者のごとく鋭利に変え、容易く倒れそうな指を指揮者のように情緒的に振り乱す。
その白魚のような指の動きに併せて、二メートルを超えるまで大型化した七枚の羽根が、紅い光跡を残して大地に落下する。その目標は、護衛対象──エリスを小脇に抱え、建物の屋根の上を走り、逃げ回る烈火の騎士──シグナム。
圧倒的な質量と莫大な魔力が込められたそれらは、次々に紅月の浮かぶ天空から降り注ぎ、建造物を無慈悲に叩き潰していく。
この“月匣”内に、彼女たち以外の人間が誰一人囚われていないことは幸いだと言えるだろう。
「シグナムさん! ヴィータちゃんとザフィーラさんは──」
「喋るな、舌を噛む!」
引き離され、それぞれ強大な魔王と今も交戦しているであろう二人を心配して声を上げたエリスを、シグナムは蛇腹剣──シュランゲフォルムのレヴァンティンを巧みに操りながら咎める。
紫色の魔力を帯びた連結刃がうねりをあげて、頭上から迫り来る巨大な羽根にぶち当たり、その軌道を変えた。
その様子を上空で滞空しながら見下ろすルー。
「……ふん」
奮戦するシグナムの姿を見やり不愉快そうに鼻を鳴らした。
小手調べとしてけしかけた羽根のことごとくが避けられたことで、彼女の大きすぎるプライドに火が着く。
──そも、今回の来襲とて彼女の私情が多分に含まれた“報復”である。
彼女の眷属──弟にして息子が“こちら側”に来てしまったのは、彼女がシグナムに敗北したことが遠因だ。──それは、山脈よりも高いプライドを持つルーにとって許容出来ない事象だった。
故に、報復。
もっとも、現し身とシグナムの力量差を見誤った、自身の慢心による敗北だったという事実は、華麗にスルーされていたが。
「……さっさとケリを付けるか」
気まぐれに呟いて、ルーは空間を歪めて転移した。
ルーの先制攻撃で分断されたヴィータ。
遠雷のような耳をつんざく轟音を聞き入れて、シグナムとエリスに合流しようと空を駆けるが────
「──ッ」
「くっ!」
無音の気合い共に、漆黒の刃が横合いから走る。横薙ぎ一閃。
穂先の根本に付いた場違いなマスコットが、身を反らすことで辛くも避けたヴィータの目の前を過ぎていく。
「ダメ、行かせないよ。あなたの相手はあたし」
振り抜いたショートスピアを軽く振り回し、アゼルはその切っ先をいったん距離を取って警戒するヴィータに突き付けた。
薄幸の美少女といった風情を醸し出す陰鬱な印象を与えるアゼルの面立ちは、普段とは打って変わり、ほんの僅かだが勇ましさを漂わせている。限定的とはいえ、自らの忌まわしい“力”が抑制され、自由を手に入れたことがよほどうれしいらしい。
「くそっ、おまえの声、なんかやりずれーな!」
ヴィータが困惑顔で悪態を吐く。どこかの誰かにとてもよく似たアゼルの声色に、調子に狂わされているようだ。
「そんなこと言われても……。生まれたときからこの声だったんだけど……」
アゼルの“能力”を抑制する“魔殺の帯”が巻きついた脹ら脛が盛り上がり、体内に内蔵された機械的な噴射口──ロケットブースターが露出。一拍置いて、青白いアフターバーナーを盛大に噴き出して突貫する。
突き出された穂先と、展開された紅いシールドと衝突。激しい火花を散らす。
突撃を真っ正面から受け止め、弾き返したヴィータが、お返しにグラーフアイゼンを振り上げる。体勢を崩したアゼルは反応できない。
カートリッジロード。薬莢が飛び、グラーフアイゼンの穂先が変形した。
「ラテーケン──ハンマーッ!!」
ハンマーヘッドに付いた推進機構が噴射剤を吐き出し、重力と振り下ろしによって加速したスパイクの一撃がアゼルに迫る。
「──っ!」
スパイクの切っ先が何とか身を引いたアゼルの胸元をかすめ、彼女の纏うドレスを大きく切り裂いた。
「あ……っ」
レースの上質そうなドレスは、身体の中心線に沿ってバッサリと断ち切られ、その切り口からは黒い帯に押し込められて窮屈そうな乳房が露わになった。
「ちっ、ハズしたか!」
「──っ」
「……うん?」
「……これ、“アル”に作ってもらったお気に入りなのに……」
服が損傷したことがショックだったのか、うるりと瞳を潤ませてしょんぼりするアゼル。
空中だというのに体育座りで座り込み、「どうせ、あたしは孤独……」と呟いて、器用に指で地面──空中だが──にのの字を書きはじめた。
「え、あ、あれ?」
その周囲の生気まで盛り下がりそうな落ち込みように、ヴィータはいい知れない罪悪感に襲われた。
「えっと、その、わりい。」
「うぅ……。──っ……許さない!」
「なっ、ちゃんと謝ったじゃんか!」
キッと視線を上げたアゼルは、ヴィータの抗議などお構いなし──彼女も一端の魔王であるからには当然だが──で、ロケットブースターを再度展開、突撃体勢に入る。
「エネルギー──」
気を取り直したヴィータ。「ちっ」と舌打ちした後、弾丸を数発生成、戦槌で叩いて打ち出す。
シュワルベフリーゲン──ベルカ式では珍しい誘導弾系の中距離射撃魔法である。
「────全、開……ッ!」
突撃するアゼルに殺到した魔弾は、しかし、槍に内蔵された加速フィールド発生機構が生み出すエネルギーの膜に阻まれた。
「──くっ!!」
一筋の流星となったアゼルが、ヴィータの展開した真紅の魔力障壁に突き刺さった。
「やあっ!」
「おおおおおッ!!」
エイミーの伸縮自在の伸びる手脚を駆使した格闘が、ザフィーラの繰り出す大砲のごとき鉄拳とぶつかり合う。
剛と柔──二種類の拳撃が幾度も交差した。
ザフィーラが鉄をも砕く右のストレートを打ち放てば、エイミーがしなやかな両手を四連で突き出す。
一進一退の攻防。共に主に使える身であることの矜持に賭けて負けわけにはいかないと、互いに一歩も譲らない。
「シッ!」
顔面を狙うひねりの加わった強烈な正拳を、首を傾げて避けるエイミー。しかし、避けきることが出来ず、鉄拳が三つ編みの横をかすめて数本の髪を消し飛ばし、僅かに切れた頬には紅い血が一筋流れた。
エイミーのメガネに隠れた大粒の青い瞳が、剣呑な光を帯びる。
「──はあああッ!」
とんっと空を蹴って、バックステップで間合いを取り──刹那、裂帛の気合いとともに、鋭く踏み込まれる震脚。腰溜めに構え、放たれた両の掌底が、硬直してがら空きになっていたザフィーラの胴へと突き刺さる。
ドン、と鈍い音が辺りに響く。
魔王の大魔力を笠に着た超重量の一撃に、さすがのザフィーラも一瞬、悶絶した。
「……ッ、見かけに寄らず……っ!」
「一流のメイドたるもの、ご主人様を護るためなら時には牙を剥くことも厭わないのです」
笑顔を浮かべ攻勢を強めるエイミー。身体を大きく沈め、刈り取るように鋭い下段の蹴りを放つ。エプロンドレスの裾が翻り、黒いストッキングが覗く。
「ぐ、ぬ……! くっ、どこのゴム人間だ!」
鞭のようにしなる脚払いをくぐり抜け、高度を上げたザフィーラが吐き捨てた。
「あら、万病を癒す霊薬を飲めばこれくらいのことは出来るんですよ?」
「嘘を吐けっ」
「まあ、本当ですのに」
ザフィーラが踏み込み、距離を詰めようと突進する。拳に迸る青い魔力。狙うは渾身の一撃。
迫る縦の守護獣の巨体にもエイミーは笑顔を崩さず、冷静に腕を振り上げ、指先が紅く輝くルーンを空中に描き出す。
「スフィア!」
「ぬっ!」
眼前に巻き起こる凄まじいまでの風。その圧力に阻まれて、ザフィーラは近寄れない。
たたらを踏むザフィーラ。その隙を逃すエイミーではない。
空間が波打つ。「水よ!」掌の中にテニスボールサイズの水球が現れた。
「──貫け! アクレイルッ!」
月衣から取り出した水球を圧縮、硬質の水弾──アクレイルが射出された。
数トンに達する衝突エネルギーが込められた水の柱がザフィーラに襲いかかる。
「ぬっ──、ぐおおおおッ!?」
大量の水に押し流され、眼下の街並みへと墜落していくザフィーラを視界の隅に入れ、「うん、イケるイケるっ! ……なーんて」とのたまったエイミーは、クスクスと笑顔をこぼしてスカートの裾を直した。
心配そうな表情で空を見上げるエリス。彼女の瞳に映るのは、空を覆い尽くして燃え盛る二色の炎。
紫色の烈火を飲み込むように、黄金の獄炎が全てを焼き尽くした。
「が……ッ」
「シグナムさん!」
全身火達磨で、エリスの側の民家に叩き落とされたシグナム。その衝撃で、二階建ての建物は半壊した。
周囲を衛星のように回る三つの火球と、紅い燐光を放出する七枚の白き羽根を引き連れて、悠然と黄金の魔王が光臨する。
「志宝エリス、そちは其処で黙って見ておれ。“光”を失ったそちには、最早、出来ることなどありはしないのだからな」
鋭い視線と辛辣な言葉がシグナムに駆け寄ろうとしたエリスを制す。
ピクリと肩を揺らしたエリスは、しかし、歩みを止めず、倒れ伏したシグナムをルーから庇うように立ちふさがる。
「何のつもりだ」
「──戦う力はなくても、盾になることくらいならできます!」
「退け。そちとて死ぬのは怖かろう?」
「死んでしまうのは嫌です。でも、“仲間”が傷つくのはもっと嫌だから」
決然として、迷いも躊躇いもない真っ直ぐな翠緑の眼差しと、絶対的なカリスマを漂わせる白銀の眼差しが交わる。
「そうか……。ならば望み通り、共に滅びよ」
ルーの人差し指がエリスに突きつけられる。収束する魔力。眩い光が指先で輝き、ジジジ……と空気を焼く音を響かせる。
自らを破壊し尽くして余りある閃光を前にしても、エリスは一歩も退かない。
それを、エリス自身も無謀な蛮勇だと理解している。──だが、“仲間”に救われ、“仲間”と共に歩み、培ってきた信念に賭けて、この場を譲ることは出来なかったのだ。
光輝が一層瞬き、放たれる刹那────
瓦礫と化した天井の残骸から埃がパラパラとルーの頭上に降り注いだ。
「む……?」
ルーが眉をひそめる。彼女自慢の見事な黄金の髪が、降ってきた埃で僅かに汚れた。
唐突に、白い光が収まる。
「興が醒めたな。──エイミー、アゼル、退くぞ」
『……殺さなくていいの?』どこかでヴィータと戦っていたアゼルからの返答。
「構わぬ、捨て置け」と短く告げたルーは、エリスと倒れたままのシグナムに背を向ける。そして、事の推移についていけず、ぽかんと当惑するエリスを肩口から見やり、口を開いた。
「────志宝エリス。事の“真実”が知りたいのなら、次元の海を渡れ」
「どういう意味ですか?」
「フン。それくらい、自分の頭で考えるのだな」
「あっ、待って──」
投げかけられた言葉に困惑を強めるエリスを置いて、天災のように気まぐれな大魔王は、最後まで気まぐれに闇の中へと溶けていった。