聖杯戦争は終わった………。
戦いは勝者を生むこと無く、その爪痕をそのままに、脆い日常(セカイ)をまわし続ける。
俺と、遥か理想の果てに眠る彼女の心に、ほんの少しの悲しみと僅かばかりの思い出を残して。
儚い、けれど何よりも尊いこの日常は、今もこうして廻っている。
FATE/MISTIC LEEK
第一話 日常境界 Ⅰ
冷たい外気が頬をなでる、四月を半ば過ぎたとはいえ土蔵で朝を迎えるのは体に堪えたらしい。中途半端にストを起こす体に鞭をいれ伸びをする。
「ファ~、またやっちまったか」
いい加減、土蔵で寝る癖治さないとな。治す気も無いくせにそんなことを考える。
「―――――――」
辺りを確認すると視界に収まるのは「強化」を失敗した角材の山、山、山。聖杯戦争の時には結構成功していた「強化」の魔術が今は見る影も無くこの有様。つくづく自分の才能の無さを痛感する。
あの戦いから早三ヶ月。
遠坂に師事して結構経つがいかんせんこの有様じゃ、アイツにあわす顔が無い。進歩はしているんだろうがなんとも情けないぞ。
「―――っと。こんなこと考えてる場合じゃないか」
俺は即座に思考を切り替えた。
魔術は魔術、くよくよしていてもしょうがない。衛宮士郎に才能が無いのは今に始まった事じゃないんだから。
我ながら思う。随分と短絡的な志向だよ。……まあそれとて兎も角、今は朝飯の支度を済ませるのが最優先事項のはずだ。
そもそもだ。朝飯が遅れようものなら冬木の町で放し飼いにされている虎が、どうなるのか分かったもんじゃない……あー訂正。鮮明に想像できる。そんなワタクシ、だって彼女のブリーダー。
そんなことを考えるうちに居間に到着。瞬間、味噌汁のいい香りが鼻腔をくすぐった。
「悪い、今日は遅刻しちまったみたいだ」
我が家のミス・パーフェクト家政婦さん。桜に嘆く。彼女はお玉を可愛らしく肩に添えて柔らかく微笑んだ。
「そんなこと無いですよ。いつもどおりだと思います」
私、ちっとも気にしていません。なんて笑顔で言われたら何も言えないじゃないか。
「そっか、それとおはよう桜」
「はい、おはようございます先輩」
日々の変わらぬ証拠を言って、言われて。自前のエプロンに袖を通す。
ウム、今日の味噌汁はモズクか? 何気に、今日が初出ではなかろうか。順調にレパートリーを増やしつつある彼女の和食レシピ。危機感を覚えずにはいられないのだが、それはそれ。早速朝食の準備に取り掛かることにした。
「主采は何だ?まだなら俺が作るぞ」
「冷蔵庫に藤村先生の御爺さんから頂いた鮭があったはずですよね?」
「だな、じゃあ今日の主采はそれでよしっと……他には?」
「今作っている、レンコンの膾と昨日の切り干し大根がありますから………」
「十分だな」
このテンポが実に心地よい。やはり朝は桜と一緒に料理をしなきゃ嘘だ。加えて、まごうことなき日本の朝餉、文句なしだぞ。
「ふふ、どうしたんですか先輩、妙にうれしそうな顔して」
桜が嬉しそうに問いかける。そんなににやけているのか、俺の顔。
「いやなんだ、ここ最近、朝飯、洋風が多かったろ? 久々に衛宮家の朝が帰ってきたなって」
そうなのだ。あの戦い以来、衛宮家の食客は今や三人と虎一匹、時々赤いあくま。
言わずもがな、そのうち三人が洋食党。味気なくも、パンが王権を簒奪し我が家の食卓を支配していたのだ。
「確かにそうですね、遠坂先輩もイリヤちゃんも洋食党ですから」
困ったように微笑む桜。
だがしかし、俺は知っているぞ。桜も洋食党だって。まあそれは置いといて。
「だろ、だからなんか嬉しくってな」
一家の主なのだから、自分の食べたい物を作ればいいと思うのだがすでに「朝食は洋風」と暗黙の了解が出来上がっているらしく、俺が台所に立つと決まって洋食を作らされていた。……主に、赤いのと白いのによって。
俺だって命は惜しいのだ。朝飯ぐらいで身の保身が買えるなら安いもんだ。
クソゥ、悔しくなんか無いぞ。
「先輩、日本食が食べたかったらいって下さいね。私が作れば皆さん文句も言わないでしょうから」
思ったことが顔に出たのか、ズイっ! と割と切実に訴えかけてくる桜。
苦労かけるね、ほんと。
「あぁ、そのときは宜しく頼むぞ間桐くん」
「はい、任せてください!衛宮チーフ!」
俺の冗談をどう取ったのかキリリと振舞い桜は言葉を返す。俺は堪えきれなくなった頬の緩みをそのままに、目の前の鮭をひっくり返した。
この何気ないやり取りがたまらなく尊い。あの辛い戦いも、このかけがえの無いものを守れたのなら、それはなんとゆう奇跡なのか。やはり日常とはこういうものを言―――
「おはよーー!!士郎~~~~~おなかすいたぞお~~!朝餉をもてい!!」
玄関が開くと同時に号砲。
言わない、こんなUMAのいる日常を断じて日常とは認めない。
どたばたと遠くに喧騒が響いたかと思えば、それも束の間。
「もう、大河、朝からレディが。何言ってるのよ」
俺の隣から、すっと透き通った声が。
そんなのだから、シロウに愛想着かされるんだから。と、流し目で早速虎を攻撃するのは連邦(藤村組)の白い奴。
イリヤさん、貴方いつの間にいらしていたんでしょう?
「あら、イリヤも私も藤村先生と一緒にお邪魔したんだけど」
そこに居るのが当たり前のように冷蔵庫から牛乳を取り出し、ゴキュゴキュと飲み干す赤い影、今日も赤いコートにはしわ一つ無い。ああ今日は遠坂もいるのか………って!?
「プハー、やっぱ朝はこれねぇ~」
「と、遠坂っ!?」
爺くさいぞ……なんぞ、間違ってもいえないけど。ええ、気を取り直して。
いつの間に!? そしてなぜに口にも出していない俺の疑問にそんな的確な答えを!?
「おはよう。桜、ついでに士郎」
「おはようございます、遠坂先輩」
俺はついでかよ……。
「……ああ、おはよう遠坂」
台所で当然の様に朝飯にチェックを怠らない遠坂にジト目で返す。
「今日は日本食か、桜が作ったの?」
当たり前のように俺はスルー!? まあ、俺程度の眼力じゃこんなもんか。
「はい。今日は何だかご飯が食べたくって」
「ふうん、まっ、たまにはいいかもね」
恥ずかしげに舌を出した桜に、遠坂は男の俺にも出来ない格好良い笑みで返した。
こんな二人のやり取りも最近増えてきて実に良い。聖杯戦争の時の様な、トゲトゲしたやり取りをそこには感じられない。
なんて言うか姉妹みたいだ。
……でもな遠坂。それは口の挟みようが無いほどに微笑ましいのだけれど、俺が朝、日本食作った時とあまりに態度が違いすぎるってのは、どうやって納得させてくれるんだ?
「?どうしたのよ士郎、面白い顔して」
俺が人生の不条理に本気で悩んでいると言うのにこいつは!
「いや、なんでもない気にすんな」
まあ、どうでもいいか。そろそろイリヤが藤ねえを落ち着かせている頃だろうし朝飯にしよう。
「っと、桜、こっちは鮭焼きあがったぞ」
思考を別に走らせても手は休むことなく料理を作り続けている。
うーむ、何か男としてのイデオロギーというかアイデンティティーというのか、兎にも角にもそう言ったモノが薄れていくのは気のせいだろうか?
「ご飯もしっかり炊けていますし、準備オッケーです」
「そう、それじゃあ朝食にしましょうか」
あの、遠坂さん? 何であなたが音頭を? 朝食を作ったのは桜と俺ですよ?
「士郎、何ぼうっとしてるのよ、藤村先生も静かになっているし速く朝食運んじゃって」
「ハイハイ、ただいま」
苦笑いしながら盆を運ぶ。俺もなんだかんだで、この日常が好きなんだよな。
「士郎~、イリヤちゃんが虐めるよ~~」
途中、手負いの虎が助けを求めてきたが、当然のように無視だ、無視。人類は虎の言葉など理解できません。
「お待たせイリヤ、ご飯よそうの手伝ってくれ」
「ハーイ、ほら大河も手伝って、これぐらいやらないと本当にシロウに嫌われちゃうよ」
「うう……」
渋々ながらも手伝う藤ねえ、本格的にイリヤに手なずけられてきたな。まあ、人類虎科としてはそれも止む無しか。
俺がイリヤと藤ねぇの漫才に苦笑しているうちに、桜と遠坂はいつもの指定席に腰を落ち着けていた。
何やかやと姦しいやり取りを終えて、全員が食卓に揃い、合唱。
藤ねえが、我ココヨリ戦闘ニ移行ス、とばかりに飯をかっ込み。イリヤのおかずをさっきの仕返しとばかりに奪い取り、彼女はぼうっとそれを眺める、桜は苦笑いしながら朝食を楽しみ、遠坂は我関せずと優雅に食卓を囲む。
アイツのいないこの日常もこんな奴らに囲まれて変わらずに過ごせて行けるならば、それはなんて幸せ。
そんな思いを噛み締めながら俺も朝の戦争に参加した。
嵐のような朝食は藤ねえの登校で終わりを告げる。残るのはいつもの四人。残り僅かな朝の喧騒。さて、どうやって過ごそうか?
しかしふと、いつもの朝のようで何か違和感を覚えた。いつもと同じ騒がしくも何気ない朝の風景。何時もなら確かこう………。
「なあイリヤ、今日何か元気が無くないか?」
洗い物を済ませ、エプロンを外す。俺は畳の上ででれっと足を伸ばすイリヤに、なんと無しの思い付きを吐露してみた。
「え!? っな、なんで!? 私はいつも道理だよ?」
そうだろうか?けど……何か物足りない。
いつものイリヤなら、もっとこう文字道理、体を張った「ぼでぃーらんげーじ」があるはずなんだが?
主にタックルとかタックルとか極めつけのトペ・アインツベルンとか。
「いやでも、今日は何か元気が無いと思うぞ、朝飯のときも藤ねえにおかず盗られてばっかりだったしな」
思えばこれもおかしい。
いつものイリヤなら藤ねえのあの程度の仕返し、押し返してしかるべきなのだ。
「それにな、イリヤ。気付いてないみたいだけど、お前、今朝の挨拶忘れてるぞ?」
「――――――――っ!?」
何よりこのことがありえない。イリヤは正真正銘の淑女だ。それは俺も桜も遠坂も、そしてイリヤの親代わりである藤ねえが一番認めている。そのイリヤが、朝の挨拶を忘れるなんて、考えられない。
「な、何言ってるのよシロウ!?私、挨拶したと思うけど!?」
「―――――――――――」
慌てまくるイリヤ。そして、いきなり顔を強張らせる遠坂。今の中が突然ぴりりとした空気に包まれた。
俺がイリヤを慌てさせる図、なんとも珍しい。とりあえず、確認の意味も込めて、したっけか? と桜に視線で尋ねてみる。案の定桜も小首をかしげている。
「桜も聞いてないってさ、大丈夫かイリヤ?もし、体の調子が悪――――」
「そこまでよ、衛宮君。早く出ないと遅刻するわ?」
いきなり声をかけて来たのは遠坂だ。俺はその声色に思わず怯んだ。
「それにイリヤ挨拶したわよ。あなたたちの勘違いじゃない?」
これ以上の詮索は許さないとばかりに真摯な瞳を向ける。その瞳には暗い影がかかっている気がした。
「だけど――――――――」
「しつこいわ衛宮君、私の見立てでは問題なし。ほら、サッサと仕度、済ませなさい」
学校、休むなんて許さないから、とにっこり微笑んで一喝。俺から視線を外し遠坂はイリヤに振り返る。
「イリヤ、そうゆうことだから、今日の夜私の家に行くわよ。言っとくけど、拒否権なんて無いからね」
「そう、分かったわ、だけど迂闊ね、シロウには気付かれない様にしていたんだけど………」
「馬鹿ね、それに気が付くとしたら衛宮君しかいないじゃない。本当に、気が利かない甘ちゃんなんだから」
遠坂の声に力がない。それに「そうだね」そういって破顔したイリヤは、なんて儚い顔で微笑むのだろう。
要領の得ない会話を終えた後、遠坂とイリヤは玄関に向かっていった。
うやむやのまま身支度を済ませ俺も玄関に向かう。
「イリヤ、本当に体は大丈夫なんだな」
言って、俺は見送りに来ているイリヤへと振り返えった。
「しつこいよシロウ。凛も言ってたじゃない、大丈夫って」
「分かった、イリヤを信じる。だけど無理はするなよ」
出来るだけいつもの様な仏頂面を作って、雪のような髪をなでる。白雪の髪は、ただ温かかった。
「ほら、士郎。急がないと本当に遅刻するわよ!」
そんな俺を尻目に、遠坂がガぁーと、まくし立ててくれた。
俺があれこれ考えない様に気を使っているのが丸分かりだぞ。
「オウ、今行く。それじゃイリヤ、行ってくる」
「いってらっしゃい。シロウ」
いつもみたいに軽く手をかざして、俺は遠坂達の背中にかける。それに答えたイリヤの貌はいつか見たアイツの笑顔に似ていた。
眩し過ぎる日常、手を伸ばせば簡単に手に入るその世界を遠くから、ただ羨望するだけの遠い笑顔。その笑みが、どうしようもないほどにアイツと重なった。
白状すれば、予感があったのだ。
沈夢、まどろむ日常が終わりを告げて。
異なる世界に剣を穿つ事を。
衛宮士郎が未踏の願いを持つのなら、この出会いは避けられない。
――――――――――だからこれは分かっていたこと。
ただ、白状すれば、願っていたのだ。
この脆い日常が、大切な人たちが笑顔でいられるこの日常が、いつまでも続いてくれれば良いなんて。
脆い日常(セカイ)は廻り続ける。そして、非日常(セカイ)の幕が開く。