第7話 スパイ?
妻から事情を聞いた謙介は、慎二のところへすっ飛んで来た。
「おい、シンジ。彼女とのことは、どうする気なんだ?」
謙介は、恐る恐る慎二に聞く。彼女とは、もちろんガイアグネのことだ。慎二は苦笑しながらも、どうするのか決めていないと答える。
「とりあえず、亮治さんに報告して指示を仰いだから。その結果次第かな」
続けて慎二は、さすがにあれはないよねと顔をしかめる。逆に、謙介も気をつけたほうがいいよと返された。
「そうだな。ガルフ族はがみんな酒乱で淫乱だったら、俺はどうすりゃいいんだろう」
謙介も、自分が逆の立場になったら怒り狂うかもしれないことに気付き、慎二にそれ以上聞くのはやめにした。それよりも、彼女が特別なのかどうか確かめる必要が出て来た。謙介とて、酒乱な妻は願い下げだ。淫乱な妻も嫌ではないが、それは淫乱になる対象が自分だけの場合であって、誰に対しても淫乱な女など御免こうむる。おそらく妻が同じ事をしたら、離婚を決意するだろう。
「俺の複雑な気持ちもわかるよね?」
慎二は、今までに見たことも無い複雑な表情をしていた。
同盟を組むことに成功したのだから本来は喜ばしいはずなのだが、ガイアグネは針の筵に座っているというか、胃に穴が開きそうなほど辛い思いをしていた。具体的な同盟の条件を詰めている会議の席で、獣人達が彼女のことを褒め称えるのだが、その内容が陰湿極まりないものだったからだ。
「さすがは王族ですね。本物の博愛精神をお持ちだ」
「求める男全てにキスを許すとは、なんとお優しい方でしょう」
「抱き心地が最高だと、若い男共は皆申していましたよ」
「胸の張りや肌の艶も極上だとか」
「何度揉んでも飽きない、程よい弾力がある胸だそうで」
「とろけるような舌遣いも、並みの女では真似が出来ないとか」
「アノ口からは、潮を吹くように蜜があふれ出るとか」
「イク時の声は、それはそれは艶かしいそうで」
そんなことを時折口に出して、彼女を精神的にいたぶるのだ。彼女も記憶を失うほど飲んだこともあり、否定や反論は出来ない。また、今朝の状況から考えると、彼らが言うことは事実かもしれないのだ。彼女は血が出るほどに強く拳を握り締めて耐えるしかなかった。
「いやあ、遅れてすみませんねえ」
そこに、慎二が謙介とその妻を連れ立って現れた。すると獣人達は、ガイアグネには目もくれずに慎二達を褒め称え始める。今度は嫌味成分が全く無い、純粋に慎二達を称える言葉である。
「そうそう、一つ言っておきたいことがあるんですがね」
慎二は、重要なことだから良く聞いて欲しいと言う。
「ええ、どうぞ。なんなりとおっしゃってください」
獣人達は、愛想笑いをして慎二の言葉を待つ。しかし、次の言葉を聞いて驚く。
「昨夜、帝国のスパイが忍び込んだ可能性がありますので、皆さんにおかれましては怪しい者を見つけたら直ちに捕まえてください」
慎二は、早くも同盟を壊そうと帝国が画策を始めた可能性があると指摘した。
「それは恐ろしいですな。一体、そのスパイは何をやらかそうとしているんですか」
ワードッグの壮年の男が質問すると、慎二は苦々しい顔で答える。
「昨夜、私の婚約者が帝国のスパイに裸に剥かれて、宴会場に放置されたようです。狙いは、彼女が淫乱だという噂を立てて私との仲を裂くことと、同盟を破棄させようというものです。彼女に関する噂をしている者がいましたら、それはすべからく帝国のスパイでしょう。捕まえて拷問にかけてください」
慎二が周りの者を睨むようにして言うと、その場の獣人達の顔は蒼白になった。
会議が終わると、慎二は別室にガイアグネを連れて行った。謙介も一緒だ。慎二は、静かに口を開く。
「単刀直入に言おう。婚約は解消する。君の口から女王に婚約解消を申し出るんだ。いいね?」
慎二は、彼女に反論は出来ないよねと厳しい顔で言う。彼女はしばらく黙っていたが、急に泣き出して慎二に縋りついた。
「申し訳ありません、慎二様。お詫びに何でもいたします。何でも言うことを聞きます。ですから、婚約解消だけはお許しください」
彼女は真っ赤に充血した目から、絶え間なく涙を流して慎二に涙声で懇願する。しかし、慎二は冷たく言い放つ。
「君の名誉は守ってあげたんだ。これ以上のことは出来ないよ。元々俺は、君のことが好きでもないのに婚約させられたんだ。他に気に入った女の子がいたのにね。それは、君がそう望んだからだと聞いている。それなのに、今朝の醜態は一体何なの?俺のことが好きだったら、絶対にあんなことは出来ないよね。何か言うことあるかな?」
慎二は、なおも冷たい目で彼女を見下す。ガイアグネは、それでも慎二に縋りつく。
「ごめんなさい。慎二が他の女の子と仲良くしてたものだから、つい妬いてしまったの」
彼女の言葉に、慎二は冷たく返す。
「へえ、だったらこれからも同じことの繰り返しだね。俺が女の子と話すことなんて、これから何度もあるだろうし。その度に悪酔いして、素っ裸になるんだ?他の男に股を大きく開いて見せるんだ?君って、最低だね」
ガイアグネは、しまったという表情が顔に出ていた。この大事な局面で、彼女は重大な失言をしてしまったのだ。慎二は、これで終わりだと言って部屋を出ようとするが、彼女はそれでも泣いて縋りつく。
「お願いします、許してください。何でもします。何でも言うことを聞きます。ですから許してください。お願いします。本当に何でも言うことを聞きます。何でもしますからあっ……」
彼女は、慎二を掴んで離さない。もっとも、強引に振りほどこうと思えば出来るのだが、慎二はそこまで薄情ではなかった。
「本当に何でも言うことをきくんだね?嘘をついたら、今度こそ終わりだからね」
慎二がため息をつきながら言うと、彼女の顔は見る見るうちに明るくなっていく。彼女は、慎二と結婚する最後のチャンスを掴んだのだ。
慎二が部屋を出ると、入れ替わるようにして謙介の妻が入ってきた。
「ねえ、アグネ。何とかなった?」
彼女が問いかけると、ガイアグネは途端に笑顔を浮かべる。
「あなたのおかげよ。泣き落としって言うのかしら。見事に成功したわ。まさか、許してもらえるとは思わなかったわ」
でも、結構厳しい条件を付けられたけれどと、ガイアグネは続ける。
「それでも、なんとか許してもらえたのね」
続けて、謙介の妻は夫から聞いた秘密を暴露する。慎二は、ガイアグネとだけは結婚したくないと井上に頼んでいたことを。それを聞いたガイアグネの表情が凍りつく。
「なんてこと。私って、そんなに嫌われていたのね」
ガイアグネは、呆然とする。まさか、そこまで嫌われていたとは思わなかったのだ。あまりにも落ち込んだ彼女を見て、謙介の妻は慌てて励まそうとする。
「物は考えようよ。もう落ちるとこまで落ちたんだから、これからは慎二様に好かれる一方だと思えばいいのよ」
親友の励ましに、ガイアグネは苦笑する。
「落ちるとこまで落ちたって、それってちょっと酷くない?」
ガイアグネは、お詫びする代わりに自分に協力してよと頼む。親友はもちろんいいわよと答え、これからどうやって慎二から好かれようかと作戦会議を開くのだった。
一方、慎二は謙介と一緒に自室に戻った。そこで謙介に、本当に良かったのかと尋ねられた。
「まあ、しょうがないよ。おそらく、婚約解消は認められなかっただろうしね。だったら、少しでも自分に有利な条件を引き出そうとしたんだ」
慎二は、美人を虐めるのも気が引けるからと言う。慎二の見立てでは、婚約解消を強行すると彼女は最悪の場合死んでしまうかもしれないと言うのだ。
「まさか。あの超強気な女がか?」
謙介は、まさかという顔をする。
「まあ、可能性は低いけどね」
しかし、強気の女ほど挫折した時のショックは大きいと、慎二は亮治から聞いていたのだ。これで彼女が改心すれば良し。そうならなかったら、冷たくあしらうだけだと慎二は言う。
「しかし、うまくやったよな。これで亮治さんが承認すれば、お前もいい思いが出来るよな」
謙介の言うとおり、慎二はうまくガイアグネから譲歩を引き出した。婚約者を何人か増やすことと、彼女達と夜を一緒に過ごすことをだ。これが上手くいけば、一人悶々とする夜は終わり、快楽の夜がやってくるのだ。
「ワーシープなんかいいね。ワーキャットやワードッグもいいかもね。なんだか楽しみになってきた」
慎二は、早くもどの女の子にしようかなと、捕らぬ狸の皮算用をしていた。