ティアナのミスショットが戦鎚に弾かれる光景は、モニターするなのはの元にも届いていた。
だが傍観者でしかない彼女はただ、血の気の引いた顔で画面の前で成り行きを見ていることしかできない。
『──バカ野郎ッ、どこに目ェつけてんだてめぇは!? 仲間殺しでもしてぇのか、このノーコンッ!!』
へたり込んだティアナをひとしきり罵倒し、ヴィータは近くで浮遊するサーチャーを仰ぎ見る。
「ヴィータちゃん……? どうして、ここに……」
モニター越しに目線が混じり合う。ヴィータの青い瞳は怒りに染まりきっていた。
『オイなのは、お前がついてながらこの有り様はいったいどーいうことだ?』
責任を問う声はまるで吹き荒ぶブリザード。出会った頃よりもずっと冷静でクレバーになったヴィータが激怒している──改めて、なのはは自分の失態のほどを思い知った。
部下の独断専行を許してしまったのは明らかな失点だ。もっとも実戦に参加して間もない新人とはいえ、信頼した結果がこれでは浮かばれないが。
『黙ってないでなんとか言えよ』
そう強く睨まれたなのはだったが、茫然自失で言葉が返せない。三年前の“罪”を責めるように、じくじくと疼き始めた右腕を強くかき抱く。
『ったく……』
嘆息して頭を振ったヴィータが、未だに状況を把握できずオロオロとするだけのハチマキ娘を一瞥する。
ヴィータの怒りの矛先はとりあえずのところ納められた。これ以上の問答は無意味であるし、なのはを公的に叱責する権限は彼女にない。
『このバカ二人は私がそっちに連れてくから、ちょっと待ってろ。“私ら”が追いかけてた奴らがエリオたちんとこで暴れてるからな、急いで援護に行ってやらねぇと』
「あっ!」
完全に失念していたなのはが声を上げた。口元を手で隠しているシャマルも同様らしい。
動転しつつ、もう一組の教え子たちを実況するモニターに目をやった。
「エリオ……!」
拮抗していたはずの戦いは今や一方的なものとなっていた。取り柄の速度で何とか取り繕ってはいるが、それも時間の問題だろう。
いくら一時的にポテンシャル以上の力を発揮出来たとしても、地力の差はどうにもしがたい。無茶な機動が疲労となって体力を徒に消耗させていく。
『うわっ!?』
案の定、ソニックムーブの“抜き”をしくじり、足がもつれて尻餅をついた。
繰り出される刺突。赤毛の少年は反射的に目を瞑る。
取り返しのつかないミスを穿つ鉾先──しかしそれがエリオを貫くことはなかった。
『ム』
『……え?』
悲鳴のような金属音の残響。
恐る恐る瞼を開いたエリオの目に映ったのは、大きく後方に飛び退いた男と自分を背に立つ長身の女。
『無事か、エリオ』
燃え立つような薄紅色の髪を後頭部で結わえ、紫色の甲冑で身を包む麗人。担う魔剣の刀身が陽の光を受けてギラリと輝く。
──ヴォルケンリッター“烈火の将”シグナム。機動六課別働隊チーム、暗号名“シーカー”を率いる歴戦の騎士である。
『……し、師匠? どうしてここに……』
『任務だ。お前はそこで休んでいるといい』
短いやり取りの後、シグナムは雑草を踏みしめ、ここ数ヶ月幾度か刃を交えた相手に鋭利な双眸を向けた。
『ゼスト・グランガイツ……、今度こそ私とともに来ていただく。貴方の“ご友人”が首を長くしてお待ちだ』
『性懲りもないな、貴様は。俺は始めに言ったはずだ。断る』
『何を今更。私も始めに言ったはずです、我々の任務は貴方とその少女を保護することだ』
まさか貴方が“奴ら”と通じているとは思わなかったが──魔剣の切先を眼前の男に突きつけ、烈火の剣士が厳かに言い放つ。
ゼストと呼ばれた男は逃走が不可能と悟ると、重心をわずかに下げ、大槍を腰だめに備える。その構えに付け入る隙は微塵もない。
愛剣を八双に構え、シグナムもまた一分の隙も見せない。
武芸を極めた兵つわものの放つ気迫は木々をざわめかせ、大地を揺るがす。
他方、シグナムより一足遅れてこの場に到着したメガーヌもまた、召喚師の少女と対峙していた。
白と紫をベースにした丈の長いローブ状のバリアジャケットを纏う彼女が引き連れるのは、十代前半の少女。銀髪緑眼、装飾過多なゴシック調の黒いワンピースとヘッドドレスを身につけ、縦笛らしき何かを携えている。
『ルーテシア……』
『……!』
自らの名を万感の思いを込めて呼ぶ女性の姿に、紫の少女は無表情の仮面が揺れた。
不安。困惑。動揺。そして、憧憬。
自分によく似たこの女性が誰なのか、少女はすでに知っている。できるなら、今すぐにでも駆け寄りたい。思いっきり甘えたい。
狂おしいほど求めたものはすぐそこに。手を伸ばせば届くところにあるというのに。
……けれども、彼女の置かれた状況はそれを許さなかった。
『ゃ、ヤダ! こないでっ!!』
目前の安らぎを拒絶するかのように紫紺の魔力光が光り輝く。
どろどろの原形質に覆われた全長一メートルの巨大な芋虫が四匹、影からずるりと這い出す。凶暴な牙を剥き出しにして、不気味な魔蟲が耳障りな奇声を上げた。
『ッ、闇妖虫……? いえ“冥魔”に侵されてしまったのね、可哀相に……』
混沌に汚染された命に同情し、メガーヌはわずかに睫毛を伏せる。
『……ルーテシア、待っててね。いま助けてあげるわ』
ブーストデバイス“カドゥケウス”が仄かな輝きを灯す。
──ケリュケイオンの兄弟機であるこのデバイスは、メガーヌが以前使用し、現在はルーテシアと呼ばれた少女の元にある“アスクレピオス”とほぼ同等の性能を備えていた。
『シアースちゃん、お願いね』
背後に控えていたドレスの少女がコクンと首肯して進み出る。
彼女、“音の魔”シアース・キアースが縦笛──有り体に言えばソプラノリコーダー──を小さな口でくわえ、息を吹き込むと伸びやかな音律が森に響く。
見事な演奏に合わせ、周囲の植物たちが蠢き出した。
根を足に見立てて立ち上がり、あるいは枝葉を触手のように伸ばす──樹木を支配下に納め、自在に操る“音の魔”の魔力。
──緊迫する戦場、高まる戦意。
『──うふふっ、』
乾いた哄笑が水を差す。その場の全員がギョッと声のする方に目を向けた。
見る影もなく血みどろキャロが、音もなく立ち上がる。
ぽたり、ぽたり。
前髪を伝って滴り落ちた生暖かい雫が地面に染み込んでいく。
しとどに濡れた前髪が垂れ、表情は窺えない。薄く笑みを描いた口元がひどく不気味だ。
『ふふ、ふふふふ……イタイ、イタイです。いまわたし、すごく……すごーく、イタイんです。ふふふふふふ──』
感情の欠如した呟きはどこかおどろおどろしく。年端もいかない少女が纏うにはあるまじき異様な存在感が辺りを満たす。
ドドドド、とか、ゴゴゴゴ、とか──そんな不穏な効果音まで聞こえてくるかのよう。
『許せません……。この憤り、どこにぶつけたらいいんでしょう……? くすっ、わたし、じつはけっこう気が短いほうなんですよ?』
虚空をさまよう独言。
溢れ出す主の力にケリュケイオンが驚き、チカチカと光る。ゆっくりと胸の前でクロスした両手、その甲に煌めく桃色の宝玉から展開した四対の翼──制限中であるはずのサードモードが何故か起動していた。
濃縮され、物理現象を伴った魔力がスパークし、桃色に光る七芒星の魔法陣を大地に描き映す。ケリュケイオンに内蔵された“超小型八卦炉”が増幅する魔力は限界を知らない。ちなみに銀の仔竜はしっぽを丸めて逃走済みだったりする。
カッ、とキャロがつぶらな目を見開いた。
『──我が許に来たれ、八界の嵐よッッ!!』
画面が桃色の閃光に埋め尽くされ、大規模な魔力爆発が森の一角で炸裂した────
□■□■□■
「──とまあ、これが今回のミッションの顛末って訳さ」
オークション終了後。
執務官制服に着替えたあとでユーヤと合流、任務の首尾を説明してもらった。
「……なんていうか、試合に勝って勝負に負けたって感じだね」
思わず、ため息。ホテル内の警備や密売の取り締まりがうまくいったから、余計にそう感じる。
ちなみに。
最後に一矢報いたキャロは病院へ直行。幸いなことにそれほど重傷ではなく、二日くらいで退院できるとのこと。
エリオが病院に付き添っていて、スバルとティアナは危険行為のペナルティも兼ねた警戒任務中。
二人組は爆発に紛れてまんまと逃走、行方は不明。監視衛星で姿を追えないなんてどうかしてる。で、シグナムたちは彼らの追跡のためにここを立っていた。
「事実上の完敗だろ」
むっつりと腕を組んだユーヤが吐き捨てた。オブラートに包んだ意見はお気に召さないみたい。
自称リアリストなユーヤらしい意見だけど、交戦した正体不明の魔導師をどさくさに紛れて取り逃がして不機嫌な部分もあると思う。“闇の書”事件のとき、グレアム元提督の使い魔にいいようにあしらわれてクロノと二人で憤っていたのを思い出した。
……それにしてはイライラしすぎな気もするけど。私と顔を合わせたとき、一瞬だけど動揺してたし。
──もしかして、浮気?
だめだ、話題を変えよう。
「──なのは、だいじょうぶかな。だいぶ落ち込んでるみたいだけど」
ホテルの従業員の人と話をしている親友が、私は心配でならなかった。
表面上は気丈に振る舞っているけどかなり参ってる。信頼してた部下があんな危険なことをしでかしたんだもん、当然だ。
……すっごく辛そうな顔してティアナを叱ってるなのはを見たら、いますぐ抱きしめたくてうずうずしちゃうよ。
「反省してるんだからそっとして置いてやれ。それに、慰めるのは俺たちの仕事じゃない」
「むー……」
そんな彼の皮肉げな言いぐさに、思わず膨れてしまう私。
「じゃあ誰の仕事?」と問いかけると、ユーヤは訳知り顔で顎をしゃくる。「そりゃあもちろん、アイツの役目だろ」
若草色のスーツを着た男の子が朗らかな笑顔で近づいてきた。
「やあ二人とも、お疲れ様。いろいろと大変だったみたいだね、はやてから聞いたよ」
「あっ、ユーノ。おつかれさま」
「お疲れさん。プレゼンテーター、しっかり勤め上げたそうじゃないか。大したもんだって姉さんも感心してたぞ」
「いや、僕なんてまだまだだよ」
労いの言葉を交わす私たち。そこはかとなく大人な感じ。
お目当ての品を落札してホクホク顔のルーさんが、帰り際にユーノのことをご機嫌で語ってた。小さい頃から利発な子だった、とかなんとか。
「……なのは、元気ないみたいだね」
ふと、真剣な表情でなのはの方を見たユーノ。
むむ、めざとい。愛されてるね、なのは。
「ああ、今ちょうど俺たちもそのことを話していたところだ」
「ちょっと任務でしくじっちゃって……」
うん、聞いてる、と苦笑ぎみに言うユーノ。でもすぐに、人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「で、相談なんだけど、時間があるならこの後四人で食事に行かない? なのはを元気づける会、ってことで」
「なるほど、いい考えだな。フェイト、この後の予定は?」
「えと……ちょっと待ってね」
スケジューラーを呼び出して予定を確認、っと。
「ここを撤収して、みんなでキャロのお見舞い。隊舎に戻って検討会と報告書の作成があるから、そのあとならフリーだよ」
「じゃあ決まりだな。店は俺が決めてもいいのか?」
「うん、任せるよ」
「りょーかい。任された」
ユーヤはこういう段取りや仕切りも得意なのだ。
「でも四人でごはん食べるのって久しぶりだよね〜」
「だな。──おいユーノ、弱ってる今がなのはを口説くチャンスだぞ」
「し、しないよそんなことっ!」
「はぁ……。だからお前は意気地無しだというのだ、この馬鹿弟子がぁ!」
「弟子って誰がさ!?」
明るく陽気なユーヤに、ガシッと強引に肩を組まれたユーノはちょっと困り顔。けれど、とっても楽しそう。
ん〜っ、なんか私もわくわくしてきた。……なのは、元気になってくれたらいいけどな。