ホテル・アグスタ屋上。
ここをCPコマンドポストとして、機動六課は警備活動を行うことになっている。
すでにスバルたち四人はそれぞれ所定の位置についているのだが、退屈な──彼らの主観では──任務に暇を持て余しているようだ。広域監視を担当するシャマルが欠伸を噛み殺す様子を見て苦笑した。
あとで気がゆるんでたことを注意しとかなくっちゃ──なのはは頭の中で部下たちの査定にペケをつけ、パネルを目の前の空間に展開。見取り図を用いて配置を確認し始めた。
「うーん……、それじゃあ攸夜くんは北東に回ってくれる? ちょっと手薄になってるから」
「了解。仮に“敵性存在”が現れた場合の行動は?」
試すような問い。事実、攸夜は彼女の指揮官としての資質を試している。
「そうだね、攸夜くんは機動力と打撃力があるから遊撃かな。できるだけハデに暴れてくれるとスバルたちが楽になると思う」
朗々と迷いなく紡がれる答え。悪くない作戦だ、と頷く攸夜。さらに、ふむ、と芝居がかった仕草で顎を撫でる。
「──しかし防衛と言うが、全て壊滅させてもかまわんのだろう?」
格好をつけて攸夜が大言壮語を言い放つ。何やら背中で語りだしてしまいそうな勢いだ。
きょとんとしたなのはは「え、そこまでやらなくても──」と遠慮の言葉を言い掛けて、思い直す。
「ううん、攸夜くんならやれちゃいそだね」
「おうとも。何せ俺は“大魔王”だからな」
攸夜らしい根拠のない自信に、なのはがほわっと破顔する。まるで日差しに向けて咲き誇る向日葵のような笑顔だった。
この頼りになる親友が敗北に塗れるところを、なのはは想像することが出来なかった。滲み出るよくわからない風格というか雰囲気に飲まれて、思わず信じてしまいそうになるのだ。──もっとも、実際は割と負けっぱなしなことは言わないお約束である。
「でもほんとに来るのかな、“冥魔”……」
不意に笑顔はなりを潜め、不安が零れた。
無理もない。“冥魔”の行動には規則性がなく、予測することが困難とされているのだから。
これまで“冥魔”は、強力な魔力構成体に引き寄せられているのではないか、と考えられていた。しかし前回の列車襲撃事件の際、輸送中のロストロギア“レリック”が無事であったことからその推測も破棄され、今も研究が続けられている。
「来るさ。まあ、五分五分といったところだけどな」
「どうして言い切れるの?」
幾つか理由はあるが、と前置きして、攸夜は真剣な顔で自分の考察を明かす。
「奴らは“負”の感情を喰らって増殖する。であるなら、この場所は奴らにとって格好の餌場だと言えるだろう」
「たしかに、そうかも」
今ここは、人間の欲望が渦巻く坩堝と化している。攸夜の言葉を信じるなら、ホテル・アグスタに集まった人々の感情は極上の“エサ”となるだろう。基本的に争いを好まないなのはとしては、心苦しい事実だが。
「まあ、一番の理由は」不意に攸夜が真面目な雰囲気を霧散させ、軽薄な表情で二の句を告げる。
「ここに、最強である俺が居ることなんだけどな。モテる男はツラいね」
「ぷっ……攸夜くん、自意識過剰だよ、それ」
冗談めかした付け足しに、なのはが思わず吹き出すと攸夜は満足げにくつくつと笑う。
“友だち”同士らしい和やかな光景。彼女の親友であり、彼の恋人である女性がこの様子を目にしたら、嫉妬の炎を燃やすこと請け合いだ。
「まあいっか──それで、コールサインはどうするの?」
コールサイン? と胡乱げにオウム返しする攸夜に、なのはが教師然として説明する。
「部隊間の識別信号、符号のこと。私たちでいうと“ナイトウィザード”だね」
ああ……、微妙な表情をして攸夜がうめく。
そして、「……別に要らなくないか?」とひどく面倒くさそうに表情を歪めた。
「むっ、ダメだよ、ちゃんと決めてくれなきゃ! 勝手されたら指揮が混乱しちゃうでしょ。戦場で大事なのは、指揮・統制・通信・情報の四つなんだよ?」
「あー、はいはい。わかった、わかりましたよ、お嬢さん」
サイドポニーを揺らす友人の剣幕に、降参だと攸夜が手を上げて肩を竦めた。なのはの頑固っぷりは彼もよく知るところだ。
「そうだな……」しばし黙考した後、脳裏に浮かんだ単語を彼は言葉に乗せた。
「──“ライアー”」
「“うそつき”? もうちょっとカッコいい言葉にしようとか思わないの?」
「いいんだよ、別に」
自虐的なネーミングに呆れるなのはを適当にあしらう攸夜が不意に、明後日の方角に広がる虚空を睨む。
──世界が、揺らいでいた。
「来るか」
「えっ?」
『なのはちゃん気をつけて! 周囲に強力な空間異常よ、“冥魔”が出るわ』
シャマルの焦りを帯びた声。展開したままの広域マップに、アンノウンを示す光点が急速に増え始めていた。
「ほぇぇっ!? ウソっ、ほんとに来たあ!?」
不測の事態に泡を食うなのは。ぶっつけ本番には強いはずの彼女だが、この慌てぶりは攸夜の予測を話半分で聞いていた証拠か。
わたわたとパニクるなのはを無視して、攸夜は左手をガッツポーズのような動作で握り込んだ。
ぱきん、涼やかな音が響き渡り、七色の宝玉を抱いた純白の腕輪が七枚の板に分離、蒼白い光のベールが噴き上がった。
「ハッ!」
鋭い爪甲が光の渦を断ち割り、勢いよく斬り払う。
光焔が舞い、光風が踊る。
セットされていた闇色の髪は解かれ、ボサボサの癖毛が雄々しく靡く。──夜空のごとき濃紺色の衣装を身に纏う魔王の姿がそこにあった。
「さて、と」
蒼いネクタイの根元を指先で軽くいじる仕草。
鋭利な金属の装飾が所々に施され、ネイビーブルーに染め抜かれたダブルスーツ風のコート。それが攸夜のバリアジャケット──正確には魔王が魔力で織る戦装束である。
「攸夜くん!」
「任せろ」
我に返った親友に応えて、攸夜は蒼銀に輝く三対の翼を発生させる。──なのははこの時、菱形の魔力翼が普段の半分ほどのサイズであることに気付く。
グレーのブーツが音もなく床を離れると、主に侍っていた七枚の“羽根”も活動を開始する。
三枚一組が連結して二対の盾となり両脇の空間に固定。残った一枚──“希望の宝玉”を抱いたものだ──が、一メートル程度まで大型化して魔力翼の間に納まった。
「いつもと、違う……?」
なのはの独白を聞き入れ、悠久の夜を統べる王は稚気に満ちた悪童のような笑みを浮かべた。
迸る蒼銀の燐光。
その姿はさながら白い甲冑に身を固めた中世の騎士のよう。
「じゃあな、なのは」
「あ、うん、気をつけて」
無限の記号にも見えるわずかに重なった光の輪を残して──、蒼き獣が戦場へと翔ぶ。
□■□■□■
「はぁ……」
私のファンだというおじさん──けっこうえらい人らしい──の相手からやっと解放されて、思わずため息。肩をぐるぐると回してこわばりをほぐす。
まったく、なれないことをすると肩が凝る。ユーヤに付き添ってこういう催しには何度か出たことがあるけど、どうにも堅苦しくて息が詰まってしまう。
はやても今頃、会場のどこかで接待をしているんじゃないだろうか。──もちろん、いかがわしいことはされてないけど。そんなこと、彼が許すはずないもん。
なんとなしに、オークション会場の方に視線を向けてみた。
『さて、次の品は“クリスタルスカル”。第百八無人世界の遺跡より出土したロストロギア、解析不能の透明な物質で構成された特異な形状の頭蓋骨です。現在は厳重な封印処理を施していますが、これは尋常ならざる磁力場を発生させており────』
壇上、声変わりがほとんどしてない声で競売の品の説明をしているのは幼なじみの一人、ユーノ・スクライア。
女の子に見間違えるほど柔和な面差し、ほっそりと華奢な中背、長く伸ばして根本で結ったクリーム色の髪、若草色のすっきりとしたスーツ、ノンフレームの知的なメガネ。どこかナヨナヨしてて頼りなく見えるけど、やるときはやる人だ。
実際ああに見えて、ユーヤと拳でコミュニケーションしてのける超一流の結界魔導師である。
ちなみに。
ユーノはなのはの好きな男の子──本人は隠せてるつもりみたいだけど、バレバレだ──で、ユーヤの大親友。そんな彼に、私はなんとなくシンパシーを感じている。おもに危なっかしい親友に振り回される的な意味で。同じ理論派だし。
「ユーノ、がんばってるなぁ……」
いまのユーノはなんというか、常日頃にはない威厳があふれている。なのははきっと、こういう時折見せるギャップみたいなものに惹かれたのだと思う。
──私とユーノが建物の中にいて、ユーヤとなのはが外で戦ってる。組み合わせのあべこべなシチュエーションが不思議に思えて、ちょっとおかしい。
ふ、と私の唇は自然と笑みの形を作った。
このホテルを中心とした半径一キロメートル圏内に“冥魔”の一団が出現、六課のフォワードチームと交戦が始まっている。
ユーヤの活躍もあって戦況はいまのところはこちらに有利。
ただ、ホテル周辺を強装結界を用いた防御壁で覆っているとはいえ、ここが危険であることには変わりない。にもかかわらずオークションの中止をしないのは、集まったの人たちに管理局の威信を見せつけるためなのだという。
────時空管理局は“冥魔”などには屈しない、と。
なるほど、どうりで私たち機動六課に警備なんかを任せたわけだ。“冥魔”出現のアナウンスのあと、会場で発生した軽いパニックを抑えるのに苦労したのは余談。
しかしこの手際のよさ、あまりにも不自然すぎる。上層部はあらかじめ、“冥魔”の出現を予期していたとでもいうのだろうか。
「はぁ……」
うだうだ考えても意味がない。結局、私程度の権限では真実を知ることができないのだから。
そう割り切って、いま抱えている“もうひとつの厄介ごと”について考えることにした。
「フェイト、うまくやれよ。執務官としてのお前の力、期待している」
──これは、なのはと外へ出るときにユーヤが残した言葉だ。
彼は颯爽と私の横を通り抜ける際、まるで世間話をするみたいなトーンで言ってのけた。
詳しい事情は割愛するけど、管理局のとある高官が、ロストロギアの横流しで巨額な不正資金を得ているらしい。その人物、なかなか頭が働くようで、すこし前に管理局内部で吹き荒れた大粛正の嵐もくぐり抜け、いまのいまでのうのうと私腹を肥やしていたのだという。
で、このオークションを隠れ蓑にした違法ロストロギア密売の現場を押さえて、芋ずる式に検挙する足掛かりにしてしまおうというわけ。──さっき査察部のヴェロッサを見かけたし、上層部は本気のようだ。
それにしても、ユーヤも簡単に言ってくれる。たしかに私は司法を預かる執務官で、そういうことをするのがお仕事で。ついでに摘発したことなんて数えるのもばからしいくらいあるけれど。
……あれ? 私ってこの上なく適任?
と、ともかく! 準備期間だとか内偵だとか、必要な段取りをぜんぶ無視していきなり「犯人を捕まえろ」だなんて、いくらなんでも無茶ぶりがすぎる。
だいたいユーヤは、いつもいつも自分勝手なんだから。私が断れないって知ってて、いじわるばかり。……でも、そういう強引にリードしてくれるところが好きっていうか──
…………。
ま、まあ、他ならぬユーヤのお願いだ。私の中に拒否するって選択肢ははじめからないし、せいいっぱいの全力以上でやり遂げるつもりだけど。
──冷静に考えてみると、私はユーヤに依存しすぎなのかもしれない。けど決めたんだ、どこまでもついて行くって。
「はぁ……やめやめっ。さっさと犯人捕まえてこよう」
私は三回目のため息をついて、非生産的な思考を破棄する。こんな格好をしてるけど、いまは仕事の最中だ。頭を“執務官としての私”に切り替えて、解説を続けるユーノの声を背に会場をあとにする。
まずは、私を手伝ってくれるという「ユーヤの部下」と合流するとしよう────